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「お、怒っている理由がわかりませんアリアンナお姉さま」
俺は遥か頭上で震えているアリアンナの頭部に向けて意見した。
それはあまりにも理不尽で、そして理解不能だったからだ。
巣の主たる女王と同等の巨躯、声と知恵、完全に女王と対等の立場になった。
そして俺から与えた魔力は、依然としてアリアンナの中で渦巻いている。もちろん比較するまでもなく、たった一割ほどの魔力でさえ女王の持つ魔力量とは雲泥の差である。
つまり、アリアンナは魔力量の分、女王よりも勝っているのだ。
定着した魔力は時間を経て確実にアリアンナに変化をもたらすだろう。より高度な知恵、より強靭な体。
それはアリアンナ自身も既に気づいているはずだ!
今、この瞬間、自分が女王を超えたということを!
では何故喜ばん。何故俺を否定した!
「アンス、あなたは次の女王なのです。 しかも、お母様よりもっと強く、もっと美しく、もっと偉大な女王になる素質を持っているのです。 今は少しでも魔力を蓄えておかなければならないのですよ」
「いや、あの、このくらいはすぐに回復しますし――」
「そんなことは関係ありません! もしも魔力を使ったせいであなたにもしものことがあったら・・・」
アリアンナが何故震えているのか、理由は解る。
それは悲しい、切ないと感じているからだ。
それは解るのだ。
しかしその感情になった理由は俺には解らん。
俺がどうにかなったとして、何故それで悲しいと思うのだ。何故切ないと思うのだ。
確かに俺とかではなく、本当に生まれたばかりの魔力の使い方も知らん幼虫が、気まぐれで魔力を使ったら、十分に回復できずに成長に支障が出るかもしれん。
使う魔力量の調節を誤り、全部使ってしまえば最悪死に至ることもあると言えば、ある。
だが死んだとしてもまた女王が次の奴を産めば良いだけではないか。
それとも俺ほどの力を持つ女王を失うのがそれほどもったいないのか?
そうだろうとは思うが・・・。。
それにしてはなんだか少し、いや全然違うような――。
どう考えても、俺には理解しがたい。
そしてアリアンナは、悩む俺をそのままに言葉を続ける。
「アンス、よく聞いて下さい。 あなたは次期女王である前に、『私の愛しい妹』なのですよ。 あなたが健やかに育つのが、私の幸せなのです。 だから逆にあなたに万が一のことがあれば、私にとっては身を切られるのも一緒。 どうかこれからは、こんなことをしないでください」
「そう、なのですか。 ごめんなさいアリアンナお姉さま。 でもアンスは、よくわからないのです。 『愛しい』とか、『悲しい』とか」
「そうね。 まだアンスは産まれたばかりだもの、解らなくても仕方ないわ。 でもきっとすぐ解るはずよ。 あなたに妹ができたらね」
今教えろよ!
その愛しい妹ってのが今まさに理解しがたい問題に直面しているから聞いているのだろう!
「今教えてもらうのはダメなのですか?」
「ええダメよ。 だってそれは教えてもらうことではなくて、気付くものだから」
ええい余計に解らん。
じゃあ早く妹でも何でも持ってきてくれ。
「――あと、アンス」
「な、なんですかアリアンナお姉さま」
急にアリアンナはかしこまるように態度を変えた。
口調も先ほどまでとは大きく違う。そして何かを言いたげに俺を呼んだ。
なんだ?まだ何かあるのか?
もうそろそろ面倒だ。
しかし本当に巨大になったものだ。たった一割の魔力でこのレベルの変貌。
俺が成虫になったらどうなるのだろうか。
というか、そういえば俺は雌か。俺が子供を孕み、この莫大な魔力を注ぎ続けるとどうなるのだろうか?
いやそれは面倒だな。確かに俺の強大な力を受け継いだ魔人は生まれるだろうが、どこかのベリスみたいに裏切られても困る。子供は産まない方針でいこう。
あ、面倒で思い出した。
アリアンナは何で俺を呼んだのだ?
「愛していますよ。 私の可愛い妹、アンス」
その言葉のあと、アリアンナから続けられることはなかった。
「・・・あ、え? それだけ、ですか?」
「ええ、それだけです。 ただ言いたかったのです。 『愛している』と。 念話で通じ合っていたとしても、やはり声に出して言うのとは全然違いますね。 相手に想いを声に出して伝えるというのは、こんなにも満たされる気持ちになるのですか。 アンス、プレゼントをくれてありがとう。 私は幸せよ」
なんだやはり喜んでいるのではないか。
ならば素直に感謝をすれば良いものを。俺の怒られ損ではないか。
本当に下等な生物の思考回路というのは理解に苦しむ。
しかしいずれは蟻共もそんな考えを捨てる時がくるだろう。
他者を愛する気持ちだ、他者を心配する気持ちだなんだというのは、弱者ならではの感情だ。自分が弱いからこそ群れるためにその感情を必要とする。
だが俺にはない。それは俺が産まれながらに強者であったからだ。
他者を必要とせず、自分に力さえあればどんなことでも成し遂げることができる。
俺には解る。
いずれ蟻共は自分たちでは考えもつかない強大な力を得ることになる。
その時、蟻共の中で、そんな無駄な感情を持ち合わせている者など一匹もいないだろう。
「アンス、私は少しお母様のところへ行ってくるわね」
「わかりましたわ」
そうしてアリアンナは部屋を後にした。
理由は考えなくとも解る。
女王以上の力を持った蟻が考えることなど一つしかない。
そう、自分が女王になることである。
体躯は同等、力も同等、しかし魔力の絶対的な有利性。戦闘になれば万に一つも敗北することはないだろう。
アリアンナに生殖能力は無い。生涯を女王の手足として生きるただの働き蟻だ。だがそれは今までの話。
この変化である。生殖能力の発現がないとも限らん。
今現在それが無かったとしても、これから変化するやもしれん。
このたびの実験で解ったことは、小さなコップに水を大量に入れれば、器はその水に対応し変化するということ。そして経験から言えば、器は徐々に水に相応しい形になるということだ。
器は、確実にくれてやった莫大な魔力に相応しい姿へ変貌する。
言葉でいくら取り繕っても所詮は蟻。
巣の新たな繁栄を約束する新女王の誕生には、旧女王の死など取るに足らない出来事だ。
ククク、はーはっはっはっは!
と、思っていたが俺の予想は外れた。
直後またアリアンナが戻ってきて、すぐにお母様の元へ連れていかれた。
お母様の元へ着くと、目で見なくとも怒りに満ち溢れているのが手に取るように解った。
そして先ほどアリアンナに言われたようなことを延々と言われることになる。
やれ『アンスはまだ自覚がない』だとか、やれ『私を超える偉大な女王になるのだから』だとか、何度も殺してやろうかとも思ったが、それでは幼虫のままこの巣に一人残ってしまうことになる。というわけでどうにか我慢した。
うっとおしいと思ったのは、言葉を喋れるようになったアリアンナが、お母様の一言一言に『そうですわ』とか、『私も同じ気持ちですわ』と相槌を入れるようになったことである。
そんなつもりで魔力を与えたわけではない。
そしてお母様も『アリアンナもそう思うわよね?』とか、『アリアンナを見本にするのよ』とか助長するようなことを言い始める。
しまいには二人?して俺をそっちのけで、『アリアンナが甘やかせるからいけないのです』、『お母様は黙っていてください』とかなんとか喧嘩をする始末。
しかし本気で言ってるような風ではなく、いつしか見た満足げな雰囲気でそれを終わらせていた。
俺には解らん。