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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その4.逃げること、逃げ続けること。
17/45

02








 それほどまでに彼女は男が、いや、貴族が嫌いなのだ。彼女のあの反応に、サンディアルトはそう確信していた。


 けれど彼女が疑心暗鬼に陥るのは仕方ないことだと分かっているサンディアルトは、改めてその一端を担ったであろう、あの小蠅のように煩わしい男に苛立ちを募らせた。


 あのイーサンという男は、貴族としての義務も果たさず、貴族男児の準則である騎士団への配属でもまともな仕事もしない。遊びほうけてばかりいたあの男の家は、数年前に爵位を返上していた。


 それはあの男の怠放も、没落の一端を担っていると言えるだろう。


 プライドばかりが高いあの男は事態を真摯に受け止めた親に反発して、他国へ移住することを良しとしなかった。新境地で一からやり直したいと言った親を放り出して、一人国に残り何をしているのかと思ったら、飽きもせずに女漁りとは。


 女を漁れるほどの魅力があの男にあるのか分からないサンディアルトは、イーサンにどこまでも容赦が無かった。


 それは彼女フレディを今もなお傷付けながら、そのことを本人が微塵も顧みないことが一番の理由だった。


 こうなってしまって身を隠すことになった、友人が住む山奥の小屋――家ではなく小屋――で机に頬杖を突くサンディアルトは、組んだ膝の上で二つ連なった鉱石球を弄りながら伏し目がちにため息を吐いた。


「――というか、一体いつになったら俺は元に戻れるのかな? はやくなんとかして欲しいんだけど」


 遠慮の欠片もない態度と言葉に、それでも家主はそんなこと微塵も気にしない様子でひたすら机に齧り付いている。


 本と研究機材が散乱する部屋は、一見して物置だった。人がいるのかいないのか分からないほど物が溢れかえっているここは、彼の自宅兼研究室である。


 比較的物が少ない入り口付近の四角い机に陣取るサンディアルトは、部屋の奥のさらに無法地帯に見える場所へ声をかけた。


「だーかーらー、今必死に作ってんじゃん。もう少し待ってよ」


 埋もれた物のあいだから手だけを出してひらひらと振ってみせる友人に、さらにため息が出た。


 同じセリフを、すでに何回聞いたかもう覚えてもいなかった。 


「そう言ってもう半年は過ぎたよ。まさかとは思うが、適当なこと言ってうやむやにするつもりじゃないだろうな」


 剣呑さを隠しもしないサンディアルトに珍しさを覚えた家主は、今度は手だけではなくその身を覗かせた。


「あれ、めずらしく苛ついてる? 何怒ってんの、なんかあった?」


 銀色の髪に緋色の瞳。彼もまた、この国においては特異な色彩を持っていた。


 辺鄙な山奥に住む風変わりの研究者。彼、サラザールはそこを襲名した二代目だった。


 突然この世を去った師の後を継いだ彼は、風変わりな研究者という外面を持った魔道士だ。


 彼の師も同じように魔道士だったが、この国ではそれを表立って口にはできない。妙な研究をしているという噂が後を絶たないせいか、彼らも滅多なことでは街へ降りてこない日々を送っていた。


 サラザール自身、昔はそれでも街へ足を伸ばしていたが、それこそ師の後を継いで二代目を名乗るようになってからはフレディ以上に引きこもりの生活を送っている。


 人懐っこい雰囲気を持つ彼は年よりもずっと幼く見える顔に、驚きを表しながら無法地帯と化した研究机から這い出てきた。途中、床に積まれた本に当たったのかそれらはバランスを崩してばさばさと数冊散乱した。


 そうして現れた、黒縁の大きな眼鏡に覆われたその目は意外な物を見るような目をしていた。きょとんと首を傾げるその顔に、少しだけ八つ当たりのような感情を滲ませてしまったことに罪悪感を覚えたサンディアルトは、ばつが悪そうな顔で反省し、項をさする。


「…別に」


 けれどサラザールはそんな些細なことを気にする性格ではないことを知っているサンディアルトは、すぐにその顔を引っ込めた。


「それで? いつになったら俺は陽の下をこの足で歩けるようになるのかな?」


「さあ? それは呪いが解けないとなんとも…」


 あっけらかんと言う声にはため息しか出ないのだが、このときはその言葉の意味のほうが引っかかった。


「呪い? サラがかけた術のせいだろう?」


「いやいや、まさか。僕はそんな禁術なんかに手は出さないよ。そんなことしようものなら、師匠に殺されちゃうからね。そうでなくても、生き物を自分の都合で変質させるのなんて異常者のすることじゃん」


 止めてくれと宙を手で払う素振りをするサラザールは、心底嫌そうに眉をひそめていた。


 よかった。その程度の良識は捨てていないようで安心した。


 もっとも、長いつきあいのサンディアルトは彼がちゃんと良心のある人間であることを知っている。だからこそ彼の師は、彼にすべてを託してこの世を去ったのだろう。


 ただ少し、魔術に関することになると夢中になりすぎて、ちょっとだけ人間性が抜け落ちるだけなのだ。…たぶん。


「君に掛かっちゃったのはこれの呪いだよ、ほらこれ」


 そう言って、無法地帯にしては不思議なほど整理されている一つの棚から取り出して見せた物に、今度はサンディアルトが眉をひそめた。


「腕輪…?」


 それは鈍色の、腕輪程度の大きさをした金属の輪っかだった。


 けれどそのくすんだ色を見ているとなんだか気が滅入るというか、胸が重くなるというか、とにかくあまりいい気がしなかった。


 そんな不思議な気持ちで見ていると、その不思議な気持ちになる理由をサラザールは教えてくれた。


「うーん、腕にはめてた物なのか足にはめてた物なのかは知らないけど、古い物だよ。それも中紀戦争時代のだね。師匠の遺品整理してたら出てきたものなんだけど、これに残ってた残留思念が君に移っちゃった結果…だろうってことが分かった。まあ、平たく言えばそういうのを呪いっていうんだけど」


「中紀戦争…竜種を壊滅したあの戦争か」


「そ。もともと変な物集める師匠だったけど、まさかこんな物持ってるなんて思わなかったんだよ。…確かに、間違って君に術を向けちゃったのは僕だけど、でもあれはただの衝撃波ブラストだ。体が変化するような物じゃない。たぶん、その時近くにあったこれが僕の魔力に反応したんだろうけど…」


 さすがに悪いと思ったのか、しゅんと眉尻を下げるサラザールは叱られた子供のように落ち込んだそぶりだったが、その時の興奮を思い出したのかすぐに楽しそうな顔に戻る。


「でも、たとえ呪いだとしてもすごいよねっ。何の障害もなく変化できるなんて、そうとう強い念じゃないと無理だと思う…!」


「うれしそうに言うんじゃないよ」


 先ほどの嫌悪はどこへ行った。嬉しそうに興奮するサラザールの、ふんふんと鼻息荒く力説する様には呆れしかない。


 何の弊害もないと根拠無く言うのは、特に難色を示さないサンディアルトを見たサラザールが勝手に思っているだけで、実際はそんなことはなかった。


 実はとても痛いのだ。


 意味の分からない力で勝手に変化するからか、骨が軋むような感じがするし、どこから来ているのか分からない痛みが全身を走る。


 実際の怪我と違うのは、それが一瞬で消えることだけだ。人にも竜にも変わってしまった後は痛みなど皆無で、痛みを感じたのが嘘のようになんともない。


 だからこそそれは変化に伴う弊害で、身体しんたいの異常じゃないと判断したサンディアルトはそのことを口にしたことは無かった。


 職業上痛みにはある程度慣れているし、来ると分かっていれば身構えることができる。半年以上経験していれば慣れてもくるし、実際――サンディアルトにとっては、だが――呻くほどの痛みではないのだ。


 それらを身の内で昇華してしまう故に周りは気付かないのだが、それでいいと思っているサンディアルトは、だから敢えて口にはしないのだ。したってどうにもならないし、それこそ“それほどでもない”ことだったから。


 しかしああもきらきらした顔で言われると内心複雑だった。


 だいたい変化魔術だって多少の痛みを伴うというのに、呪いだったらそんなことないなんて話、あるわけがない。


 一瞬わざとかと思ったけれど、どうやらそうではないようだ。しかしだからこそたちが悪い。


 今しがた自分の口で呪いだと言ったくせに、何の弊害もないなんてことあるわけがないのだ。


 弊害があるからこそ“呪”と呼ばれ、ほぼ例外なくみんなから忌み嫌われているのだから。


 しかし胡乱な目を向けるサンディアルトの言いたいことを取り違えたサラザールは、目の前の被害者の言いようのない心境なんか理解していなかった。


「自分じゃできないから、嬉しいんじゃないか! こんなこと、一生に一度出会えるかどうかだ。そう思うと、僕はついてるよねっ」


「………そうか。よかったね」


 興奮に頬を上気させて楽しそうに言うサラザールは、心底からこの状況を楽しんでいた。そんな彼は世にも珍しいことが大好きで仕方ないのだ。


 そういえばと思い出すと、竜になったサンディアルトを見た瞬間、その顔は今と同じように輝いていたような気がしないでもない。


 そんな彼の性格を分かっていても、面と向かって言われるとどう言葉に表していいか分からないもやもやが胸に燻った。


「まあ、それはそれとして。解けなくても別の物に思念を移せばいいのかも知れないけど、あいにくとこんなにはっきりした呪い関係の事例は少ないし、僕の専門じゃないからよくわかんないんだよね」


 だから時間が掛かるのは勘弁してくれというサラザールに、サンディアルトは仕方が無いと文句を引っ込めた。


 しかしこれだけは言いたかった。


「人を呪っておいてそんな平気な顔で接することができるなんて、改めて君には感心するよ」


 本当に感心したように呟くと、サラザールはケラケラ笑ってそれを受け流した。


「わざとじゃないし、呪われたのは僕のせいじゃないもん。運が悪かっただけだろ。それに却ってよかったじゃないか、呪いだって分かって。魔術だったらもう二度と元には戻れないよ」


「どういうこと?」


 不穏な物言いに思わず眉間に皺が寄る。


「統合魔術っていうのはそういうものだから」


 よいしょと向かいの椅子に座って膝を立てるサラザールは、両手を顔の前に掲げて見せた。


 その手のひらに浮かんだ色違いの発光を合わせるように手を近づけると、光はたちまち一つになりその二つのどちらとも違う色に変化した。


「基本的に二つの物質を混ぜた場合、混ざり合った二つの物を別々の状態だった昔に戻すことはできない。プリンから卵と牛乳を作れないように、混ざっちゃったらそれまでさ」


 手のひらから放ったその光が、ふよふよと登って星のように分離する様を見ながらサラザールはさも当然のように言った。


「待ってくれ、そんな危険なものだと分かっててその態度なのか?」


 その自分勝手な言い分に、さすがに頭が痛くなってきたサンディアルトは額を押さえる。


 どうしていつもこの男は、他人を巻き込む形で喜びを追求しているのか。


 それなのに相も変わらずへらへらと笑うだけというところが、それ以上の文句を言う気力を奪っていく。


 あげくこんなことを言われては、もう言葉もなかった。


「いいじゃないか別に。実際には混ざったわけじゃなくて、圧が掛かって変化しちゃうだけなんだから。それに、夜は人間に戻れるんだし、大した支障は無いだろう? たとえこの先元に戻れなくても、昼間は竜でもいいって言ってくれる奇特なお嫁さんを見つければいいだけじゃん」


「…だけ、ね」


 人ごとだと思っているのかけろっとそんなことを宣った。挙げ句の果てには、君だったらそんな人いっぱいいるでしょ? と首を傾げられた。


 そんな人がいるのか、いや、いないだろう。


 一瞬、竜にはいつも優しい彼女の顔が浮かんだけれど、自分の夫になる相手がそんな特異体質であることまで許容できるとはとても思えなかった。それとこれは話が別だろう。


 そうなると、その先に望みなんかあるわけがない。彼女以上に潔く、懐の深い女性をサンディアルトは知らなかった。


「………」


 父親はいい加減身を固めて欲しいと自分に思っていることは知っているけれど、母親が今のサンディアルトの立場からそこまで急いたように言わないおかげで、同じ年頃の人間よりサンディアルトはずいぶんと気持ちも身も軽かった。


 いつまでもそれでいいとは思っていないけれど、しばらくはその空気に甘えておこうと考えるサンディアルトは、この事態を言うほど切羽詰まって考えてはいなかったのだ。


 確かに元に戻れないのは困るが、それは今の仕事を人任せにしているが故の焦燥が大半を占めていたからだった。


 結婚云々を全く考えていなかったため、そこをいきなり突きつけられても「まあ、そうだな」くらいの軽い困惑しか抱かなかったというのが本音だったのだ。


 しかしそれは、フレディに接するまでの話だった。


 はじめはただ本当に、彼女の人となりを知りたいだけだった。ただの好奇心だったのだ。


 けれど欲というものは見境がなく、それが満たされたら今度は次のものが欲しくなる。


 その笑顔を自分にだけ向けて欲しくて、他なんか見て欲しくなかった。


 あのラルフという青年に向けていた顔を見て瞬間的にそう思ったサンディアルトは、もうただ単に彼女の傍にいるだけでは満足できなかった。


 あの時あの青年に敵意に満ちた目を向けられたサンディアルトは、内心苦い気持ちでいっぱいだったのだ。


 ずいぶんと勘のいい男だと、あの瞬間を思い出して少しだけ目を細める。


 彼女は気付いていないようだったけれど、あの随分と敵愾心に満ちた目を彼に向けられたサンディアルトには分かってしまった。


 彼が好意を寄せているのは彼女だと。


 やはり彼女は、どこで何をしていても人の目を引きつけるし、好意を向けられる。


 その好意を向ける男が表面しか見られない人間ではないことが、彼女を取り巻く噂から容易に推測できてだからこそ歯痒い気持ちが生まれてしまう。


 彼女の手を取る権利を誰にも渡したくない。…皮肉にもあの目が、サンディアルトにその気持ちを自覚させた。


 そしてそれには、今のままでは困るのだ。


 ここへ来て本当になんとかしなければと決断したサンディアルトは、この状態をあまり本気で厭わなかった理由にようやく気がついた。


 人目を避けるように生活してみて理解した。好奇の目にさらされない日々が、あまりにも穏やかに過ぎ去るその日々が、とても心地いいことに。


 人前に出れば感謝されることが多いのはありがたいと思うし、自分のやってきたことの結果だと思うと誇らしささえあった。


 けれど、滂沱のごとく溢れるそれは時として度を超してしまうことがある。


 自分は我も欲もある人間だ。いつもいつも穏やかに受け答えできるときばかりじゃないし、疲れてしまったときは面倒に思うことだってある。


 けれど貴族としての矜持がそれを良しとしないサンディアルトは、そこを上手く昇華できないでいた。そもそも気がついていなかったのだ。


 時々燻るその感情が、どこから来てどうしてわき起こるのか。


 そういう感情を向けられることが煩わしく思う時があるという、その事実に。


 気づいたときには周りはそんな空気だったし、それが当たり前だと思っていた所為もあるけれど、それに気がついたのは彼女フレディがくれた穏やかな日々のおかげだった。


 自分が本当に欲しかったものに気づかせてくれたのは、他の誰でもないフレディだ。


 たとえ今は困った顔しか見せてくれなくても、それはこれから自分が彼女の信頼を勝ち取ればいいだけの話だ。


 元よりそのつもりだったし、今更『貴族は嫌いだから』とか言われたところで引き下がるつもりなどなかった。


「……」


 ふいに、先ほど彼女が見せた困った顔が脳裏に浮かんだ。


 あれは一筋縄では行かないかもしれないと、容易に想像できる顔であると言えるものだった。


 あまりそんな顔を向けられたことのないサンディアルトはあの一瞬、笑顔の下で思考が停止していた。


 遠慮がちに笑う表情にも困惑が滲んでいて、やはりそう簡単には打ち解けてはくれないかと心の中では密かに嘆息していたのだ。


 洗礼を食らったような気分だったが、だからといって怖じ気づいたりなどするものか。


(やっと見つけたんだ)


 傍にいて欲しいと思う人。自分が一緒にいたいと想う人を。


 いくら邪険に扱われても、挫けない自信があった。たとえその信頼を得るのは容易ではないとしても、惜しまず努力できるほどには彼女を誰にも渡したくないと思っている。


 けれどそうできる土台がなければ話にもならない。


 急く気持ちを抑えるように長いため息を吐いて、一度閉目する。


「…まあいいよ。焦ったってなんとかなるわけじゃないしね。サラだけに任せっきりになるのは申し訳ないとは思ってるけど、真面目に取り組んでくれるんなら大人しく待っておくことにするよ」


 そう言って腰を上げたサンディアルトは黎明の空を、その小さな窓から確認する。


 きっと彼女はまだあの家には帰ってきていないだろうけれど、早くあそこに戻りたかった。こんなに早く夜が明けて欲しいと思ったことはない。


「あー、待って待って! 忘れてた。ちょっと試作で作ったんだけど、よかったらこれ試してみてよ。解決策じゃないけど、いい特効薬にはなるかも」


 そう言って説明と共に出された物に、サンディアルトは思わず顔を顰めてしまった。


「………君は薬剤師にでも転職したの?」


 最初に渡された薬よりも変な色をした物を前に、そう言わざるを得なかった。


 サラザールの言葉を疑っているわけではないが、本当に人体に影響はないのだろうかと疑ってしまった。


 胡乱な目で手の中の薬瓶を見ていたサンディアルトは、あることを思い出してサラザールに忠告した。


「あ、そういえば。気づいてるかもしれないけど、最近変な輩がこの山道を彷徨いてるらしいんだ。ここは平気だと思うけど、気をつけてね」


「変な輩? …ああ、そういえばここって不法入国できちゃう道が近くにあったっけ」


 サラザールは自身の住む山の中が、それなりに奥地で鬱蒼としていることを思い出した。


 山を何個か隔てた向こうはすでに国境線の向こう側だ。この山は数ある中でもほとんど人が近寄らず、管理もされずに長年放置されていた。鬱蒼としていて獣さえ通らない不気味さがもっと奥には広がっているが、何の弊害もなく入国できる道無き道が人知れず存在しているのだ。


 管理もずさんで、いったいいままでどうやって警備していたのか知らないが、師匠が生きていたころ、彼に何個か道の確認と防波堤を作らされた記憶がサラザールにはあった。


「ああ。一応大丈夫だと思うけど、君、熱中すると人が入ってきても気づかないだろう? 危ないから、十分注意するんだよ」


「ご忠告どうも。…まあ、大丈夫だと思うけどね。最近人が通った形跡があったあの道だろう? あそここの前塞いどいたから」


 ひらひらと手を振ってなんでも無いことのように言うサラザールに、サンディアルトは片眉を上げた。


「ほう。どうやったんだい?」


「物理的には無理だから、ちょっとした幻術を仕掛けといたんだ。あれならまず普通の人間ならこっち側には来られないよ。鬱蒼としてるし、不法入国が目的じゃなきゃ、あんな所まず人は寄りつかないだろう? そんなのほっとくと危ないからね。勝手にやっちゃったよ」


「ああ、構わないよ。むしろ手間が省けて助かる」


「まあ、完璧じゃないけど。幻術師には効かないし。たまたま偶然、幻術師が通ったって言うなら運が悪かったというしかないけどさ。…まあ、普通の術士だったらまずこの山は選ばないでしょ。怖すぎるもん」


 僕だってあの辺には近づきたくないんだから、とサラザールは少し青い顔で言っていた。


 そう、サラザールが引きこもっているこの山は不思議な山だった。


 どうしてそうなっているのかいつからなのか誰も知らないが、足を踏み入れられる人とそうでない人がいるらしいのだ。


 サンディアルトは全くそういったものの感性がないので分からないが、そういう人間は山道さえ足を踏み入れたがらない傾向があった。


 最初は彼の師匠がそういう術を施しているのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。もともとそういう類いのなにかがあるらしく、詳しいことは分からないのだと教えてもらったことがあった。


 山が弾くのか人が倦厭するのか知らないが、だからこそ長年手を入れていなくても目立った不審者が出入りしないのだろうが、なぜかここ最近この山に人が足を踏み入れた形跡があるのだ。


 それも入り口にではなく、山奥の不気味な木々の間を中心にそれは広がっていた。


「……」


 正直、サンディアルトがサラザールが仕掛けたという幻術だけでは心許ないと感じるのは仕方が無かった。


 “だからこそ”足を踏み入れた痕跡があるのではないかと思うのは、どうやらサンディアルトだけらしい。


 魔術師の感性なのか自信家なのか、サラザールはあまり深く考えていないようであっけらかんとしていた。


 しかしそんなサンディアルトの心情も、サラザールはお見通しだった。


 つきあいが長いのはサラザールとて同じなのである。


「大丈夫だって。幻術をかけたのは、僕がその足跡を見つけた後。どこから登ってきたのかは知らないけど、ここから下山はできないようにしとくから」


「…そうか。まあ、今の段階ではなんとも言えないし、君に任せるよ。…俺にはそういうの、ほんとよく分からないんだけど」


 首をひねるサンディアルトに、サラザールは呆れたように眉間を開いた。


「……そういう君が特別なんだよ。ちょっと勘がいい奴ならまずここには近寄らないのに、やっぱり『天の使い』様は何か違うのかねぇ」


 にひひ、と含み笑いながらそんなことを言うサラザールに、今度はサンディアルトが呆れた顔をした。


「冗談言ってないで、やることは真面目にやって欲しいな」


「ほいほい。まあ、そろそろ君の姿を拝ませてあげないと、僕が世のお嬢様方に殺されそうだからなぁ」


 まだ死にたくないから頑張るよ、と手を振るサラザールにため息を一つついて、サンディアルトは小屋を出た。







 

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