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ええいもう後が無いぞ。
残った実験の成果と言えば、魔力を使って高速でもぞもぞと這いずりまわることくらいだ。
しかしそんなものを見せた程度で結果は見えている。
どうせやれお転婆だ、やれはしたないと説教されるのがオチだ。
だがどの道怒られるのであれば見せるだけ見せてしまおう。
俺は魔力を地面に接地している腹の周りに集中させた。
そして勢いよく尺取虫の要領で地面を這いずりまわった。
どうだ!
「ああ、アンス・・・」
おおう、お母様が震えている。アリアンナも同様だ。
いらんことをしてしまったか、ええい怒るなら早く怒ってくれ。そしてもう部屋に戻してくれ。
他にも考えることは沢山あるのだ。
「なんてすばらしいハイハイなの!」
――おや?
どうやら思いの他、この魔力による高速もぞもぞはお母様方の好感を得たらしい。
お母様もアリアンナも、無情の喜びを感じるように震えていた。
例えるなら人間の子供が、自分の脚で初めて立ち上がったのを親が見た時のようなというのか――。
しかし、そんな人間のような感覚、この下等生物が持ち合わせているのだろうか。
──いや、あながち否定はできない。
こいつらは、魔物だ。だからこそ、その可能性は十分にある。
何故魔物であればその可能性があるかというと、それは全ての魔物が人間に対し、羨望というものをもっているからだ。
人間は強い。知恵があり、社会を作り、繁栄を極めている。
だからこそ、知恵と力を手に入れた魔物は、人間を羨望するのだ。
産まれながらに知恵と力を持った、人間を――。
故に膨大な魔力を持つ魔物ほど、その感情は強くなる。
そしていつしかこう変わるのだ。
――人間になりたい、と。
であるからして強力な魔物であるほど、姿が人間に近づく。魔物となった狼が、魔力を蓄えた果てに人狼となるように。魔物となった爬虫類が、蜥蜴人になるように。
魔人などその顕著な例だ。
膨大な魔力が生み出したその容姿は、人間と差異の無いほど非常に似ている。
しかしこれは、『自身の意志でなった』ものではない。
原初の記憶の奥底に眠っていたのだろう『進化の欲求』が、姿をそう変えるのだ。
それほどまでに、人間は魔物にとって、華やかに見えるのだろう――。
付け加えるならば、魔王同士の争いも、人間の真似事にしか過ぎん。
大陸の覇権を――などとは言っているが、本当は大陸の半分をめぐって、が正解なのである。
大昔に人間同士の争いが起きて大陸の半分を平定した。
知恵と力を手に入れた、最も人間を羨望する者たちは、その真似事をし始めたのである。
最も人間を羨望する者たちとは、最も強力な魔物たち、そう――魔王。
そしてその真似事こそ、今日に至る、大陸の半分をめぐる魔王同士の戦争なのである。
更に言うと、俺でさえ人間は一目置いている。元に俺含め他の魔王共も、人間の土地には踏み入らないという暗黙の了解があった。
理由は簡単。数が多すぎる。一人一人は弱いが、人間は群れるとやっかいなのだ。
それで間違って人間とも戦争になってしまえば、戦況は泥沼化するだろう。
まあ俺は単純に面倒だから相手をしないのだが――。
さて、お母様方についてだが、やはり人間と同じような感覚が芽生えたといってもいいだろう。
これは魔物としての位が上がったと言っても過言ではない。
むしろ最初から愛情だなんだと言っていたわけだし、元からある程度の位には位置していたわけだ。
俺の魔力による影響か、それもあるがはたまた元々の素質なのか、それは解らないが、俺にとって損ではない変化である。
この調子で更に進化の一途を辿ってほしいものだ。
「ほーらアンス。 お母様ですよー」
お母様が俺を見ながら顎をカチカチと鳴らしている。
なんだ?
こっちに来いというのか?
この魔力による尺取虫ハイハイだが、なかなかもって疲れるのだぞ。
元の幼虫としての運動能力が低すぎるのか、魔力の消費量はかなり激しい。
俺でさえ長時間の歩行は困難なのだ。
しかし俺だからこそここまでできるのだ。
お前等も気づいているんだろう!この溢れだす魔力を!
「は、はーいお母様ー」
「いやあああ! 見ましたかアリアンナ!? アンスが私の方へハイハイしてきましたわ!」
本当に這いずってるだけだぞこれは。
「見ましたわお母様! なんて愛らしいのでしょう! ほらアンス! お姉さまですよー!!」
なんだと?
次はそっちへ行けというのか?
ええい見せてやろうではないか!ぐぬぬ。
うんしょうんしょ・・・。
「きゃああ! お母様! アンスがアリアンナの元へ来ましたわ!」
「そうねアリアンナ! もうどうしてアンスはこんなに可愛らしいのかしら!」
その後もお母様とアリアンナに遊ばれた俺は、何往復も二人(?)の間の行ったりきたりを繰り返した。
魔力の消耗も激しく、尋常じゃないほどの疲労感を俺にもたらしてくれた。怒りが込み上げてきた。
しかし、ついでにいくつか疑問を思い出したのである。
この際であるので俺はそのことについてお母様方に質問したのであった。
一つは『俺はいつになれば成虫になるのか?』ということである。
ここに来て(?)もう随分と経つ。体もかなり大きくなってきたし、そろそろ成虫になってもいい頃だと思ったのだ。
返ってきた答えは、『もうそろそろね』とのこと。
詳しく聞くと、蟻というのは幼虫から成虫になる際に『蛹』の段階を踏むらしい。
しかしこれはお母様方の言葉を、俺が知る言葉に置き換えたものだというのを先に付け加えておく。
何故ならば、というと。生物というのは学習を経て知識を得る。蟻共は知恵こそ得たものの、学習というものがほとんどなかったため知識が少し足りなかったりするのだ。
今現在、蟻共の知識の大半は魔物となったお母様が得た知識の受け売りである。そのため、お母様が経験したことの無いことなどは知りえなかったり、蟻共が自分たちを客観視した情報などは解らない――。
前者を例えるなら、数の概念や見たことの無い種族に対する知識である。
蟻共は個の概念はあれど、何匹の家族がいるか、何日経ったかということが正確にわかっていないのだ。成虫になってすぐに元居た巣を追いやられたお母様であるため、そのような知識を得る機会がなかったのだろう。
――と、いうか、蟻が数を数えられるなどというのは聞いたことがないわけで。
更に、魔王という言葉や俺の実の名前などを知らなかったのもこれに当たる。
そして後者であるが、いわゆる種の自覚である。
例えるなら、『人間が自分たちを人間と自覚するためには、第三者の力が必要である』ということだ。
噛み砕けば、誰にも教わらずに『俺は人間だ』という人間はいない。ということ。
つまり、蟻共は自分たちが蟻ということを自覚していないし、虫の幼虫だ成虫だというのも知らない。だからこそ蛹というものも知らない。
そのままお母様方の言葉を使うなら『成長するといずれ硬く動かなくなり、その後お母様たちと同じ姿になる』みたいなものであった。
さて、そうなると少し疑問が浮かび上がる。
それは――何故『姉妹』『お母様』『愛情』などという言葉を知っているのか?
ということである。――他にも多数腑に落ちないものはあるが。
これは別に俺の言葉に置き換えたわけではない。
蟻共自身が使っていた言葉である。
となると蟻共には『○○というのが姉妹、または愛情である』という概念が存在し、なおかつそれを『ソレ』と呼べる言葉を知っていたということになる。
すなわち考えられるのは『元々蟻にはそういう概念と言葉があった』か、『魔物となった後でそれを学習した』かという二つになるのだが、別段知りたいというわけでもないし、知らないからといって困ることはないので追及はしなかった。
で、なのだが、この通り蟻共は日にちなどの概念も薄く、どのくらいでというような明確な数字は答えてはくれなかったわけだ。
しかしながら雰囲気で解るようで、もう少しで俺は蛹になるらしい。
蛹になると、また少しして成虫へとなるようだ。
話によれば蛹の期間が一番短く、次に幼虫の期間、そして成虫の期間が一番長いということだが、俺はお母様の記憶の中でもとりわけ幼虫の期間が長いらしい。
恐らく女王として育てられているということもあるが、それ以上に魔力量なども関係しているのだろう。
さらに俺と同時期に生まれた蟻、言うなれば姉妹なのだが、そいつらも少しではあるが幼虫の期間が伸びているとのこと。
おおよそ俺の魔力がなんらかの影響を及ぼしているのだろうが、幼虫の期間が伸びるということは、それだけ餌を食べるということ。すなわち、成虫になった際の体躯が変わるということだ。
魔力は他の生物に影響を及ぼすが、いい具合にこの巣を変化させているようである。
そして次の疑問なのだが、これは今の続きのようなものである。
それは、『お母様たち、大きくなってます?』というものだ。




