イリア
翌朝、なんとかお腹の具合は落ち着いたが、結局、寝床とトイレの往復運動で一睡もできなかった。
一晩ですっかりげっそりとしたラドを見て、イチカが平謝りに謝る。
「すみません! 私が作った料理で!」
「イチカは謝らなくていいよ。悪いのは全部ライカだから」
念仏のようなホソホソとした覇気のない声でライカの悪口を言うと、寝起きでぼーっとしていたライカが、頭の上の猫耳をピクッとさせて「なんでにゃ」と声も低く不機嫌に答える。
「生は危ないって言ったろ」
「ライカたちはなんともないにゃ。悪いのはサンドケーキの方かもしれないにゃ」
――こ、こいつ~、寝起きの方が冴えたこと言いやがって。
「リレイラは両方食べましたが、なんともありません。これは師匠が弱いからではないでしょうか。身も心も」
「心は関係ない! てか、師匠敬えよ! リレイラ」
「あの、ラド? あまり怒って踏ん張ると下から出てしまいます」
「うっ!」
「出ましたか?」
もう、そんなこと心配しなくていいよぉ。
もじもじとお尻を押さえつつ、今日は騎士団の訓練はライカとエフェルナンド、リレイラにまかせて、もう一度聞き込みに行くことにする。
事件の仔細をギルドマスターに聞くためだ。
「すみません。皇衛騎士団の者ですが、ギルドマスターに面会したく――」と言いかけたところで、カウンターの婦人は頬杖のまま、気だるげに「あたしだよ」と答えた。
「あっ、昨日の」
「あたしがここのギルドの長さね」
婦人は落ち着いたトーンで答えると、重い腰をよいしょと上げて一段高いカウンターから出てきてラドを下に見る。
カウンター越しで見た感じでは、毛量の多い髪を後ろでわっさりと結んでいたのでルーズな人かと思ったが、しゃれた刺繍の服は仕立てが良く、この婦人がそれなりに裕福な生活をしていると分かった。
その黒地に赤い刺繍のベストの上から腰に手を当てて、仕方なく子供の相手をする風情を醸し出して言う。
「昨日の続きなら上の応接で話しましょう。お客に聞かれちゃ商売のじゃまだからね」
不愉快な言われ方だが商売人ならそうなのだろう。ラドは言われるままに婦人に続き、階段を上った。
二階の応接室は、豪奢な暖炉が設えられた立派な部屋だった。壁は木目が揃えられた、白木と茶木の縦縞張りになっている。
ラドが住んでいた官舎でも部屋の壁に化粧張りはしていなかったので、ギルドマスターはこの部屋に随分とお金をかけたのだろうことが分かる。
そんな洒落た部屋の中央には大きなソファの応接セットがあり、婦人は暖炉を正面にとらえた一番良さそうな場所の一人がけソファにでっぷりと腰を下ろす。
「好きな所に座りな」
「ありがとうございます。お名前を伺っても?」
「イリアさ。サンテブルレイドのメッセンジャーギルドを預かっている」
イリア! かわいい名前じゃないか。イメージはド○ーラなのに!
人は見かけによらないものだ。あるいはこのご婦人も三十年前はマジカルなちんまい美少女だったかもしれないが。
それはさておきだ。
「昨日の話をもう少し詳しく聞かせてもらいたいんだ。もしかしたら、こういう事件を起こさない予防策が考えられるかもしれないからね」
「そりゃいいねぇ。それならあたしらには朗報だよ。それで聞きたいのは何だい? どこぞの騎士さん」
どこぞの騎士と言われてラドは自分の鼻先を指で指す。そうだ思い出せば自分は名乗っていない。これは礼を失していた。
「あ、ごめん。僕はラド・マージア。皇衛騎士団の」
「マージア? ああ、半獣の街道警備のかい。ウチのモンも随分助かっているよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
と言いつつも、街道警備を前に出してくるところに性格の悪さが表れていると思う。
まだ痛む肩を庇いながら椅子を引く。
「じゃその怪我は噂のアレだね。半獣人を騎士団に入れりゃ、そりゃあんた……いえ、マージア様も夜討ちにあいますわよ」
「ラドでいいよ。実益を考えたらそれが最もいいんだ。ガウべルーアはそういう合理的な国だろ」
「そうですけどねぇ」
「それより、本題」
イリアは両手を上げて呆れ気味にポーズを取ると、袖付きのソファに深々と身を沈め、大きな胸の前で腕を組む。
初見の準貴族相手でも態度が大きいのは女でギルマスを張るための処世術なのだろう。男尊女卑のこの国で、ギルドの顔をはるのは容易ではない。
「殺しの動機はなんだと思う?」
「昨日も言ったとおり。金目当てだろうさ。大方、二人とも金に困ってたんだろ。メッセンジャーなんざその日暮らしの輩さね」
くだらない事をなぜ聞くと言わんばかりの態度でイリアはうそぶく。
「じゃ殺された三人の名前を教えてもらえる?」
「ああ。荷物を運んでたのがフラン、あとの二人はエスクードにマルッカさ」
「じゃフランさんは、エスクードとマルッカの二人に殺られたってこと?」
「多分そうじゃなのかね。仲間割れってとこでしょうよ」
まぁイリアは見てないのだ。曖昧な返事になるのは無理もない。
「三人の素性を教えてくれないかな」
「あたしだってそんなに詳しかないですけどねぇ」
イリアは面倒臭そうに手振りをつけて、ため息混じりに紹介を始める。
「フランはウチに登録して長い、若くて真面目なやつさね。エスクードとマルッカは臨時雇いの奴さ」
「臨時雇い?」
「荷が多いときは、そういうのがあんさ。王都は人が多いから届いた荷物を配るには人手がいるのさ。子供の小遣い稼ぎみたいな仕事だけどね。そういう仕事から初めて、だんだん遠くの街まで使いに出るようになるのさ」
確かにイリアの言うとおりだろう。王都は万からの人が住む。その一人一人に荷物を届けるのは容易ではない。
「遺体の発見者から話しは聞いたかい?」
「もちろんさ。フランを偶然見つけた奴からね。エスクードとマルッカは探してもらったわよ」
「え? 同じ日に殺されたんじゃないの?」
「死んだ日なんて知りませんけど、フランが見つかって五、六日経ってから、エスクードもマルッカも帰らないって話になってね。帰ってもいい頃なのに戻らないものだから、わたしから頼んだのさ。そしたらコレ」
「臨時雇いなのに、帰らない事が気になったんですか」
「そりゃそうよ。荷物の受領証を持ってこないですもの」
「じゃ、二人は配送中にわざわざフランが死んだ場所の近くで殺し合いを?」
「さあね。近くに奪った荷物でも隠して、二人で取りに行って奪い合いになったんじゃないのかい?」
なるほど。フランの死が分かればギルドメンバーに検めが入るかもしれない。物証を消すには、ほとぼりが冷めるまで盗んだ荷物は隠して置くのはよい方法だ。
「フランの死因は?」
「刺殺さ。胸をグサリってね」
イリアは頼みもしないのに、豊か過ぎる自分胸に拳を沈めて、刺殺の様子を再現してみせる。挙句、苦しむ表情まで作ってガクリと頭を落とすのだから、どうやら話し始めて油が乗ってきたらしい。
「凶器は出たの?」
「林の中で見つかってるわよ。剣が二つ。それでフランもやられたんだと思うけどねぇ」
「林ってもしかして、エスクードとマルッカの遺体の近くで」
「ええ」
その武器でフランを殺したかはまだ分からないが、可能性はありそうだ。
「エスクードやマルッカが発見されたときの情報も聞かせてよ」
「エスクードは手足を剣で斬られて、マルッカは刺されて死んだらしいわよ。そうそう、マルッカの服のポケットにメモがあって、それでこの事件が仲間割れの末の殺し合いだと分かったのよ」
「手足を斬られてって、ヒドイ殺しだなぁ。ん? エスクードとマルッカの遺体は同じ所あったということは、ここで二人は争ったんだよね。ならマルッカがエスクードを惨殺したことになる。じゃマルッカを殺したのは誰?」
「そりゃ~、二人で争ったときには、マルッカはどこかに致命傷でも受けて、エスクードを殺した後、事切れたんじゃないですかねぇ」
「確かにそうかもしれませんね」
そうは言ってみたが、何やら喉の奥に違和感が残る話だ。
「マルッカのポケットにあったメモも教えてもらえますか?」
「いいわよ。たしか『今晩会おう』と書いてあったらしいわね」
「メモはイリアさんの手元にあるの?」
「あるわけないわよ! 死人の持ち物なんて気持ちの悪い」
「ですよね~。ところで三人はどこに住んでたか分かりますか」
「三人とも住処なんてありゃしないわよ、ギルドで貸してる仮宿さ」
「なるほど、それで面識があったんだ。ありがとう一杯聞いちゃって」
「いいさね。仕事なんでしょうし。そうそうマージアさん宛の荷物を預かっているわよ」
「僕に?」
「パラケルスのマイカって人さ」
イリアは懐から封書をすっと取り出す。受け取る手紙がほのかに温かい。
「ああ。ありがとう。確かに僕宛だ。こうして離れた相手と連絡がとれるのもメッセンジャーギルドのおかげだよ。こんな事件が起こらないように皇衛騎士団も頑張るよ」
「期待してますよ。マージアさん」
イリアは「よいしょ」の掛け声で椅子から立つと、幅広の体で押し出すようにラドを出口まで見送ると、ゆさゆさと大きく手を降ってやたらいいとは笑顔でラドを送り出す。
ラドは頭を下げて『渡り鳥の巣』を後にするが、別れ際に一言を添えた。
「あ、そうそう。仕事の入札を仕切っているのって誰ですか?」
「イェンってやつだよ」
「ありがとう!」
これがやりたかった! 刑事コ■ンボ。好きだったんだよなぁ。
「まぁ、その服はどうしたんですか?」
玄関を開けたイチカは、ラドが着込んだ珍しい格好に驚いた。
ここ最近のラドの服装は、街道警備隊の制服に例のグニャグニャの杖だ。実は皇衛騎士団にも制服はある。儀仗正装服や通常兵服だ。
だが練兵でそんな格好をしても邪魔なうえ、訓練を兼ねて街道警備に赴くことが多いので、日常から街道警備制服を着ることが多いのだ。
そんな黒っぽいカラーのラドが、急に茶のチェックのインバネスに鹿撃帽で現れたのだ。王都ですら見慣れぬ姿に、イチカが戸惑うのは無理もない。
「どう? 似合う?」
「似合うか似合わないかといえば似合いますが、およそ騎士団とは思えぬ服装です」
「なら正解だ。これは探偵をイメージしてね」
「タンテイ? 初耳の言葉です」
イチカの後ろからひょっこり顔を出したリレイラが、顎に指を当て当て首をひねる。どうやらこの世界には探偵という概念が無いらしい。
「探偵とは、雇われてこっそり事件の真相を調べる人だよ」
「なんですか? そのまどろっこしい人は。それに探偵と師匠にどんな関係があるのですか?」
「まどろっこしいか……。リレイラは夢がないなぁ。僕は小さい頃から探偵モノが好きでね。いつか機会があったら謎解きをしたいと思ってたんだ」
「探偵はその服装が制服なのですね」
イチカが分かったように微笑み返す。
「いや…‥制服じゃないけど、王道ってやつかな」
「王道ですが、探偵の王が着る服なのですね」
「いや、その王じゃなくて」
コスチュームの説明に困り頬をポリポリかいていると、部屋の真ん中であぐらをかいてくつろいでいたライカが白い目でこちらを見てくる。
「しゅにんは最近、ムダ遣いが多いぞ」
「うっ!」
意外な正論を突いてきた。
「お金はもっと大事に使うものにゃ」
「ぐっ!」
ごもっともである。小金が入ったからと言って余裕ぶっこいてダラダラ使っていては、もしもの時にどうするのか。確かにそう言われた。昔は秋葉に、今はアキハに。
「でも、ラドは準貴族なのですし、そのくらいは……」
イチカやさしい! だよね。準貴族にもなってコートと帽子とケーキを買うのに、お財布の中身をイチイチ気にするのは余りに小さい。小者すぎる。
「イチカ、甘やかしすぎるとしゅにんがダメな大人になるぞ。ライカのしつけは厳しいぞ」
「そうですねぇ……」
「いや違うから! 僕はもう十分大人ですっ! あ、子供の躾で思い出したけどマイカから手紙が来てたんだ」
「マイカか!!!」
ライカは妹からの手紙と聞いて、胡座を解くより早く手紙に飛びつき、四隅を止めた封蝋を自慢の爪で勢いよくひっぺがす。それこそ破れそうな勢いで。
「マイカなにかいてるかな?」
その様子をイチカが微笑ましく眺めている。ラドはそんなイチカに目で相槌を打った。
「えーと、……最初なんて書いてるにゃ?」
取り出したはいいが読めない文字にぶつかり、いきなり手紙をラドに差し出すライカ。
「『拝啓、若葉の候、皆さん、いかがお過ごしでしょうか』だね。これは時候の挨拶だね。手紙が届くのに時間がかかったのかな? もう初夏だから」
「そうか、マイカは賢いな」
またライカは手紙を自分に引き寄せ読み始める。
「ラドさんはご無理をしておりませんか」
「ラドさんだって。にゃはは」
何がおかしいのか、ラドの呼び方にウケる。
「えー、ライカ姉さんは、ご迷惑をかけてませんでしょうか」
「ひどいぞ、マイカ。ライカは全然迷惑なんかかけてないぞ」
「そうかな」
「そうでしょうか」
「母さんのうっかりは、しばしば師匠に迷惑をかけてます」
「みんなもひどいにゃ」
「いいから、次を読んで」
ライカはちぇっとへそを曲げつつ、でも手紙に視線を移すとまたご機嫌に文字を追いだす。
「先日、ラドさんからご依頼のあった実験は順調に進んでいます。成功すればイチカさんのお力になれると思うと、難しい実験ですがやりがいを感じております」
「実験ってなんだ?」
「それはまだ秘密。準備が整ったら教えるよ」
「ふーん、マイカはすごい事してるな。おっエイラの事も書いてるぞ」
『エイラがライカ姉さんに会いたいと、しきりに言っています。もし街道警備でパラケルスの近くまで来ることがありましたら、姉さんが工場に寄られるよう、お計らいいただけませんか』
「もう、エイラは甘えん坊さんで困るにゃ~」
困ると言いつつ締まりのない顔でデレデレと手紙を読むライカ。
『エイラはライカ姉さんに一番懐いていましたので、姉さんがパラケルスを離れるときは、泣いて泣いて慰めるのが大変でした。これは姉さんにはナイショでお願いします』
「そうか……ごめんだったなエイラ」
こんな事を書いていると思わなかったので、うっかりライカに見せてしまったが、そんな裏話を知ってしまい耳を垂らしてしょんぼりとライカは萎れる。
ライカは面倒見がよく、妹たちを愛している。久しく会えないのは寂しいだろう。次の街道警備では、ライカ隊を一番西に配してあげよう。
でもその前に、今の事件にケリをつけないといけない。
例の街の騒動で学んだ。
”皇撃騎士団が駆り出されると、刃は無思考的にパーンに向いてしまう”と。
そうならないように、王都の警備は絶対に皇衛騎士団が行なわなくてはならない。そのためにはアンスカーリを始め王家の親しい貴族達に、王都の治安維持には皇衛騎士団がベストだと理解させなければならない。
だからこそ、こういう小さな事件解決で信頼を貯金しなければならないのだ。
「さてとライカはゆっくり手紙を読んでていいよ。僕はまた聞き込みに行ってくるから」
「ラド、危険な所に首を突っ込まないでくださいね」
「心配しなくてもいいよ」
「なんかあったらライカが助けにいくぞ」
心配するイチカとは裏腹に、ライカは楽しげに手紙を読みながら、空返事ならぬ空お見送りをする。
「師匠、帰ったら浄水場を視ていただけませんか」
「うん、いいけど、どうしたの?」
「ここ一週間ほど水が臭いという苦情がきているのです」
「ええ~、僕はクラ○アンじゃないよ」
「はい?」
浄水場は村の重要施設の一つだ。ガウべルーアでは水は貴重で、河川は全て王国が管理している。
たとえば王都では森を水源とした河川から水道を引いている。王都そのものは周囲から見ると一ホブくらいのなだらかな丘の上にあるので、水道は地下にあり利用者はそれを桶で揚水して利用している。
この地下水道方式は、ガウベルーア都市ではメジャーな方法でサルタニアも同じ方法を採用している。
そして使用済みの水は溜池に留め灌漑などに使われる。
ヴィルドファーレン村ではこの溜池の水を浄化して飲料水にしているのだが、人口の爆増に伴い子供達に水運びを頼み濾過機にかけるのでは足りず、いよいよ浄水場を整備するに至った。
風車で溜池の水を揚水し石や砂利、砂、炭を使って使用済みの水をろ過し再び飲料水にする。
この世界では派手な化学物質は流通していないから、汚物をろ過して多孔質の炭で匂い物質を吸着すればほぼ飲めるレベルになる。その浄化能力が落ちているらしい。
「なんでも鉄の味がするそうで」
「鉄? ああ親方の所か。いよいよ量産体制に入ってるからなぁ。もう公害なんてやめてくれよ」
なんて、シャツの胸元をはふはふさせながらプンプン怒っていたら、「ラド? その格好、暑くないですか?」
ご心配そうなイチカの視線。
むむっ、イチカ。素知らぬふりしてよく見てるな。
「あ、あつくない……よ」
「もう七月ですよ。その格好は真冬の装いです」
「イチカ見て見ぬふりです。師匠は格好から入るタイプです。たとえ汗だくでもお似合いですと言えば満足するのですから」
「そこまで言われて満足するヤツなんていないよ! 暑いよ、暑いです!」
知ったようなことを言うなよ。その通りなんだから。まったくこの二人ときたら、ライカの鈍感力を見習って欲しいものだ。