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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その3.伯爵家とわたし
14/45

05








 にこにこと人の良い笑みを浮かべる男を見上げて、またも間抜け面を晒したフレディの顔には困惑すら浮かんでいた。見たこともない端正な顔に、どう反応していいか分からなかったのだ。


 兄のゲイルも美形だが、それとはまた種類が違う。


 フレディは、アリアディスよりもゲイルの方が体格が良いと思っていたが、目の前の男を見ればどちらも大差ないのだと分かった。目の前の人はそんなの非じゃない美丈夫だったからだ。


 やはりゲイルはあれでいて、男にしては線が細いのだと改めて理解した。


 無遠慮にも凝視してしまっていたフレディは、人好きする笑みを崩さない男を見て思った。


 この人の印象を色で表すならば、真っ白という表現がぴったりだと。


 暗い夜の闇に、そこだけぽっかり穴が開いたみたいに明るくなったように感じた。ともすれば男にだけ光が当たっているようにも思えるそれは完全に目の錯覚なのに、どうしてだか違和感がない。悠然と佇む姿は、優しい表情の中に気位のようなものが見えて、一目で貴族なのだと分かった。


 それもかなり高位だろうことは容易に連想できた。一応これでも伯爵令嬢として生きていた時期もあるフレディは、高位の貴族がもつ雰囲気というものを知っていた。


 ――だいたい、こんな豪勢な場所にシャツとトラウザーズだけで佇んでいて、全然違和感がないのだ。その時点でもう普通の人じゃない感想しかなかった。


 月が照らす夜の世界でもその印象は強烈で気後れしそうなほどなのに、どうしてかフレディの目を捉えて放さない。


「えっと、…本当に大丈夫? それともどこか具合でも悪かったりするのかな…?」


 令嬢としては少し背の高いフレディの頭が胸の位置に値するほどの上背に、鶸色ひわいろの髪が印象的な青年を思わず凝視していたら、その顔の笑みが少し困ったようなものに変わった。


 困惑気味のその言葉にはっと我に返ったフレディは、改めて頭を下げる。


「い、いえ。大丈夫です。あの、本当にありがとうございました」


 思わず頭を下げたのは無意識に無礼だと思ってしまったからであって、イーサンに言われた言葉を昇華しきれず滲んできた表情を隠すためじゃなかった。


 けれど驚きが一波去ると情けなさが舞い戻ってきたフレディは、表情に出るほど落ち込み出してしまっていた。


 日頃から他人ひと前では情けない顔を見せないようにしようと思っているのに、どうしてか今は取り繕う気力が沸かなかった。


 目の前の完璧に等しい容姿をした人に、自分の情けない所を見られてしまったことにも言いようのない恥ずかしさがわき起こる。あのタイミングで出てきたということは、きっともっと前から見られていたことは容易に想像できた。


 頭を下げたままへこみ気味で項垂れていると、その様を見た男は何を思ったのかこうべを垂れるフレディのそれをぽんぽんと優しく撫でた。


「顔を上げて。そんなに畏まられると、どうしていいか困ってしまうよ」


 本当に困ったように苦笑った男は、そんな不思議なことを言った。


 一目で日頃から畏まられるであろう立場の人間だと分かるのに、そんな人のセリフとはとても思えなかった。けれど嘘を言っているようには聞こえなくて、フレディはおずおずと顔を上げる。


 そして目が合うと、今度は哀感と微笑んだ。


「そんな顔しないでほしいな。君は笑っている方が可愛いよ」


「は…?」


 その言葉を聞いた途端、思わず疑問の声が零れた。自分の笑った顔をいつ見たんだと思ったフレディは疑問に眉を寄せる。


 この人と会った記憶なんかないのに、どうしてフレディのことを知っているような言い方なのだろうか。


 だいたい会った鼻先のようなタイミングで、まるで息をするかのようにそんな言葉が出てくることがもう怖い。もちろんお世辞だと分かっているが、なんの衒いもなくするりと口に出せるその感性に呆れてしまった。


 思わず疑いの眼差しになりかけたフレディは、必死でそれを隠す。


「えっと…」


「それに、あんな男の言葉なんか真に受ける必要はないからね。どうせ打ち所がなくなったからって、あわよくば君を手懐けようだとか思ったんだよ。――まったく、小蠅風情が…。煩わしい限りだ」


 ぼそりと小さく呟かれた後半はフレディの耳には届かなかったけれど、急に眉を寄せて難しい顔をした男に自分たちはいつ会いましたかとは聞けず、フレディは開きかけた口を閉じた。


 すこしだけ感じ取れた苛ついたような空気に気後れしてしまったけれど、すぐにそれを引っ込めた男はそこに置いたままの手で、ひたすらフレディの頭――というか髪――を撫でていた。どうしたものかと思っていると、先ほどよりももっと優しげな声で理由を問われた。


「…笑えない理由は、あの男の言葉じゃないね? よかったら聞かせてくれないかな」


「え…」


 その声に本当にただ純粋に心配してくれているのだと分かってしまって、変に邪険に扱えなくて困ってしまう。


 こんな風に他人に接されたことがほとんど無いせいで、フレディはこういう時どうしたら良いか分からなかった。


 大丈夫だと突っぱねることも、何もかもさらけ出して愚痴をこぼすことも、どちらも選べないほどこの時のフレディは落ち込んでいたし困惑していた。


 それでも目の前の人は、そんなこと気にせずに言葉を続ける。


「知らない相手だからこそ、気にしないでいられることってあると思うんだ」


 どうすれば良いのか迷うばかりで碌な反応を示さないフレディにも、男は嫌な顔一つ見せなかった。言うだけですっきりすることもあるよ、と言う男の顔はとても穏やかだった。


 フレディが反応に困っていることさえ見透かしているような雰囲気を感じられて、思わず瞠目する。


 男は先ほどフレディの開きかけた口が示す言葉を、ちゃんと分かっていたのだろう。少しだけ寂しそうな顔で、そう言って微笑んだから。


 まるで自分の言葉に傷ついたみたいなその顔が、不思議だった。その顔に、どうしてか話してみても良いかと思ったフレディは少しだけ俯いて考える。


 そうして、ふっと力を抜くように鼻から息を吐いたフレディは顔を上げて微笑んだ。上手く笑顔を作れたか分からないが、ぎこちなくなっていないといいと思った。


「…気を遣っていただいてありがとうございます。でも、大丈夫です。大したことじゃないですから。それに、イーサン様の言ってることもあながち間違ってないというか、なんというか…」


 少しだけ迷って、フレディは彼の申し出を断った。


 言ってどうなることでもないし、どんな風に言葉にしても相手を悪く言ってしまいそうで嫌だった。良い子ぶるつもりなどではなく、そんなことに口を動かすのも馬鹿らしく思っただけだった。


 それに結局何に落ち込んでいたのか、改めて考えるときちんと言葉に出来る自信がなかった。自分でもよく分からないのだ。


 姉の結婚相手に対してなのか、イーサンに言われた言葉になのか。


 それとも自分の至らなさになのか。


 上手く整理できない気持ちは口に出してみても、きっと取り留めがないものでしかない。それなら別に、嫌な思いをしてまで口にする必要がない気がした。聞く方もいい気はしないだろう。


 そうして冷静になると、自分が抱いていた疑問が解けていくのが分かった。


 動揺していたのか、どうして自分のことを知っているのか不思議だったけど、自分はまあまあ有名だったことを思い出した。特に貴族相手には、知らない人がいないほどなのだ。この人が自分を知っていても何もおかしなことはない。


 知らない相手と言ってくれたその言葉こそが、気を遣ってくれたのだと気がついたフレディは、気を取り直して俯きそうになる顔に笑みを浮かべて見せた。


「でもちょっと残念でした。イーサン様の悔しそうな顔、ぜひ私も見たかったです」


 ふふっといたずらっ子のように笑んで見せたフレディは、下から伺うように見上げた。


「…そっか。君がそう言うなら、それでいいことにするよ。いまはね」


 笑みを浮かべたフレディの顔をじっと見つめた後、一度閉目して男はそう言った。


 相変わらずその顔は少し寂しそうで、それだけが解けない疑問だったけれど、それを問い詰めるのは不躾な気がしたフレディは結局最後までそこには触れなかった。


「でも、これだけは覚えておいて。誰がなんと言おうと、君は誰の代わりでもないし誰も君の代わりはできないよ。どこで何をやっていても、君は君だ」


「…!」


 本当に、一体どこから聞いていたのだろうか。そう言って側頭部を撫でる手は、酷く優しかった。


 思わず目が潤みそうになったフレディに、やっぱり哀愁の笑みを浮かべた男はふと顔を上げると何かに気づいたようにため息を零した。


「やれやれ。せっかく誰にも見つからずに来られたと思ったのに…。ここまで来ると盗聴でもされているんじゃないかと疑いたくなってしまうな」


「…?」


「ごめんね。本当はもう少し一緒にいたかったけれど、時間切れみたいだ」


「え…?」


 なんのことかと首を傾げたフレディの頭をそのままするりと撫で下ろすと、男はふいに身をかがめた。


 まるでそうするのが当然というように流れる髪を一房掴んでそこに口付けると、じゃあねと言ってそのまま踵を返す。その足はイーサンが逃げていった方向へ同じように向かっていた。


 状況が飲み込めなくて唖然としたフレディは、暫くして後ろから複数の足音が聞こえるまでぴくりとも動けなかった。


「――確かにこちらで声がしたと…」


「見間違いではなくて?」


「そんなはずありませんわ! この目で確かに見ましたもの!」


 フレディを追い越したところで止まり、きょろきょろと辺りを見回す人は先ほどフレディに突っかかってきた令嬢たちだった。


 今度は二人だったが、彼女たちが目の前に現れたことではっと我に返ったフレディは、今度は驚きにその令嬢を交互に見やった。


 すると一通り辺りを見回した後、くるりとフレディを振り返った二人の令嬢はあの時の青ざめた戸惑い顔が嘘のように、キッと眉をつり上げて睨んできた。


「あなた! さっきはあんなすっとぼけたこと言っておいて、やっぱり私たちを出し抜こうと考えていたのね!」


 もう騙されないんだから! と先ほど以上に激高した様子でまくし立てる彼女に、フレディは声もなく困惑した。


 何のことか分からなくて首を傾げると、もう一人の令嬢がまたしてもぎろりと睨んで声を荒げた。


「恍けてんじゃないわよ! いまサンディアルト様と一緒にいたじゃない!」


 そしてその言葉を聞いたフレディは、やっぱり理解不能な顔をするしかなかった。


「―――はぁ?」


 想像もしなかった人名にしかめっ面で零したフレディの声は、令嬢にあるまじき大きさでその場に木霊した。







 



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