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風信子

作者: 鈴月詩希


 縁側で穏やかな時間が流れている。

 暖かな陽射しが、微笑む二人を柔らかく包み込んでいた。


 静かな空間にはお茶をすする音と、時折春風の合間に聞こえる笑い声のみが響く。


 今年も、若葉が芽吹き庭の木々はその時を待ち、蕾を膨らませている。


 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからずや。


 縁側で、若き蕾を愛でる老いて尚、その瞳に若さを灯した男性がぽつりと言葉を漏らす。


 歳々年々人同じからず、年々歳々花美しや。


 男性の隣には、穏やかな微笑みを湛えた女性がその細い体を男性に預けて、男性の言葉に穏やかに微笑み、詠う。


 すると、春風が蕾を揺らし、くすぐるような笑い声が二人から聞こえた。


 一歳巡りて、時を刻み。

 時を刻みし、詠の果て。

 詠う果てには、花が咲き。

 ちらぬ花は、なけれども。

 共にいかんや、彼の春へ。


 二人が鈴を転がすように詠えば、空の雲は風に踊る。


 優しい風が吹いた。

 時間の流れが、段々と伸びていく。


 縁側には、二人だけの柔らかな世界があった。

 春には、春風の中詠い。

 夏には、雨を愛で、赫々とした陽射しに愚痴をこぼす。

 秋には、月を眺めて手を握り。

 冬には、凍えるその身を寄せ合う。


 そうやって、長い、永い時をその肌に、視線に、心に刻んでいった。


 想い出を捲るように。

 想い出を巡るように。

 二人は蕾を眺めながら、只々微笑み、語らった。


 決して、穏やかな道では無かった。

 けれど、決して苦難だけでも無かった。

 ここに、その軌跡はきっと残っている。


 春の陽気に、睡魔が二人の肩を抱いた。

 二人は、その手を拒むこと無く、お互いに手を取り、静かに寝息を立てる。


 陽が傾き、春と言えども少し肌寒くなる黄昏。

 縁側を跳ねる、軽い足音に、永遠の時間が、再びその秒針を動かす。


 幼子の手が二人の頬を叩いた。

 小さな手のひら。その温もりは、幼子のそれとすぐ分かるものであった。


 幼子に揺り起こされ、二人があくびと共にその眼を開けば、今しがた二人をその温かな手のひらで起こした幼子の後ろに、苦笑を浮かべる青年と、今しがた眠っていた女性に瓜二つの、少女とも女性ともつかぬ、柔らかな微笑みを湛えた娘が立っていた。


 娘は、幼子をその胸に抱くと、食卓へと二人を誘った。

 時の流れを刻んだ女性は、同じ時を生きた男性の肩に手を置き立ち上がり、食卓へと向かう。

 時の流れを刻んだ男性に、青年が手を差し伸べ立ち上がらせようとするが、男性は青年の手を払うと、鼻で憎らしく嗤い、自らの足で食卓へと向かった。

 残された青年は、後ろでに頭を掻くと、ため息をこぼし、同じく食卓へと向かった。


 食卓には、温かな食事が並べられ、その幸福を、室内に香らせていた。

 男性は、食卓に着くや否や、牡蠣フライを肴に若々しい笑顔で日本酒を猪口へと注ぐ。

 女性は、それを見て微笑みながらそれを窘めた。

 娘はそれをみて微笑み、青年は、やはり微苦笑であった。


 男性は、窘められ弱った顔になりながらも、青年の背を叩き、味方に引き込まんとする。

 すると、次には娘がそれを窘めた。

 男衆は互いに弱り果て、男性がこそりと、耳打ちをした。


 女衆が、食事の後片付けを済ませ、入浴をしている隙を見計らい、男性は青年を縁側へと誘う。

 その手には、徳利と、猪口が。


 青年は、困り果てた顔になりながらも、男性の瞳に静かな、しかし強き意思を感じ、縁側へと出た。


 男性は、無言で猪口を青年に渡すと、その猪口に雫を満たしていく。

 青年は、猪口の中身を干すと、口の端を上げて、不敵に嗤った。


「大丈夫です。これから僕の番ですよ。お義父さん」


「はんっ。わしの半分も生きておらんような若造が抜かしおるわ。その手、決して離すなよ」


 それだけの会話をすると、男性は青年を室内へと帰した。

 男性は、独り縁側にて蕾を愛でつつ、酒をやる。


 背後で、障子の擦れる音と共に、金木犀の香りがふわりと縁側を漂った。


「やっと認めてあげる気になったの?」


「ふんっ。わしは最初から自分に娘ができたら嫁にはやらんと言っておったからな。生半可なことでは曲げるつもりが無かっただけのことだ」


「あらあら、それではもう生半可では無くなったということかしら?」


「む。君は昔から直ぐにそうやって意地悪を言うな」


「無理して老いた言葉遣いなんてしているから、直ぐにばれちゃうんじゃなくて?」


「全く。敵わんなぁ」


「えぇ。まだまだ、手綱捌きには自信がありますから」


 穏やかな時間が、二人の間には流れている。


 月が詠い、星が踊る美しい夜天の下。

 蕾は開き、桜の花弁がその世界を染め上げる。


「僕は、君に出会えて。君と同じ時間を生きることが出来て、幸せだった」


「私は、貴方を愛して。貴方と同じ時を刻むことが出来て、幸せでしたよ」


 老いた体には、春の夜風と言えども、肌寒く。

 二人は身を寄せ合い、床につく。

 月に照らされた寝室で、穏やかに二人は眠りについた。


 幸福な想い出を、二人で捲るように。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] あったかくて美しい、ひだまりのような作品でした。 自分も老後はこのように笑って過ごしたいものです。 また、個人個人に名前がなく、「老人」「青年」と表記されていることで、登場人物たちを読者の…
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