Consequence
ラドから作戦成功の信号を受け取ったシャミは、その朗報を受け北進騎士団に総攻撃を具申する。
不信を抱く北進騎士団であったが、目視で敵戦力の減少を確認するとシャミの進言を受け入れ、総攻撃に踏み切る。
ラドが率いる皇衛騎士団は雪崩れから逃れたシンシアナ残存兵を追撃しつつ、長城に戻り北進騎士団と歩調を合わせてシンシアナ皇軍の側面を強襲。
特に混成部隊が放つ氷冷の魔法は寒さで動きを鈍らせる効果があり、僅かな魔力で効果的なアシストとなった。
五千の戦力を失い、二方面から攻められたシンシアナ皇軍は善戦むなしく後退……ではなく、さしたる反攻もないままあっさり軍を引く。
もちろんラドは敵軍退潮の理由が分かっているので追撃も待機もしない。
早々、全軍に撤退命令を出しフトトゥミに戻り着いたのは、雪だるま作戦改め、雪崩れ作戦から三日が過ぎた夜更けの頃だった。
最後まで長城に残っていた二十五名の魔法兵はショーンを救い、全員無事にフトトゥミに帰着。
ショーンは重症であったが一命を取り留める。
ライカとイオ、そして腰が抜けて泣きじゃくるジャンセンは皇衛騎士団本隊と別動になってしまったためフトトゥミに戻る。
「全く、背中がびしょびしょにゃ」
そう嘆くのはライカの背中がジャンセンの涙で冷えたからではない。余りの猛スピードで山を降りたせいでジャンセンが失禁し、ライカの背中に地図を作ったからだ。
「ずびばせん! すびはぜん!!! 大隊長殿!!!」
ジャンセンは待機宿の床が光るほど頭をすりつけて謝るが、ライカは「もういいにゃ、でも背中が臭うにゃ、お風呂に入るしかないにゃ~」と、むしろそちらの方にげんなり。
ちなみにイオは、余りに無謀な初スキー? 初ボードに目をまわしてぶっ倒れ、バックラーをソリ代わりに、ライカに引かれて街まで帰ってきた。
無論みんなに「だらしねー」とからかわれたのは言うまでもない。
そんな騒ぎもありつつ、皇衛騎士団本隊が帰投した翌日の朝、シャミが最後の一人としてフトトゥミに帰ってきた。
ぽつんと帰ってきた彼女をラドはハグをして暖かく迎えた。
「すまなかったね。シャミには辛いが任務だと分かっていて送ってしまった。キミしかいなかったから」
「気にしなくていいですの」
シャミははにかんで、ラドから預かったラピスラズリを左手で差し出す。
「これがシャミを守ってくれたですの」
その言い方から、やはり北進騎士団長はシャミの話を信じなかったのだと分かった。これほど貢献してもパーンと言うだけで全て否定されてしまう。
「ひどい目に合わなかったかい?」
「心配ないですの! シャミはすばしっこいですもの、ひどい目に会う前に逃げちゃうですの!」
ああ、とラドは心の中で嘆く。この子は素直だ、やはり何かひどい目にあったのだ。
するとシャミが何やら手を後ろに組んでもじもじしているではないか。
やはりウソのつけない子である。往々にしてそうだがパーン達はウソが苦手だ。顔よりも先に尻尾や耳に表情が出る。
ラドは優しく微笑み、手を差し出す。
「手をだしてごらん」
「な、なんでもないですの!」
「いいから」
言われて俯きながら、そろそろと右手を出すシャミ。
それはラピスラズリを差し出したのと逆の手。おかしかったのだ。シャミがなぜ利き手と反対の手でラピスラズリを手渡したのか。それが気になっていた。
シャミの白い手が、それはそれは小さな動きで背中から出てくる。
手首に赤黒い跡がある。
ラドの眉間がピクッと動いた。
北進騎士団にいる間、シャミは半獣人だというだけで枷を受けていたのだ。片手にアザ傷ということは吊るされていたのかもしれない。
理由は人を襲うから。
そんなことはありもしないのに。
ラドは擦り傷になった手首に両手を当てがう。でも触りはしない。傷が痛むかもしれないから。
ただ上からそっと、体温が伝わるように、包むように添える。
「優しい子だね。辛いことがあったら僕らの前では辛いって言っていいんだよ」
「辛くないですの! シャミは、んーーー……」
しばらく言葉を探す。
「いつも春のお日様から、元気をもらってる気持ちですの!」
なんともシャミらしい言葉が帰ってきて、ラドこそ春の陽気を彼女からもらったような気持ちになった。
「そうか、シャミがそう思ってくれるなら僕は嬉しいな」
ラドはシャミの後頭部を優しくなでて、衛生兵を呼ぶ。
「向こうで治療しよう。それと歩きながらでいいから、北進騎士団の動きを教えてくれないかい?」
「はいですの。シンシアナの退却とほぼ同時に伝令が来ましたの。ムンタムの総攻撃ですの。騎士団長のナバルさんは伝令を受けて、急ぎ下山し街道に出てムンタムに直行したですの」
「ならナバルはココには寄らないのか。残念ながら貸しを作りそこねたよ」
「シャミは一緒に下山したのかい?」
「いえシャミは最後に一人で……」
「落伍兵扱いか、全くひどいな、北進騎士団は」
ラドの大きなため息に不穏な空気を感じ取ったシャミは慌ててフォロー。
「でも、でもですの! メシャさんていう偉い人が縄を解いてくれたですの!」
「縄?」
「あっ!」
「北進のやつら、今度あったらたっぷりお礼しとく」
このお礼の意味はシャミには分からず、「よろしくお願いするですの」と的外れな答えを返す。
歩きながら二人の会話が続く。
「他の戦局についての情報はあったかい?」
「いえ、ここが決戦地だったようです。これより以南に戦線はないと言ってたですの」
「ならダーバランさんはフトトゥミに戻せばよかったな。あっ! しまった。ダーバランさんとはどこで合流すればいいんだ?」
「どうしたですの?」
「これじゃ、シンシアナの一個皇軍を追い返した証拠がないや」
「もうっ、ラドさんのそういうところ、シャミよりうっかりさんですの」
「あはは、まったくそうだね。シャミや皆に笑われちゃうや」
「でも……」
と言って、シャミは足を止め、少ししゃがんでラドを見る。
「そういうラドさん、大好きですの!!!」
そう言って力いっぱいラドを正面から抱き締めたのだった。
実際シンシアナ兵はどのくらい倒したかは分からない。追い返すのが目的であり、どの位くらい倒したかは関係ないからだ。
目的に関係がない戦闘はただの暴力だ。
それに、できればシンシアナ兵でも殺したくないのが本音だ。敵兵にも家族や友がいるのは生々しく分かる。
あのホムンクルス工場の一夜の恐怖は今でも覚えている。
誰かの命の向こうには、家庭があり幸せがある。戦うとはそれを奪うこと。そんな罪なき人の幸せを葬ってしまった罪悪と恐怖をひしひしと感じた夜だった。
だがやらなければやられる。
それは自分が上官なんてやるようになって、一層痛烈に思うようになった。
見逃せば敵はまた戦いを挑んでくると人は言う。それがいつか双方の損害になるのだから、優しさがむしろ多くの人を殺すのだと言う人もいる。
だが好きで死地に向かいたい人も、好んで命を屠りたい人もいないだろう。
今回の戦いで皇衛騎士団にも百名以上の戦死者が出ている。その殆どがパーンとバブル兵だ。
最初の窪地の包囲突破戦の犠牲者だから、遺体はまだ山の中……。
戦いを無くすためには、戦っても勝てない、戦っても得はないと思わせるのが一番いい。シンシアナが戦いを挑んでくるのは戦争による事態打開の政治的コストが安いからだ。
だから皇衛騎士団を強くしてきた。
兵力の傘。
けど……それが不毛な軍拡を招くのも知っている。
なんとか憎み合わず仲良くやれないものだろうか。そんなのは夢物語だと分かっているが、亡き仲間の姿を瞼の裏に映すとそう思ってしまう。