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ぐだぐだの一騎打ち

 アムセンは遥か彼方にガウべルーア兵の焦げ茶の防寒着を見つけた瞬間から、隊列を離れて駆け出していた。


 皇軍初陣の軍功争いは激しい。行軍が終われば同期で星取表の比べ合いが始まる。

 そこで恥ずかしい数は言えない。だから一人でも多くのクビが取る。それがシンシアナ武人としての誇りだからだ。

 そして初陣の首の数は皇軍での出世に直結する。

 ここで好印象だと上官の目に留まり名前を覚えられる。名前を憶えられれば何かの度に声がかかる。その期待に応えられるか応えられないかは自分の努力次第だが、上を目指す階段が目の前にあるのは大きい。

 ”階段作りから始める”のと”用意された階段を上る”のは大違いだ。

 オヤジは強かったが皇軍将補にもなれなかった。それは初陣の武勲が冴えなかったからだ。

 だから思う。

 『絶対オヤジを超えてやる』と。

 俺がオヤジの夢を叶えてやる。


 アムセンは敵が放つ魔法弾を腰を落して避けると、下からの体勢のまま一気に踏み込み、敵に眼前に躍り出る。

 一対一ならば魔法など全く怖くない。恐ろしいのは集団でいる時に食らう魔法だ。避けにくいし、避けたとしても誰かに当たるかもしれない。

 特に集団への被弾は恐ろしい。

 魔法の火は接触物を延焼させる力を持っているので、ファランクスのような集団に被弾すると被害が広範囲に及ぶ可能性がある。

 それを避けるため、個々に散らばり接近戦を仕掛ける。


 低い体勢からの伸び上がりに合わせてブロードソードを抜く。

 刃渡りは七スブ。シンシアナ兵にしても群を抜いて長い剣を高く振りかぶる。

「うるるぁぁぁぁぁーーー!!!」

 その鉄塊を重力を味方につけて敵兵の頭の上に振り降ろすのだ!


 詠唱を終えたショーンは、襲いかかるだろうシンシアナ兵の動きを予見して抜刀していた。

「一撃、受ける!!!」

 避けてもいい。避けてもいいがショーンは戦うモードに入っていた。

「オレが守る! リレイラ殿から託されたのだ!!!」

 アドレナリンが出まくったショーンは、何を思ったか正面から戦う決意をしていた。それが今なら出来そうな気がしていた。

 なぜなら大振りに振りかぶる敵の太刀筋など単純で見間違うはずもないから。


「でぇいぁぁぁぁーーー」


 声と声とのぶつかり合い!

 その瞬間、耳を塞ぎたくなる程の打撃音!

 そして白銀の世界ですら見える程の火花が散った。

 巾一スブを超える鉄と、かたやベルトの厚みにも満たないおもちゃの様なペラペラの剣。

 その二つが全く異なる音を立てて弾け合う。


 ショーンは首から下の全てを冥界に持っていかれる程の衝撃を鉄塊から受けていた。日頃の鍛錬がなければそのまま押しつぶされていただろう。だが背骨を極度に圧迫されながらも崩れずシンシアナ兵の一撃を受けきる。

 自分の剣が秋虫の鳴声よりも高い音で鳴って、全身が真っ白に震えていく。

 だが、剣は折れていない!!!

 あの渾身の一撃を魔法鋼の剣は受けきるのだ!


 その光景にはさすがのアムセンも驚いた。想定では剣ごと叩き切って頭から半分におろしている筈だったし、そういう武勇伝は何回も聞いていた。

 それが刃こぼれしているのが、こちらときた。


「おっさん、いいもん持ってるな」

 おっさんだと? それには激しく否定だ。

 ショーンはまだ少年の青臭さを残す声に引かれて敵の顔を見る。

「子供か」

「なめんな、おっさん。次にマグレはないぜ」

 敵は今度も上段から大振り。

 だが怪力のシンシアナ兵でも七スブの剣は素早く振れない。その隙を見てショーンは横に飛ぶ。

 剣で勝てないなら距離を取って魔法攻撃だ。


 だが敵は不意の動きに見事に呼応し、振りかぶった剣を何の躊躇いもなく手放す。そして力を溜めた体勢を活かしてショーンに飛びかかった。

 飛びかかられたショーンは不意打ちを避けられず、浴びせ倒しをくらって雪原に倒れ込む。


 このもみ合いは当然シンシアナ兵の勝ちとなる。

 子供と言ったがガタイはガウべルーア人の大人より遥かに大きい。身長もあって体も重く、力も強ければ寝技に勝ち目はない。

 ショーンは抵抗空しく押さえられて、こめかみを鷲掴みにされる。

 その握力の凄まじさ!

 顔を覆う巨大な掌は頬骨と頭蓋に容赦ない圧を与える。


 ――頭が軋む!

 このままでは頭蓋はリンゴのように握りつぶされてしまう!


 反撃せねばとショーンが咄嗟に思い付いたのがポンの魔法。

 実は「ポンの魔法」というものは基礎魔法には存在しない。これは魔法照明弾に使われている”物質にベクトルを与える魔法”を応用したものだ。

 ガウベルーア人といえど、初めて使う魔法は練習しないと扱えない。魔法照明弾では”ベクトルの魔法”を使って空気を押し出す仕組みを顕現させるのだが、ほとんどの兵が出来ないので訓練課程に”ベクトルの魔法の習得”が盛り込まれている。

 その訓練の合間に、面白半分に空気を操り手持ちの笛を鳴らした魔法兵がいた。それがきっかけとなってベクトル魔法で楽器を鳴らす遊びが流行った。

 最終的には圧縮した空気を開放することで「ポン」と音を鳴らす芸当が生まれ、部隊の中で「ポンの魔法」と呼ばれるようになった。

 その顕現イメージが頭を強度に圧迫される体験から急に思い出された。


 ショーンは激痛に耐えながら右手を持ち上げ、手のひらを敵兵の耳元に寄せる。


「インエルアルト……アリエルステンフォノ…レメールカッテイーロ!」


 刹那、ショーンの手の中で何かが爆ぜた。



 突然の爆音にアムセンは飛び上がった!

 押さえ込んでいた敵を放り投げて、雪中に身を伏せる。

 手を伸ばし、落とした剣を探り、身に寄せる。

 ――何処からだ……。

 全周囲の気配を探り、わずかに頭をもたげて辺りを 伺い、いまこうげきを仕掛けた敵を探す。

 だが一周見渡してもどこにも敵影は――

「あ、おっさん! ごるぁ!!! 逃げんな!!!」


 放り出されたショーンは当然逃げる!

 ひと通り周囲を確認し、何処にも敵はいないと気づいたアムセンは、怒りながら追いかける。

 だが必死に追いかけるも、雪に体を取られて思うように速度が上がらない。

 一方ショーンは雪上を飛ぶように走る。

 撤退は道なき雪山を歩くことが前提なので、ショーンの足にはカンジキがあった。一方アムセンは戦闘装備。追撃では軍団が動くため足場が固まることを織り込んでカンジキを履かない。面積のあるカンジキでは戦闘があったとき足さばきが甘くなるからだ。


 一歩進んでは雪をかき分け、一歩でまた雪を漕ぐ。

 鬼の形相だがモタモタ追ってくる敵を見てショーンは魔法の詠唱に入る。

 ファイアバレットならば詠唱は四秒。避けられると思うが動きの悪い敵だ。外しても連発して、距離が詰まったら走り、また距離を取って魔法を連発すれば、いつかは倒せる。


 左手を突き出し狙いを定める。

「インエルアルト フォルスエンゲルト――」


 しかし敵も足の止まった相手をみすみす見逃さない。弓はなくてもこんな時のための飛び道具はある!

 アムセンは二の腕の皮ホルダーに仕込んだ投げナイフを引き抜くと、スナップを効かせて放つ。


 ショーンは敵の手中に何か光るものを認めたが、それが何かを知る前に、

「んがーーー!!!」

 掌に激痛!

 真っ白な雪にボツボツと赤い塊が落ちてくる。

 一気に熱くなった左手にはナイフ! 突き抜けた刃先が手の甲から見えているではないか!

「なぁぁぁぁぁぁーーー!!!!」

 痛い

 死ぬほど痛い!

 吐くほど痛い!

 のたうち回りたい!!!

 だが止まればヤツが来る。

 殺される。

 間違いなく殺される。

 死にたくない。

 死にたくない!

 死にたくない!!!

「あああ、だぁぁぁーーー!!!!!」

 激痛に耐えてナイフを抜く!

 喉が切れるほど声を上げて痛みに耐えるが、気を失う程の痛みだ。そしてざっくり切れた傷口からはダラダラと血潮が流れ、まるで熱湯を注がれたように腕を伝っていく。

 ショーンは抜いたナイフを持ち替えるとアムセンに向けて投げつける。だがナイフなど訓練をしなければ投げられるものではない。クルクルと回りながら弧を描き、アムセンの遥か向こうにポトリと落ちる。


「おらおら、もう追いつくぞ、おっさん早くにげろや」

 ショーンは先程の逃げ足はどこへやら、痛みによろけながら歩くのがやっと。それでも自分に言い聞かせる。

 ――足を……足を止めるな。

 なんとか逃げて、逃げ切って、こいつを突き放すんだ――


 だが、かろうじて残った理性がショーンに警告を告げる。

 ――ナイフが飛んで来たんだ。ならあのでっかい剣だって飛んでくるんじゃないのか?

 一番安全なのは立ち向かうことだ。

 それに何のためにここに残った。

 戦うためじゃなかったのか。

 だが勝ち目はない。

 逃げるしかない。

 勝てないなら逃げるしかない。

 理性は戦えと叫ぶ、だが煩悩は楽を選べと囁く。

 そんな己の戦いに決着をつけて叫ぶ!

「うぉおおおおお、くそっーーー!!!」


「おうおう、おっさん、やるか!」


 敵は指を鳴らしてやってくる。

 手元にあったはずの剣はどこにもない。どこかで落としてしまった。

 背嚢にはバックラーがぶら下がっている。だが取る暇はないだろう。いや仮に手元にあっても、あの剣の前では無力だ。

 魔法は……もはや朦朧として詠唱はできない。詠唱ができなければ魔法は使えない。

 だが一つだけ手がある。

 この行軍の出立時に配布されたファイアチェインの無詠唱魔法陣。これならば魔力を流し込むだけで火の魔法が顕現する。

 だが意識が集中できないから敵の目の前に顕現させないと当たらない。ギリまで引き寄せてぶっ放す!


 敵は無言で雪に体半分を埋めながらやって来る。こちらも止まると怪しまれるのでジリジリと下がる。

 痛みのあまり意識を失いそうになるが、それを根性で保つ。


 ――やべぇ。やべぇ。やべぇよ!


 向こうは油断なんかこれっぽっちもしていない。研ぎ澄まされて一心不乱にこちらに向かって来る。

 むしろ乱れているのはこっちだ。さっきは気合一声己に決着を付けたつもりだったが、やはり心は迷っている。なにせ、

 一撃を外せば死ぬ。

 だが逃げられる保証もない。

 助けて欲しい。

 誰でもいいから助けて欲しい。

 だが誰もココにいないのも知っている。

 シンシアナ兵が憎い。

 それ以上に怖い。

 それでもショーンは近づく敵から目を逸らさず、ゆっくりと防寒衣の隙間に手を入れて、胸ポケットに仕込ませた魔法陣を弄る。


 ――リレイラ殿!!!


 敵が自分の間合い入ろうという瞬間、ショーンは眼前に巨大な熱源を顕現させた。


 アムセンは無詠唱魔法を初めてこの目で見た。

 ガウべルーアとの戦いには、幾つかの鉄則がある。

 固まらない事、近接戦に持ち込む事、魔法を詠唱させない事。

 魔法を使わせない為には詠唱を強制停止させればいい。

 やり方は簡単だ。息が吸えねば詠唱はできないので、腹や胸に強打を浴びせる。

 だが無詠唱の場合はどうすればいい。しかも目の前の敵はこの距離で自分もろとも魔法で仕留めようとしている。


 ――踏み込む時間はない。なら一か八かだ!


 アムセンは体をひねってブロードソードを横に振りかぶると、片手に持ち替えて腕を全開に伸ばし、ハンマー投げのように剣の重さで体を回し、熱源ごと横凪に切った!


 間合いが長い! 剣先が届くか!

 敵は何かしてくるだろうとは思ったが、まさか切りにくると思わなかった。

 切っ先はショーンの目前を駆け抜けていく。

 そして腹部、ギリギリの所を掻っ捌いていく、防寒衣の綿が飛び散るが、腹は……腹はやられていない!

 向こうでは人形の炎が一気に燃え上がるのが見えた。



 アムセンはパニックにならながらも、急いで雪中行軍衣を脱ぐ。

 火の魔法は強力だが体に燃え移る前に服を脱いでしまえば回避することができる。炎は吸わないように息を止めればいい。敵が魔法を使うと分かっていれば対処は可能!

 これもガウべルーアと戦う時の鉄則だ!


 脱ぎ捨てた外套が、オレンジ色の炎を揺らして雪に沈んでいく。

 髪の毛の焦げた臭いが雪花と共に舞い、アムセンの鼻孔を不愉快にくすぐる。

 この熱さと胸やけを誘う臭いが、アムセンを無性に苛立たせる。


「あちぃじゃねぇか、おっさんよぉ」


 最後の手段をあっさり破られ呆然自失とするショーンに、真冬に似つかわしくない熱気を割って正拳が飛んできた。

 腹を抉られて這いつくばり、堪える事も出来ず朝食べたじゃがいものスープを吐く。

「残念だったな。おっさん」

 ショーンはゲロゲロしながらも視界に捉えた敵の影から逃げようと四つん這いに這う。ヨタヨタと芋虫のよう。

 だが敵に蹴られて横にゴロリと転がる。それでも起き上がってまた這う。

 そんな醜態を見てアムセンは後ろから何度もショーンのケツを蹴った。


 ショーンは胃液まで吐いてゲロまみれになった顔を敵に向ける。

 アドレナリンが切れた目で見て、初めて敵の大きさに気づく。


 でかい……でかくて逞しい。


 白の雪中行軍衣を脱いだ体の容赦ない筋肉。

 生まれてこの方、シンシアナ兵というものをこんなに間近で見たことはなかった。王都の生活は辛いが敵兵に襲われる危機はない。

 北方の都市は毎年こんなやつらの脅威に怯えているのか。そしてライカ大隊長が飯を吹きながら話してくれた、『しゅにんは、十一歳のときシンシアナ兵を倒したんだぞ』という話が、とんでもない事だったと初めて知った。

 知ったがもう遅い。巨人の大太刀が空に輝いている。


「これでやっと二人か。全然たりねー。オヤジの初陣でも四人だ」

「まて、まって…くれ 俺一人やってもなんの意味もねぇ……」

「はぁ? それを決めるのはお前じゃねぇ。オレがいくらタマ上げるかだ。意味なんかどうでもいい」

 戦闘狂人。

 そんな言葉が浮かび、そのまま思考は停止する。

「安心しな、お仲間も上げてやる。一緒にな」

 その言葉を祝福するように雪雲の合間からジェイコブスラダーが降りてきた。その陽光に雪原がキラリと光る。


 それが何故かショーンには美しかった。

 金剛石を潜ませた雪原の輝き。遥か向こうに見える森の枝木を遊ぶ光の精の戯れ。その全てが神々しく美しい。

 死の間際に世界はこれ程までに眩しかったのかとショーンは知った。


「おっさん、ガウべルーアのくせに根性あったぜ。もっともクソ弱かったけどな。あばよ」

 引導を渡す敵兵の言葉を遮って、向こうから声がする。

「アムセン! 戻れ! 敵は森にいる!」


 遠く呼ばれた内容に、アムセンと呼ばれた青年は表情をピクリと動かしたが、反応したのはそれだけで振り降ろしたブロードソードを止めることは無かった。

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