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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その3.伯爵家とわたし
13/45

04








 …一体いつからそんな風に言われていたのか、本当のところはよく知らない。でも、気がつけば向けられる嘲笑の目と紡がれる言葉はセットだった。


 所詮劣化品。


 フレディを見て、周りの男たちはいつもそう口々に零していたことを、フレディはちゃんと分かっていた。彼らはあんなに堂々と口にしていたくせに、本人が気づいてないとでも思っていたのだろうか。


 …この男もその一人だということを、フレディはある日知ってしまった。


 昔から、姉に比べてずいぶんと残念なものだと、いつも陰で囁かれていたのは分かっていた。悪し様な声ほど、不思議と耳に届いてくるものだ。


 でも、それも仕方がないと思っていた。姉よりも容姿が劣っていることは事実だし、隣に並んで損傷ないなど間違っても思えないほど、自分は何かにつけて姉よりもずっと出来損ないだった。


 だから最初は彼も他と同じで、そうなのだと思って接していた。彼だけじゃない。フレディは声をかけられるたびにそう思って、誰も彼もを信じていなかった。


 そしてフレディの疑い通り、はじめはフレディと好意的に接していた人も姉の興味が自分に向いていると気づくと、手のひらを返したようにフレディには見向きもしなくなる。


 いつもいつもその繰り返しだった。


 そして、社交界は噂の温床だ。良くも悪くもそんな彼らから広がる噂がフレディをいっそう対比の対象にした。姉はあんなにすばらしいのに比べてあの妹の見窄らしいことこの上ないと、いちいち比べられることが増えていった。


 そんなフレディが疑心暗鬼に陥るのに、そんなに時間は掛からなかった。


 別にフレディだって、はじめからそんなに疑り深かったわけじゃない。一度や二度ではへこたれず、多少の警戒心を持ちながらも向けられる好意的な言葉を素直に信じていた。


 今度は違うかも知れない、きっと自分が知らないだけで自分のことを笑わない人だっているはずだと。


 でもどんな人も例に違わなかった、それが事実だった。


 そんな中フレディが出会ったのが、イーサンだった。


 彼は疑り深くなりかけていたフレディが、はじめて信じてもいいかと思った人だった。


 フレディと一緒にいる姉に気をかけるでもなく、いつもフレディに誠実に向き合ってくれていた。そんな彼だから、可愛いねも好きだと言ってくれるその言葉も、信じようと思った。


 多少人の話を聞かなくて自慢話が多かったけれど、それでも彼から紡がれる言葉を信じていた。


 でもそれは、ただ自分が忘れてしまっていただけ。


 疑うことに疲れたフレディの心が、見たいように見ていただけだった。


 やっぱり、皆考えることは同じなのだ。


 ちゃんと分かっていたはずだ。みんな『どうせなら美人の方が良い』のだということくらい。


 その事実を、うっかり忘れてしまった自分が悪いのだ。うっかり忘れて、この人の言葉を信じた自分が馬鹿だった。


 だから彼の、友達との会話をうっかり聞いてしまったとき、傷つきながらもどこかで納得していた。


『――所詮あの妹はフレア嬢の代用品だ。上手くいけばフレア嬢に一番近い場所にいられるだろう? 彼女に近づきたいから声をかけただけに過ぎない妹は、心底つまらない存在だったよ』


 そう言って、この男はフレディを嘲笑した。


 それを聞いたとき、また失敗したのだと悟った。


 確かに自分の気持ちを口にすることに怯えていたフレディは、何を言われても相手にそう受け答えしかしなかった。またあの時みたいに、無意味に他人を追い込む可能性が怖かったから。


 そしてそれが、フレディを「つまらない人間」に仕立てていたということに、この言葉でようやく気がついた。


 でも、恐怖心が先に立ってどうしても自分の思いを口に出来なかったのだ。


 言えるものなら言いたかったに決まっている。


 自慢ばかりで、そのくせ自分では大したことをなにもしていないこの男に、お前の話こそ心底つまらないと。もっと実のある話をして欲しいと。


 言われっぱなしは悔しかったけれど、それを口にする勇気は当時のフレディにはなかった。ただ相手を嘲る覚悟もなく、自分の情けなさにいたたまれなくてただ黙ってフレディは彼の前から姿を消した。


 それ以来さらに家から出なくなったフレディは森にばかり遊びに行って、アイザックが茶会に来たときだって顔すら出さなかった。そんなフレディに、姉は心底呆れていただろう。


 それでも母や姉に連れられて赴いた先で、いっそうの失敗続きで張り付くレッテルが増えていったフレディは、いよいよ耐えられなくなって社交界から逃げ出したのだ。


 誰が悪いわけじゃない。自分が馬鹿だっただけ。彼は他の人より少し、根気強かっただけの話だと。


 そう思おうと頑張ったけれど、人を見る目のない自分に落ち込んだのも事実だった。


 そして彼のおかげで、自分の悪い部分に気がつけたのも事実だ。


 …だから余計に悔しいのだが。


「久しぶりだね。急に会ってくれなくなったと思ったら、家を出たんだって? なにかあったなら話してくれればよかったのに」


 なんの悪びれもなく笑う男の顔に、気味の悪ささえ感じてしまった。


 裏であんなことを言っていたくせに、なんのてらいもなく笑顔でそんなことを言えるのだから呆れを通り越して笑えてくる。


 こんな男の言葉に傷ついたなんて、認めたくなかった。


 でもそれは事実で、今もフレディは人を避けるように閉じこもって仕事をしている。


 どうすればそこから抜け出せるのか、もう自分では分からないのだ。


 ――今となっては、無理に抜け出したいなどと思っていないからさしたる問題はないのだが。


「僕としては君と順調にいっていたと思っていたから、アストメリア伯爵から破談を言われたときの驚きが分かるかい? 理由くらい知りたいと思って君に会わせてくれと言ったけれど、いつも会いたくないの一点張りだった。だから君が好きだった湖にも、君がよく行くと言っていた店にも足を運んでみたけれど、結局会えなかった。――家を出たいなら、相談くらいしてくれればよかったのに」


 別に家を出たかったわけじゃない、と言おうとして不意に思った。もしかしたらそうかもしれないと。


「……」


 この男は本当に癪に障った。何の気なしに言う言葉が、フレディ自身も気づいていない心理を突きつけてくるときがある。


 本当に癪だった。


「まあ、今の仕事に就くと聞かされていたら止めたけれど。さすがに、そんな見窄らしい手をした女性を親には紹介できないからね」


「…っ」


 笑いを含んだ声に、思わず隠すようにぎゅっと手を握った。


 思わず下を向きそうになる顔を気合いだけで持ち上げて、今度こそはせめて一矢報いたいと思ったフレディは、歪みそうになる顔を必死にこらえて微笑んだ。


「――私の好きなものを、覚えていてくださったとは思いませんでした。貴方にとって代替え品との思い出など、取るに足らないものだと認識しておりましたから。取るに足らないものは、そうそうに記憶から零れてしまいますのに」


 声を荒げるでもなくただ静かにそう言ったフレディに、イーサンは驚きに目を見張った。


 まさかそんな反撃が返ってくると思わなかったのだろう。それはそうだ。彼に対して、フレディがこんな風に言い返したことなどただの一度もなかったのだから。


 でも、あの頃とはフレディの考え方は変わっていた。嫌なことは嫌だと言わないと、いつか潰れてしまうと分かったから。


 たとえそれが、令嬢のあり方もしらない出しゃばりの恥知らずだと、また嘲笑を誘うことになっても。


 ――それでも自分はまた、こんな風に取り繕うことしか出来ないのだ。


 悔しさに歪みそうになる口をきゅっと引き結ぶ。壁を作って身を守ることしか出来ない自分が情けなかった。


 傷ついてなんかいない。悔しいだけだ。


 イーサンの言い分が正しいと、認めるのが悔しいだけ。


 鼻の奥が痛いくらい熱くてぎゅっと目に力を入れていても、だんだんと視界が滲んでく。


 だけど絶対に涙なんか見せたくなかった。傷ついたなんて認めたくない。


 早くどっか行ってくれと願うばかりだが、こんな時まで自分勝手な男はフレディの都合なんて構いはしなかった。


 そして厚顔無恥にもほどがある勢いでしらばっくれた。


「…何を言うかと思えば。何か勘違いをしていないか? 僕がいつ、君をそんな風に罵ったと言うんだい? そんな誤解で見限られるとは思わなかったな。とんだ傲慢さを持っていたんだな。知らなかったよ」


「……」


 よく言ったもんだと鼻白んだフレディは、思う。


 今、現在進行形で罵っているのに気づいていないとは。恐れ入る。


「…でも、僕は少しくらいわがままで高慢な方が可愛いと思うがね」


 さっきの驚きはどこへ消えたのか、昔フレディに見せていた余裕に満ちた笑みを浮かべて、イーサンはそんなことを言った。


 一体何を言いたいのか分からないフレディが返事をしかねていると、耳を疑いたくなるようなことをのたまった。


「ここであったのも何かの縁だ。せっかくだから会えなかった時の君のことを、僕に教えてくれないか?」


 言うとイーサンは近づいてきてフレディの手を取った。握った手の甲から下膊にかけてをいやらしい手つきで撫でられて、フレディの眉間に皺が寄る。


 本当に、厚顔無恥とはこういう人のことを言うのかと、頭の冷静な部分が認識した。


「……お断りします」


 彼の手をはずそうと手を引いたら、ぐっと力を込めて引っ張られた。思わぬ反動によろけて一歩踏み出すと、石畳の床をかつんと踵の高い靴が音を立てた。


「どうしてだい? いいじゃないか。君は今忙しくしているんだろう? 息抜きだと思って僕との時間を作ってくれよ」


 息抜きなんかになるものかと呆れたけれど、呆れすぎて口が動かなかった。


 そもそも息抜きなど必要ないのだ。誰にも気を遣わない一人の仕事に、人為的ストレスなど皆無である。フレディにとっては、こうして人前に出ることの方が億劫で仕方ないのに。


 やっぱり、この男はフレディのことなんか見ていないのだと言うことがよく分かった。


 フレディだって悪かったけど、この男だって十分酷い。


 自分を知ってもらおうとしなかったのは確かにフレディの落ち度だけど、知ろうとしてもらえていない場合はどうしたらいいのだろうか。それでも挫けず取り縋れとでも言いたいのか。


「……」


 今だったら分かる。


 この男がいつも大切にしているのは体裁だ。


 求めるのは自分を飾る権威オーソリティ名誉アナー。自分が勝ち組だと、誰ともなく豪語したいだけ。


 女を侍らすのも自己自慢が酷いのも、突き詰めればそこだった。


 確かにそれは誰もが持ってる感情だけど、行きすぎれば醜悪ささえ感じてしまう。


 きっと、今フレディに声をかけたのだってそういうことだ。


「……放して」


 今度は弾く勢いで手を引いた。さっきよりもずっと情けない気持ちが膨らんで、今度こそ本当に涙が出そうになる。


 この男に呆れたんじゃない。結局自分はその程度の人間にしか相手にされないのだと、改めて思い知ったことに対する嗟嘆心だった。


 姉はあんなに幸せそうに笑える相手と出会えたのにと、意味のない嫉妬のような思いがよぎる。


 もういやだった。


 考えないようにしていたのに、本当にこの男は余計な事実をフレディに突きつける。


 今すぐここから逃げ出したいと、俯いたフレディは気づかなかった。


 もう一度手を伸ばしかけたイーサンのその手を、誰がはたき落としたのか。


 そのイーサンが、一体何を見て驚いていたのかを。


「――泣かないで」


 急にふ、と暗くなった視界に戸惑ったフレディは瞬いた。


「…え」


 俯きかけていた視界が、何かに覆われて真っ暗になった。ぱちぱちと瞬くと、何かに睫毛が当たる。


 唐突に視界を覆う暖かい大きなそれが誰かの手のひらだと気づいたのは、後ろから聞こえた声が異様に近かったからだった。


 一体何が起きたのか呆然としていると、フレディの目を覆っているのとは反対の手でぎゅっと強く握ったままだった拳をそっと掴まれた。


 その優しい感触に、必要以上に込められていた力がふっと抜けていった。


「そんな恥知らずな男に、君が心を痛める必要なんかないよ」


「お、おまえは……っ」


 すぐ近くで囁かれる声は低く抑揚の無いものだったけれど、すこしだけ不機嫌そうに聞こえた。


 フレディからは見えないその男の姿を認識したイーサンは、愕然とした様子がありありと想像できる声で戦いた。


「なんで、お前がここにいるんだ!」


 感情のままに叫ぶイーサンに、フレディの後ろの男はさして興味もなさそうに答える。


「いちゃいけないか? 少なくとも、君よりは歓迎されていると自負しているけれど。せめて一言、アストメリア伯爵に祝辞を述べようと思ってきただけだよ。…君こそ、ここにいていい人ではないだろう。招待はされていないはずだ。いったいどこから忍び込んだんだい?」


 静かに諭す声は低くて、とても心地よかった。聞き覚えのない声を不思議な心地で聞いていたフレディは、不用意に触れられたにも関わらず安心感さえ覚えていた。


 大人しくされるがままのフレディに反して、イーサンは我慢ならないと言ったようにわめいていた。


「…っなにを。だいたいお前は――」


 言い詰まったイーサンの言葉など、どう転がってもすっとぼけ以外出てこないと認識しているのだろう。フレディの後ろで、呆れたようなため息が零れる。


「警備も怠慢だな。こんな穀潰しひとり捕まえられないなんて、もっと優秀な人間が必要みたいだね。ところで、君、一人なのかい? 君には奥方がいたと認識していたけれど、今日は一緒じゃないのかな?」


「え…?」


「な、なんの話だ…?」


 明らかに動揺している声でしらばっくれようとしたことで、男の疑問を肯定したようなものだった。


 途端にフレディは顔を顰める。結婚しているくせに、なぜフレディに気がある言い方をしたのだろうか。不誠実にもほどがある。…まあ、誠実でないことなどとっくの昔に知っていたが。


「…君の言うように高慢でかわいらしい奥方がいたと認識していたんだが、俺の思い違いだったかな?」


 首を傾げながら紡いだ言葉に、イーサンはかっとなって叫んだ。


「ふ、ふざけるな! なんだ、いきなり出てきて毎回毎回…、いちいち僕の邪魔をするな!」


 弱いところを突かれたからなのか、その声は焦りに満ちているのが手に取るように分かった。


 そんな激高するイーサンの言葉を、不思議な気持ちでフレディは黙って聞いていた。


 イーサンは確かに昔から人を下に見ていた所があるが、こんなに矜持の欠片もなく声を荒げる人だっただろうか。あまりに意外な展開の数々に、流れかけていた涙なんかとっくに引っ込んだ。


 少し冷静になると、今度はまるで抱きしめられているような今の体制が気になってしょうがなくなる。


 背中に感じる暖かな温度に、頭の上から聞こえる声。それだけで相手との体格差を改めて認識してしまった。抱き込まれるように、その胸にすっぽり収まっている状況を唐突に理解したフレディは恥ずかしくて堪らなくなった。


 見えないながらもきょろきょろと目を左右に揺らしていると、最初よりずっと低い声が頭上で発せられてどきりとした。


 それは明らかに苛立ちが滲んでいる声だったから。


「邪魔? それはいったい、なんの邪魔かな。公然で女性を泣かせる邪魔をされたという意味なら、少々趣味を疑うな」


「…っ、お前のそういう所が、僕は大っ嫌いなんだよ!」


 すっと目を細めて余裕な口調で紡ぐ男に、イーサンは歯がゆい思いがたっぷり詰まった心の内を吐き出した。けれど頭上の声は何ら取り合わない。


「そうか。それは残念だな」


 と、全然残念そうじゃない口調でおどける様に、イーサンはとうとう煮えそうなほど怒りで顔を赤くして捨て台詞を叫んだ。


「くそっ! 覚えていろ! いつか必ずお前にぎゃふんと言わせてやるからな!!」


 それは明らかに負け犬の遠吠えだった。しかもぎゃふんなどとは、犬も鳴かない。


 誤謬力の欠片もない捨て台詞に、フレディは言葉もなくただ呆気にとられていた。


 しんとした静けさが辺りを包む中、動くことを忘れたように二人は微動だにしなかった。それはきっと二人ともがイーサンの捨て台詞に呆れたからだろう。


 ややして背後の男は、耐えられなくなったというようにくすくすと肩を揺らして笑い出した。


「ふふ、ぎゃふんだって。今どき誰もそんな捨て台詞吐かないよねぇ。言って欲しいだけなら、いくらでも言ってあげるんだけど」


 なんのてらいもなくそう笑った男の声は、本当に楽しそうに聞こえた。


 僅かに身じろぎしたフレディの視界は未だに遮られていたが、すぐに手は離れて背中の暖かさも消えた。


 それをほんの少しだけ寂しく感じてしまったフレディは、その感情を不思議に思いつつ振り払った。


「大丈夫?」


「え、あ…はい。えっと…ありがとうございま、す…」


 そうして振り返って見えた顔に、思わず言葉を失った。


 なんだこの美形は。







  

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