3
肉団子を無心に頬張っていたら、また音がした。
さきほどと同じ気配を感じ、視線をやるとやはりあの巨大な蟻がそこには居た。
さっきの奴が戻ってきたのか?しかしなぜ?逃走したわけではなかったのか?
蟻は群れと社会性を持つ生物だ。俺の強大な魔力を感じ、一体では対処しきれないと踏み仲間を呼んだのか?だが、それは違うらしい。目の前の一体以外他の蟻の姿は見えない。
確か蟻は一体のボスが存在すると聞く。幼虫の餌には上等過ぎる俺を、そのボスに献上しようというのか。
様々な可能性を考えるが、所詮は下等な虫の魔物の行動。魔王である俺がこいつらの考えなど解るわけはない。
まあ良い。見ている限りすぐさま俺を殺す気ではないようだ。
俺は引き続き肉団子の処理を開始する。もぐもぐ。
失われていた魔力は戻りつつある。何かしようとしてくれば、反撃など容易い。ならばこんな蟻の行動など捨て置いても造作もないだろう。
もぐもぐ。しかし喰いづらいな。
カプッ。
「ぬおおおおおお!」
またである。
俺が蟻を気にも止めず肉団子を頬張っていたら、また一瞬で捕まえられた。
また移動させられるのか!?俺が手を出さんのをいいことに、好き勝手やってくれおって。
この肉団子を喰い終わったあかつきには、その報いを受けてもらぞ下等生物め。
思っていた通り俺は移動させられるらしい。
先ほどは突然だったため辺りを見回すということはできなかったが、少し落ち着き身を任せてみると十分に回りを観察することができた。
ここはやはり、蟻の巣であった。
移動させられる途中、大小様々な部屋を通った。俺が最初意識を取り戻した時と同じような卵が大量に積んである部屋。のちに連れて来られた幼虫ばかりの部屋。そして巨大な蟻がたむろしている部屋に、餌だろう他の生物の死骸のようなものが山積みになった部屋があった。
蟻自体巨大ということもあり、捕食対象もかなり強力な生物だということが餌場を通りすぎて判明した。
見たこともないような大きさの哺乳類の頭部、強靭な爬虫類の尾。数メートルはあるだろう虫の羽。俺はいったいあの中から何を食べさせられたのだろうか。
しかし何にしてもあれほど巨大な生物の肉である。俺自身見たことも聞いたこともない。これを食すにあたりまた更に魔力を底上げすることができそうだと俺は確信する。
だが餌である俺にこんな上質な肉団子を食べさせて本当にどうするつもりなのだろうか。
少し気にはなっていた。先ほどもそうだが俺を持ち運ぶ蟻は、その鋭い刃のような顎を巧みな力加減でフォールドしている。
大木さえも斬り倒しそうな鋭利な顎。力加減を間違えれば俺の肉体でも容易く傷つけられそうだ。
その顎で、いやその顎だけで、なんというのだろうか、
――赤子を優しく抱きかかえるように。
そう、人間が赤子を持つように優しく、それでいてしっかりと運んでいるのだ。
どういうことだ?
ここで俺の脳内に一つの可能性が浮上する。
――もしや俺は捕虜となった?
考えてもみれば俺は魔王だ。おいそれと簡単に殺して良い存在ではない。
そして味こそしないが上質な餌と、この敬意を持った運び方。
そうだ。そうに違いない。これは捕虜になっている。
ベリスも動きだけ封じて、やはり世話してやった恩は感じていたのだろう。この蟻どもに俺の世話を命じたのだ。
しかしそれでも腑に落ちない。
このまま行けば他の魔王共を滅ぼし、大陸の統一という偉業を成し遂げたはずだ。なぜそこで俺を拘束する意味があるのだろうか。
俺は大魔王となり大陸を手に入れ、側近衆には各地の統治を。側近衆総統ベリスには相応の地位を与えるはずだったのだが・・・。
まさか――。
――自ら大魔王となるため!?
なんということだ。確かにベリスは他の魔王共にも匹敵するほどの魔力と戦闘能力を有している。俺様さえいなければ奴が魔王として覇権争いに参入することは十分にできる。
しかし奴は素質こそ自前なれど、魔力も戦闘能力も俺の存在あってのものだ。
拾ってやった幼いころから、膨大な魔力を持つ俺様の近くに居たベリスは、俺様の魔力に当てられ強力な魔人へと変貌した。
ベリスめ、昔『ずっとお傍にいてもよろしいでしょうか』と俺様に忠義を誓ったくせに、そんなデカイことを考えておったのか。
ぐぬぬ。まさに恩を仇で返しおったわ。
腹が立った俺は怒りに身を任せ肉団子を完食した。もぐもぐ。
しかし捕虜になったというのは確定だが、色々と問題点は残る。
何故俺を生かしているのか?
自らが大魔王となるためのベリスの謀反だとしても、生かしておくよりその場で殺してしまえばあとになって問題になることはないだろうに。俺がこの巣から脱出して復讐されるとか考えていないのだろうか。
あとは何故あんな卵と幼虫だらけの部屋に拘束されていたのか。
──他に部屋がなかったから一時的に?
そんなはずはないだろう。蟻は地下にトンネルを掘り進み、無数の部屋を作って生活すると聞く。そしてげんに様々な部屋を見てきた。
わからん。
いったいこいつらは俺をどうしようとしているのだろうか。
ガササ。
――む?
考えが行き詰まり、頭を悩ませていると、俺を運ぶ蟻の脚が止まった。
どこかに着いたのだろうか?
俺は蟻にがっちりフォールドされている状態でうねうねし、周囲の情報を得ようと視線を動かした。
薄暗いが何匹か蟻が見えるのが解る。そしてかなり巨大な空間に連れてこられたようだ。卵や幼虫が居たところとは違い、天井がかなり高いことが解った。
そしてそこに着くと、蟻は俺をゆっくりと地面へとおろした。
なんだなんだ。何をするつもりだ。
「その子が、そうなのですね」
俺が地面におろされると、意識を取り戻して初となる「声」が聞こえた。
その声はとても心地の良い、女性の声であった。
こんな洞窟の中で女の声?と俺は頭を悩ませる。蟻共はまだまだその辺を動いているため、ここは依然洞窟の中だ。
蟻達は喋れるはずもない。では誰だ?ベリスにしては綺麗すぎる声だ。
俺は声のする方向を一瞥する。
――居ない。蟻共がわらわらとしているだけだ。
確かに前方からその声は聞こえた。
もっとよく目を凝らす。蟻共がいて、少しばかりの岩が転がり、丸い巨大な黒い物体が――なんだあれは?
前方には何か巨大な黒い楕円形の物体が存在していた。
その大きさは今までに見てきた蟻や卵や幼虫など比にならないほど大きかった。
10メートル、そうそれくらいある。
縦に長いその丸い物体を目で追いかけるため、体を上へと反らしていく。
なんとその丸い物体は、また別の丸い物体と繋がっていた。
黒い巨大な卵と卵が引っ付いたような造形。
二つ目の丸い物体からは大木のような黒い棒状のものが三対伸びていた。
なんなのだこれは。偶像崇拝のための巨大なモニュメントなのか。
そしてまだその物体には続きがあり、まだ俺は体を反らしていかないと全容は見えそうにない。
更に俺は体を反らしていった。
そこにはまた黒い丸い物体が引っ付いていた。
既に25メートルはゆうに超える巨大なもの。
そして俺は、頂上の黒い物体に、見覚えのあるものを見つけるのである。
しかしそれは、俺の見たものとは大きさが桁違いなものだった。
俺が見たことがあるものを例えるなら、仰々しい大剣である。反った刀身にノコギリのような刃が幾つもついたような大剣。
だがこの目の前――と言ってもはるか上方だが――にあるのはなんだ。
例えるなら、竜の首でも刈り取る御伽の巨剣か、それに等しい漆黒の二振りの刃。
ああそうだ。俺が見たことがあると言ったのは蟻の顎だ。そもそもここで意識を取り戻してから見たものだが。
それでも馬鹿みたいにデカイ蟻の顎。大剣に例えるくらいが丁度いい。
それで、俺のこの目の前にあるのも顎だ。蟻の顎だ。
そこには家でも容易く粉砕できるような、巨大な蟻の顎があった。
つまりは俺が見た黒く丸い巨大な物体は、『こいつ』の腹、胴、頭。
俺の目の前には、30メートルをゆうに超える巨大な蟻が居たのである。