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俺は、しばらくこの『母』との対話に時間を費やした。
自分の現状を理解するためと、現状を受け止めるためにである。
まず本当に俺は蟻になってしまったようだ。ゆっくりと時間を使い体の感覚を理解していったが、どう足掻いても俺は今幼虫の姿をしている。実際に自分の目で他の幼虫を見ているため、体系や大きさはすぐに頭に描くことはできた。芋虫の体に小さな顎をつけた真っ白い物体、それが今の俺だ。
そして何度も『本当にあなたが俺の、いやっ私のお母様なのですか?』と聞いたが、返ってくるのは『そうですよ愛しい我が娘よ』という言葉ばかりなので、この関係も真実らしい。
まあもうその辺は諦めたんだが、一つ諦めきれないのは、俺が雌として生まれ変わったということだ。
『お母様』の話によれば、こいつらはほとんど雌で生まれてくるらしい。雄は繁殖期の少し前に生まれて、交尾だけして死ぬそうだ。だから雄として産まれてくるのは稀なのだと。
よって、この巣――『お母様は家と言ってるが』――に存在する蟻共は全員雌であり、俺の『お姉さま』たちらしい。
それで、生まれた雌たちの中で、素質のあるものは次期女王として上質な餌を運んでもらい、この巨大な『お母様』みたいになるようだ。つまるところ先ほど俺がお母様の前に連れて来られたり、魔力の解放をやって見せたのは、次期女王の選定ということになる。
幾千という魔物の王であったこの俺様が、蟻の巣の女王の素質を問われるのは癪だがな・・・。
次に言葉がどうとか魔力がどうとかという話だが、魔物には大きく分けて二種類の発生の仕方が存在する。
一つは単純に魔物が子供を産んだ時だ。魔人が子供を産めば魔人が産まれるし、ドラゴンが子供を産めばドラゴンが産まれる。強大な力を持つ魔物が子供を産めば、同じく強力な力を持つ魔物が産まれる。簡単な話だな。
そしてもう一つは、魔力に当てられた時だ。俺も詳しくは知らんが、魔力はただのエネルギーではない。強力な魔力を持つ魔物の近くに居ると、たとえそれが人間であったとしても魔物へと変貌したりする。側近のベリスがそれだ。奴はもともと人間であった。しかし俺が拾い近くに置いていたことで、俺の膨大な魔力に当てられ魔人へと変貌した。近くに居るだけで魔人になるのだ。俺様の魔力がいかに凄いか解るだろう。
土地によっては魔力が溜まりやすい土地もある。そこに自生する植物が魔物へ変わるのも有名だな。
お母様のお母様、じゃあ俺のお婆様?――笑えるな・・・――は、一切の魔力を持たないただの蟻だったらしい。しかしお母様がお婆様の腹の中に居る時か、それか卵の中に居る時に、多分魔力に当てられお母様は蟻の魔物になったのだ。
だからお母様は魔力に当てられ魔物になった後者で、お姉さま方は魔物が魔物を産んだ前者となるわけだ。
魔物は簡単に言えば知恵と力を持った生物のことである。蟻と蟻の魔物ではお母様を見て解る通り元は同じでも既に別の生き物だ。
ある程度の力を持つ魔物は人語を解すことが出来る。しかしお姉さま方は喋ることはできないようだ。多分、お母様がお婆様に捨てられたことと関係があるのだろう。元々蟻でも魔物に変貌できるほどの魔力を持つ土地から追いやられ、たった一人?でこの巣を造り守っていたわけだ。自分の魔力もろくに回復できずに子を産んで育てあげていたのだとしたら・・・。なるほどな。
そこで頭がいい分、自分を母と呼ばれることに飢えていたようだ。
そしてもう一つ重要なことが残っている。
それは側近衆総統、ベリスの裏切り行為についてである。
捕虜にされただ育てた恩だと考えていたが、あの時ベリスは明確な殺意の上、俺を殺しやがったのだ。
これは許されざる行為だ。
俺は生まれ変わったことを幸運に思っている。例えそれが蟻だったとしても、報復の機会を与えられたことに変わりはない。
あの時完全に死んで、魂ごと消滅していたならば、ベリスに裏切られたことさえも解らず消えてしまっていただろう。
俺は決意した。
俺は女王として蟻共を支配することができる。
ドラゴンの軍勢にも勝る巨大蟻の兵団。いいじゃないか。
俺はこいつらを使い、俺を殺したといい気になってやがる側近衆に報いを受けさせる。
くくく、はははは!待っていろベリスめ!
貴様の首はこの顎で――まだ小さいけど――刈り取ってやる!
「娘よどうしたのです? そんなに嬉しそうな顔をして」
俺の下品な笑みが気になったのか、お母様が心配そうに問いかけてきた。
というか幼虫の笑みってどういうものなのだろう。
俺自身そんなに表情が変わっているとは思わんが、蟻共同士にしかわからん表情の違いとかあるのだろうか。いやその前に一人一人?顔って違うのだろうか。みんな一緒に見えるのだが。
「いや何も、ときにお母様。 俺は」
「自分のことは私と言いなさい!」
うおっ。そんなドラゴンの牙よりも鋭い顎で凄むな。怖いから。
「あ、す、すいません。 私は女王よりももっと目指したいものがあります」
「なんですって? 一族を纏め、守り、繁栄させる女王よりもですか? 言ってみなさい」
「――魔王にございます」
「なっ・・・」
「それも大陸の覇権を手中に収める大魔王。 私とお姉さまたち、そしてこれから生まれる妹たちならば、必ずや他の魔王共を討ち滅ぼし、大魔王へとなることができます」
「そんな・・・魔王ですって」
驚いているな。
確かに自分の娘が突拍子もなく魔王になりたいですと言えば、どんな親でも困惑するはずだ。
しかも俺が死んでからどのくらいの時間が経過したかは知らんが、俺が死んだことにより魔王同士の小競り合いは激化しているはずだ。
もしかしたら勢力図はかなり変わってしまっているやもしれん。
しかし蟻共を使えばできるはずだ。
そのためには娘でも女王でもなってやる。
心配はいらんぞ。さあお母様、魔王を目指す娘に激励の言葉でもなんでもくれやがれ。
「娘よ・・・。 魔王とはなんです?」
――なんだと?
「え、あの知りませんか? 魔王」
「聞いたことがありません。 そんなことよりあなたに名前をつけてあげないと。 次代の女王になる可愛い娘の名前だから、可憐で風格のある名前をちゃんと考えてあげないと」
「お、お母様、アングルクス=ドラドとか聞いたことありませんか? 強大な力で魔王になった最強の魔王・・・」
「アングルクス・・・? あんくす・・・、ああアンスなど良いわ! 私の名前、アリスと似ていてまさに私の次の女王に相応しい可愛い名前! あなたはアンス! あなたの名前はアンスよ!」
お母様の名前はアリスというのか、アリだけに。
ではなく!
誤算だった。大陸全土に響き渡っていると思っていたのに、俺の名前を知らないだと?
確かにお母様は生まれてから苦労しているみたいだし、情報を得る暇が無かったということもある。
それにもしかしたら、ドラゴンのように強い生物と同じく外界と関係を遮断している場合もあるからな。
まあ魔王の一人にドラゴンはいるが。
そしてアンスはもともとおれの愛称だ。なに自分が考えた気になってやがる。ちゃんと考えるとか言って語呂で閃いてるし。
まあいい。とにかく、当面の目標は決まった。一つは情報収集だ。俺が死んでどのくらい時間が経過したか、ここはどこなのかなどベリス共に復讐するに当たり、知らなければならないことが山ほどある。
魔王共の小競り合いの変化や、俺の配下共の現状も気になる。俺が死んだことにより、他の魔王共の襲撃を受け壊滅。それでは復讐を果たせないしな。
まあベリスがそうやすやすと討たれるタマではないことは俺がよく知っているが、それでももしもということもある。
もう一つは、女王となってこいつらを支配すること。俺の復讐のためには、現状こいつらの力が必要不可欠になるだろう。今は餌さえも誰かに持ってきてもらわねばならないし、こいつらは兵隊としても優秀そうだ。
そのためには上質な餌を喰い続けるしかないらしい。それができないと、生殖能力が得られず、お姉さま方と同じようなただの蟻の魔物になってしまうようだ。生殖能力に興味はないが、お母様のあのデカさは興味がある。もともとの魔力も相まって、元の魔人の時よりも強くなっていまうかもな。ハハハハ!
さて、とりあえず部屋に戻してもらおう。
赤ん坊の仕事は喰って寝ることだとベリスに昔聞いたことがあるからな。
「お母様。 アンスはそろそろお腹がすいてきました」
「そうねアンス。 これ、アンスを部屋に連れていってあげなさい。 そして外の者にこれからはもっとご飯を取ってくるように伝えるのです」
お母様の言葉を聞いて、多分これまで俺を運んでいた奴と同じ蟻が俺を持ち上げた。