謎解き
ラドは単身、渡り鳥の巣に赴く。
ギルドマスターのイリアは、二階の応接室に関係者を集め、本人は部屋の入口側にある暖炉から最も快適な場所にある椅子に腰掛ける。まさしく威風堂々だ。
集まったのはギルドマスターのイリア。
フランの遺体の第一発見者、レアル。
マルッカとエスクードの遺体を見つけたウォン。
渡り鳥の巣の入札を司るイェン。
そして殺された三人と仮宿で衣食をともにしていたシリング。
ラドはぐるりと関係者を見渡すと鷹揚に頷き、暖炉を背にして満足げに大きく手を広げた。
「みなさん、今日はご足労いただきありがとうございます」
そんな丁寧な言い出しだが、瞳の奥の鋭い光を隠さず歌舞いてみせる。
「皆さんもご存じかと思いますが、先日、このメッセンジャーギルドに所属する三人の男がほぼ同時に殺されました。今日はこの事件について大きな進展があったので、みなさんへご報告を兼ねて集まって戴いた次第です」
芝居めいた言葉だが、誰もそれを指摘しない。ソファに腰かける五名はじっとりとした表情でラドを一心に見つめる。
「おや、皆さん。捜査に進展があるのに嬉しくないですか? 同じような殺人事件がまた起こるようでしたら皆さんもお困りでしょうに」
「そりゃそうだが、なんで呼び出されたのが俺達なんだ」
イェンは眉間に皺をよせて不機嫌に下から答える。ギルドには沢山の登録者がいる。その中から自分が選ばれたことが不満らしい。
「ここに居る皆さんは、何らかの形でこの事件に関わってますし、事件の真相が知りたいんじゃないかと思いまして」
真相という言葉に息詰まる空気が流れ、それぞれが目線だけで各々をチラリと探る。それはこのメンバーの誰かが犯人なのではないかという探り合いだ。
「さて……この事件は金目当ての強盗にしては妙に複雑です。それはまるで何かを隠すように込み入っています」
微かだが誰かがゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
「僕は初め、この事件が何ら事件性のない単純な強盗殺人だと思いました。もっとも殺人ですから十分事件なのですが、ただそれだけの話し」
「ところがイリアさんから事件のあらすじを聞いたとき、僕は微妙な違和感を覚えたのです。『高価な荷物を狙った強盗』。では犯人はどうしてフランさんが運ぶ荷物が高価だと分かったのでしょう。このギルドでは運ぶ荷物が何なのか、分からなくする仕組みが敷かれているのに。そうですよねイリアさん」
ソファに腰かけるイリアの顎が何かを言いかけて止まり、ふっくらと張った頬にシワが寄る。
ここは最初に聞いた時からの明確な矛盾だ。だがイリアは人づてにこの事件を聞いていたので、単なる思い込みか伝聞による誤謬かと思った。
「だから僕は最初に発送の入札を仕切っているイェンさんを疑いました。筋書きはこうです。彼がマルッカさんエスクードさんとグルになり荷物の中身を彼らに教える。二人はフランさんから荷を奪い殺害。三人は後日、奪った荷物の分け合う予定だったが、独り占めを狙ったイェンさんが二人を林に呼び出し殺害した。なにせイェンさんには夜遊びのクセがあり金には困っている。動機としては十分だ」
「違う! そんな事はしてねぇ!」
周囲からはイェンの否定の言葉を無視した厳しい視線が浴びせられ、譴責の嵐が彼を中心に渦巻き始める。だが、
「はい。その通りです」
拍子抜けしたトーンの一言で、イェンに集まっていた視線が磁石に振り向く方位磁針のようにピンとラドに集まる。
「無理なんです。彼には。イェンさんは左利きだ。ぶった切られたエスクードさんの遺体は右袈裟に切られている。胴体を断ち切るほどの太刀筋が、利き手と反対から繰り出されるなど考えられない。それにガウベルーア人とはいえメッセンジャーはそれなりに屈強です。彼の老い体で二人を相手にするなどできないでしょう」
イェンはポカンと口を開けて宙をみた。
数本歯の抜けた口から、コケの生えた舌が汚らしく見える。
「ではフランさんが高価な荷物を運んでいると知り得たのは誰なのか? それはマルッカなのか、エスクードなのか、それとも二人なのか、あるいは別の誰かか? そこで僕はヒントを得るために遺体を見に行くことにしました。するとフランさんはナイフで心臓を一突きにされていた。凶器はダガーナイフ。そのうえ争った形跡はない。これはいったいどういうことでしょうか」
「もったいぶらずに早く、お言いいなさいな!」
話しの腰を折るように恫喝に似たイリアのヤジが飛ぶ。
「イリアさん、そう焦るものじゃありません。しかし、んーーー複雑な事件の推理に、ここで時間を使うのは確かに愚かですね」
ラドは腕を組むと、ウンウンとひとりごちる。
そしてくるっと横を向いて一歩踏み出す。
「イェンさんが外れた段階でこれは荷物狙いの物取り事件じゃないと分かる。そしてフランさんのと思われるダガーナイフがギルド仲間の手によって戻ってきたことから、野党の類にやられたのではないと分かる。ここからは仮説ですが……犯人はメッセンジャー仲間です。でも不慮の事故なんです」
「はぁ?」
誰もが呆けた。
「フランさんは確かにあの街道で殺されている。だが犯人はに殺す気はなかった。もし殺す気があるなら背中から忍びより、そのままブスリと刺してます。でも刺し口は前からだ。マルッカさんとエスクードさんで襲ったセンもない。なぜなら武器として強いショートソードを使っていないから。もしマルッカさんが自分のダガーナイフで前から刺したのなら、彼のダガーナイフが林で見つかり、血痕のあるダガーナイフが現れる事には矛盾が生じる。そのセンも薄いだろう。それに互いに武器を取って戦っていたのならケガをするのが普通だ」
ラドの説明に五名は各々殺害現場を想像しているのが分かった。
「そう考えると、ありうるのはこうです。フランさんと犯人は偶然街道で出会い話をしていた。ところが何かで話がこじれて激昂するかして、犯人はフランさんの胸元のナイフを咄嗟に抜いてしまった。その後どういうやりとりがあったのかはわかりませんが、何かの拍子に犯人はフランの胸を突いてしまったのです。その場所は運悪く心臓付近。現場に残されていた大きなシミは大動脈を傷つけたからこそ出来た大量の血液の跡です」
「なんで偶然だと分かるんだ?」
「レアルさんの仰る事はごもっともです。その答えは死体が教えてくれています。怒りや恨みがあれは、犯人は何度も相手を突くかもっと深い傷跡を残すはずなんです。ところがフランさんの傷跡は一箇所しかない、それもきれいにひと刺し、トドメすらさしていない」
応接室にいる全員がラドの一挙手一投足を見逃すまいと見ていた。たしかにそう考える方が自然だ。争った形跡のない強盗など変すぎる。複数人で襲ったのなら押さえつけたり、首を絞めた跡が残るはずだ。それがないのはおかしいというのは推理に疎いこのメンバーもさすがに分かる。
「ああ、もちろん皆さんお分かりと思いますが、殺意があれば旅慣れたフランさんは気づいて自衛のために戦ったはずです」
静かすぎる空間にはただ息をする音だけがあった。そこには既にこの世にはいない、フラン、マルッカ、エスクードの呼吸すらあるような、そんな濃密な意識の重さがあった。
死者の代弁。
その言葉がラドの口から語られている。
「そんなの証拠がないちゃ。確かに死体はそうかもしれんが、同じメッセンジャーやとは言い切れん」
「そうですよね。交友の少ないメッセンジャーの知人が犯人ならば同じメッセンジャーが妥当。しかもフランさんが胸のナイフが奪い取られるほど油断している相手ならなおさら。しかし犯人はメッセンジャー仲間というのは状況証拠でしかない。マルッカさんとエスクードさんも同時期に北街道を歩いていますが、確かに他にも沢山の人が北街道を歩いている。でも、いいんです。フランさんが誰に、どう殺されたかはどうでもいい」
「はぁぁぁ!」
誰が言ったか分からない奇声が静寂をぶち破る。
「重要なのはマルッカさんとエスクードさんが殺された事なのです。この犯罪のうまいところはフランさんが誰にどう殺されたかを考えると行き詰まる所です。証拠となる遺体は荒らされ、遺品もない。容疑者の二人も死んでいて話の聞きようもない。凶器は市場にある普通のダガーナイフ。遺体の第一発見者は何故かウソをつき、情報は推理を邪魔するように錯綜している。まさに大きな犯罪の隠れ蓑にはピッタリの殺人事件」
「俺は嘘なんか言ってねぇ!」
「いえ、嘘です。あなたはフランさんの胸にナイフがあったと言っています。もしそうなら辺りは血の海にはなっていない。辺りが血だらけになるにはナイフを抜く必要があるのです、そう心臓が動いているうちに」
リアルの顔色がみるみると変わる。
「僕の誘導にあっさり引っかかりましたね。そして見ていない証言を作った」
レアルは「あれは思い込みだった」と自信なさげに呟くが、言下に否定した時の勢いはもうない。
「続けましょう。このシナリオを考えた人は最初の犯罪に注目しがちな人の特性をよく知っている」
そこまで言ってラドは体を皆に向き直し真顔で声を強める。
「さて、僕が今、ここですべき事は、イリアさんが教えてくれた事件のシナリオは真実ではないと証明することです。そして、この事件は強盗殺人という当初のシナリオが壊されたところからスタートし、真の謎解きはそこから始まる」
ラドはあえてイリアの名前を出す。だがイリアはぴくりとも動かない。
「問題は、なんでマルッカさんとエスクードさんの遺体が、あの林にあったかなんです。さあ考えてみましょう」
「二人で殺し合ってエスクードさんはぶった切られた? 本当ですか? 無理がありますよね。マルッカさんの遺体は殆ど傷がない。そんなに実力差がある戦いなのに共倒れ? ならイェンさん以外の誰かが、あの林で二人を殺った? なんのために?」
「さてイリアさんは、二人はフランさんが運ぶ荷物の奪い合いの末に殺されたと言った。なぜそうだと言える。仮定でもなぜそういう予想ができたのですか?」
「それは……ウォンがそう言ったからさ」
「なるほどウォンさん、ではあなたはフランさんの遺体を見つけたあと、イリアさんに何と伝えましたか」
「そ、それは、二人とも死んでたと……」
「なるほど。二人が殺し合ったとは言ってない。ということは“殺し合い”はイリアさんの作り話であると」
「何をおおいいよ! ウォンの話を聞いて早とちりさね」
「そう言うでしょうね。でもあなたは殺し合った証拠があるといった。そう、ポケットの手紙です」
「『今晩会おう』の内容を聞いて、僕は愚かにもその証拠を鵜呑みにしてしまいました。だが、考えみれば出来すぎた話だと思いませんか? わざわざそのメッセージを紙に認めることも、それを持ち歩くことも。何せ彼らの遺品には獣歯牙ペンもインクもないのに。そもそも矛盾してるんです。僕はメッセージの発送帳簿を見た。手紙の『今晩』はフランさん殺る日のことか? フランさんから奪った荷物を回収する日のことか?」
「前者ならば手紙を認める必要はないし、殺した後に後生大事に手紙を持っている必要もない。後者は受領証がないから二人を探す必要があったとイリアさんは言っているのだから、『今晩』はいつなんだとなる。イリアさんの話しを信じると復路で二人は落ち合い、荷物を巡って殺し合ったことになる。往路ならばエスクードさんは荷物を届けられるハズはないですからね。なら復路で落ち合う算段なのに『今夜』とはいかにです。もちろん二人の最後の届け先は同じ街ではないので、行先で手紙を交わすことはできません」
「エ、エスクードが、自分が運ぶメッセージを別に誰かに託して、自分はマルッカと合って荷物を山分けしようとした可能性だってあるじゃないの。なら荷物はちゃんとイルカンドに届くさね!」
ラドはニヤリと笑って、だが直ぐ真顔に戻る。
「そりゃまた手間なことを……。でもその可能性もありそうだったので、僕はシンシアナ中継所まで行って確認してきました。担当官にこの服を着た人が来なかったか聞いたところ、エスクードさんは中継所で余程奇異な行動をとったのでしょうね、担当官は彼が来たことをハッキリと覚えてましたよ」
すえた臭いのするエスクードの服を皆に見せるラドの姿に固まるイリア。
言葉が出ないようで、イリアの口は何かを言いたそうにわずかに動くのみだ。
「つまりこう考えられます。第三者が手紙を使って殺し合いに偽装しようした。二人は殺し合ったのではなく、そう見せかけられた」
静まり返った応接室には、じっとりとした空気が漂っていた。それは流れることなく部屋の絨毯の上に積もっていく。
「そんなの分からないじゃない。王都に戻って受領証を私に渡す前に二人が落ち合って手紙で連絡だって」
「なるほど、たしかにマルッカさんは十二日の夕暮れに泥酔して足元もおぼつかず洛外に出ています。この十二日が『今晩』で、エスクードを呼び出し殺害。だが自分もやられてしまったというのはあるかも知れません。でも変ですよね。泥酔して殺しに行くなんて」
イリアが黙り込む。ここで反論があるようなら、イリアは遺体の発見が九日だったと言った事を指摘しようと思ったが、さすがにこの矛盾には気づいているのだろう。
「だから『殺しあった』は、ムリがあるんです。自然に考えるなら二人は殺された。では、それは同時に行われたのか、別々に行われたかのか。その謎を解くには殺された本人に聞いてみるしかない」
「死体に聞くだぁ?」
「はい、死体といえどメッセージを発しているんです。そして確認しました。二人は別々に殺されて林に運ばれて来たと。マルッカさんは毒を盛られて殺害され林に運ばれた。エスクードさんは別の日に、シンシアナ人に殺され同じ場所に運ばれた」
「な、なんでそう言い切れるんだ!」
ウォンが南部なまりのイントネーションで叫びを上げる。
「僕の経験では、胴体を半分にぶった切れるのはシンシアナ人の力でなければ無理です。そして実際、遺体は僕が見たシンシアナ人に切られたそれと酷似している! それに現場にあったショートソードじゃ無理なんです。あれは装飾剣で人を切るほどの強度はない」
ラドはホムンクルス工事の死体を思い出してた。一太刀で切られた切り口は怖いほど綺麗だ。逆に弱い力だと何度も骨肉を切り裂くため傷口は荒くて汚い。エスクードの遺体は腐乱が始まっていたが、まさに一太刀で切られた綺麗な切り口だった。
それはアキハが打つ装飾剣では到底出せない切り口だ。
「そして林は泥地。複数の人があの場で戦えば足跡が残る。それが全くない」
「犯人が消したかもしれないだろ」
ウォンの声は震えていた。
「そうかもしれない。なら二つの遺体の服にほとんど泥がついてないのはどう説明しますか? どれほど華麗に殺しても即死はありえない。刃を受けた者は痛みと苦しみにもがきながら死ぬんです」
誰もが黙してラドの言葉を待つ。犯人は修羅場を潜ったことがない。だからこのような安易な工作をしてしまった。だがラドは不幸にも何度も戦いに身をさらしてきた。だから知っている。
『人が死ぬとは想像するより遙かに汚い』のだと。
おぞましく、生理的に受け付けられない程。
そして死する者は想像よりもはるかに往生際が悪いのだ。
「異論はないようですね。ならば二人はいつどこで、なぜ殺されたかが次の推理になってくる。街道? 配達の途中? それとも王都? ご心配はいりません。それはもう分かっています」
「エスクードは、宿屋“サンセットムーン”の地下室です」
ウォンの目が見開いている。まさかまさかの連続なのだろう。緊張のあまり自律神経は活動し瞳孔も開いている。もはやウォンは自分の制することが出来ないようだった。
「裏街の方々が、木箱を運び出しています。ずっしりと重い血なまぐさい木箱を」
「なんでじゃい、そんなもん宿の喧嘩の片付けかもしれんじゃろ!」
シリングの言う事はもっともだ。それだけでこの血がエスクードとは断定できない。だがここは勝負どころだ。押し通す!
「皆さん、この僕を甘く見ていらっしゃる。僕はこの王都でもっとも裏街に通じた貴族だ。もはや彼らの情報網は僕の一部と言っていい。僕はこの宿屋から出される汚物、ゴミの類は完全に把握してる! ここではゴミを敢えて木箱には詰めない。そして裏街のパーンはこの宿屋から三つもの腸骨ゴミの木箱を運び出している」
言い切ると「う、ぐぐ」と呻きが聞こえた。
「エスクードさんは、この宿屋に呼び出されて哀れ二つに分かたれた。当然大量の血が出る。木箱に詰まっていたのは彼の遺体そのものだ。そして、そんな荒業ができる人物がここにはいた。宿屋ならシンシアナ人がいても不思議ではない。入国証があればシンシアナ人でも王都に入ることは可能だ」
「あわれ二つに分かたれた遺体は、木箱に詰め込まれて王都を出る。そして王都のごみ捨て場に捨てられた。そう、ゴミならば怪しまれず王都から搬出できる。そのためには遺体を小分けにする必要があったのです。そしてメッセンジャーギルドの誰かが、ごみ捨て場から箱を拾い、遺体を林に運び捨てた。ちなみに三箱なのは他のゴミを別に出すと怪しまれるからです。二箱で普段のゴミが入りきれなかった」
「な、なんで、殺す必要があったんだ?」
「あら、もうそっちにいっちゃいます? 他にも水が鉄臭いとか、門番の証言とか色々証拠があったんですが。まぁいいでしょう。彼はあるとんでもない秘密を知ってしまったんです。そして元々金に困っていた彼は、その情報でひと儲けしようとしました。過去に同じような事をして上手く行った者は危険と分かりながら、また同じ事に手を染めてしまう。それが彼の命を売る行為だとも知らず」
その情報とは、と問う声が聞こえそうだが、この犯罪の広がりを物語るように声は誰からも発せられない。
「では彼、エスクードさんが知ってしまった秘密とはいかに……。でもその前に、もう一人は殺されたマルッカさんの顛末をご説明しましょう」
全員の額に汗が滲んでいた。確かに暑い季節だが、その汗は尋常ではない噴き出し方をしている。
「マルッカは可愛そうだ。毒で弱らされ、王都を連れ出されて殺された。遺体に争った形跡がないのは、林に着いたときは既に死んでいたからだ。犯人は彼を林に遺棄し、それっぽく胸をついた。そして、その近くに慌てて入手したショートソードを置いた」
ラドは一人一人の顔を見る。
「毒はフグ毒。ウォンさんはフグをイリアさんに卸しましたね」
「なにをいってるのさ。魚くらい誰だって食べるわさ」
「そうでしょう。でも王都には乾物か腐敗を避けるために内蔵を抜き取った塩漬けの魚しか入ってこないんです。理由は王都から港までは距離があり過ぎるからです。と、商団の団長が言ってました。ただし――」
その言葉にイリアは爆ぜるように顔を上げラドを見た。
「ここ最近、樽詰めで見たことのない魚が運ばれています。それはフグという魚です。卵巣に毒があり人を殺すことが出来る」
「それを私が買ったなんて証拠はないわよ!」
「いいえ、あなたはその魚を手に入れている。半獣人の鼻はバカにできません。その商団の団長はカチャという女性でしてね。僕の親友なんです。彼女に協力してもらってその魚の入っていた樽の匂いを嗅がせてもらいました」
「なんで同じ臭いだってわかるのさ!」
「あなたはこの家でその匂いを検分した半獣人を知ってますよ。最初に僕とココに来た猫のパーンの兵団長、ライカです。彼女があなたから同じ匂いを感じ取っている」
「……」
イリアは黙して語らなかった。
「おや? イリアさん反論はいいですか? 続けますけど」
イリアは間をとって「ああ」と言うと、肩で深く息をついて大きな体を軋ませて椅子から身をのり出す。
「続きです。マルッカさんは、フランさんが遺体で見つかってから酒に酔って大暴れしていたそうで。たぶんフランさんを殺してしまったのはマルッカさんなんですよ。彼は女性問題でフランさんと揉めていた。どっちが手を引けとかそういう話をしていたんでしょう。それだけなのに殺してしまった。だから酒に逃げてしまった。だがこの日に大暴れしていたのは泥酔していただけではない。フグ毒のしびれによる苦しさからです。咆えるように叫ぶ泥酔って僕は聞いたことないですよ?」
「そして北の番兵が十二日に千鳥足で肩を支えられながら洛外に向かうマルッカさんを見ている。その様子からは泥酔か毒かはわからないでしょう。王都は仕組み上、洛外に出る人は細かにチェックしない。だから出入りしてもおかしくない人が彼を連れ出したらノーチェックです。例えばメッセンジャーギルドのメンバーの、そうレアルさんとか、シリングさんとか」
「お、おい!!!」
「シリングさんはマルッカさんが死ぬ直前に会っている。そしてマッキオ工房でショートソードの作成を頼みましたね。それはフランさんが殺された後に」
「どどど、どうしてそれを」
「ここ王都でソードを作れる工房は一件しかない。ここに僕が現場から回収したショートソードがある。このショートソードはアキハという職人が打ったものだ。柄から刀身を抜けば、根本に職人の名前を記した刻印がある。でもそんな事をする必要はありません、その職人は確かにあなたからこの発注を受けた事を覚えているから」
シリングの額から冷や汗が流れ落ちている。そしてシャツの脇はびっしょりだ。
「だが……俺はその剣でやっちゃいない」
「たしかに人ひとり殺すのにショートソードを頼むなんて愚者の行為だ。あなたは誰かに頼まれてこの犯行に加わった。なぜなら、メッセンジャー風情が高価なショートソードを発注するお金なんて持っていないから。それにあまりにバレバレの行動だからだ。言われるままに剣を頼み、言われるままに洛外で誰かに手渡した、あるいは置いた」
「ではマルッカを運んだのは誰か。実はここだけ分からないんです。でもそれが誰なのかを規定することは重要ではありません。彼もまた手足に過ぎない。真犯人に言われるままに酩酊する男を運び、言われるままに洛外で剣を受けとり、林に転がして受けとったショートソードで胸を刺した。もっとも既に止まっている心臓を刺したに過ぎないのですが。危険な仕事なのに受けたのは、かなりの高額報酬だったのでしょう」
「まぁ、真犯人までたどり着いたら、シリングさんから聞きましょう。なにせシリングさんは彼にショートソードを手渡していますからね。もっとも酒場の聞き込みで、もう誰が怪しいかは察しがついてますけど」
シリングは遠目でも分かるほどわなわなと震えていた。もし彼の鈴が付いていたのなら台風に踊る風鈴のように鈴は鳴り続けただろう。
「お気づきかと思いますが、真犯人は秘密を知ってしまったエスクードのみ殺せばよかった。しかしそれでは自分に足がつく。それを恐れて事件をでっち上げることを画策したのです。それには酩酊し行動がおかしかったマルッカさんが丁度よかった。ただそれだけの事なんです」
「ではその秘密とは何か。さあ遂に本題ですよ! この事件の登場人物や荷物の行先からもおわかりのように、この事件はシンシアナがらみ」
もはやこの推理に口を挟む者は誰も居なかった。それは核心を突いていることを意味していた。仕込んだカラクリは次々と暴かれている。犯人があがるのは時間の問題だ。
その緊張の糸が余りに強く彼らを縛り、口を動かす事すら許してはくれない。
「ここにメモがあります。『宛先はイルカンド』他にも地名がズラリと書いています。これは中継所でエスクードさんが受取証の履歴を自分の服に書き写したものです。服に写し? その行動が奇異すぎて中継所の者がエスクードさんの名前を覚えていました」
饒舌にまかせ、ラドはメモを全員に見えるように見せつける。
ここに至り、ラドの推理に反応しているのはイリアしかいなかった。そのイリアですら血走った目だけで話を追うのが精一杯。
「イルカンド……、そんな街はどこにもないですけどね」
調子が出てきたラドは、あえて困った顔を作って腕を組む。
「さてこれは死者から出たメッセージです。なにか事件と関係があるかもしれない。僕はシンシアナの中継所の担当官から、どのような荷物が届くのかを確認してきました。そして二つの違和感を見つけた。一つはやけに間違った宛先の荷物が届く事。もう一つは、その宛先から返信がないことです。ちなみに間違いが多い週があることも分かっています」
「ここから導き出される答えは凡そ想定ができます。間違った住所は意図的に書かれている。では、なぜ間違った宛先を書かねばならないか。それは間違いが繋がった時に意味がわかります。では実際にみてみましょう」
ラドは持ってきたシンシアナの地図を取り出し地名を一つ一つ確認し、間違った文字を一文字ずつ抜き出していく。
「ジンクヨルドは地図ではジンクオルド。
ラッフクラッツは地図ではラッフグラッツ。
ヘイワンは地図ではレイワン。
イルカンドは地図ではヘルカンド。
またラッフグラッツですが、手紙の宛先はランフグラッツになっています。
こっちはコルガレード、地図ではオルガレード――」
文字が一つ一つと現れるたびに、イリアの額の汗が増えていく。
そうして全ての地名の間違いを書き出し、時間軸に並べてみせる。
「シユリヨク ヘイ ヘンコウ」
「どうですか? 『主力兵 変更』と読めます。この間違いは偶然でしょうか? いえ断じてあり得ません。偶然に現れた文字が文章を成立させる確率は天文学的に低いんです。つまりこれはシンシアナへ向けた暗号です! 送りたいメッセージを地名間違いに含めて大量の普通の手紙と一緒に出せば、誰にも気づかれず連絡が可能となる。この送信方法は実に巧みです。暗号は辞書がなくても解読できる。だから発信元が分かっても足がつかない。一つの手紙や荷物は暗号とはまったく関係のないモノなので、怪しいと思った者に荷物見られても暗号だとはわからない。実際シンシアナの担当官もこれが暗号通信だと気づいていなかったようです」
「いやぁ、全く脱帽です。実によく考えられている。だがそこがこの事件の真犯人を探し出すポイントになってしまった。真犯人はフランさんが運んでいた手紙が届かないと、暗号化したメッセージが別の意味になってしまうことを知っていた。フランさんがロストしたのはイルカンドの「イ」です。『シユリヨク ヘイ ヘンコウ』と『シユリヨク へ ヘンコウ』は意味が全く違う。だから真犯人は早急に対応を取る必要があった。ねぇ、その場にいた臨時雇いに過ぎないエスクードさんに、あわてて早馬の仕事を振るほどに。そうですよね、イリアさん」
「な、何を藪から棒に! 暗号だなんて証拠がないじゃないのさ!!!」
「なるほど犯人の常套句、をありがとうございます。なら証拠を出しましょう」
ラドは腰の革ポーチに手をかける。
「これだけの間違い荷物が王都の多くの人の手によって出されたなんて考えられません。だからこの暗号の原文はどこか一箇所から出ている。それはどこか。ヒントは簡単です。イリアさんはフランさんの死体が見つかって直ぐにエスクードさんに早馬の仕事を振り出しています。保険の交渉をして手紙を再度書いてもらってと手続きを踏んだらどのくらい時間がかかるのでしょうね? でもここは物証が必要な重要なポイントなので、僕はちょっとだけズルをしました。夜中にこのギルドに忍び込んで、イリアさんの部屋を探させてもらったんです」
ラドは黒革で装丁された背表紙もタイトルもない本をポーチから取り出し、中身をパラパラとめくる。
イリアがわなわなと震えているのが、ラドの距離からも分かった。
イリアはそれを収めようと何度か息を吐き出し、それでも震えは止まらず、大きな体をぶるりと震わせる。
「たぶん足が着くのを恐れて原文は捨てないだろうと思っていました。ね、予想通り」
凍り付くとはこういう事をいうのだろう。なんともバツのわるい空気のなか、ひとり気勢を吐いているのはラドだけで、他の者はメデューサの光線でも浴びたように固まっていた。
「というわけです。王都にスパイが暗躍しているのは、僕もアキハもマッキオ親方も容疑をかけられたことがあるので知っていました。知っていましたけど、まさかここが本丸だなんてねー、うふふふ」
ラドがおどけて手を広げてみせる。だが氷ついた場は全てを吸い込み何も返しはしない。ただ時が静かに流れる。
その静寂を破るイリアの声。
「……ふ、ふふ。あははははは! お見事だね。隊長さんどこで気付いたのさ」
「ああ、二回目にイリアさんに会ったときかな。あなたは僕が名乗らないのにラド・マージアと知っていた。だから帰り際に懐から手紙を取り出したんだ。僕は統合中隊長になったばかりで市民の殆どは僕の身分を知らない。あなたがそれを知っているのは、皇衛騎士団をマークしているから。それにフランが殺されてもレアルさんに荷物を探させなかったこと、そしてマルッカさんとエスクードさんの捜索を依頼した日がイリアさんウォンさんとで食い違ってることで、明らかにイリアさんはウソをついてると分かった。でもイリアさんだと思い始めたのは不信のあるエスクードさんに早馬の仕事を充てた事とお金です。イリアさんはシンシアナのスパイと通じて莫大な金を得ていた。だからみんなに金を貸せていた。話を聞けば皆あなたからお金を借りているじゃないですか。ギルドの長といえ市場に店を出すほどの金はそうそう出せませんから。残念でしたね。計画は完璧に近かったのに、半端に捜査を撹乱しようとしたのが仇になりました。レアルさんを犯人だと言ったりしてね。僕はいよいよ確信を深めましたよ」
「おのれ、ラド・マージア……」
「さて、あなたはシンシアナのスパイ活動を支える地下組織の構成員だ。スパイなんて一人でできるものじゃない。活動を金で支える者、身元を保証する者、情報を得る者、得た情報を運ぶ者、そんな組織運営がいる。その地下組織が宿屋“サンセットムーン”にある。あなたはさしずめそこの通信班」
「因みに推理の続きを云うと、エスクードさんはフランさんの遺体の第一発見者だ。なぜそう言えるか。それはイリアさんが凶器のナイフを持っていたから。レアルさんの荷物にナイフを仕込むメリットがあるのはイリアさんしかいない。そしてそれを思い付くのはあなたの手元にナイフがあったから。ナイフはエスクードさんが『自分はフランの死を目撃した』と、マルッカさんに信じさせ脅すために持ってきたものだ。そしてフランの死をイリアさんに説明するためにも必要だった。
たぶん彼はフランさんがマルッカさんに殺された瞬間を見ていたのだと思います。なぜならフランさん、マルッカさん、エスクードさんは、ほぼ同じ時間にギルドを出ています。三人とも北街道専門のメッセンジャー。たまたま遭遇してもおかしくない」
「金になる現場を目撃したエスクードさんはイリアさんにマルッカの所業を密告して褒美を得ようと考えた。だが予想に反してイリアさんは信用のない臨時雇いの自分に早馬の荷物を頼んだ。小利口な彼は何か変だと感じて、フランから拾得した荷物とイリアさんから託された荷物を見比べたのでしょう。そして二つが全く同じモノだと確認した。なぜイリアさんが即座にメッセージを用意できたのか? その疑問を解消しようとして中継所で色々と調べ、これが宛先間違いを装った暗号メッセージだと気づいたんだ。その情報を使ってひと稼ぎしようと思い、急ぎ王都に戻りイリアさんを脅しにかかった」
「あなたは自分の失態に気づいて焦ったでしょう。エスクードさんがメッセージに気づいてしまったから。イリアさんは即決したはずです。この男の口を封じなければならないと」
「エスクードさんは口止め料を迫ったはずです。あなたは一旦エスクードさんの提案を受け入れて、取引のためだと称して、宿屋“サンセットムーン”に呼び出した。時は夜中。客も身内だけで目撃者もいない。あなたは剣客のシンシアナ人を用意した、サンセットムーンの地下室でエスクードさんを殺害。遺体を半分にして木箱に入れて王都から運び出し林に捨てた」
「ここから先は、既に話したとおりです。イリアさんはこの殺害を隠蔽するために、第二の被害者を探した。するとちょうどいい具合にマルッカさんが飲んだくれて暴れている。多分フランさんを殺してしまった良心の呵責に耐えられなかったのでしょう」
「その様子を見て、イリアさんはウォンさんに頼んで毒のある魚を求めた。フグです。ウォンさんはただの食品商店じゃない、薬や毒物も扱ってますね。南方はなぜか薬物に長けている。カチャがキノコやトリカブトの扱いもあると教えてくれました」
「そして内臓を取り出しすりつぶしたフグ毒を、シリングさんを使ってなだめるフリをしてマルッカさんの酒に盛った。その間にあなたはエスクードさんの荷物を物色して元々フランさんが持っていたメッセージとマルッカさんを脅すためにエスクードが拾得したナイフを回収。レアルさんの荷物にダガーナイフがあったのはあなたが仕込んで操作を攪乱させるため。僕の捜査がエスクードさんとマルッカさんに移ったことで、あなたは自分とエスクードさんの接点を切る必要があった。早馬の件があるから、エスクードさんがフランさんの遺体の第一発見者と分かると偽装が崩壊する。この懸念の先読みはなかなか良かった」
「さぁ反論があれはどうぞ。真犯人のイリアさん」
反論はない。
垂れて罪を認める――と思いきや、申し合わせたように、ここにいる全員が立ち上がり身構える。
「ラド・マージア。あんたの話は大筋あたりさ、けどここにいる全員が仲間だとは気付きやしなかったろ」
「へへへ、こんな仕事、一人でできるわけねーだろ!」
バキバキと指をならして凄むのはウォン。肩を怒らせてラドを捕まえるように手を広げてじりじりと間を詰める。
「おまえら、潮時だ。このチビをやっておしまい!」
全員が一斉に動き出し、各々に部屋にあった武器を手にとる。あるものは椅子を、あるものは壁にかかっていた棍棒を。そしてあるものは腰に隠していたナイフを。
そしてラドを取り囲み、じりじりと包囲を狭めていく。
ラド、大ピンチ。