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騎竜飼育員はじめました。  作者: 亜新ゆらら
その3.伯爵家とわたし
10/45

01









 フレディの朝はとても早い。


 生まれたばかりの稚竜の様子を見ることから始まり、小屋の掃除と水の用意、ご飯は起きてから持ってくるとしても量が半端ないからこの段階で下準備をしておく。


 その後は順番に鱗の手入れと散歩をさせる。稚竜は目を離すとどこへ行くか分からないためつきっきりになるが、それが終われば今度は親竜の世話が待っていた。


 基本的には子供の世話が主体だが、怪我をした成竜もここへ養生のために帰ってくる。飛べない竜たちの割れた鱗の除去もフレディの仕事だった。


 この飼育所はだだっ広い草原のように地面には自然の草が生えているが、見上げると空色に彩られた半円状の大きな建物の中である。実際の天気が透けているように晴れた空に太陽が光っているが、その間を縫うように鉄色の線がどこまでも交差していた。


 建物の中は本当に、建物の中ということを忘れそうなほど自然な場所だ。草原に複数の木々、果てには湖と川まである。それらはすべて自然のもので、ここを作った人の努力とセンスの表れだった。


 ここならば竜が窮屈を強いられることはないだろう。だだっ広く覆われたこの中で、好きなところで個々別々に過ごしているその姿は、とても寛いでいるように見える。それでも隔離が必要な稚竜のような存在だけ、中に数戸ある小屋に集めているのだ。


 フレディがいつも寝泊まりしている部屋――というか家というか――は、この建物の外にあって、一旦用事が終わるとフレディは自分の部屋に戻る。そして食事の時間や散歩が必要なときにここへ来る。毎日はその繰り返しだ。


 建物ということを忘れそうになるほどだだっ広いこの空間は、特殊な外壁材を使用しているらしく、まるで本物の空が透けているように毎日色を変える。晴れた日には青空が、雨の日には暗雲が、そして夜はきれいな星空になる。


 まるで魔法みたいだと、はじめて目にしたときは心が躍ったものだ。自分の知らない未知のものは、目にとめるだけで興味をくすぐった。


 ハクもここを気に入ったのか、気がつけば日当たりのいい場所で寝そべっている姿をよく見るようになった。


 運動不足を気にして丘まで行ったあの日、フレディはその場で彼を放してみた。日が落ちても姿を見せなかったから、おそらくもう帰ってこないだろうと思っていたのだが、翌日フレディが自室のベッドで目を覚ますと、当然のように枕元に寝そべっていた。


 また帰ってきてもいいと思ってくれたんだと思うと、なんとも言えない気持ちになった。フレディが頭を撫でると、次第に気持ちよさそうに目を瞑るようになったことに、少しずつ心を許してくれているのが分かって自然と頬が緩む。


 ハクは竜用に用意されている食事ではなく、人間の食べ物ばかり欲しがる不思議なところがあるが、それを食べても特に体に異変はないようでいつも元気に飛び回っていた。


 そんな彼は今日もフレディと一緒にひなたぼっこをしている。


 いつ見てもだだっ広い空間は果てがなく、どこまでも通じているように見えるここがフレディは好きだった。


 一度気になって端から端まで距離を確認しようとしたとき、端っこまでたどり着くのに五日かかったのは忘れもしない一年と半年前だ。


 軽く遭難しかけたフレディを助けてくれたのは、元々ここにいたララという飛竜だった。彼女はおっとりとした性格なのか、人を乗せているときいつも緩やかに飛んでくれる優しい竜だ。


 そんな彼女も、今はもうここにはいない。


 成竜は基本的に騎士団と仕事をすることが多くて、滅多なことがないとここへは戻ってこない。ここは基本的に、稚竜から幼竜が生活しているのである。


 成竜のほとんどが騎竜団の屯所にある小屋で寝泊まりしていることがほとんどだ。成竜になればむやみに暴れたり癇癪を起こすことは少ないため、騎竜団の団員が世話をしている。


 ララも最近は騎士団を手伝うことが多いらしくこの度の遠征にかり出されていたらしいが、ラルフが帰っているということはララも帰ってきているのではないだろうか。


 ララは妙にラルフに懐いているし、ひっついて帰ってきていても不思議じゃなかった。


(今度会いに行ってみようかな…)


 ふと思い立ったことに、昨日のラルフの言葉がよみがえる。


 ラルフはなんでもないことのように言っていたけれど、外国からの預かり金が消えているとはどういうことなんだろうか。


 この国は小国だけど、独立国だ。なぜ大国の従属ではないかというと、偏に竜種が数多く存在するこの国は、他の国から見れば扱いにくいことこの上ないのだそうだ。竜に関する独自の研究施設は欲しがる国もあるらしいが、まだ過去の戦争の悲惨さを忘れていない人間が国を治めているためか、そこを無理強いすることはなかった。


 海に面しているわけでもなく、掘り返された後の何もない山くらいしかないこの国を、率先して取り込む必要があまりないというのが周りの認識なのかもしれない。先々代の国王様の勝歴もあって、どこぞに取り込まれることなく今日まで来ている。


 しかしそれでも小さい国は小さい国だ。生み出せる資金も研究費用も、湯水のようにわき出ているわけではない。悲しいかな、この国はとても貧乏なのだ。


 だから有事の際の祝い金として受け取った一部などは、保管しておくのがこの国の通例だった。


 自転車操業張りにお金がないため、いざというときに他国へ向ける金品が全くないなんてことになったら大変だからだ。そうでなくてもこの国にはまだ、嫁に行っていない王女が二人いる。いつどうなるか分からない以上、取っておけるものは取っておくのが得策という小国ならではの堅実な考えだった。


 そのお金が、なぜか忽然と消えてしまったという。


 ラルフはその先を濁していたようだったが、彼が調査に戻ってきたということはもしかしたらそれは、騎士団の人間関係しているのだろうか。


 …しかしどちらにしろ、引きこもっている自分が出来ることは少ない。というか、なにも無いといえる。普段助けてくれているラルフの力になれればと思うけれど、変に首を突っ込んでいい事案でもないと思うフレディは、この件は知らないふりをしようかと考えていたとき。


「こんな所にいたのか。探したぞ」


 一通りの仕事を終えて一つの木の上に突っ立ってぼうっと景色を眺めて考えている所に、不意になにをやっているんだと声がかかった。


 振り返り下方をのぞき見ると、そこにはよく見知った顔があった。


「…お兄ちゃん?」


「おう」


 珍しい来客に、フレディはいつものように躊躇うことなく幹を蹴って飛び降りた。


 結構高い位置からだったにもかかわらず、すとっと軽く着地したフレディの姿に、兄のゲイルは呆れたように嘆息した。


「…もうちょっと大人しく降りてこられないのか…」


「え?」


 呆れたように呟かれた言葉の意味が分からなくて、きょとんと笑顔で首をひねるフレディに少しだけ項垂れたゲイルは、そういえばこの妹は昔から木の上が好きな猿だったということを思い出して、自分の言葉を取り消した。


「いや、なんでも…」


「ふーん? ところで、なにか用事? しばらく忙しいって言ってなかったっけ」


 兄のゲイルはフレディより三つ年上で、姉のフレアとは双子だった。故に、姉と同じ顔をしている。


 性別が違うから瓜二つという訳ではないが、それでも身内から見ても美人と言える顔つきをしていた。


 しかしフレディとしては、アリアディスの方が美人度では上だと思っている。アリアディスは明らかに文官で細いイメージなのだが、ゲイルはどちらかというと武術派の美丈夫という雰囲気だった。


 顔のパーツは姉と同じなのに変なの、とこの兄を見るといつも思うフレディは、同姓の姉よりもこの兄といる方が好きだった。


 フレディがこの仕事を始めたばかりの頃、よくついでだと言いながら様子を見に来てくれていたのは兄の優しさだった。こんな町外れに、ついでなんかあるはず無いのに。


 姉よりもずっと人の感情に過敏な兄は、昔からそうだった。引きこもっているフレディを責めるでも慰めるでもなく、ただ黙っていつも一緒にいてくれた。変に気を遣わない、兄の見えにくいその優しさが自分には心地がよかった。


 そうしていつも何気ない風を装って支えてくれた兄がいたから、幾度とない失敗にへこみながらも、それでもこうして外へ出て生活出来ているのだと思う。


 それでも最近は日々忙しいようで、兄の方から足を運んでくるなんてしばらくぶりだった。


 おまけに、しばらく会っていなかった内にまた背が高くなったのではないだろうか。こうして近くにいると、その顔がある位置は若干首が痛くなる角度だった。


 フレディも令嬢にしては背が高い方だが、この兄は止まるところを知らないのか。


 見上げて不思議そうな顔で首をひねるフレディに、ゲイルは大仰なため息をつく。


「はあ…、お前が言ったんだろう? 荷物届けろって」


「え? ――ああ! そうだった。アリアン様にお願いしてたの忘れてた…。いや、でもまさか兄ちゃんが届けてくれるとは思わなくて…」


 数日前、気の滅入る出来事の羅列にとうとう爆発したフレディは、あの広場から足早に去った後その足でアリアディスの元へ行き、広場の荷物を回収して送って欲しいとお願いしたのだ。


 結構強引だったかもしれないが、飽くまでもお願いの域を出ないそれをアリアディスはしぶしぶだったが引き受けてくれた。


 適当に配達屋を見繕うだろうと思っていたのだが、まさか兄を捕まえてくるとは思わなかった。


 というか、知り合いだったのか。


 騎竜団の統括という立場のアリアディスと、一介の騎士団員の兄に一体どんな面識があったのだろう。


「いや、俺もお前に話があったからな。丁度いいと思っただけだ」


「はなし?」


 首をひねったまま、フレディは不意に聞かされた言葉に少しだけ眉を寄せる。


 嫌な予感がした。そして、こういうとき、フレディの予感は外れたことがない。


「父上から伝言だ。明後日、フレアの誕生パーティーがある。今年こそはちゃんと帰ってこい、だと」


「え、嫌よ」


 間髪入れない切り返しに、瞬時にゲイルは目を細めた。それでもフレディの反応は予想通りだったのだろう、特に意に介さず却下する。


「そう言って去年も帰らなかっただろ。近いんだから、わがまま言わずに一度帰ってこい」


「べ、べつにわがままって訳じゃ…。それに、前回だってわざとじゃないしっ」


「知ってるよ。だから俺が文句を言っていた父上を宥めたんだろう? 感謝する気持ちがあるなら、今回は頑張れ」


「うぅ…」


 嫌だ。すごく嫌だった。


 伯爵家の夜会となれば相応の格好で出席しないといけない。おまけに主催者の家の人間となれば、ただいればいいというわけでは無いことくらいフレディも分かっていた。いくら出来損ないな娘だと周りに嘲笑されていたとしても、お家が絡むと避けては通れない。


 二年もドレスなんか着ていないし、そんな場所に足を向けなかった自分がいきなり出て行くなんて、フレディにとっては拷問にも等しかった。


 ただでさえ倦厭していたのに、一体どうしてだ。


 ――しかも明後日だと? なんだってそんなにぎりぎりになって話を持ってくるんだ。


 最近兄が忙しいと言って会いに来なかったのはそのせいか、と納得したフレディは、あえてぎりぎりに話を持ってきたのだということに気がついた。断る余地を与えずに了承させるつもりなのだ。


 しかし前回フレディがすっぽかしたせいで、ゲイルが父に長々と文句を付けられていたのは分かっていた。


 この兄のことだから、のらりくらりと躱してくれていたのだろうが自分のせいでそんな目に遭っていたとなれば、罪悪感を覚えるのは当然だった。そこを詰められてしまえば、フレディに反論の余地はないのである。


「で、でも、そんな急に言われても困る…。着る服なんか持ってないもん」


 自分でも苦しい言い訳だと分かっていたけれど、せめてもの抵抗とぱちぱちと瞬いた目をそらしながら反抗してみた。すると、ゲイルはひょいっと眉を持ち上げてすげない言葉で切ってきた。


「無いわけないだろう。お前よりずっと家のことを知ってる俺に、そんないいわけ通用すると思ったのか?」


「ううぅ…!」


 嫌だ。嫌すぎる。


 そんな感情が顔に出ていたのだろう。たとえ出ていなくてもこの兄は気がついただろうけれど、今回は引いてくれる気は全くないらしい。


「この期に及んでつべこべ言うな。いいから、今回は絶対だ。…特別だからな」


「…? 特別?」


 そう思いながらも、兄のその言い方に疑問を覚えて首をひねる。


「っていうか、お兄ちゃんだって誕生日じゃない」


 なのにどうしてフレアだけのパーティーみたいに言うのだろうか。


 すると、その問いには答えずにゲイルは訳知り顔でにやりと笑った。


「今回はあいつが主役だよ」


 そう言った兄の顔は、いたずら好きの子供みたいな顔だった。







 


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