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俺の言葉に反応するように、ガサガサ、ガサガサとその方向から音が聞こえた。
――居る。
気配を感じていた。魔力の流れはほとんど感じられないが、そこには確実に生物が存在する。
俺の状態を確認するために訪れたベリスか?いやそれは無い。ここまで意識を集中した状態ならば、隠していたとしてもベリスの魔力は嫌でも解る。俺様ほどの力こそないが、ほかの魔王共に匹敵するだろう魔力。解らないわけはない。
同じ理由で他の側近共もありえない。
では一体・・・。
現状、一番可能性として考えられるのは、幼虫の親だ。
先ほど俺が放った回復魔法。他の魔物や人間共が放つ魔法とは練りこむ魔力量の桁が違う。どんなに魔力に疎い生物でさえも、その魔力の流れは気づかずを得ない。
だとしたら相当まずい。
餌の俺が目を覚ましたと思ってトドメを刺しに親がやってきたと考えることができる。身動きもとれない体で、いきなり襲われでもしたら・・・。
――まずい。
魔力の残量は!?
クソ、さっき馬鹿みたいに練りこんだ回復魔法二発でほとんど使っちまったか!
わけもわからん状態異常に、とりあえず全力で回復魔法撃てばなんでも治るだろうと思ったが、しくじった!
一応小規模な魔法なら撃てるくらいは残っている。俺の魔力量ならそれでも必殺の一撃に変わりはない。しかし、もし相手に魔法への耐性があったら?
──いや、それはないはず。
高位アンデット種ならまだしも虫どもにそんな耐性の持つ種は存在しない。
ではもし親が一匹ではなかったら?
──それはありえる。
相手は下等な虫だ。種としての弱さを繁殖力と数で補っている。そいつを殺したとしてそれで終わりという保証は無い。もし社会性を持つ虫だとしたら、何十匹も出てくる可能性がある。
しくじった。
しかしだ、ここで殺されるわけにはいかん。
俺は残りの魔力量を調節し、爆炎の魔法を準備する。
威力を考えれば二発は撃てる。一撃で殺し、二発目はもう残りの魔力全部注ぎ込んでここ一帯を焦土と化してやる。
ほんとうに回復魔法ごときになんであんなに魔力を使い込んだのだ俺は。
「さあ姿を現せ。 消し炭にしてくれるわ!」
俺の声に導かれるように、気配は少しずつ全容を露わにしていった。
細く長い三対の手足、洞窟の闇に紛れる黒い体、頭部には長い触覚と、口には巨大な顎がついていた。
見たことがある。俺はこいつを見たことがあるぞ。
地面に細長い行列を作りだし、常に何か餌をせっせと運ぶ小さい虫。
そう、こいつは、蟻だ!
俺の目の前で大きな顎をカチカチと鳴らすこいつは、見たこともないような巨大な蟻だった。
しかしこいつが親だというのであれば、横に散らばった巨大な卵と幼虫のサイズも頷ける。
こんな巨大な蟻が存在していたのか!
他の魔王共との戦争の最中、様々な虫型の魔物は眼にしてきたが、こんなにも大きな蟻の魔物は見たことがない。4メートル、いや6メートル以上はある。その顎はまるで儀礼用の大剣のように巨大で仰々しいではないか。
虫型の魔物は魔力こそあまりないが、体力は無尽蔵、馬力・俊敏性・戦闘能力はどんな魔物よりも秀でている。生産性も高く兵力として極めて質が高い。
おなじサイズならドラゴンよりも強力と呼ばれる虫型の魔物。その最強種にも等しいだろう生物が目の前に・・・!
こいつは魔王共全員が喉から手が出るほど欲しい逸材だ。
カプッ。
「て、わあああ!」
一瞬、まさに一瞬の出来事であった。
俺がその巨大な蟻に見とれている一瞬の間に、蟻は俺にその鋭利な顎で噛み付き持ち上げたのであった。
さすがは虫型の魔物である。俺に反撃の余地すら与えずに拘束したのだ。
いや感心している場合ではない。
ええい放せ!
俺は全身全霊でもぞもぞする。
体が動かしづらく、うねうねと体をくねらせることしかできないが、全力で抵抗した。
しかしその顎が俺を放すことはなかった。
ほどよい力加減で俺を傷つけないようにソフトに、しかしそれでいてしっかりと顎でフォールドしている。
どこかに連れて行かれる!?
すぐにわかった。
蟻は俺を持ち上げると、暗い洞窟の中を迷うことなく進んでいった。
「ええい放せええええ!」
どんどん連れていかれる。
「ええい放せええええ!」
ちょっと道を曲がったりした。
「ええい放せええええ!」
他にも巨大な蟻がいた。
「ええい放せええええ!」
幼虫がいっぱい居る部屋に連れてこられた。
「ええい放せえええむぐもぐもぐもぐ」
なんか肉団子みたいなのを食べさせられた。
――え?
気付くと俺は幼虫だらけの部屋に連れて来られて、無理やり巨大な肉団子を口に放り込まれていた。もぐもぐもぐ。
どういうことだ?
俺を殺さないのか?てっきりトドメを刺されてしまうことかと思ったがそうではないようだ。
まさか更に太らせるつもりなのか?
自分ではまだ自身の体の全容を知ることは叶わないが、相当太っているはずだぞ。
やはり先ほどの魔法の発動が関係しているのか。魔力の減った状態ではなく、魔力をじゅうぶんに溜めた状態で餌にしようとしているのか。そのために更に俺に食い物を運び――。
クソ。しかし餌を運んでくれるのはありがたい。自前の魔力の回復量と食事で、すぐに全快になってやろう。
そして俺に餌を与えたことを後悔するがいい。莫大な魔力量を練り込んで大規模な爆炎魔法を洞窟内で弾けさせてやる。多分周囲一帯の地形が変わるだろうが、そんなことは知らん。
俺は挑発の意味を込めて、俺をここまで運んだ巨大蟻に見せつけるように魔力を練り込んだ。
どうだこの魔力!
貴様らのような下等種族でもすぐに解るほどだろう!
よく側近衆には『アンス様は必要以上に魔力を練り込みます故、持ち前の魔力量も相まって魔法の威力が桁違いにございます。 これでは我々も活躍できかねます、なるべく魔法の使用はご遠慮願いたい』と恐れられていたほどだ。
ほら見ろ、目の前の巨大蟻は俺の魔力を感じて震えておるわ。
そのカチカチと顎を鳴らしているのは恐怖によるものだろう。下等な虫でも表情が手に取るように解るわ。
ふははは。
――む?臆したか。
どうやら巨大蟻は俺に恐怖し、逃げ去ってしまった。
下等であるが故に賢い。俺の絶対的な魔力に、種としての本能が逃走を命じたのだろう。
仕方の無いことだ。自分がいくら巨大な蟻だとしても、そして相手が身動きの取れない状態だったとしても、相手が俺なら俺でも逃げおおせるわ。
さて、とりあえずこの肉団子を早々に食べてしまおう。魔力を回復したらすぐに行動に移るぞ。
もぐもぐもぐ。しかしこれはなんの肉だ?動物なのだろうか。そしてやはり虫が作った物だけあって味が無いな。
それでいて調理するという概念も無いから生だ。もぐもぐ。まあどちらでも構わないが、上質な魔物の肉だったら魔力の回復量も多いからいいのだが。
というか食いづらいな。手が使えないからそう感じるだけだろうか?口にも違和感がある。前からこんな感じだったのか?
もぐもぐもぐ。
ガサガサッ。
――ぬ!?