振り出しに戻る
一旦、馬を駐屯地につなぎ、西の跳ね上げ橋を渡って王都に入る。
分厚い城壁の門を抜けた瞬間から、大通りに面した店店からは威勢のいい物売りの声が飛び交い、喧騒と活気に満ち溢れた王都の日常が現れる。
軽く右手を見上げると、視界の奥にはテラコッタの屋根越しに、野外演劇場の観客席の円弧梁が見える。
その威容を背中に収めるほど歩くと、今度は左手に街道警備本部がこじんまりと現れる。
王都に来たときは街道警備本部が威風堂々と見えたものだが、一階こそ石造りだが渡り半ホブにも満たない施設など、他の貴族邸宅から見れば粗末な部類に入ると分かり、数週間後にはすっかり自分の中で貧相な建物扱いになってしまった。
この大通りを数ホブ歩くと、南北を貫く大通りにぶつかる。
この通りを左に曲がると、はるか遠くに王城の見え……るはずなのだが、残念ながらこの大通りの突き当りにあるはずの王城はココからは見えない。
王都は緩やかな丘に作られた都なので、尖塔建築ではない実利的な王城は物の陰に隠れて見えないのだ。
このひときは賑やかな大通りを道なりに歩き、自由市場を過ぎると目的地の”渡り鳥の巣”に到着する。
メッセンジャーギルドは便利な所にある。
近くには魔法局や貴族邸もあり、ここまでくると王城の城壁も家家の隙間から伺うことができるほどだ。
”渡り鳥の巣”の見慣れた扉に手をかけると、なにやら向こうから扉の厚みに負けぬ声量で、男性とイリアの揉める声が聞こえてきた。
エフェルナンドが上から覗き込んでくる。
「喧嘩ですか?」
「喧嘩かどうかは分からないけど、揉めているようだね」
頷き合い、気持ちを整えて扉に押し開ける。
「だから、俺はしらねーって!」
「何も知らないヤツの荷から、血の付いたナイフなんて出て来る訳ないじゃないの!」
「誰かの陰謀だ! 俺じゃねぇ!」
「だいたいアンタは初めっから怪しかっのよ! アンタ、最後にエスクードに会ってるじゃない。エスクードが早馬で出る前に。それにフランを見つけのだって」
「じゃ俺がやったっていうのか!」
テーブルを叩き言い争っていたのは、周囲を憚らず意見をぶつけ合うイリアと見知らぬ蓬髪の男。
男は泡を飛ばして、なにやら必死に説明を試みている。詳細は分からないがフランの名前が出てくるところをみると話は例の事件らしい。
「お取り込み中、失礼するよ。なんの揉め事だい?」
ラドが人混みに分け入ると、その言い争いを楽しげに見ていた数名がすっと視線をこちらに寄こす。
「マージアさん」
一方、イリアはバツ悪そうに視線を外すと、先ほどまで暴走させていた不満をやり場無く引っ込めた。どうやら聞かれたくない話題だったらしい。ということは、ラドにとっては非常に興味のある内容だろう。
ラドはイリアと男を両手で制しながら目くばせをして割り込んでいく。
「僕はラド・マージア、皇衛騎士団の統合中隊長をしている者だ。君は――」
「マージアさん、困ります。こっちの話なんですから!」
ちょっと待てとイリアが被さってくるが、ここは引きたくないところなので、エフェルナンドを指で呼び、イリアを押さえてもらうことにする。
「君の名は?」
「俺はレアルだ。隊長さん、俺は関係ねー! 信じてくれ!」
レアルと名乗った男は慌てふためいてラドの小さな肩をガクガクと揺さぶる。
歳の頃は四十歳くらい、少し腹の出てきた中年の顔には深い皺が刻まれており、この男が過酷な環境を旅するメッセンジャーだと推察できた。その瞳が訴えるように見開いている。
「まぁ落ち着いて。いきなり捕まえたりしないから。ただ殺しの事は聞かせてもらうよ。その前に、この騒ぎはいったいなんなんだい?」
聞き出そうとすると、エフェルナンドの制止をすり抜けてイリアの大きな体が割り込んできた。
「そいつの荷物から血のついたナイフが出たのさ!」
「それは聞き捨てならないね。ちょっと見せてくれる?」
レアルは震える手で自分の足元に投げ出されたナイフを拾いラドに手渡す。
「ふーん、確かに血がついている。エフェルナンド、どう思う」
エフェルナンドは、コクリと頷くとラドからナイフを受け取る。
「フランの血かは分かりませんが、幅も刃渡りも、あの傷口に合いそうです」
それを聞いたイリア。
「ほら、フランの死体を見つけただなんて言って、やっぱり殺ったのはアンタだろ! アンタはフランに金を貸りてた。それでこのナイフでグサリといったんじゃないのかい」
「してねぇよ! そんなこと!」
イリアが疑うのはもっともな話だ。金銭の恨みでレアルがフランを殺害。金目のものを全部奪って、後で売ろうと思ったが売れなかったのかもしれない。
マルッカとエスクードもレアルが殺ったのかもしれない。たとえば殺害現場を二人に見られて殺害に及んだとか。だが、それなら三人は同時にレアル殺されてる筈だ。遺体がバラバラの所にあるのは違和感がある。
「まぁまぁ、決めつけはよくありません。レアルさん、どうやらあなたがフランさんの第一発見者のようですが、フランさんを見つけたときの事を教えて下さい」
「俺は死体しか見てねぇ。街道に倒れてたんだ」
「ほう倒れていたと。ナイフはどうしましたか?」
「取ってねぇよ! そんなもん持ってたら俺のせいにされちまう」
「フランさんの死体には触ってないのですね」
「ああ」
「因みに、フランさんはどう倒れてましたか」
「仰向けに街道に横たわってたよ」
「ナイフは?」
「胸にぶっ刺さってたさ、触ってねぇよ」
「そうですか。ではエスクードとマルッカについて何か知っていることはありませんか?」
「確かにエスクードとは会ってたけどよ……」
「フランの遺体を発見してから、二人が死ぬまでの間、レアルさんは何をしてましたか?」
「そんなもん、メッセージを運んでたに決まってるじゃねーか」
「どこに?」
「覚えてねぇよ。そんなもんイリアに聞けって」
もっともだ、そこはイリアに確認しよう。
「イリアさん、荷物の行き先一覧を見せてよ」
「え、あぁ、まぁいいですが――」
と口では言いつつ、荷物の配送リストをカウンターの中にある棚から引っ張り出してイヤイヤと開く。
「これさね」
イリアが六月のページをサラサラとめくっていくとフランの名前が見つかる。
「フラン、六月二十日、宛先シンシアナ、イルカンド」
フランの最後の仕事は、普通に荷物運搬の権利を得て、ギルドマスターのイリアから荷物を受け取って旅立ったようだ。
「その間、レアルさんは東や北の近場の都市を往復してるんだね。フランの遺体を確認したのはいつ?」
「この、七月二日の北街道の仕事でさ」
イリアがページをめくるとレアルがリストの自分の名前に指を置く。
「マルッカとエスクードの遺体は誰が見つけたの?」
「そりゃ私が頼んだ。ウォンってやつさ」
「その人もメッセンジャーなの?」
「いえ、そりゃ私も考えますわよ。フランの事もあるから、ギルドじゃなくて私の伝で頼れそうなのにお願いしたわ」
「ウォンはどこの人?」
「宿屋の酒場の常連でね」
「仕事は?」
「市場で商売をしてるヤツさ」
「どんな?」
「食品を扱ってるさね」
「何を?」
「なんでそこまで根掘り葉掘り聞くのさ」
「そりゃそうでしょ。第一発見者はいくらでも話を作れるんだから」
「そりゃそうでしょうけど、私が頼んでるんですから」
「なんで一介の市場の商人を頼ったんですか?」
「そりゃ、ウォンは昔、メッセンジャーをやってて頼りになるからさ」
「その頼りっていうのは、腕っぷしということですか?」
「違うわよ! 目端がきくってことさ!」
イリアはイライラを隠さず、ラドの顔に目一杯自分の顔を近づけて上からねめつける。身長差は歴然だ。体の横幅も三倍は違うだろう。威圧感が半端ない。だがラドはそんなイリアの圧などもろともせず、取り巻く連中に振り返り話しかける。
「ここにウォンに会ったことがある人はいますか」
「すると数名がチラチラと手を上げる」
「あー、そこの手を上げた人。ウォンはイリアさん言うとおりの人ですか?」
「え、ええ。そうですね。昔、メッセンジャーギルドで働いていたと聞きましたし、確かに鋭い男ではありますが」
「ここに来ることがある?」
「ええ、イリアさんには世話になったとかで、時々、野菜とか生のモノを持ってきますが……」
「なるほど、他の人も間違いないかい?」
うんうんと頷くギルドの仲間を見て、ラドは手持ちの杖をトンと床に突いた。
「ありがとう。イリアさん、ウォンさんの店を教えてもらえますか? ちょっと話しを伺いたいと思いましてね」
「ああ、かまやしないよ」
やたらと『か』に力の入った快諾をもらい、ラドはギルドを後にする。
その前に。
「レアルさん、僕も見ましたがフランさんの遺体は血みどろで酷かったでしょ?」
「ああ、胸をブスリだからな。ひでぇもんさ」
「ありがとうございました」
渡り鳥の巣を出てからスタスタと歩くラドをエフェルナンドが追う。
「隊長、ナイフの出処を聞かなくていいんですか」
「いい。今更出てきたブラフ情報に惑わされるのは時間のムダだ」
「でもナイフが何処から来たのかを追いかければ、誰が真実を知っているか分かるじゃないですか」
「エフェルナンドはなぜ犯人はナイフを持ってきたのだと思う?」
「えっ? それは」
「証拠の隠蔽なら何処かに捨てればいい。こんなものを持っていれば犯人と疑われる。それを覚悟してまでナイフを持ってくる意味だよ」
「そうですね……。金にするとか、誰かになすりつけるため?」
「いい線だ。リスクを犯すより大きなメリットと考えると、金にするのはよほどの愚か者だ。なすりつけようとしても、今の通り、ナイフ一本じゃ殺人の証拠になんかなりゃしない」
「じゃあ……」
「もっとメリットが大きいナイフの使いみちがある。それはこの物証を使って犯人を脅すことだよ。小狡い奴ならすぐ考える」
「でも誰が」
「その前にウォンとイリアの関係を追ってみよう」
ウォンの店に行く前に、ギルドの近くの宿屋や飲み屋に聞き込みに行く。
金回りが良くなってやることは大抵飲み食いだ。飲み屋を回れば行動パターンが変わった者が出てくるかもしれない。
それに動機の面から事件のヒントを探ることもできる。何らかの形で事件に絡んでいれば、急に金回りが良くなっている人がいるかもしれない。
すると、やはりいた!
レアルとシリングである。二人ともここ数日の間にアチコチの宿屋に出没している。
そんなに大金をばら撒いている訳ではないが、旅の仕事を終えてから宿屋で一杯やるメッセンジャーが、毎日のように酒場に繰り出すのは珍しい。それに近場の街への運送じゃ、そんな賃金はよくないだろう。
そんな普通じゃない事が起きていたので、店主も良く覚えていた。
「隊長、こりゃレアルのセンが濃くなってきましたね」
「ああ、そうだな……」
ウォンは教えてもらった市場に確かにいた。葉物野菜や保存肉、魚の干物を売る店は存外繁盛しており、ウォンは自分店で売る食材で簡易にできる美味い料理を教えて人気を博している。
濃い目の色に黒い髭と髪の典型的な南方系の男で、まつ毛も長く色気がある。モノ売り商売をするにはもったいない色男だ。
ラドは陳列された魚を右から眺める。
「色々ありますね。この魚はなんていうんですか?」
「そりゃイワシの塩漬けだ」
「へぇー、初めて見ました」
この世界でイワシを見るのは初めてだが言葉として正しく理解は出来る。なるほど、前の知識のコンバートは原型をとどめない加工魚にも効くらしい。
「あ、これは鯛だね。高級魚だ」
「ほほう、ぼうずよく知ってるな。けどこりゃ高級なもんじゃねぇ。干物にすりゃバサバサの価値のねぇ魚さ」
「そうなんですね」
こちらの世界では魚の価値が違うらしい。ならば激安で鰻やマグロが食べられるかもしれないぞ。
そう思いながら並べられた魚を眺めるが、残念ながら鰻とマグロはない。
まぁ海から離れたない陸地だし、近くに川があるわけでもない。新鮮な魚などそう入ってくるものじゃないのだろう。
ライカのわがままの時も思ったが、なんで先人はこんな不便な所に王都を作ったのだろうか。縄文人ですら川や海、湖沼の近くに集落をつくると言うのに。
なんて思いながら、商品を追う。
「こっちのは?」
「これはサンマの干物で、それはカンガラだな」
「カンガラ?」
聞いたことのない名前に興味を惹かれてよく見れば、一スブくらいの大きさで体の上半分は黄色の川魚。
「白身の魚で、泥抜きして塩で保存している。それをそのまま塩煮にして食うとうまいんだ」
「へぇ~、塩煮ね、その調理方法はあなたが考えたんですか?」
「違う違う、元々俺はメッセンジャーだからな、旅先に美味ものがあったら作り方を聞いてくるのさ。塩煮は南の内陸の料理だ」
「へー南。そんな遠いところから。じゃこの魚も南から?」
「ああ、そうだ。最近、美人のねーちゃんの商団が出来てな、そいつに頼んでるんだ」
もしやそれはカチャの商団ではないだろうか。たしか王都で商売が出来る権利をアンスカーリからもらって、競合が少ない南方に足を延ばしていたはずだ。
「ところでなんでメッセンジャーから商売なんかに鞍替えしたんですか?」
「ぼうず、人生はいろいろだ。メッセンジャーなんざ危険な事はいつまでもやるもんじゃねぇ」
どうやら本当にメッセンジャーをやっていたようだ。ラドは表情から真偽を見定めて本題に入る。
「ウォンさん、”渡り鳥の巣”のイリアさんはご存知ですか」
言われてウォンはピクリと眉を動かす。
「知ってるがどうした」
さっきまでの陽気はどこへやら、声のトーンも落とし剣呑な雰囲気を漂わせてラドを見据える。
「どのような関係で?」
「ぼうずに言う義理はねーな」
「そうですか。エフェルナンド」
合図を出すと遠目で見ていたエフェルナンドはラドとウォン会話の中に大股で入ってくる。
「我々は皇衛騎士団の者だ」
後ろからぬっと出てきたエフェルナンドを見て、ウォンはチッと小さく舌打ちする。
「金を借りている。それだけだ」
「それだけ?」
「ああ」
「どのくらい? 返済は順調?」
「そんなこと聞いてどうする」
「いいから、正直に答えれば悪いようにはしない」
「三百万ロクタンだ。返済は……厳しいが返している」
悔しさを滲ませた目つきで足元を見る。
「ありがとう。それと最近イリアさんから頼まれごとなんてあった?」
ウォンは少しもたつき答える。
「ああ、メッセンジャーを探してくれと言われた」
「名前は」
「マルッカとエスクードだ。六日くらい前に死体で見つけた。北の街道でだ」
「もう少し詳しく教えてくれないか」
「街道沿いの林の中だ。そこに二人が倒れていた。近くにショートソードがあった。多分凶器だろう。他にはマルッカのポケットに手紙があった」
「君はそれを見つけて、すぐイリアに報告したんだね」
「そうだ」
「ありがとう。もう十分だ。また聞きたくなったらここに来るよ」
ラドは可愛く微笑んで、エフェルナンドの背中を押す。
「隊長、もっと聞くことがあるんじゃないですか」
「いい、もう十分だ。エフェルナンド出直そう。考え直しだ」
「へぇ? 隊長、どうしたんですか」
「振り出しに戻るんだよ」