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そのアリシアの言葉に俺は、
「どうした!?」
と声を荒げて聞き返した。
ずいぶんと歩いたはずだ。
アリシアは隊列の一番前。
もしかすると、ようやくお婆様の巣の周辺まで着いたのかもしれない。
しかし、ただ着いたことの報告だけなら良い。
この緊迫した声、悪い方向もあり得るだろう。
知らず知らずのうちに、お婆様のテリトリーに入ってしまった。もしくは既にお婆様の子供たちに囲まれてしまっている――とか。
お婆様の子供だったら俺にとっては叔母になるのだろうか。いやそんなことはどうでもいい。
『ひ、姫様。 よろしいですか?』
「どうぞ、アリシアお姉さま」
『あそこの種を合わせれば、じゅう、になります』
――む?
俺はちらりとアリシアの示す方向に視線をやった。
うむ。確かに赤い種子が二つある。先ほどのアリアーデが言ったものを合わせれば、それは十になるだろう。
「そ、そうですね。 それがどうかしましたか?」
そう俺が答えると、アリシアは、
『ふえぇ!?』
と驚いていた。
なんだなんだどうしたんだ。
「ど、どうしたのですかアリシアお姉さま・・・?」
『ほ、誉めてくださらないんですかあ・・・?』
彼女はまるで泣き出しそうな声――念話だけど――でそう言った。
「え? え?」
『アリアーデはさっき誉めたじゃないですかあ』
なんだと?
すると、なにか?
こいつは、俺がアリアーデを誉めているのを見て、自分も誉められたいからと同じように赤い種子を見つけ出し、そして計算してみせたのか?
なんということだ。
アリアーデの理解力にも驚いたが、アリシアにも驚かせられる。
この――アホさ加減に。
ここは既に敵地かもしれん。隊列の一番前を歩くというのがどれほど重大で、かつ危険なことか解っている――はずだ。こいつも。
だというのにこいつは俺様に褒められたいからと自分の仕事をないがしろにし、なおかつ俺に歩みより『合わせて十ですね!』だと?
何を考えているんだ・・・。
これでもし何か危険な目に合えばこいつのせいだぞ。
しかし、まあ、確かに褒められるべきことではあるか・・・。
他の者の会話を聞き、その内容を把握し当事者と同じ程度の理解を得る。まあ頭が良くなければできない芸当だ。
俺の気になっていた、他の蟻も同じように理解できるのか?という疑問も解消できたわけだし――。
「さすがですわ。 アリシアお姉さま」
『ふふふ、誉められた』
アリシアは蟻の顔でも解るくらいの笑顔を見せた。
これは俺だから笑顔だと解ったのであろうか。まあ、それはどうでもいい。
しかし、もう随分と歩いた。小一時間ほどは経つのではないだろうか?
蟻の脚――と言っても人間の幼児大ではあるが――で、小一時間程度。周辺を探りながらであるため、それほどの速さではないが、遠くまではきたはずだ。
今では巣の蟻は全体的に大きくなっているが、これが大人になったばかりのお母様で考えると、更に数倍の時間がかかるはず。蟻からすればかなりの距離だ。
景色も次第に変わっていき、俺たちの巣の周りとは少しだけ雰囲気が変わっていた。
地面は青々とした草が茂っている。もちろん俺たちの巣の周りにも草くらいは生えているが、こちらの植物には確かな生命力を感じる。地面はほのかに湿り気を帯び、その辺に転がる石に生える苔は輝くような緑をしている。
湿度は高い、だがじめじめとした感じではなく、むしろ心地のいいほどだ。
明らかに土地が生命力に満ちている。近づくにつれて感じていたのはやはり魔力のものだったか。
生物も多いようだ。俺たちの巣の周辺ではあまり目にしなかったが、かなり巨大な生物の足跡を見つけた。
同じ大きさの足跡が一対、それより少しだけ大きな一対の足跡が同時についている。四足歩行の生き物の足跡だ。それを左右に分断するように中央に太い線のような跡が付いている。これは尾だな。足跡には長い爪の跡も確認できる。爬虫類、しかもかなり大きい。
俺が80センチくらいだとして比較すると・・・、足跡は直径10センチ前後、尾は太さが5センチ近い。全長は尾を含め1メートルを超すくらいか。
1メートルくらい――か。数値にしてみると少し拍子抜けするが、今は蟻だからな・・・。
「アリアーデお姉さま。 少し」
『おりたいの?』
アリアーデに頼み地面に降ろしてもらう。うっすらと地面に生える苔が俺を柔らかく包み込んだ。
少々の湿り気を感じるが、地面はほどよく熱を持っていた。
土壌が豊かな証拠だろう。柔らかく簡単に掘れるだろうが、土中に広がる植物の根は土同士をしっかりと固めている。多少の衝撃などでは崩れたりはしないだろう。ちょっと掘っただけで硬い岩盤にぶち当たるクソみたいなどこかの土地より確実に巣作りに適している土地だ。
「お姉さま、これを」
俺はアリアーデに、見つけた生物の痕跡を見るように促した。
『大きいわねえ。 食べるととても美味しいわよお』
「あの食べるとかよりも、この大きさのトカゲですよ? 危険では・・・?」
『とかげ・・・? んーあたしたちと同じくらいの大きさの生き物だったら別に大丈夫よお』
ああトカゲという名前は知らんのか。
しかし、大丈夫よおだと?
1メートルはあるトカゲだぞ?
確かに以前巣の中でかなり巨大な爬虫類の尾をみたことがあるが、あれは複数匹で狩った獲物ではないのか?
俺たちは四匹。先に見つけてしまえば魔法で丸焼きにでもなんでもできるが、少しでも発見が遅れれば、どうなるかわからんぞ。
俺なんてトカゲからすればご馳走なんじゃないのか?
全くどいつもこいつも抜かれおってからに。
「アンス。 多分その足跡はこいつのものよ」
しかし、俺のそんな心配は杞憂であったと知ることになる。
俺を呼んだのはもちろんアリアンナであった。
重たい体をくねらせ、アリアンナの方向を向いた俺は。
なるほど、と納得したのであった。
アリアーデと、アリアンナの言葉に。
「な、なるほど」
俺の視線の先にはアリアンナがいる。
しかしアリアンナだけではなかった。
アリアンナは、とあるものをその顎で咥えていた。
大きさはアリアンナよりも少し大きく、全体的に灰色と緑色を基調とした色合い。
樹皮のように分厚く刺々しい見た目は、アリアンナがまるで太い枝でも咥えているのかというような印象を受ける。
しかし、その太い枝は時折ピクピクと脈打つように動き、それが生物だと物語っている。
俺もこの蟻というサイズ――何度も言うが80センチくらい――で見るのは初めてだったため、その迫力に少々の気味の悪さを感じた。
そうだ。アリアンナがその顎で咥えていたのは、今しがた俺が見つけていた足跡の主――であろう。
トカゲである。
「アリアンナお姉さま。 それをどうしたので?」
「仕留めたわ」
仕留めたわ、って。
確かにアリアンナの顎は、深々とそのトカゲの首元に突き刺さっていた。
他に外傷は見られない。もちろんアリアンナにもだ。
つまりは、自分より巨大な爬虫類を、この蟻は無傷でたった一撃で仕留めたというのか?
同じくらいの大きさの生き物なら・・・か。
どこかで聞いた言葉を思い出すな。
『あらアリアンナ、これは美味しそうね』
「はいアリアーデお姉さま。 まだ新鮮なうちに召し上がってください」
『んもう。 ご飯は妹から順番に、でしょ?』
するとアリアンナは、『そうですわね』と微笑み、そのトカゲを降ろして解体を始めた。
なんとも気持ちの悪いものである。
正直殺すだけならそういうことは魔王時代に飽きるほどやったが、それを喰うというのはいささか経験が無い。
他の魔人の腕をちぎり飛ばすだとか、魔法で爆散させるだとか、そういうのは嬉々としてできるが――、それを食べようなんて思わんだろう。
何かを焼いて食べるだとかそういうのは経験があるが、生だぞ?
ほらなんか変なもの出てきたし、食べるの?
「さあアンス、美味しいわよ。 こんなものなかなか食べられないからいっぱい食べておきないさい?」
見る間にいくつかの肉団子になってしまった。
そしてそれを俺の元に差し出す。
いやよく食べてたけど、目の前で制作過程を見せられると少し食欲が・・・。
しかし断るとこいつうるさいからな。
「あはあ、ありがとうアリアンナお姉さま」
俺はしぶしぶ、その肉団子を頬張るのであった。




