検死
翌朝。
皇衛騎士団駐屯地では、エフェルナンドが訓練の指揮をしている真っ最中だった。
「エフェルナンド、今日は僕と来てくれないか」
「なんですか隊長」
「北街道に行く、随伴してくれ」
エフェルナンドは王都居住なので、一度王都に入りイクス邸より馬を引き北街道につながる跳ね橋を渡る。ここからは騎乗で移動だ。
王都内は通常単騎で騎乗してならない。理由は安全のため、馬車や早馬の邪魔にならないためなどあるが、一番大きいのは”有事の際に騎乗の騎士が市民を威圧するため”だ。
ここぞという時に馬に乗って高みから睨みを利かせると市民は何かあったかと震え上がる。
そんな狙いがあるから、人々を慣れさせないために普段は騎乗するなという訳だ。
誰が発案したのか、偉いさんも色々と考える。
朝の澄んだ空気を吸い込み、石舗装された道をぽっくりぽっくりと揺られ行く。
北街道は石畳がすり減った随分使い倒された道だ。
街道の終着は城塞都市ムンタムで、この街には防衛のための大兵力があり、街道は各都市を頻繁に行き来する騎士団により激しく痛めつけられる。それに加えて街道の西に広がる山々から切り出される木材を運ぶために北街道は石すら減るほどに酷使される。
木材なんざ鉄道を引いて運べばいいのにと思うが、この国では鉄は貴重品なので誰もそんな輸送手段は思いつかないのだろう。
なお、街道はムンタムで切れているが、更にその先は土盛り道がありシンシアナ帝国との緩衝地帯、そして遂にはシンシアナ帝国へと至る。
道はあるが街道と言わないのはシンシアナ帝国への政治的な配慮だ。
排水のため盛土された少し見晴らしの良い石道を行くと、しばらくは左右にススキの原が続く。ここは狂獣の合があった戦場付近だ。
その向こうは東に林があり更に向こうは泥濘地帯となる。たぶん遺体はその林らへんにあるのだろう。
フランの遺体はどこかと左右を見い見い足を進めると、ちょうどススキの原の切れ目、林の入り口を伺う辺りの路肩に何やらこんもりした塚が見えた。更に近づくと街道の石畳に黒い跡が見える。
「たぶんここだ。地面に大きなシミがある」
「はぁ~、きちまいましたか。隊長も物好きですなぁ。なにも死体見物なんて」
「ノーノー、見物じゃない、検死と言って欲しいね」
「そんな言葉なんて聞いたことないですが、どうするんですか?」
「遺体を見て事件がどう起きたか想像するんだよ」
「はぁ??? そんな事できるんですか」
エフェルナンドは呆れるとも、信じられないとも取れる表情で、街道の遥か向こうに目をやった。
「エフェルナンド、そこの街道脇をごらんよ」
石畳の街道が走る盛土の脇に、放棄された遺体が転がっている。
多分、殺害後に狂獣か何かに引きずられたのだろう、いかにも引きずり回されましたと言わんばかりに遺体は路肩に放られ、横向きになった手足が不自然に投げ出されている。
下馬し街道を降りて近づくと、ひどい腐臭がする。
乾燥している気候といえ死体は腐る。ハエがたかり、破れた服から見える肉は変色して、胸のあたりからは既に肋骨が見えていた。
腹はぽっこりと膨らんでいる。発生したガスが体内に溜まり、腹を膨らませた形のままに固まったのだろう。
「気持ちのいいもんじゃありませんね」
「まったくだ」
遠目に見る限りでは旅の荷物も凶器も落ちていない。イリアの話によると、フランの荷物はマルッカとエスクードが奪った。なら荷物や凶器は彼らの死体の方にあるはずだ。
「エフェルナンド、手袋」
ラドは革手袋を求め、死体に近づいていく。
「隊長、まさか」
「そのまさかだよ。遺体の状態を確認する。君も来な」
エフェルナンドは顔を顰めるが上官の命令ならば断れない。心底嫌そうに小股に土を踏みしめてやって来る。
「うわっ、くっさっ」
「手巾は?」
「そんなもの持ってませんよ」
「それは悪かった。言わなかった僕のミスだ」
目を見ず謝罪しつつ、ラドは手隠しから手拭い取り出し鼻と口に当ててしっかり結ぶ。
こんなものでも無いよりはマシだ。
だがエフェルナンドには口鼻を覆うものがない。それがエフェルナンドを一層、嫌な思いにさせる。
「エフェルナンド、コイツの足を持ってくれないか。僕は肩をとるから、せいので仰向けにしよう」
「いやですよ! 隊長一人でやってください」
路肩を降りるところまでは付き合ったが、その命令は受理できぬと、エフェルナンドは頑なに拒否する。なにせ自分には手袋も手巾もないのだ。素手でこんなもの触れるものかである。
「しょうがないなぁ。どう見たって僕の体格じゃ過分な仕事だろ」
「嫌です! 断固拒否します!」
「ちぇ、じゃ、いいよ」
ラドは渋々、横向きになった遺体を足から順にひっくり返す。その前に背中や脇などの怪我の状態を見るために腰から取り出したグラディウスで服を割く。
「刺し傷どころか、擦り傷も全然ないな」
膝を取り足を開かせ、肩を押して身を返す。遺体の背中が地に落ちたはずみにすえたものが少々服に付いたが、それはしょうがない。
「うっ!」
体がひっくり返ると更に激しい腐臭が二人を襲う。そして舞い上がるハエ。地についていた半身はグズグズに腐り、肉の間を出入りする白いウジに思わず吐き気を催す。
その向こうでは腐臭を直接吸い込んだエフェルナンドが我慢たまらず、騎士団の制服の袖を押さえてゲロゲロやっている。
その姿を見るほうが、よほど吐きたくなる。
ラドは先程と同じように服を裂き体の様子を見る。たが、革で作った護身用のダガーナイフを納める鞘袋が邪魔で上着が裂きにくい。
それを巧みにさばいて胸をさらけ出す。
「あった、やっぱり胸だ。刺された痕がある。でも小さいな」
「隊長、その手で俺を触んないでくださいよぉ」
口の中が気持ち悪いのだろう。エフェルナンドが唾を吐きつつ弱々しく呻く。
「ああ、止めておいてやるよ。ところでこっちに来てごらん。これが傷痕だ」
目の下を暗くしたエフェルナンドが、嫌々と死体の横にやってくる。完全に及び越しだが検死はしっかりやってもらわないといけない。
ラドは傷口をグラディウスで開いてエフェルナンドに見せてやる。
「うっ、隊長よく平気ですね。子供のくせに」
「聞こえたぞ! もう一度言ったら、この剣先をエフェルナンドの顔になすりつけるからな」
「すみません! すみませんっ!」
「で、どう思う。この傷痕」
「剣じゃ……ないですね。傷が浅いし小さい。ナイフですか? 市場にあるような。そいつの胸の鞘袋にあったナイフですよ、きっと」
「ああ、刃渡りもさしてないナイフだな。ということは」
「ということは?」
ラドはもったいぶってインバネスを翻す。これをやってみたかったのだ!
「証言から、この遺体はフランだ。フランは刺されるとは思ってなかったんだよ。会話の最中に油断していたところを、目の前からブスリと殺られた可能性が高い」
「どうしてそう言えるんですか?」
「争った形跡がなさ過ぎる。仮に知り合いでも殺意丸出しで刃物をチラつかせて近づいてきたら、逃げるか戦おうとして手や腕に切り傷が残るものなんだ。それが全くない!」
「でも、刹那にやれば争う間もなく出来ませんか?」
「えっ!」
勢いで言い切ってしまったが、確かに見知らぬ相手でも背中に凶器を隠して近づき、油断しているところを、えいっとやれば案外できちゃうかもしれない。
「そっ、それはーー。まぁスゴイ達人なら、できなくない……かも……」
「ああ、でもその時は背中から刺すか」
「そ、そぉだよ!」
「隊長ぉ……」
「す、少なくとも犯人は、まさかやられると思ってもみなかったから知人なの! だからナイフでも殺せたの!」
「そりゃ道中、隊長から聞きいた話しですよ。フランは同僚のマルッカかエスクードに殺られたって。そいつら知人だったんでしょ」
ラドはジト目でエフェルナンドをみる。
「もう細かい所はいいの! 気分よく探偵やらせてよ!」
二人はフランの遺体とその周りの検分を終え、林の方に足を向ける。
すると確かに二つの遺体があった。
林のほうは湿度が高いし、遺体も泥に浸かっていた部位があるので痛みは激しく、検死はとてもできる状況ではなかったが、証言どおりに腕と足が斬られているのは分かった。それどころか胴体が右袈裟で真っ二つに断ち切られている。
もう一人は傷の少ない遺体だった。
その横には捨てられたショートソードとダガーナイフ。
「ひでぇなあ。こっちは」
「エフェルナンド、おかしくない?」
「この状況に笑いの要素はないと思いますが」
「その可笑しいじゃなくて、変の方だよ」
「はぁ……」
エフェルナンドは袖で口鼻を塞ぎながら、前から横から死体を見る。
「惨殺ですけどねぇ」
「そこだよ、この二人が争ったらしいけど胴体を半分にできるものか?」
「言われてみれば。俺も狂獣を切った感じゃ、真っ二つなんてそう出来るもんじゃないですね」
「だろ、これは誰か別の人が斬ったんだよ」
「考えられますね」
これは第一発見者に話を聞かねばなるまい。
「ダガーナイフはフランの傷に一致しそうかな」
「ええ、多分」
「ならこれがフランを襲った凶器なのか?」
「かもしれません」
だがこれが凶器だと断定するには根拠が薄い。遺体の近くにナイフを入れる皮鞘袋が落ちているのだから。
ラドは慎重にあたりの地面を見る。だが地面の争ったような足跡や、掘り起こしたような形跡はない。近辺の樹木を見ても切り傷や樹皮が剥けたような跡もなかった。
もちろんフランの荷物もない。
「なんかスッキリしてるんだよな」
「隊長どうしましたか?」
「……いや、なんでもない」
「エフェルナンド、二人の服ポケットに手紙がないか探してよ」
「俺がですか!?」
「うん」
「素手ですよ! 手袋してるんですから隊長がやってください」
「やだよ」
「なんでですか」
「触りたくないもん」
「なら俺もですよ!」
相変わらずエフェルナンドは非協力的なので、仕方なくラドが胸ポケットをまさぐる。だが手紙はどこにもなかった。
荷物ごと手紙も野党に奪われたのかもしれない。
ここで見るべきモノは見た……と思う。
だが薄いベールで被われたようなボケた感覚はなんだろうか?
ラドは証拠のショートソードとダガーナイフを手に取ると、来た道を取って返し、ギルド”渡り鳥の巣”へ向うことにした。
肺の奥に吐き出しきれない腐臭を残しつつ。