建国亭へようこそ
そんな話が北で行われてから、かれこれひと月が経った一月のある日。ラドは上級貴族が集う料亭に呼び出されていた。
もちろん、ラドは北進騎士団でそんな作戦が発動されているなど知る由もない。基本、王国騎士団であっても各貴族閥の活動は不干渉。情報なんて探りを入れなければ入らない。
『建国亭にてお待ちしております』
アンスカーリの特直従者のドライリーさんに念押しされて、手渡された地図を頼りに王城の正門を通過する。なぜ料亭が王城にあるのかは分からないが悩んだところで行かずば答えは分からない。
本来は皇衛騎士団が守護する、だが現在は皇撃騎士団が守護する正門を抜け、東に折れて城壁に沿って暫く歩く。
ぽつぽつと生える寒々しい灌木の風景を眺め、雪の布団をかぶった低木のトンネルを抜けた先に一度も通ったことのない樫の木の扉が見えた。
位置的に考えて、この扉は城壁を抜けた城の外の別棟に繋がっている。つまり城内であり城外。これはかなり特殊な建物だ。
扉の前には門番が立っている。不思議な事に城内警備なのに皇撃騎士団の者ではない。
扉には透かし彫りで刻まれた”建国亭”の文字。
そこでドライリーさんに言われた通りの言葉を伝える。
「ラド・マージアだ。建国に誉を。勝利に杯を」
すると門番は頭を下げて、両開きのノブを引っ張る。
「お待ちしておりました。マージア殿」
暗い通路が露わになり、分厚い石壁の向こうから暖かな空気がふわりと流れてくる。
通路には通常あるはずの壁付けのマジックランタンがない。どういう趣向なのだろうか。
城壁をぶち抜いて作られた長い通路の先は、スカンと開けた空間になっていた。
煌めくほどの色とりどりの魔法の光で照らされた部屋の中央には大きなテーブルと、正面の壁面にはその煌びやかさに負けないほど大きな絵がかけられている。
何やら勇者風情が手を広げて民衆の喝采を受けているような構図だ。
「面倒早かったな」
その絵に気を取られて気付かなかったが、先に着いていたアンスカーリがテーブルにつき、退屈そうに何かを食べている。
テーブルには既に料理が所狭しと上っている。
――おじいちゃんは、お先にモグモグタイムか。
「アンスカーリ公」
「改まるな、普段でいい」
こちらを見もせず、小ぶりな串に挿していたシナチクのようなツマミをアンニュイに口に放り込む。
「ここは?」
「後で説明する。もう一人来るがまだ時間がある、まぁ食って待て」
「はぁ」
まぁ座れって……、相変わらず適当である。だがすることもないのでアンスカーリから二つほど離れた席を選び、足のつかない椅子にちょんと座る。
なんとも居心地が悪い。
料理をみる。
――あれ? 和食じゃない。
ドライリーさんが『料亭に来い』と言うのだから、てっきりご飯は和食なのだと期待に胸を膨らませていたのが、考えてみればあたりまえだ。異国に和の文化などないのだ、和食の料亭のはずはない。期待した自分が馬鹿だった。
――高級な飯屋は全部料亭って翻訳されるなんて。僕の脳みそはなんて貧困なんだ。
なんて初見はがっかりしたが、よく見ると見たことのない料理がズラリと並んでいるではないか!
何これ、ちょっとときめく!
元来好奇心は強い方だ。新しいものには目がないし、それが食べ物ならなおさらだ。
『食いしん坊』とリレイラを揶揄したが、恥ずかしながらそれは自分にも大いに当てはまる。
「食べて良いんですか!」
「好きに食え」
珍しくしアンスカーリのサービスがいい。その言葉に甘えて上機嫌に料亭の珍味を眺める。
おっ! 煮凝りがある!
中華まん!
これはカニの足かな?
それにパイもある!
これはなかなかの山海の珍味ではなないだろうか! ちょっとぉぉぉ、ヴァイブスあがってきたよぉぉぉ!
「すごいですね。見たことない料理ばっかりだ」
「そうか? なら全部食ってよいぞ」
「ホントですか!!! えー、目移りしちゃうなー。なら遠慮なく」
言い終わるよりも早く、まずは目の前にあった煮凝りを取ってみる。茶色のプルンとしたゼラチンが、「ボク、おいしいよ」と言っているように震えている。
これはたまらん。
「んー、この色はお肉の煮凝りですね。どれどれ」
お肉。それは高級品の代名詞。
ライカがダダをこねるので時より家でも食べるが、準貴族で皇衛騎士団を預かるラドでも食べれるのは週に一度くらいの高級品である。
そんなものが無造作に転がっている。食わぬわけには行くまい。
「ではいただきまーす」
と木匙でとぅるんと掬ってぱくっと。
「んーーーっ!」
・
・
「ん……」
・
・
「ん」
「何これ、獣臭くてまじぃ……」
べーっと舌を出したラドを見てもアンスカーリの表情は動かない。
いや、そんなはずはない。ここは料亭だ。しかも高級と冠が付く。そんなところでこんなマズイ料理が出るハズがない!
これはきっと子供の味覚には合わなかったのだ。
アレだ。アレ! ビール!
子供には苦いが大人には美味い。なぜなら子供は糖に対する感受性が高く、かつ苦みが旨いと感じる学習が少ないからだ。
ならば中華まんはどうだ。
甘い餡でも、辛い餡でも、しょっぱくても美味い中華まん。中華まんに外れなし! パーフェクトクイジィーン。
「はむっ!」
・
・
「うっ」
・
・
「ううっ……」
「なんか具がスジスジーーー」
なにこれ具が固い。固いってもんじゃない! しかも肉汁感ゼロ。
なんなのコレ。ゴム? ゴムですか?
いやいやいやいや、もしかしたら百個に一個の外れかもしれない。ガウベルーアはそんなに食材の管理に敏感な国じゃない。幾ら料亭でも運悪くヤバイ食材に当たり、マズイ料理が出来ちゃうかもしれない。
ならパイはどうだ! 肉でもフルーツでもクリームでも出来るんだ。キドニーですら食べられる。これならハズレはないだろう。
・
・
「はにっ!」
・
・
「うぇ~、にがくさーーー。中身、なんのモツなの!? サザエの緑の所を濃縮還元した以上のインパクトなんですけどぉぉぉ!」
そっと食器を置く。
ハンカチを出して口を拭く。
アンスカーリを見る。
「……全面的に、マズイです」
「そうはっきり言うな」
「知ってて僕に食べさせましたね」
「言ったら食わんじゃろ」
「あったり前ですっ!」
「ここに着たからには、手を付けん訳にはいかんじゃろ」
「それで僕!? ひどい!」
「派兵の軍議はここで行う決まりなんじゃ、仕方なかろう」
「なんで! 私邸を使えばいいじゃないですか」
「あれは儂の隠れ家じゃ! 他の者は呼ばん」
「じゃ魔法局で」
「派兵の話はここで話すと決まっておると言ったじゃろ!」
「なんですか、その意味不明なルールは」
アンスカーリは髭もそよぐ勢いで息を吐き出すと、楊枝のたぶんシナチクだろう食べ物を皿に置いた。
「ここ”建国亭”は初代ガウべルーア王が建国の苦しさを忘れぬために作った由緒ある会合の場じゃ。建国の諸侯たちは、このような物を食べてガウべルーアを作ったのだぞ」
「知りませんよ、王家の奴らは味覚オンチなんて」
「うるさい! 儂だって食いたくないわい!」
派兵の話なんて聞いていないし、ここを使わなくてもバレないだろうと話したが、この料亭の主が出征壮行の幹事で出兵の日取りが決まると、ここで壮行の段取りが決められるのだそうだ。
その主人が王家の血筋というのが始末が悪い。
「お前も顔を立てるくらいの心配りを覚えよ。そういう年じゃろ」
――いや、あんたに言われたくないわ。僕はホントならアラフォーだぞ。
「あのですね。アンスカーリさん、僕は顔を立てられないんじゃなくて、立てないんです!」
「そんな下らん拘りなんぞ捨てろ!」
「はぁぁぁ!!!」
二人の間が険悪になりそうなところに、丁度良くアンスカーリが呼び出したもう一人の貴族が合流する。
「随分と楽しいそうですな、アンスカーリ公。カレンファスト、ただいま参上いたしました」
「うむ、大層面倒じゃった」
「いえ、アンスカーリ公のお呼びとあらば、討伐の途中でも馳せ参じましょう」
「うむ、お主の忠義には感服する。勝利に盃を」
アンスカーリは勝手に飲み始めた器を掲げて一人で乾杯する。
カレンファストとは初対面ではない。魔法鋼の武器を最初に納品した相手でカチャが繋いだ縁がある。
めきめきと頭角を表してきた貴族でアンスカーリの覚えもよく、南方の治世はもっぱらカレンファストの功績とのこと。だが、元々は名もなき小貴族だったというとで、カレンファストはラドに大いに興味を持ち、以来アンスカーリは事ある毎にカレンファストとラドを会わせようとしていた。
それはいいが……アンスカーリの知らんぷりの態度。
「逃げましたね、僕の話しから」
「逃げとらん」
「まぁいいですど。……いつも思うんですけどアンスカーリさんは、そういう心配り、僕には言わないですよね」
「なにがじゃ」
「『済まないとか』、『面倒かけたとか』、『感服するとか』」
「言ってほしいのか」
「……いえ、別に」
「ならよかろう」
なんとも煮え切らない。またハメられた感。本当にこの人とは相性が良くない!
「さて、飯はよかろう。ここはまずいからな」
「えー! カレンファストさんには勧めないんですか!? 僕には食えって言ったのに」
「それはもうええじゃろ」
「不公平です!」
「わしらはもう何度もここで飯を食ったのじゃ!」
「そんなのそっちの都合でしょ!」
二人の掛け合いを見ていたニヤニヤ顔のカレンファスト。
「アンスカーリ公もマージア殿の前ではよいご老体ですな」
「うるさいわい! こいつは躾が悪いのじゃ」
「はぃぃぃ?」
「わははは、まことに良い孫を手に入れたようで」
「なにがじゃ。こいつは子供のくせに反抗的で困るわい。帯剣はせんわ、皇衛騎士団の制服は着んわ」
「帯剣は背が小さいから、制服は合理性を考えて着ないんです」
「示しがつかのじゃ!」
好き勝手言うアンスカーリを睨みつけてやるが、アンスカーリはそれに気づいてカレンファストに話を進めるよう顎で促す。機敏に察知したカレンファストは微笑みを崩さず、何もなかったように口を開く。
「さて今回の話はいかに。シンシアナの件ですか」
「それじゃ、驚け。スタンリーの坊やがワシのところに頭を下げに来た」
「ほほう。それはまた貧すれば何とやらですか。北進騎士団にして苦しいと」
「ここにきて糧秣を押さえていたのが効いてきたわい。シンシアナが粘っているおかげで、きゃつらは兵糧が苦しいのじゃ。そして撃退を焦って深追いした中隊が山岳で孤立しておる」
「して、スタンリーはどちらについて頭を下げましたか? 糧秣ですか、救援の方ですか?」
「両方じゃ」
「ほほう、それは余程ですな」
「じゃあ呼び出されたのは、僕らのどちらかが援軍でもう片方が兵站ですか」
「そういう事じゃ。いずれにしても乞うてきたのじゃ。高く売ってやるわい」
なるほどとカレンファストは頷き、チラリとラドを見る。
「では、マージア殿、どうしますか? 無論私はどちらでも構いませんが。寒いのは嫌いですけど」
「僕もどちらでも。寒いのは嫌いですが」
アンスカーリ閥は南と西に勢力を張り出した貴族たちの連合だ。南は温暖、西は乾燥した気候である。もちろん冬は寒いが北ほどではない。だから寒いのが苦手なのは誰でも同じだ。
「ラド殿は寒さに強い生活をされてきたとお見受けしますが、適任ではありませんか」
ほほぅ、真顔で言いやがる。
「いかにも、あなたよりは幼少の頃より生命力を鍛えられましたが、ただそれだけのこと。カレンファストさんこそ、お家柄、幼少のみぎりより文武魔法に励んでおられたのでは? やはりここはカレンファストさんが適任かと」
「確かに日々、文武魔法に励みましたが、魔法と言えばラド殿の右に出るものはおりますまい。最近開発された“ファイアチェイン”はもはや魔法攻撃のスタンダードと言ってよい。やはりここはラド殿が」
「いえいえ、創ったのは僕ですが使いこなす皆さんが偉大なのです。ここはカレンファストさんが」
「いやいや、考案されたラド殿が」
「いやはや、若輩の自分が年長のカレンファスト公をさしおいて」
「なんのなんの、前途明るい若人にこそ機会を作るのが年長者のすべきこと。ここはマージア卿が」
「いえ、カレンファスト公が」
「マージア卿が」
「カレンファスト公が」
「もうええわ!」
「はっ」「はい」
アンスカーリが木匙をテーブルに叩きつけて、二人の醜い譲り合いを止める。そしてじろり二人を睨みつけて一言。
「ラド、お前がいけ」
「えー、なんで!」
「なんでもよい! つべこべ言わずに山に行け!」
「嫌ですよ」
「さっきまで構わんと言っとったじゃろ」
「売り言葉に買い言葉です。雪山なんか行きたくないですよ」
「仕事じゃ。それに子供は雪が好きじゃろ。山に行けばいくらでもはしゃげる!」
「無茶な! はしゃぎに行くんじゃないですから! 遊びに行くならまだしも」
「お前にとって遊びみたいなものじゃろ」
「違います! 命がかかった遊びなんて、どんな任侠ですか!」
「わははは、お二方は面白いですな。アンスカーリ公にそんな口を聞くのはマージア殿くらいですぞ」
「面白くないわい!」「面白がってません!」
カレンファストは「おうおう、怖いと」、おどけて笑うと豪快に盃を煽る。
それが腹立たしいのでスネを蹴ってやる。
「いっ! 噂通りの坊ちゃんですな」
アンスカーリ閥の奴らからは、“坊ちゃん”とか”わがまま坊や”と呼ばれているのは知っている。皇衛騎士団から魔法騎士がごっそり抜けた事が貴族の間で嘲笑の対象となっているのも耳に入っている。
だがそれがなんだ。大貴族だ筆頭貴族だからといってアンスカーリやカレンファストにへいこらするのは性に合わない。
「なにせ僕は、”わがまま坊や”ですからねー。アンスカーリさん、今回だけですからね。素直に言うことを聞くのは」
吐き捨ててやる。
「なにが素直じゃ、じゃがまぁ良い、目一杯恩を売ってこい」
言われなくてもである!
結局、無理やり設定で山岳に孤立した中隊の救出と支援に向かうことになってしまった。
しかも料理が余っているから食べろ、お前は成長期だから、もっと食べなきゃダメだと言われ、建国亭の主人というぽんやりとした天然アフロの男も出てきて、食え食えと勧められて無理やりまじぃ料理を腹いっぱい食わされる。
「ところでこの煮凝りって何の肉ですか?」
「肉ではない。ジェリースライムじゃ、森にいる狂獣の」
「スラ……おぇ~~~、どうりでぷるぷるしてるはずだ!」
身も心も気持ち悪くなって帰ってきたが、食べてしまったスライムは貧乏が染み付いた体が受け付けてしまい吐こうにも吐けない。
既にジェリースライムは体の一部になってしまった。
「明日の朝、スライムと同化してたらどうしよう……魔法も使えないのに『ボク悪いスライムじゃないよ』かよ!」
まったく貧乏と自分の体が憎い。
『狂獣と交わると半獣人が生まれる』という。そういうのを知ってか知らいでか狂獣を食ったやつは偉大だ。偉大すぎて吐きたい。
他方、飲んでしまった約束も、吐こうにも吐けぬ大事だ。やると言ったからにはやらねばならぬのが騎士団の辛さよ。
「全くなんて日だ」
「ただいま~」
胃を押さえて洛外のヴィルドファーレン村の冠木門をくぐり、砂風を浴びながら家の扉を開けるとリレイラが飛び出してきた。
「師匠ずるいです! 一人だけ美味しいものを食べてきて」
「おいしい?」
帰るなりなんだこの娘は。
「料亭に行くと伺いました」
ははん、訓練に出ていたレリイラは戻った後、イチカから僕の事を聞いたのだろう。
筆頭参謀のイチカには自分にまつわる全ての事を伝えている。それがどう曲解されたか、僕はご飯を食べに行くことになっているのか。
「はぁー、ちょっと誤解してるけど。でも今はリレイラも連れていけばよかったと思っているよ。きみなら全部平らげたろうに」
「そんなに美味しい物がたくさん出たのですか? 羨ましいです」
「美味しか美味しくないかはさておき一杯出たよ。僕のお腹じゃ食べ切れないほどに」
リレイラは何を想像しているのか、ぽかんと空中の一点を見て、お腹をキュルルと鳴らす。
「安心して。次回から必ず一人、大食漢を連れて行くことにするから」
「大食漢……失礼な! まるで私が食いしん坊ではないですか」
「みたいじゃなくて食いしん坊だろ! イリアと食事して五千ロクタンも食べた人を食いしん坊と言わずになんていうの」
「あれは師匠が食べろと言ったからです。そしてイリアが凄かったのです。私は満腹に屈服しそうになる自分を何度も奮い起こして、悶絶しながら閉店までイリアと食べ続けました。おかげでイリアに褒められましたが」
「褒める? なんで?」
「私と対等に戦ったやつは初めてだと」
「フードバトルかよ! そういうところが食いしん坊なの!」
「むむむ、言い返せません。では食いしん坊でいいので、今日は何が食べれたのですか」
「コゴネズミ……」
「は?」
「コゴネズミの内臓パイとワルグの肩肉の肉まん。ジェリースライムの煮凝り、ハリンシュの足の素揚げ――」
「……」
「……」
「訂正です。リレイラは美食家でした。それにそんなモノを食べて大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃなかったら、僕はここにいないよ」
リレイラはラドの手を取って、手のひらを見たり甲を見たり、しげしげと眺めてラドがまだ狂獣になってないことを確かめる。
「大丈夫なようです。一応、夜中に変身しないか夜警をつけます」
「ホントだって!」
「ところで、それが本題ではないでしょう。何をしに料亭に行ったのですか」
「ああ、ちょっと大事に巻き込まれた。済まないが皇衛騎士団の幹部を集めてくれ」