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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その2.悪噂話は一銭の利もなし。
8/45

04








「はー…」


 まったく無自覚というものは始末に負えないと、アリアディスは閉まった扉を見ながら深いため息を吐いた。


 どうしてああなのか。


 彼女だって一応伯爵令嬢だ。着飾って表に出る機会だってあったはずだ。だのに、一体どこをどうしたらあんなに無頓着のままここまで来たのだろう。


 サンドラがフレディを目の敵にしているのは、偏に彼女がサンドラよりも美しい容姿をしているからだというのに。


 大した理由もなくああも明確に潰しにかかっていることが、彼女が一番大切にしているものを脅かしそうだからだということに、なぜ気づかないのか。


 何事も自分が一番でないと気が済まないサンドラは、美しさも自分のものにしたかった。美しいと評されるのは、自分だけで十分だと思っている気があるのだ。たとえどこかの誰かが美しいと言われても、自身の方が上だということを実感できる事実をいつも求めていた。


 だからこそ、自分と同じ時を生きており、自分よりも優れたものを持つ彼女が妬ましいのだ。


 ――おそらく、それこそ殺したいほどにな。


 彼女について回る噂が、それを肯定していた。


 フレディには、どうせたいしたことは出来ないだろうと言ったが、目的のためなら手段を選ばないところもサンドラの本質であることに相違なかった。


 実質、今の段階でフレディは社交界とは断絶していると言って過言ではない。故にそこまで徹底する必要が無いと思っているだけだということが、さっきの反応でよく分かった。もしこの先彼女が家に戻れば、それもどうなるか分からないことではあるが。


 本当に、わがままが過ぎるのは困ったものだとため息が出た。


 しかしフレディ自身にも問題はあると思う。


 フレディは自分を三下だといって憚らないが、世間一般から見れば彼女は類を見ないほど美人だった。


 サンドラのように燃えるような色はないが、その優しい笑みは夜の闇を照らしてくれる光ような無条件の安心感があった。無表情だと冷たく感じる怜麗とした印象も、笑うとがらりと変わるのだ。それでいて気の強そうな目は意志の強さであり、風に揺れる少し紫がかかった薄蒼い長い髪は、彼女の白い肌に良く映えている。


 その優美と気丈のあいだのような見た目が、目を引かないわけはなかった。


 おまけに彼女は見た目だけが優れているわけではない。聡明で頭の回転の速い、賢い女性だ。根性もあるし、わきまえつつも言いたいことはきちんと口にする。


 そして見た目の嫋やかさに反して活発で、よく笑う。その不調和さが彼女の魅力なのだと、確かあの人は言っていたか。


 その時の楽しそうな顔もついでに思い出して、妻帯者が何を言っているんだと白んだ気分になったのはまだ新しい記憶だった。


 しかし世の多くは、女性が賢いことを受け入れられない器の小さい男しかおらず、彼女はずいぶんと端に追いやられていた。それでも昔は、気丈に頑張っていたようだったがそれもいつの間にか見なくなった。


 そう思っていたら、いきなり雇えとやってきたときにはさすがに驚いたものだ。


 それでも彼女は自分の仕事に、寒いだの暑いだの文句を言いながらもきちんとこなしていった。それは令嬢特有のわがままなど欠片も見せず、真摯に物事に向き合う彼女の性格故だったのだろう。


 そんな点も、彼女の美徳の一つだというのに。


 しかし本人は全くそれに頓着しないばかりか、はばかりもしないで自分は三下と卑下をする。


 彼女が三下ならば他の人間は一体どうすればいいのか。


 この間のだって、自分だったから襲われたのだと気づいていない。世の中には、睨まれると興奮するという特殊な性癖を持った輩だって存在するのだ。だのにあの物言い。


 分かっているようで全く分かってないあの発言に、痛い頭はまだ治っていなかった。一体どう言えば理解するのか。


「………」


 しかし彼女が自分の容姿を『その程度』だと思う理由は、彼女の所為ではないことをくらいアリアディスは知っていた。


 一番近くにより完璧に近い美の象徴がいれば、自分の容姿に鈍感になるのもまあ頷ける。


 しかしそれにしては無頓着すぎると思った。もしかしたらそれ以外にも理由があるのかもしれないが、それを問いかけるほどアリアディスは彼女に興味が無かった。


 彼女自身が、見てもらいたいのは仕事ぶりだと思っているのなら、アリアディスが評価するのはその一点だけだ。現に、彼女はよく働いている。


 さっきは思わず口にしてしまったが、今後似たようなことが起こらないとも限らない。事前に手を打っておきたいという感情もあった所為だったのだが。


 しかし、思っていたような効果が無くて内心舌打ちしていたのは秘密である。


(…しかし、警戒対象が男だけじゃいけないとはな。女の敵まで多いのは難儀なことだな…)


 確かに先ほどは言い過ぎたと自覚したアリアディスは、あの怒りの矛先が同じ部屋にいた彼女に向かないことを祈った。


(――まあ、あれが一緒にいるみたいだから問題ないだろうが)


 先ほどの光景を思い出して、アリアディスは思った。


 大人しく隠れておくようにと言ったはずなのに、一体どうしてあんな所にいるのだと問い詰めたい気持ちをぐっと抑えるのに必死で、部下に良いように言われてしまった。


 まあ、ある意味一番安全な場所かもしれないと無理矢理自分を納得させたアリアディスは、ふと思う。


 ――それにしてもあいつ。


「従兄弟の顔さえ忘れてるとはな。ほんとに鳥頭なんじゃないか?」


 いくら昔に一度会っただけとはいえ、自分の従兄弟の顔と名前くらい覚えておいて良いのではないだろうかと思うアリアディスは、自分の従兄弟の賢いながら覚えの悪い彼女フレディに最後の重たいため息を送った。








*****








「よし、じゃあ君は今日から『ハク』よ。名前がないと不便だからね。どうかな?」


 アリアディスの執務室を後にして、腕の傷の経過観察に町医者に行く途中の街道を歩くフレディは、歩きながらずっと考えていたことを白い竜に提案する。


 東洋で光り輝くという意味があると、何かの本で読んだフレディは朝日にきらきらと煌めく鱗を持っている彼にぴったりだと思った。


 するとまんざらでもない様子で目を瞑る竜に、満足そうに微笑んでフレディは改めて挨拶をした。


「いつまで一緒にいるかわかんないけど、それまでよろしくね。ハク」


『キューっ』


 すると肩に乗ったまますり、と頬にすり寄ってくる頭にきゅんときた。しかしフレディは学んだのだ。


 きっと、ここで抱きしめ返すとまた逃げてしまうということを。


 その衝動をぐっと我慢したフレディが変な顔で眉を寄せていると、ひゅうっと少し冷たい風が吹いた。


 春先はこうした風がたまに吹くが、今日は一段に冷たく感じる。その風に少し肩をすくめたフレディは、さっさと用事を終わらせようと歩を早めた。


 そうして向かった先、目の前にある文字に言葉をなくす。


「なん、だと…」


 その扉に張られた張り紙を見て、フレディは唖然とした。


 フレディ通い詰めの診療所の扉は今はきっちりと閉められており、人がいないのか建物からは気配を感じない。そしてその扉には『休診日』という張り紙があった。


 まあ確かに今日来るということを伝えていなかったから仕方が無いのだが、それにしてもタイミングが悪い。


 飼育所から街までは軽く半刻はかかる。基本出不精なフレディはこの道すがらが、なんとも耐えられなかった。ついでの用がなかったら、ついつい限界まで先送りにしてしまうのだ。


 そして今が、先送りにし続けた限界だった。


 翌日様子を見せろと言われたときは、さすがに腕が使い物にならなくなると困るから従ったが、そのとききちんと薬を付ければ破傷風にはならないと言った医者の言葉に、つい面倒心が持ち上がってしまった。


 その二日後に、また見せに来いと言われていたのに行かなかったのだ。別にわざとではなく、先の言葉で薬がある内は大丈夫だと思ったのもあるが、丁度水辺を好んで生活する水竜の出産日と重なってしまったんだから仕方ない。フレディの中での優先順位は何があっても代わらないのだ。


 それからずるずると後回しにしてしまった結果、傷に付けろといわれていた薬がもはや底をつきそうになっていた。


 さすがにこれ以上は怒られる以上の問題だと思ったフレディは、しばし考える。


 しかし扉の前でじっとしていても、そこが開くわけでもなく。


「――…しょうがない。買い物して帰ろう…」


『きゅーぅ』


 相づちを打ってくれる相手がいて良かったとフレディが思いながら市場へ行こうと歩を進めていると、小さな声が後ろから聞こえてきた。


「?」


 呼ばれた気がして振り返ると、遠くから笑顔で大きく手を振る人が見えた。


「フレディー!」


「…ラルフ君?」


 おーい、と手を振る人はフレディのよく知っている青年だった。


 早足でフレディが青年の元まで行くと、ラルフと呼ばれた青年は人懐っこい笑みで迎えてくれた。


「珍しいね、街にいるなんて。何か用事?」


「まあ、ちょっと買い物を…ラルフ君こそ、こんな時間にどうしたの? 今日はお休みなの?」


 ラルフは二年前に騎士団に所属した青年だった。丁度仕事を始めた時期が同じだねと気軽に声をかけてくれた時から、彼はよくフレディを見つけるとこうして声をかけてくれていた。


 騎士団に入る前に衛兵として勤めていた時期があるのだから、実際にはフレディよりもずっと働くことに慣れているはずなのだが、優しい彼はそう言ってフレディを受け入れてくれたのだ。


 フレディの噂を知っていてなお、気負わずに話をしてくれるラルフにフレディはとても感謝していた。そして何より、竜種の魅力を理解してくれる希少な友達でもあった。


 彼は竜の飼育に興味があるらしく、時間があるときにはよく毎日どうやって世話をしているのかとか、ご飯は何を食べるのかとか、疑問に思うことを何でも聞いてくる。興味を持ってくれることが嬉しくて、聞かれるままにいろんなことを話しているとあっという間に夕方だったりすることが多かった。


 それでも最近は遠征にかり出されることが増えたラルフと、こんな風にばったり会うと思っていなかったフレディは驚きながらも少し嬉しかった。


 最近とんと姿を見ていなかったが、元気そうで安心した。


 騎士とは、とんでもなほど体力勝負らしいのだ。フレディなんかとは比べものにならないくらいの激務なのだという。


 その辺の暇を持てあました兵士と違って、騎士団に属するまじめな者は寝る間を惜しんで働いていたり、ご飯を食べるのもままならない場合もあると聞く。


 上には上がいるとはじめに聞いたときは驚いた。たとえそれが多少脚色しているのだとしても、自分の仕事なんか楽なものだと改めて思った。


 そんなところからも、頑張ろうと思える気持ちをもらっていたフレディは、友人の元気な様を見てほっとした。


「うん。丁度昨日帰ってきたんだ。これからしばらくは街にいるよ」


「そっか。でも、頑張りすぎて倒れたらだめよ。無理しないでほどほどでいてね」


 忙しいのは彼が優秀だからだ。そう思うとそれは喜ばしいことだが、倒れてしまっては意味が無い。ラルフをまじめな好青年だと認識しているフレディは、彼が頑張りすぎて倒れないかといつもはらはらしていた。


 別に自分が気を揉む必要は無いのだけれど、何事もまじめに取り組んでいる彼を見ているとついつい心配をしてしまうのだ。しかしラルフは、それを大きなお世話だと言って突っぱねたりしない。人の良い笑みを浮かべて、いつもありがとう大丈夫と言うのだ。


 そしてそれは、今日も今日とて同じだった。


「ふふ、ありがとう。大丈夫だよ。それよりフレディこそ大丈夫? なんか疲れてない?」


 そうしていつも目ざとく、フレディの顔色の変化に気づくのだ。


 今時貴族にもそんな気の利いた人は少ないのに、どうして彼はそんなに出来た人間なのか。彼を平民だ何だといちゃもん付けている奴らに、誰か裁きを下して欲しいと思うほど口惜しい気持ちになる。


 だいたい今フレディの顔色が芳しくないのは、ただ予定通りに行かなかったことにふてくされていただけで、そんなに心配そうな顔をしてもらうようなものではないのだ。申し訳なくなるから止めて欲しい。


 そうして静かに下げられたままじっと何かを見つめていることに気がついて、フレディもその視線を追いかける。すると案の定、疑問を問われてしまった。


「その腕…どうしたの?」


「え? あ、これ? ちょっと失敗しちゃって」


 なんてことないのだとフレディは笑って見せたけれど、それでもじっと心配そうな視線が離れなくて、慌てて弁明する。


「あ、でもたいしたことないの。ホントだよ。ちゃんと薬もまじめに塗ってるし、しばらくしたら引きつりもなくなるだろうって先生も…」


「引きつりって…十分たいしたことあるじゃないか。まさか、傷が残ったりしないよね? ていうか、どこでどうしてそうなったの」


 ちゃんと教えて、とすごくまじめな顔で言われて言葉に詰まってしまった。


 多少傷が残ったところでどうということはないが、それをラルフに言ってみたところで暖簾に腕押しなのは分かっていた。


 しかしまるきりの無傷でというのは難しい仕事だと分かっているフレディにとっては、やっぱり『これしきのこと』でしかなくて、どう言えば良いか分からない。そしてそれはラルフだって理解しているはずだった。


 けれどそれを言うと、彼はいつも何か言いたげな顔をするのだ。そしてしばらく迷った後、結局言葉にするのを止めてしまう、というのがいつもの流れだった。


 でも今日は違った。


「…ねえ、やっぱりもう少し安全な仕事に変えられないの?」


「え?」


 言いにくそうに小さく問われたその思いがけない言葉に、フレディは戸惑った。


 自分が世話をする竜の話を、いつも楽しそうに聞いてくれるラルフがそんなことを言うなんて思っていなかったから。


 でもそれはフレディが働くことを否定しているわけではなく、ただ純粋に心配してくれていることが分かるから余計に驚いた。


 すっと包帯の巻かれたフレディの腕を取って、じっと視線をそこへ落とすラルフは、ともすれば彼の方が痛そうな顔をしている。


 そうして一つ大きく息を吐いた後、難しいままの表情を隠すように額をこすった。


「君がその仕事に誇りを持ってることは知っているよ。飛竜も、君といるときが一番大人しいしね。良いコンビだとは思うけど、でも、それでもやっぱり危ないことはしないで欲しいよ」


「ラルフ君…」


「本当はこんなこと、僕に言われたくないのは分かってるけど、でも心配なんだよ。飛竜の扱いに失敗して死んだヤツを何人も見てるから…」


 そうでなくても、どんなに小さくても怪我なんかしないで欲しいと真摯に言われて、思わず顔が熱くなった。


 まさかそんなに本気で心配してくれていると思っていなかったということもあるが、それ以上にまるで懇願するようにぎゅっと握られた手首が熱かった。反射的に視線を落としてラルフの腕を見ると、思っていたよりもずっと逞しい腕をしていて余計にどうして良いか分からなくなった。


 ちょっと試しに腕を引いてみたけれどぴくりとも動かず、それがまるでさっきの彼の本音が反映されているようで、どうしていいか分からなくて硬直する。


「え、っと…」


「――分かった?」


「へ…?」


 思っていた以上に近い場所から声が聞こえてきて、フレディは反射的に顔を上げた。すると案の定すぐそばに顔があって余計に戸惑った。








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