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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その2.悪噂話は一銭の利もなし。
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01







「なんだその格好は」


「…なにって、制服よ。ここに来るときは着て来いって言ったのそっちじゃないですか」


 一番始めに定期報告に来たとき普段の作業用の格好で来たら、今と同じ台詞をこの上司に吐かれたのは忘れもしない二年前。


 フレディが無駄に注目されるようになってしまったのは、その最初の一手も問題だったのかもしれない。でも言わせてもらえば、前任者はすでにおらず重要なことも教えてもらえなかった立場も理解して欲しい。おまけに『じゃあここが仕事場だからよろしく』と、ろくに説明もせずにフレディに任せっきりにしたのはこの上司だ。もっと言わせてもらえば制服なんて貰っていなかった。


 自分が無駄に注目された原因とも言えるこの上司は、何の悪びれることもなく部屋に足を踏み入れた途端、あの時と同じように『なんだその格好は』と眉をしかめたのだ。


 今日はきちんと決められた格好をしてきたのに、なんだその言い方はと眉を寄せて反論すると上司のアリアディスはフレディ以上に顔をしかめ返した。


 ただでさえ先ほどの出来事に疲れていたのにと、なんかすべてが嫌になってきた。


「そうじゃない。…腕をどうした」


 はあ、とため息と共に向けられた面倒くさそうな視線とは裏腹に、フレディの腕に巻かれた包帯を凝視していた。


 もしかして心配してくれているのだろうかと、ちょっと驚いたフレディは目を見張る。


「どこで治療した。まさかその辺の藪医者に診せたんじゃないだろうな。怪我をしたならそう言えと毎回言ってるだろうが。何回同じことを言わせれば理解するんだ、鳥頭か貴様は」


 前言撤回だ。なんて酷い言い方なのだろう。


 あまりにも清々しい悪口にいっそ関心すらする。それと同時に、呆れもわき起こる。


 …いったいどれだけの人間が、彼のこの口の悪さを知っているのだろうかと。


 フレディの直属の上司であるアリアディスは騎竜団の統括だ。侯爵家の家督を最近継いだという彼は、騎竜団のほぼすべてを仕切っていると言って過言ではない。そんな彼は、非の打ち所のない紳士だと、侍女たち――の噂を立ち聞きしたとき――は言っていた。


 聞いた瞬間、真偽を確かめたくなったのは言うまでもない。だってアリアディスは、初からフレディにはこの態度だったから。


 到底信じられなくて、まるで油の足りない人形のようにぎぎ、とぎこちなく彼女たちに首を向けるフレディだったが、例によって例のごとくフレディの視線を受け止めると彼女たちはそそくさと立ち去ってしまった。


 悲しいかな、ここでは誰もフレディと口を聞いてくれないのだ。


 この上司以外は。


 でも、フレディはアリアディスのこの口の悪さが嫌いではなかった。意味の無い噂話は一蹴する彼の目には、男も女も関係なくすべてが平等に移っていることに他ならないからだ。


 仕事が出来るか否か。彼が見ているのはそれだけだ。


 そして騎竜の飼育に関して、この上司はフレディのやり方に一切口を出さない。それは偏に、フレディの仕事ぶりを認めてくれているということだろう。


 それだけで十分だった。変にうわべの言葉を並べ立てられるよりずっと信じられる。


 彼女たち侍女もそうだが、世の女性は紳士か否か、ということに重きを置きすぎなのではないだろうか。


 …どうやらこの数年で、自分はずいぶんとひねくれて育ってしまったらしい。無理矢理手籠めにするような悪辣さがないのならば、そこまでの紳士さは逆に窮屈なのではないだろうかと思ってしまうのだ。


 しかしなにがどうあろうと、この上司は外面だけはすこぶるよかった。フレディだけの時は口の悪さを隠しもしないが、他の人間がいるときは別人かと言うほど丁寧な口調になる。


 よくそんなに使い分けられるものだと感心すると同時に、疲れないのかと心配にもなる。


 …いや、まあ心配は言うほどしていないのだが。


 この前ちょっと気になってどうして自分には丁寧に接してくれないのかと聞いたとき、すっごく嫌そうな顔をして『貴様は頭の中身をどこへ忘れてきたんだ』と言われてしまった。どういう意味なのか問いただしても答えてくれないところを見ると、言いたくないのかもしれない。そこでふと思い至る。


(それって、昔どこかで会ったことがあるという意味に聞こえないでもないけど…)


 フレディには全く覚えがなかった。


 アリアディスは口はとんでもなく悪いが、見た目はとんでもなくすばらしいのだ。


 無骨さのない顔の作りは端整で、すっと通った鼻筋のバランスが絶妙だった。混ざり毛のない深緑色ビリジアンの髪はいつも丁寧に束ねられていて、それは清潔感を行き過ぎて潔癖さえ感じるほどに隙が無い。あえて言うなら前髪が長すぎる気もするが、見えるか見えないかの目と、目が合うとぎゅっとくるのだとどこかの誰かが言っていた気がする。


 こんな美形見たら忘れないと思うのだが、どんなに掘り下げても記憶にない。


 あんまり掘り下げると思い出したくないことにまでたどり着くので、フレディはここで思考を切った。


「私がここでどう言われてるか知ってるでしょう? この仕事をさせてくれる貴方には感謝してるけど、ここに来るのは毎回嫌で仕方ないんですよ。たかが引っ掻き傷程度で、この建物の門をくぐる気になれないの」


「だから、町医者に行ったと? どっちも大して変わらんだろーが」


 まあ、ごもっともだった。


 街でもフレディは有名人で、ひそひそ声はそこかしこから聞こえてくるのだ。


 でもそれは貴族街までの話だった。下町に降りれば、そんなの気にする人はあまりいない。それどころか不憫な噂がついて回るフレディに交友的な人が多かった。


 はじめは同情だったのかもしれないが、今では多くの人がフレディを快く受け入れてくれている。


 それにあそこの医者は藪医者などではない。すばらしい腕を持っている尊敬できる先生だった。ここに来るよりずっと通いやすいし。


 定期的に見せろと言われるレベルの傷だと、分かった上での選択でもあったのだ。


 だいたいそんなことをとやかく言うより、もっと気にするべき事があると思うのだが。


「ていうか、ここは暇な兵士が多すぎるんじゃないですか? 意味の無い噂話を鵜呑みにして突っかかってくるなんて、時間の無駄以前に経費の無駄遣いだわ。人件費の削減を進言します」


 そのフレディの言葉を聞いたアリアディスは、何を思ったのかひょいっと片眉を上げた。


「まさかと思うが、またその目で睨み付けたんじゃないだろうな。頼むからこれ以上頭の痛い思いをさせないでくれないか」


 本日何度目になるか、すでに分からなくなっているため息と共にそんなことを言われた。まるで見てきたかのような発言に内心ぎくりとしたフレディは、あくまでも平静を保とうと必死だった。


「失礼な! 睨んでないです。ちょっとこう、ちらっと見ただけで…」


 その後のいざこざはあえて伏せておくことにする。


「貴様の場合はそれだけで睨んでると受け取られかねん。逆効果でしかないからやめておけと言っただろうが」


「その、逆効果ってのはどういう…?」


「このあいだ、それで何があったか忘れたわけじゃないだろうな」


「あー……」


 恨めしそうに睨まれて、フレディはしらーっと視線を横へ逃がす。


 少し前、同じ言葉に対して同じようにチラッと見ただけで喧嘩を売られたと勘違いした兵士に、空き部屋に引き連れられて暴力を受けかけた。


 殴る蹴るといったたぐいの暴力ではなく、鼻息荒く組み敷いてのしかかられたときは一瞬どうしたらいいか分からなかったものだ。


 しかし未遂に終わったそれを、この上司は言っているのだ。


 後始末をしたのは彼で、迷惑をかけた自覚はあった。しかし。


「そんな酔狂な人、そうそういないわよ。溜まってただけじゃないの?」


 なにかが。


 普通の令嬢とは違い家を出てからは庶民的な生活をしてきたフレディは、男の人にはそういう時もあるのだということをなんとなく理解していた。


 しかし半目で眉間を開くフレディの態度は、本当に正しく事の意味を理解しているのか不明だった。その顔を見て、アリアディスは諦めを含んだ哀れみの目を向ける。


「…お前、かわいそうな奴なんだな」


「どういう意味!?」


「…別に。まあ、もっと鏡見ろってことだ」


(どういうこと?)


 その気持ちが顔に出ていたのか、ため息をついたアリアディスはわかりやすく言い直す。


「自分の容姿を自覚しろってことだ」


 ――ああ、なんだそんなこと。理解したフレディは大きく頷いて腕を組み、首を縦に振る。


「はいはい。どうせ私は三下ですよ。三下で御破算に突っかかられて、プライドが傷ついたってことね。彼もそんな大した見た目じゃなかった気がするけど…まあそれはおいといて、これからはもう少し、周りの意見を上手に取り入れるわ。哀れな道化師ピエロでいるだけで望んだ生活が手に入るなら万々歳だものね」


「そうじゃない…――」


 本気で痛そうに頭を押さえる上司に、フレディは首をひねった。


 だってそういうことだろう。立場も待遇も自分より下に見ていた人間に食ってかかられて、腹が立ったから報復したかったんだろうと思った。それをただの暴力ではなく相手を屈服させるという手段を執ったのは、偏にフレディが女だったからだ。まあ、それにしては切羽詰まった感が鼻息に現れていたように思うが、その辺の理由はフレディの知るところではなかった。


 でもそれだってたまたまそうなっただけだろう。フレディだからどうだったと言う話ではない。


 だからどうしてそんな困った顔をするのだろう、としか思わなかった。


 だって、何が言いたいのか分からなかったんだから仕方ない。


 しかし、はーっと長く深いため息をついてはき出された言葉には納得できなかった。


「全く…。お前はもうちょっと女であると自重しろ」


 呆れとともに吐かれたその言葉に、フレディは目を見張る。


 その台詞は、この人にだけは言われたくなかった。


「何かあってからじゃ遅いんだぞ。それくらいお前も分かってるだろうが」


「っひどいよ! アリアン様も女、女って…貴方にだけはそんな差別みたいなこと言われたくなかったよ!」


「アリアンと言うな!」


 ぷんっと冗談めかして怒ると、フレディの一言に目の前の男は大人げも無く怒鳴った。


 女みたいなこの愛称が嫌いなことを知っていて、フレディは反撃にそれを織り交ぜた。普段は滅多なことで声を荒げないくせに、この一言はてきめんに効くのだ。


 昔名前だけ見て女だと勘違いされて結構な目に遭ったのが理由らしいのだが、案の定嫌そうに閉目して怒鳴られた。でも次の瞬間にはいつものように呆れた顔に戻っているのだから、フレディの気分は害されたままだ。


「何が差別だ。寝言は寝て言え。あのな、お前がどう思ってるかは知らんがな、男所帯の中だということを忘れるな。どこでなにをしようが、お前が女であることは変わらん。それがきちんと理解できんようなら、今すぐおうちに帰っておとなしくしておくんだな」


「くッ…」


 ぐうの音も出なかった。悔しい、悔しすぎる。


 基本的にアリアディスは差別的なことを言わない。それは努力で何とか出来ることも、そうでないことも等しくそうであった。フレディが女だから使えないとか、弱いとかそういうことは一切言わないのだ。


 男も女も関係ないような態度のくせに、馬鹿だ阿呆だと罵るくせにフレディは女だときちんと認める。もう、彼が何に重きを置いているのかさっぱり分からなかった。


 いや、男であろうと女であろうと、物事に向き合う姿勢を見ているのだと本当は分かっているが、普段そんなことを言わないからすっかり失念していた。


 彼は一般的には、レディファーストを貫く紳士であったということを。


 自分がそんな扱いをされたことがない所為もあるが、どうして今になってそんなことを言うのか。


「そんなことを言うくらいなら、ここにも報告に来なくていいように取り計らってくださいよ。毎回毎回、来るたびに変な視線が痛くて困る」


「それはお前がいらない喧嘩を売っているからだろう。他人の所為にするな」


「いいえ、絶対それだけじゃないっ。これだけは言い切れる。アリアン様は見てないからわかんないんですよ! というか喧嘩なんか売ってませんっ」


「だからアリアンと呼ぶなって言ってんだろうがっ」


「そんなこと、今はどうでもいいよっ」


「よくねぇっ。…ったく、お前はただでさえ視線を集めるんだから、ある程度は我慢しろ」


「そんなー…」


 慈悲も何もない物言いにへろへろと項垂れて肩を落とす。


 だれも好きでそうなったわけではないと、声を大にして言いたい。


 しょーんと落ち込んだフレディの頭に、唐突に何かがのしっと乗っかった。


「あ…。君も、嫌な思いをさせたよね。ごめんね」


『きゅー…?』


 元気を出せと言いたげに頭に乗っかる首を撫でて、フレディはさっきの不手際を詫びた。


 あそこまで言わせてしまったのは、自分にも問題があった。もっと楚々と、すぐさま失礼しますと頭を下げて立ち去れば良かったのだ。そうすれば、あんな言葉を投げつけられることもなかっただろう。


 申し訳なくて謝ったフレディに、白い竜はくりっと長い首を傾げて不思議そうな目をした。まるでなんのことだと言わんばかりの態度に、思わず苦笑する。


「そっか。庇ってくれて、ありがとね。痛くなかった?」


 優しい心意気に堪らなくなって、その体をぎゅっと抱きしめる。打たれた羽根の具合を見ようと強弱を付けてそこをにぎにぎすると、途端に嫌そうに身をよじり出した。


『きゅぅぅーっ』


 ばさっと羽を広げてフレディの手を払いのけて暴れる竜に、フレディはショックで眉根を寄せた。


「な、なんでよぅっ」


 さっきの出来事でかばってくれた事もあって、少しは心を許してくれたと思ったのになんでだと、フレディはさっきとは別の意味で肩を落とす。


「…なんだ、それは」


 するとじっと成り行きを見ていたアリアディスが、怪訝な顔で疑問を口にした。その顔を見て、暴れる竜を押さえていたフレディは当初の予定を思い出す。


「そうだった。この子のことを聞こうと思ってきたの。この前森で拾ったんだけど、見たことない種類なの。アリアン様なら何か知らないかと思って」


 怒られても怒鳴られてもアリアンと呼ぶことを止めないフレディに、アリアディスは渋い顔をしたけれど、どんなに言ってもフレディがその呼び方を改善しないことを知っているからか今度は何も言わなかった。


 そんな上司にほくそ笑み、フレディは暴れる白い体を押さえて前に出す。するとアリアディスは一瞬だけ目を見開いた後、なぜかすっとその目を細めた。


 これは何か知っている気配と喜んだフレディは、喜悦と共に答えを待った。


「どうかな?」


「知らん」


「え…」


 間髪入れずに帰ってきた返事に、思わず薄い笑みを浮かべたまま顔が固まった。


 今知ってるみたいな反応でしたよね。見てましたよ。


 一瞬の沈黙をはさみ、フレディは再度挑戦してみる。


「え、でも今…」


「しらない。どこで拾ったそんなもの」


「いや、だから森の中だってば」


「そうか。じゃあ、ちゃんと元の場所に捨ててこい」


「捨ててこいって…」






 

 

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