Chapter1 ③
「つまりこういう事だな。レイとニカ様に両生徒会のトップを説得しろと」
〈貴族寮〉の僕らの部屋に、といっても客人用の居間と寝室を何日か借りたのだけれど、とにかく部屋に落ちつくなり、アデルは軍服の上着をソファに放り出して露骨に眉をひそめた。
「お二人が忙しいのをわかってそんな事を頼んできたのか?」
「そこについては彼女は抜け目ないよ。
交換条件として僕とニカの筆記を免除してくれるって。
ニカなんか実技まで免除だから、破格の条件には違いないかな」
「エサで釣ったようにも見えるがな」
「そんなに腐らないでアデル。
要は考えようだよ。
これで僕らが説得できれば大手を振って図書館漁りに一緒に行けるわけだし」
「そういう楽天的な物の見方ができる状況じゃ……シンディ?」
あくまでヒルデ講師の要請を渋く捉えるアデルに、シンディがひっそりと肩を震わせて笑う。
「ごめんなさいアデル様。
でも、この場合はお二人ともどうかと思いますよ」
「二人ともって、僕も?」
「もちろんですレイ様。
だって生徒会の代表がどなたかご存じで受けちゃったんでしょ?」
「それは……まぁ……ね」
「ほぇ? どなたが代表なわけ?」
痛いところを突かれて言葉に詰まった僕の頬を、さらにカルネが物理的につつく。
ヒルデ講師と直に交渉したのは僕とニカだけなので、彼女はまだ説得すべき人物を知らない。
アデルが咳払いをしてカルネに向き直る。
「教えてやろう。〈陸士生徒会〉の現代表の名はアンリ。
何を隠そう〈聖ガリア王国〉の王太子、つまり次期国王だ」
「ついでに言いますと海士の代表はアン・インファンティーナ王女で、こちらは〈イスパニア聖導王国〉の王女様です。
どちらも一筋縄ではいかない相手ですよ」
ダブルの説明にカルネが肩をすくめて目をジトッと僕に向ける。
「えー、何? また王族なの? さすがにもうお腹いっぱいなんですけど」
「文句ならこの騒動を起こしそうな相手に言ってやらないとね」
僕の言葉にカルネはもちろん、アデルとシンディも反応を示す。
「相手……やはりレイもそう見るか」
「この状況なら、やっぱりそれしかありませんよね」
「うん。この手口、状況を作る手口はおそらく――」
「〈邪神〉だね」
言葉を継いだカルネは、目を閉じて大きくため息をついてみせる。
「バカの一つ覚えってわけでもないんだろうけど、どうあっても〈西方大陸〉を不安定にしたいみたいだね」
「プリダインを橋頭堡にしようと企み、失敗したらライツェンから機密を盗もうとした。その次にこんな騒ぎを起こしたとなれば、狙いは一つだな」
「うん、〈聖ガリア〉と〈イスパニア〉の不和を誘う気だ」
僕はランプの油明かりを見つめて断言する。
「レイ君、その口ぶりからすると、仲が悪くなるネタに心当たりがあんの?」
「ありきたりな話しだけど領土問題だよ。
聖ガリアとイスパニアの国境には〈ナヴァール王国〉っていう小国があるんだけど、そこの帰属を巡って昔から何度も小競り合いをやってるんだ」
「さすがにここ半世紀は落ちついてるがな。
今のナヴァール王は聖ガリア王が兼任してる。
それを認める条件として、イスパニアからのある提案を飲んでるのさ」
「ある提案?」
「〈持参制度〉ですカルネさん。
ナヴァール王国はイスパニア民族の土地ですから、正当な所属はイスパニアにある。それを認めさせた上で聖ガリアの統治を成立させるために、定期的にイスパニアの王族を聖ガリアに嫁がせて、その都度ナヴァールの王権を持参させるわけです」
「つーと……なに、嫁入り道具にするわけ? 国を?」
「うん。それで一応の収まりは付くんだよ。
イスパニアにとっては政略結婚のいい口実だし、王族同士が仲良くしてれば多少の問題に都度目くじらを立てなくてもいい」
僕とシンディの説明に、カルネはわかったようなわからないような複雑な表情でうなずいた後、急に思いついたと手を叩く。
彼女の直感に僕ら三人は首を縦に振った。
「考えてるとおりだよカルネ。
アンリ王太子は次の国王で、アナ・インファンティーナ王女は次の持参人。
二人は婚約してる。
この婚礼が流れたりすれば……ナヴァール問題が再燃するだろうね」
「婚約ぐらいならまだいいが、この騒ぎでどっちかが死んでみろ。
それこそ取り返しがつかんだろうな」
アデルが僕の考えを補強する。
「うん。だからこそ僕らが行動しないと。
〈邪神〉が、〈眷属〉が噛んでるなら対抗できるのは僕らだけだ」
カルネは全てを飲み込んで、僕に少し苦い笑いを向けた。
「それでヒルデ講師の提案を受けたわけね。
で、勝算はあるわけ?」
「今のところはどうかな。
まずは口論の原因と、事態が重くなった理由を探らないと」
「ニカ様と分担するんだろう? どっちがどっちに行くとか決めたのか?」
「あ、その件なんだけど」
話を切り出すのにちょうどいい。僕はアデルの肩をポンと叩く。
「アデル、僕と一緒にアナ王女を説得しよう」
「は?」
アデルは間の抜けた顔で僕の顔と、肩に置かれた手を交互に見る。
「いや待てレイ、何で私が一緒に行くんだ?
というか相手はイスパニアだぞ、何で面識もないお前が行くのかの段階で理由が掴めんのだが……」
「だって、ねぇ」
僕はシンディに目を向け、彼女はすぐに気づいて微笑む。
「確かに、アデル様がいれば、面識が無くてもどうにかなりそうですね」
「だよね」
「いったい……まさか」
アデルはランプの明かりに自分の手の甲を示してみせる。
肌の色は艶やかで健康的な褐色。
そう、イスパニア民族の誇る、海に焼かれた小麦の肌だ。
「もちろんそれだけじゃないけどね。
アデルは水軍の指揮もしてたでしょ?
海士の人たちと話を合わせるならいいかなと思って」
「いやいやいやいや、私なんぞ連れて行ったところでアナ王女と取り巻きが心を開いてくれるはずがあるか。
レイ、いくら何でもそれは無謀だ」
「やってみなきゃわかんないよアデル。
もし駄目だったらまた別の手を考えればいいんだし」
「そんな……」
アデルにはかわいそうだけど、これを試してみる価値は充分にある。
相手との接点は多いに越したことはない。
水軍と海士、イスパニア民族、少なくとも二通の接点を持つアデルを同行させるには、主人である僕が行くのが手っ取り早い判断だ。
確かにうちの国とイスパニアは過去にちょっとあったけど、それを言うなら巨人の国出身のシンディを連れて行く方がよっぽど拙い。
反論しようにも糸口が見つからずに口をパクパクさせるアデルを残し、シンディと僕はさらに段取りを詰める。
「ではアンリ王太子の方はニカ様が行かれるのですか?」
「うん。どうも面識があるみたいだから。
カルネ、ニカの護衛をお願いできるかな」
「いいよ。お嬢のボディーガードね、任せてちょうだい」
「私はどうしましょう? どちらかと一緒にいきましょうか?」
「いや、シンディは図書館に詳しいでしょ。
できれば先に例の件、探っておいて欲しいんだ」
「例の……ああ、敵の事ですね」
今回の事とは関係なく、僕らは〈邪神〉の尖兵である〈眷属〉と、彼らが率いる軍の事を探っていた。
今のところ手の中にあるのは〈アトラテア〉という国名もしくは地名と、僕らより南方系の顔立ちをしているという情報だけだ。
僕が講義を受けている間に図書館巡りをしていたシンディなら、歴史や地理の蔵書のありかを知ってるはず。
僕らがこっちに掛かっている間に調べ物をしてくれれば時間を無駄にせずにすむ。
「頼める?」
「お任せくださいレイ様!」
そう言って胸を張る長身のメイドに、僕は親愛を込めて頬へのキスを送る。
「まっ、そ、その……あ、りがとう、ございます」
「ううん、礼を言うのはこっちだよ。
でも気をつけてね、〈邪神〉が〈学校〉を狙ってるなら、たぶん彼らの協力者が〈学校〉にいるだろうし」
「いざとなったら〈乙女〉をこき使っていいからね」
シンディに宿った〈神衣〉の名を呼び、カルネがガッツポーズで彼女を励ます。
「〈想素〉なら心配しなくても、キミたちは特別だから大丈夫さ」
「ありがとうございます、カルネさん。
何かわかったら真っ先に報告しますね」
「ということで話しは決まったんだけど……アデル?」
振り向けばアデルはようやく考えがまとまったのか、黄色の瞳を真っ直ぐに僕へ向けていた。
「一つだけ確認させてくれレイ。
それは私がイスパニアの血を引いてるから思いついたのか?」
「ううん。アデルが僕の従者、いや仲間だから思いついた。と思う」
何のことを聞かれているのか、とっさに答えた僕も詳しいところはわからない。
でも彼女をイスパニア人、つまり異郷人だと思って立てた作戦ではないし、肌の色や顔つきで彼女を差別するつもりもない。
それだけは確かだ。
「……わかった。
すまない、私の考えすぎだ。思えばレイがそんな考え方をするはずがない。
私とリリィの仲を認めるお前が……」
と、アデルはジトッとした目で僕を見る。
「と思ったが訂正だ。
単に気づいてないだけという可能性もあったな。いつぞやの一件のように」
「へ? 僕アデルになにかした?」
「お前エル・アルバンの一件を忘れたのか?
お前と父の迂闊な判断のせいで私とシンディがどんな目にあったか詳しく教えてやろうか」
「あー、それは、うん。ごめん」
「いまさら謝って済むと思うてか!
シンディ手伝え、レイに説教してやる!」
「お説教には興味ありませんが、ちょっとはレイ様にも知っていただきたいですねぇ」
あらかた話がまとまったのをいいことに、アデルとシンディが僕を両脇から挟んで寝室へ連行しようと引っ張る。
「ちょ、ちょっと待って二人とも、何で寝室へ?」
「長くなるからな。言っておくが寝られると思うな」
「大丈夫ですよ、アデル様が寝たら私から別のおせっきょーもありますからね」
「ははーん、シンディがその気ならボクだって手伝うよ」
「カルネまで、ちょっと待って、押しちゃ駄目だって! ああっ」
体格で二人に負け、もちろん力ではカルネに勝てず。
僕は薄暗い寝室へと拉致されていき、背後でドアが無情に閉じる。
***
こうして、僕の〈西方大陸〉における最後の事件が始まった。
無論、この夜はそんなこと、思ってもみなかったのだけれど。