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怒りの追撃

 雪だるま……。

 木の枝にランタンをぶら下げた、タダの雪の塊。


「やってくた……」


 長城に乗り込んだゲニアは唖然とした。

 敵はとうの昔にココを放棄し、シンシアナ皇軍は雪だるま相手に警戒し悶々と過ごしていたのだ。

 一晩も。

 塹壕を掘り。

 こ丁寧に偵察まで出して。


 やってくれた……。

 やってくれたな!

「魔法使いども! たぶらかしやがって!!!!!!」


 ゲニアは段平を全身で引き抜くと、一撃で三つの雪だるまを叩き切った。

 真っ二つになった雪だるまの胴体からは、バカにしたように白い血がふわりと飛び散る。

 ゲニアは任官初戦から、見事に敵の策略にハマったのだった。



 最後まで長城に残った魔法兵は、日の出とともに長城を出立した。その撤退の指揮を任されたのは、残存兵の中で最も年長のショーンである。

 彼が選ばれたのは全くの偶然であった。

 大あくびで長城の歩哨をしていたところを、雪の鋸壁の向こうから走り出てきたリレイラにつかまり、透き通る瞳で見つめられ、両手を取って「あなたに頼みます」と偽装工作と撤退の指揮を任されたのだ。

 否も応もなし。

 プライベートスペースを遥かに侵食されて赤面する三十五歳独身男性に否定の二文字はない。

 元人夫の彼に、美人に何かを期待される経験などない。あったのは不遜な依頼主に足蹴にされる経験だけだ。

 そんな男に訪れた僥倖!

 ――ガウべルーア男子が女の頼みを断るなんてありえねーだろ。それがリレイラ殿なら。

 ショーンは拳に力が入るのを禁じ得なかった。


 彼に託されたの二十四名の魔法兵。

 ショーン自身も一般兵なので、この二十四名は気心の知れた仲間だ。

 彼らはよっぴいて長城を歩き回り、魔法導線をたぐって人影をあちこちに現す雪だるまに魔法を注ぎ続けた。

 それを空が白み始めるまで続けて、今さっき撤退の号令を出したところだ。

 僅か二十五名の統率など子供の遠足よりも容易だ。準備は早々に終わり点呼も一度で決まる。撤退は誰始めるでもなくあっさり始まり、歩みは既に冬景色には異色な断崖の岩肌を遠くに眺める雪原近くまで来ていた。


「ショーン、俺たちは連隊長のところに行くのか?」

 黙々と行列を先導するショーンの背中から、徹夜明けらしい調子ズレた声がする。

 ショーンはリレイラに紹介されて、ティレーネから偽装工作と撤退の詳細を聞いている。だが同席しなかった仲間達は事の仔細を知らない。

「我々はリレイラ殿の命令により下山する」

 そういえばちゃんと説明していなかった事をまずったと思いつつ、ショーンは自信満々に答え、頭の中に下山の地図を思い出す。

 雪の城を背面に出てやや暫く行くと、密度の濃い森が開けて奇岩の断崖に当たる。冬はクライムを固く拒む垂直に切り立った崖だ。

 その手前、左手は山側。こちらに行けばラド連隊長がいる本隊にたどり着く。右手はゆるい下りの雪原。進めば下山と言われている。そして命令は下山してフトトゥミで待機である。

「それ、リレイラ殿じゃなくて、ティレーネの作戦らしいですけど、本当に大丈夫ですか?」

「リレイラ殿も信じているんだ。俺たちも信じる」

 青年兵士の疑問にショーンの落ち着いたかすれ声で答える。本作戦の元ネタがあのグズでオドオドしたティレーネであろうと知った事ではない。リレイラ殿が信じている事が大事なのだ。

「いっちゃ悪いがティレーネみたいなどんくさいヤツの作戦だ。今度ばかりはリレイラ殿も――」

「リレイラ殿を愚弄するか!」

「まだ何も言ってね~だろ、ショーン。それとも何か? お前はココの隊長様のつもりか?」

 ショーンは横を歩く同じくらいに年を重ねた同僚に揶揄され顔を赤くする。リレイラに指名されて舞い上がっている事を見事に見透かされたからだ。

「うるせー! リレイラ殿が俺を選んだ。その俺が信じろと言ってんだろうが」

「また始まりましたね。ショーンさんのリレイラさん好きが」

「ああ、まったくだ。もういい加減飽きたネタだぜ」

「悪いか! お前らにはリレイラ殿の素晴らしさがわかんねぇんだ」

「美人ですよ。たしかに。でもおっかないですよあの人。ブロードライトニング一撃で百匹の狂獣をぶっ飛ばしたらしいですから」

「強くて、美人。いいじゃないかっ」

「とこがいいんだか」

「冷たい眼差しがいい」

「いや、食われそうで怖いだろ」

「黒に茶の入ったメッシュの髪がセクシー」

「メッシュっていうか、まだらっすね」

「気持ちいい食いっぷりが愛らしい」

「絶対太るわな、なのひと」

「うっるせーな、おまえらは! いいんだよ! 特に冷たくあしらわれた後の温かい一言がグッとくるんだよ!!!」

「ただのマゾじゃねーか。俺は表情の無い怖い女なんて、まっぴらゴメンだね」

 タメ口な事から、どうやらこの男はショーンの仕事仲間だった同期兵と分かる。ふざけ半分に知った男の好みにケチをつけるのは男の品のない戯れだ。

「イチカ殿はどうですか? 僕は断然イチカさん派ですね」

「またガキだろ。このロリコンが」

「違いますよ! 年を聞いたら『ご想像にお任せします、うふふ』って言ってましたし。そんなのこと言う人が子供の訳ないでしょ」

「まぁ、たしかにガキはあんな香水は使わねーわな」

「でしょ、あのミステリアスな香り……」

「お前はまさに色香に惑わされるタイプだな。ま、せいぜい気をつけろや」

「ひどいですよ、ショーンさん」

「だが、連隊長の周りは不思議な人が多いな」

「そうだな。その連隊長がティレーネを引き上げたんだ。あのダメ娘にもいい所があったんだろうよ」

「そうですねぇ」


 雑談はそこで途切れる。それは本当に全員無事に、また会えるか分からない不安からだろう。

「みんなが無事に帰ってくる事を願おうぜ。その前に俺たちは追っ手に見つからないよう確実に撤退するぞ」

「そうですね。リレイラさんに手を握られて泣いて約束してましたものね」

「キサマ! やっぱり見てたのか!」

 ショーンはニヤついた顔で自分をからかう、ひとまわりは年下の青年の脇をどついた。



 激高のシンシアナ兵は持ち前の怪力で長城の手薄な壁を破壊すると、雪崩打って雪の城内に飛び込む。

 だが見渡せど人はおらず、いるのは風にマジックランタンをカラカラと鳴らす虚しい雪だるまのみ。

 あまたある雪中壕も、全てもぬけの空だった。


「たばかりやがって!」

 怒りに打ち震える兵達は、手持ちのブロードソードで雪だるまの首を刎ね、その頭を踏み潰して地団駄を踏む。だがシンシアナにも目ざとい者がいた。

「ゲニア殿! 真新しい足跡があります。雪底が硬いので昨晩のうちに大軍が動いています。足跡はその撤退の最後のものかと思われます」

 足跡を検分した兵士の的確な報が、白く曇ってゲニアに届く。

「手柄だぞ! すぐに確認に行く。お前らは動くな、足跡が分からなくなる!」

 ゲニアは高圧的に言い捨てると、報告に来た兵士の肩を掴んで案内を頼む。


「ここです」

 指差す先を見ると、確かに足跡が森の方へと続いている。だが足跡は非常に少くか細い。

「人数は分かるか」

「流石にそこまでは。敵もバカではありません、隊列を組めば人数は分からなくなります」

 確かにそうだ。そうやって騙されたばかりだった。

「そうだな。だが間違いなく敵は動いている」

「はい」

「ならば追う! 追ってぶった切るのが俺たちの仕事だ!」

 シンシアナ皇軍はゲニアに率いられて一斉に追撃に動く。



 ショーンはそんなに早くシンシアナが撤退に気づき、闘気を漲らせて追撃に転じているなど知る由もない。むしろ焦りこそ危うしと、敵にバレぬよう慎重に歩みを進めていた。

 耳元を抜ける風の音に寒さを覚え、気晴らしの雑談をぽつりぽつりと交わしながら。


 最後尾を歩く兵がふと歩みを止める。

「ショーーーン! なんか聞こえないかーーー?」

 隊列を率いるショーンに背後から声が飛ぶ。


 ――めんどくせぇ。

 ショーンは舌打ちをして足を止める。個人的には無視したいが、報告があれば対応しなければならない。それが軍隊というものだ。

「全隊止まれ。ちょっと後ろのバカの話を聞いてくる」

 誰に指示するわけではないが、自分の上官がやっているような事を真似て後ろに走る。そんな仕草を見て口元を斜めに上げて半笑いする仲間を気にしつつ。


「なんだ?」

「何だか風音に混じってハクハクって音がする気が……」

 ハクハクとは聞いたことのない例えを言う。

「なんだそりゃ。お前、寝不足で耳が変になっちまったんじゃないか?」

 ショーンはそうは言ったが気になって息を殺す。

「お前らも静かにしろ」

 その隊長ぶった言い方にクスクスと笑い声。

「うるさい。お前ら、フトトゥミに戻ったらリレイラ殿に言いつけるからな」

「わかりました! ショーン隊長!」

「このっ、馬鹿にしくさって」

 ぶちぶち愚痴りながらも目をつむり耳を澄ます。


「……」


 音はしないが、確かに何か圧迫感のある音圧を感じる。

「なんだ?」

 まさか追手? いやシンシアナが来るには流石に早すぎる。

 狂獣か? 冬山の狂獣は稀だが全く遭遇しない訳ではない。

 それとも仲間? 迷いはぐれた友軍はあり得る。何せここは何もない山の中だ。我々の歩みも道なき山中の踏破なのだから。

「ショーンさん、あれ! 人です!」

「仲間か?」


 次に目を細めたときには、もうはっきり見えていた。

 そこには見慣れたシンシアナの白い戦闘服の群れがあった。

「シンシアナ!!! シンシアナ兵です!!!!!!」


「なんでここにシンシアナがいるんだよぉ!」

 ショーンが驚くのも無理はない。自分たちは先程、長城を捨ててきたばかりなのだ。のんきに構えていたとはいえ、こんな手前で追い着かれるという事は、実は出立はギリギリのタイミングで、ほぼ入れ違いだったと言うことになる。

 本当に危なかった。一時間、いや三十分遅かったら死んでいた。

 だが結局見つかってしまえば同じ。


「オイ! 前のやつら! 走れ!!!」

 力の限りに叫び号令をかけるが、何が起きている分からない前方の動きは悪い。そうこうしているうちにも猛烈な勢いでシンシアナ兵は近づいてくる。

 ショーンは近くにいる兵の胸ぐらを捕まえて言葉の塊をぶつける。

「お前! 前に走れ! 前に行って隊を引っ張れ! リレイラ殿の命令を果たすんだ」

「ショーンさんは!」

「俺は、ここに残って一人でも止める」

「勝てるわけありませんよ!!!」

「一人止めればお前らが一歩前に行ける。俺が倒れたらまた誰かがシンシアナを止めろ。そいつが倒れたらまた次の誰かが止めろ! 一人でも多く生き残れ」

「ショーンさん!」

「いいから走れってんだ!!!」

 ショーンはまだ年若い兵士の尻を叩いて前に送り出す。防寒着のしまりのないボフっという音がなんだか滑稽で、これからシンシアナと戦う自分にピッタリだと思う。


 カンジキが雪をかく優しい音が遠ざかって行く。


「さて、まずは先制攻撃だ。インアルト――」


 ショーンは火の魔法を詠唱しながら、左腰に刺した剣に手をかけた。

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