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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その3.伯爵家とわたし
12/45

03








 なんと思われていてもいいが、面倒なのは嫌だ。


 顔には出さず心の中で悪態をつくと、一人の令嬢がかっとなったように口を開いた。


「ふ、ふんっ、そんなしおらしいこと言ってたって貴女が腹の中真っ黒なのは知ってるんだから! いいかげんその気味の悪い仮面を剥がしなさいよっ」


(おお、いきなりどうした)


 まさかそんな罵声を、いきなり浴びせられると思っていなかったフレディはぽかんとした。きっと口も開いていた。


 仮面を剥げ、はまあ分かるが。腹の中が真っ黒なのはどこから来たんだろう。というか誰に聞いたんだろう。


 フレディがぽかんと口を開けた間抜け面を晒しているあいだに、その令嬢の言葉を皮切りにはっと我に返ったほかの令嬢たちが、ひとりひとりフレディの疑問を拭っていってくれた。


「そうよ! あなた、夜会や舞踏会に興味ないふりをしてるくせに、こうして大きなものだけには顔を出すんだから。わかってるのよ。どうせサンディアルト様を狙っているのでしょう!?」


「は…?」


 ふざけないで! という彼女の声にかき消えるほど小さく、白んだ顔になったフレディの口から疑問が零れる。


 一体何を言っているんだこの人は。


「その年まで結婚しないのはそういうことじゃない。誰もやりたがらない仕事をやってるのだって、同情を買いたいからだってことくらいみんな知ってるのよ。黙って手を動かすだけでみんなが可哀相って言ってくれるなんて、安いものよね」


「そうしてうまく買った同情で、男を良いように使っているのも分かっているのよ。あなた、その顔で娼婦も顔負けの腕前なんですって? 清楚な振りした阿婆擦れの貴女には夜会ではなく、娼戯館の方がお似合いなのではなくて?」


「………」


 口を挟む余地を与えない彼女たちの猛攻はすごかった。愉快な笑みを浮かべた彼女たちは、きっと唖然としたフレディの顔なんか見ちゃいない。


 フレディの開いた口は塞がることなく、唖然とした顔から徐々に表情だけが抜けていく。


「そうやって誰も彼もを囲い込んでいるくせにまだ飽き足らず、サンディアルト様にまで手を出すなんて…どうせ権力が欲しいだけで、彼のことを愛しているわけではないんでしょう!? こんな女に騙されて…サンディアルト様がかわいそうだわっ」


 ああっ、と嘆く彼女を見ながらとうとう呆れを通り越して無表情になったフレディは、ただただ反応に困っていた。


 ちょっと待って欲しい。


 処理が追いつかなくて頭の中がパンクしそうだ。今一度、頭の中を整理するから少しだけ待って欲しい。


(……えー、と)


 フレディが邪な手を使って天の使いと称されるサンディアルトを手籠めにした、ということで合っているだろうか。


 ――サンディアルトが、ではなく、フレディが? 彼を?


 その様を想像しようとしたけれど、自分のことながら霞ほども想像できなかった。…いや、自分のことだから出来ないのか? どうだろう。


「だいたい貴女、サンドラ様を差し置いて図々しいのよ。もう少し控えめに一歩下がることが出来ないの? はしたないわ」


 むーん、と難しい顔で考え込むフレディをよそに、本人の答えを求めていない令嬢たちは容赦なく、攻撃を繰り出す手を止めない。


 というか。


(当然のように娼婦と口にするのははしたなくないのか…)


 思わず出かかったその言葉を無理矢理飲み込んだフレディは、悟った。


 ――なるほどそうか。やはりあの男か。そう思ったフレディは、夜目にも分かるほど顔を顰めてしまった。


「そらご覧なさいっ。図星なんじゃない!」


 狙いを暴かれて本性を現したと言われて、もうどうしたらいいか分からなかったフレディの、現実逃避を目指した脳はぴんと閃く。


(そうか。知らないあいだに一つ綽名が増えていたってことだな!)


 納得! と思ったフレディは一見冷静に見えて、完全に混乱していた。その綽名の出所も由来もさっぱり分からないのだから納得のしようも無い。


 ただ、分かっているのは一つだけ。


 やはりサンディアルトは、フレディにとって鬼門だということだ。


 そう思い至ったフレディは、すでに顔さえ覚えていない男に心の中だけで悪態をついた。


「――なにか勘違いしていらっしゃるようですが…、今宵ディリア公爵家の方々はお見えになられません。事前にそう仰られて、お祝いの言葉だけいただいていたのですが…。予定が変わられたんでしょうか?」


 ことりと首を傾げて微笑むフレディを見て、彼女たちは何を思ったのだろうか。嫌みが通じない馬鹿な女だと思ってくれたのなら幸いだったのだが、そう上手くはいかなかった。


「何を言っているの? 私たちの話ちゃんと聞いていまして?」


「聞いていました。…けれど――」


 すっと笑顔を消して伏し目がちに瞬いたフレディは、ここではじめて真っ直ぐと射るように彼女たちを見返した。


「――このような祝いの席でさえ人を貶めるしか出来ない方々の言葉に、感じ入るものは何もありませんもの」


「…なっ」


 黙って彼女たちの言い分を聞いていただけだったフレディの反撃に、彼女たちは目に見えてたじろいだ。


 それを見て、フレディは表情無く言葉を続ける。そこには侮蔑も嘲笑も存在しない。


「私は、貴女方に報復をされる覚えはありません。故に、貴女方の言葉は根も葉もないものだと認識することに致しました。どこの誰が吹聴しているか知れないものを信じるほど私は純粋ではありませんし、自分の生き方を恥じてもいません」


 一度言葉を切って閉目したフレディは、嫌みの無い笑みを乗せて続けた。


 その脳裏にあるのは、今を穏やかに生活してくれる竜たちだ。


「…私はただ、私の手で誰かが豊かになってくれるなら、これほど嬉しいことはありません。そうなれるように、日々精進するだけです」


 それに、と、言うかどうか迷いながら、それでも少しだけ報復したいと思ったフレディは、今度は嫌みのある笑みでにやりと口端を持ち上げる。


「――それに、おめでたい席だと言いながら、貴女たちこそ姉を祝う気持ちが欠片もないのですね。私はてっきり、絶対に勝てない最大の敵が消えてここぞとばかりに喜んでいると思っていたのに」


「な、…っ」


「あ、姉…ですって?」


 フレディの言葉に目を見開いて驚いた令嬢を見て、ひょいっと眉を持ち上げる。


 やっぱりそうか。


「あら、知らなかったのですか? それは失礼致しました。私、自己紹介もしていませんでしたね。てっきりご存じかと思って…」


 そんな口調だったし、悪い意味で有名な自分がどこの誰かを知らないなんて思わなかった。


 けれど彼女たちは、フレディを劣化品だと言わなかった。今日罵られるならそこだろうなと思っていたフレディは、彼女たちの言葉のチョイスにすこし違和感を覚えてはいたのだ。思わぬ罵倒に唖然として頭から抜け落ちていたが。


 当然と言えば当然か。彼女たちがせっせと足を運んだであろう時期の夜会にも舞踏家にも、フレディは一度も出席したことがなかった。こういう人間がいる、という話を聞いただけならば、家柄のことは知らなくても変じゃない。


 主にフレディを劣化品だと罵るのは、女ではなく男だから。


 夜会に足を運ぶ男たちが姉を賞賛していたとしても、今いない妹にまで話が発展することはまずない。罵られこそすれ可哀相などという同情など、向けられたことは一度もないのだから。


「わたくし、フレディア・アストメリアと申します。本日は姉のために御足労いただき、感謝致しますわ。どうぞ、心ゆくまで楽しんでいってくださいましね」


 彼女たちの驚愕の顔に溜飲が下がったフレディは、最初と同じように柔和に微笑んで見事な淑女の礼(カーテシー)を取って見せた。


 久しく淑女の礼なんか取っていなかったが、これも偏に小さい頃から伯爵家らしくあれと厳しく躾けられていたおかげだった。


「あ、あなたがアストメリア伯爵の娘…?」


「はい。よく、あまり父には似ていないと言われますが」


「そんな、こと、聞いてませんわよ…!」


「わ、わたくしだって!」


 こそこそと言い合う声を拾って、フレディは疑問した。


 おかしいな。フレディは彼女たちを覚えている。


 今日案内したのだって、フレディだ。フレディが案内した中に彼女たちの顔があったのを自分は覚えている。


 そこで気がついた。


 昔フレディを囲って叩いていた中にいたのは彼女たちじゃないことに。


 似ているけど、違う。その事実に気づいたフレディが、その部分は訂正しなくてはと呼び止めようと声をかける。


「あ、あの…」


「! わ、わたくしたち、用を思い出しましたので、失礼させてもらいますわ」


「え、や、まって――」


 失礼致しますと言って、そそくさと去って行く後ろ姿に、呼び止めようと持ち上げた手が空しさを呼んでいた。


「――悪いことしたかな…」


 勘違いから、必要以上に辛辣な物言いをしてしまったことに少しだけ後悔した。


 彼女たちの青ざめた顔を思い出して、どうしよう、と思ったフレディは少しだけ考える。


「よし、気にしないことにしよう」


 彼女たちも言いたいことを言っていたのだし、おあいこということにしようと勝手に決めた。


 …それにしても腑に落ちない。


 彼女たちはフレディを知っているような口ぶりだったのに、フレディがアストメリア伯爵家の娘だと知らなかった。


 そんなことってあるんだろうか。


 まるでこの顔はこんな性格だから潰してこい、としか言われなかった小間使いみたいだと思った。


 そこまでふとあることに気がつく。


 あの時彼女は言った。「サンドラ様を差し置いて」と。


 もしかして、彼女の差し金だったのだろうか。それならば必要以上の情報が彼女たちの中に無かったのも納得できる。


「うーん…」


 しかし、そこまでするだろうか。


 確かに先日、フレディは彼女の反感を買ってしまったけれど、だからといってわざわざそんな手の込んだことをする理由にはならない気がする。


(そういえば、今日彼女は来たのかしら…)


 出席者に名前はあったけれど、受付には来ていなかったように思う。遅れてくるつもりだったのかなと、振り返って会場を見渡してみても彼女の姿は確認できなかった。


 慌ただしく彼女たちが会場に戻ったせいで、複数の視線がバルコニーに続く扉を見ていた。同じくして会場に視線を向けていたフレディと視線がかみ合った人も、何人かいた。


 ふといつまでも視線を感じる気がして視線を動かすと、その先にいたのはアイザックだった。


 フレディの存在に気づいたらしいアイザックが、こちらに足を向けようとしているように見えたフレディは、思わず動かした流れのまま視線をずらして彼の視線に気づかない振りをした。横にそらすまま視界に入った続階段を降りて、飽くまで自然に歩を進める。


 あんなに興味をそそられた美しい庭も、視界に入らない勢いでずんずん進んだ先にあった四阿で腰を下ろす。


 座って少し経ってから、フレディは自分の行動に心底驚いていた。


 どうして逃げたいと思ったのだろうか。


 気がついたら足が動いていたそれは、冷静に分析すると逃亡以外の何物でもなかった。


 でも、ただ面と向かっておめでとうと口に出来ない気がしたのだ、それは異性として彼を好きだという気持ちがあるからではないと言い切れる。けれど、だったらなんだと言われるとフレディには説明できなかった。


 分からないから先延ばしにしてしまった。それが分かるだけに、情けなさにため息が出た。


「――おや、ずいぶんと重たいため息だな。何か心配事かな?」


 会場から少し離れたここは、しんとしていてとても静かだった。そこに、またしてもフレディにかかけられた声が響く。


 ――まったく、どいつもこいつも面白みがない。同じ科白セリフしか言えないのだろうか。


 そう思いつつ顔を上げたフレディは、驚きと嫌悪が入り交じった顔で目を見張ることになった。思わず立ち上がって、一歩を引いてしまうほど驚いた。


 最近の自分は本当についてない。どうしてこうも連日、会いたくない人間に会ってしまうのか。


 何か憑いているのだと言われても納得できる運の無さに、悲しい息が零れた。


「…イーサン様」


 ――イーサン・グレマー。彼がフレディに、二度目の失敗を突きつけた男だった。








 

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