Chapter1 ②
再会を喜ぶ雰囲気でもなく、とにかく付いてこいと言うバルトロことバルトロメオ・ビアンキ。彼と黒髪の好青年に先導され、僕らは市街の外れにある小さな家に馬車で乗り付ける。
どこにでもあるようなワラ葺き屋根の農家だったが、よく手入れされ、壁が塗り直されているあたり生徒向けの借家と思われた。
急かすように二人に押され、なんだかわからないまま家に通された僕らは、居間の寝台に座った栗毛の少女を見るなり全員で彼女に駆け寄った。
「ザビィ!」
「うわっ、え? なになに、うそレイくんたち帰って来ちゃったの?」
生成のガウンを着たザビィ――イザベラ・クラウシンハは、僕らを見るなり目を丸くして驚く。
以前ならそこで飛び跳ねていただろうが、今は左足に巻かれた包帯と添え木、そして怪我がその身軽さを奪っていた。
「来ちゃったとはなんだ。それよりザビィ、足はいったいどうした?」
「アデル先生……
あ、っと、それはちょっと説明が難しいんですけど、とにかく心配はいらないです、軽い怪我っていうか、その」
口ごもりつつ手で安心するように促されたところで、納得する者はいない。
彼女はバルトロと共に僕らに協力してくれた恩人だし、片足とはいえ足を折るのが軽い怪我なはずもない。
そこへ外の馬車を引っ張っていたバルトロと例の青年が戻ってくる。
と、さらに彼らの後ろから長い布包みを抱えた子供が三人、お揃いの半ズボン姿でトトトッと勢いよく家に走り込んできた。
赤毛に、金髪に、最後の一人の髪は珍しい白金色。
「三人ともご苦労さま。撃ったのは誰かな?」
優しく彼らをねぎらう青年に、子供の一人、活発そうな赤毛の少年がサッと手を上げる。
「僕です、師匠」
「少し引き金が軽かったね。あと半瞬待ってから引くこと」
「精進します!」
「うんうん。さ、みんな戻っていいよ」
「筒置け、解散!」
赤毛の少年が他の二人に号令し、不思議な子供たちは入り口近くの棚に包みを置くと家の中に散っていく。
線の細い白金髪の少年は、面食らう僕らを無言で押しのけるとザビィの横にトスンと座った。
まるで姉弟のように親密な仕草で彼女と頬を合わせてから、少年は蚊の鳴くような声で彼女と話した。
「ただいまザビィさん。この人たちは?」
「おかえりルネー。この人たちがほら、話してたレイくんたちだよ」
ザビィにそう言われた少年は、迷いなく僕を見る。
「あなたがレイさん? あの鉄の巨人に乗ったっていう?」
「うん。そうだけど君は……」
「皆さん、ちょっとこっちへ来てください」
その時、バルトロと例の青年がテーブルに地図を広げて僕らを呼ぶ。
とにかく事態がわからないのでは話にならない。
僕は少年に軽く詫びて、アデル達と一緒にバルトロたちと対面した。
「説明してくれバルトロ。いったい何が起こってるんだ?」
「その前に紹介を、おいリーガット」
腰に手を当て事を問いただそうとするアデルを押し止め、バルトロが大きな手で好青年を僕らに示す。
青年は僕らに一歩進み出ると、細い眼に微笑を湛えて僕らに会釈する。
「どうも初めまして、僕はトロワ・リコール。
〈山猫〉はあだ名です」
「君は、陸士の生徒なの?」
僕の言葉にトロワ青年は細く笑ってうなずく。
「ええ、歩兵学科の四学位ですよレイ殿下。
……そんなに驚かれなくても皆さんのことは存じております。
〈学校〉を救った英雄レイ殿下にヴェローニカ殿下、アデル先生。
それにシンディさんとカルネヴァル様でしたね」
僕らを順に見やるトロワに、アデルは胡散臭そうな目を向ける。
「君は事情通のようだな。しかし歩兵学科なのに見覚えがないのは……」
「アデル先生とは受け持ち違いでしたからね。
それに、春先には風邪でやられて寝込んでいたもので」
「師匠はだらしねえからな」
さらりと答えたトロワの脇を、金髪の少年――丸々と太ったやんちゃそうな男の子がどこから持ち出したかパンをもぐもぐしながら小突く。
「あの、その子供たちは?」
シンディの問いかけにトロワは手招きで三人を集める。
子供たちはサッと横隊に並びビシッと背を伸ばした。
「この子たちは故郷から僕を頼ってきた……まぁ子分みたいなのもです。
こちらから順に赤髪がアルマン、金髪がイザーク、そして白髪のルネー」
名前を呼ばれると、少年たちは順次会釈する。
動作がシャッキリしてるのはアルマン少年ぐらいなもので、イザークはパンを片手にもっしゃりと、線の細いルネーはお辞儀もか細かった。
「来年度には十二になりますので三人とも〈学校〉へ入学する予定です。
今はこの家、僕の借り家ですけど、ここで手伝いをしてくれています」
「まぁ、ということは皆さん十一歳なのですね」
笑いかけるシンディに、アルマンとイザークがはにかんだ笑みを浮かべる。
ルネーはあまり表情を変えずにわずかに動いただけ。
「紹介は以上でいいのか?
ならバルトロ、改めて状況を説明してもらえるか?」
「はい先生じつは……」
バルトロの説明が始まってすぐ、僕らは〈学校〉が抱える問題に気づいて苦い顔を隠せなくなった。
発端は今をさかのぼること一週間前、ちょっとした言い合いを機に陸士と海士、双方の〈生徒自治会〉が衝突した。
〈生徒自治会〉略して〈生徒会〉とも呼ばれるが、これは読んで字のごとく生徒の自治を目的とした組織だ。
〈学校〉は都市国家として〈執務〉という小さな政府を持つが、事はそこだけで決まるわけではない。
生徒が自らの権利を守り義務を果たすためには自発的な組織も必要とされる。
それは頃日、生徒会という形で実現していた。
そして生徒会にはもう一つ簡易の警察としての働きもある。
〈諜報学科〉には小さすぎる事件や、単純なもめ事の仲裁は彼らの領分だ。
その生徒会が中心となって騒ぎを起こすなど、にわかには信じがたい話しだった。
その後の推移はもう転がるまま、止める側が騒ぎの先頭に立ってしまっては歯止めの効く余地などなく、乱闘騒ぎに発展したのは三日前の話。
ザビィはそのとき仲裁に入ろうとして負傷したそうだ。
事が大きくなれば〈諜報学科〉が仲裁に乗り出さざるを得ず、事態は〈執務〉の預かりになって小康状態に。
それでも先ほどのような小さな乱闘騒ぎが後を絶たず、今はバルトロたち有志の見回り活動で急場を凌いでいる有様らしい。
ちなみにこの家は歩兵学科有志会の拠点となっているそうだ。
ザビィは安全を考慮して、脚が治るまではここにいるとのこと。
「闇討ちこそまだないですが、双方かなり殺気立ってます。
私たちも何度か襲われそうになってますからね。
足を怪我した彼女を放っておくわけにもいきません」
「うむ、そういうことだ」
トロワの補足にバルトロが重くうなずき、僕らも同意の声を漏らす。
「僕達をここに引っ張ってきたのはなぜ?」
「それはあれです。〈学部群〉に直行されるのは危険というか、不測の事態に発展する前に先に説明しておこうと。
バルトロ君の友人なら尚のことです」
僕がトロワの説明に納得する横で、アデルとシンディが別のことに小首を傾げる。
「しかし、言い合い一つでここまで事態が険悪になったのか?
それこそ生徒会が真っ先に仲裁すべきだろうに」
「いったい誰が、何の口論を?」
問われたバルトロはボリボリと頭をかき、トロワやザビィと顔を見合わせる。
「それは先生。少しばかり事情があって……」
歯切れも悪くぼつぼつと彼が語り出そうとしたその時、家の表で馬車の止まる気配がした。
間を置かずに戸がノックされ、トロワが戸を開けた途端に……
「やあどうもトロワさん。お知らせいただいてありがとうございます。
仲裁も上手くいったみたいでありがとうございました。
ところで表の馬車はもしかして……」
のんびりした口調でだらりと話し、トロワの横から居間をのぞき込む女性。
クセのあるぞろっとした黒髪とソバカスの浮いた純朴そうな顔。
そして似合うようで実は似合わない丸メガネに黒のローブという服装なら、誰も見間違うはずがない。
「ヒルデ講師?」「ヒルデ先生?」「ヒルデさん?」
異口同音に発せられた己が名を呼ぶ声に、彼女は――ヒルデ・ハーケ講師はニッコリ笑って手を振った。
「そろそろお戻りになるだろうとは思ってましたが、こんな所で再会するとはビックリですね。
はい、皆さんお久しぶりです」
通されもしないのに中に上がり込んだヒルデ講師は、まずトロワとバルトロに礼を述べて頭を下げる。
「どうもありがとうございます。割ける人手も少ないもので……」
「なんでこんな所に?」
カルネの率直な質問に、バルトロがそっと寄ってきて説明する。
「有志の連中が刃を抜いても咎めが無いように、ヒルデ講師が〈執務〉に取りはからってくれたんだ。
生徒相手に〈常備軍〉は出せんし、〈諜報〉は人手不足だからって」
「まあ、世知辛いことを言えばその通りなのですけどね。
私はバルトロさんや皆さんの熱意に感動してお手伝いしているだけですよ」
気負いもなく話す彼女だが〈諜報学部〉の首席補佐としてその判断を下した以上、言葉を額面通りに受け取るのは軽率だ。
純朴なのは見た目だけなのは春の事件で思い知っている。
とはいえ共に事件に立ち向かった仲間でもあるわけで、どんな腹意があろうとも味方は味方だ。
僕だけでなくアデルやシンディ、ニカやカルネも「ああ、この人はまた……」と微妙な視線を交わすに留まる。
「プリダインの件は聞いてますよ。
見事に国の危機を救ったそうで喜ばしい限りです。
レイさんもニカさんも、ちょっと見ない間にすっかり見違えましたよ」
ローブの裾をもたもたと動かし、ヒルデ講師は僕とニカの手を取って喜ぶ。
が、その丸メガネの奥で早くも鋭い光が差すのを、僕は見逃さなかった。
「復学の件は二人ともご安心なさってください。私からすぐに〈執務〉へ通しておきますから。
あれ? レイさんどうかしました?」
「ヒルデ講師……僕らに提案がありそうな感じに見えますが」
「あ、わかっちゃいました?
ええ実はそうなんですよ。もうほとほと困り果てておりまして」
彼女は偽りのにこやかさの奥に、諜報としての冷たい素顔を覗かせおもむろに切り出した。
「お二人に〈学校〉の危機を収束させていただきたい、と……」
周りの驚くやら首を傾げるやらの反応をよそに、ヒルデ講師は真剣な眼差しで僕を射貫いていた。