我が家の客間に来てみれば。
――これは、いったい。
実家の客間。その扉を開けた瞬間、この伯爵家の次女であるフレディことフレディア・アストメリアは瞬きさえ忘れて立ちつくした。
後ろからは早く行かないかとせっつく声が上がっているが、そんなものフレディの耳には届いていない。
頭の中は真っ白で、背中と頬には嫌に冷たく感じる汗が流れる。
そこはいつもの、見慣れた我が家の客間である。自分で言うのもあれだが、我が家の客間はとてもセンスがいい。訪れる誰もがそう賛辞をくれるし、フレディ自身そう思っていた。
白と茶色で統一された空間は控えめな調度品で彩られており、床に敷かれたグラスグリーンの絨毯が落ち着く色を放っていて、フレディは自室よりこの客間が好きでよく入り浸っていた。ここ数年いろいろあって足が遠のいていたが、フレディの心境の変化にこの部屋の良さは無関係である。
しかし今は、一刻も早くここを立ち去りたいという思いが消えない。
控えめすぎず華美すぎない自慢の我が家の客間に、いるはずのない人が、いる。
我が家同然のように寛ぐその人は、お茶を運んでいった使用人に笑顔でありがとうと言う。するとその言葉と笑顔を向けられた使用人は、鼻血でも吹くんじゃないかという勢いで赤面し、ふらぁとそのまま後ろに倒れそうになった。しかしそこは使用人の意地か、即座に体制を立て直し、勢いよく頭を下げると飛び退くように部屋を後にした。…扉の外で倒れていないといいと思う。
それもそのはず、悠々と椅子に座っているその人は誰が見ても美丈夫だと言うであろう見た目だからだ。端整な顔で微笑まれると、フレディでも赤面を免れないほど見目の麗しい人だった。おまけに言うなら、自分よりも高い位を持っている。
優しく知的で剣術の腕も立つその人は公爵家の嫡男で、その有望さと面の良さで右に出るものはいないと国内外で有名だった。主に女性に、だが。
平民にも等しく優しい彼は朗らかに笑う顔が印象的で、巷では彼を天からの使いだと言っているらしいが、フレディは彼のその笑顔には見たままとは違う意味が含まれていることを知っていた。
別に知りたくなかったが、ひょんなことから知ることになってしまったのだ。
「やあ、おはようフレディ。今日も可愛いね」
そうして彼は、悪びれることなく爽やかに笑うのだ。
そりゃそうだ。彼には人を欺いているつもりも騙しているつもりもないのだから。ただ顔の作りと性格がちょっと行き違っているだけであって、詐称ではない。決して。
けれどフレディはどうしていいか分からず、喜ぶことも嘲ることも出来なかった。
冗談なのか本当なのか分からない言葉を平然と口にする彼に、父と母を除いた家族はどう反応を返していいのか困惑している。
それもそのはずだった。相手は品行方正と有名なあの公爵様だ。どうしておまえが、と思う方が普通だろう。今以上に、遊ばれているのではないかという視線が突き刺さったことはない。
フレディ自身そう思っていた。だからこそ、彼の笑顔も、彼の言葉も、素直に受け入れられないのだ。
それでなくてもフレディは人の、男の言葉が信用できなかった。優しい言葉も甘い囁きも、フレディにとってみれば自身に優越感をもたらすためにペットに芸を仕込もうとしていることと同じだったからだ。
これ以上、人の言葉を信用できなくなったらどうしようと思い悩んでいたのに、この人はそんなフレディの気持ちなんかこれっぽっちも相手にしていないのだ。