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Chapter6 ②


カルネが女帝と対峙する二時間ほど前。

僕とアデル、そしてシンディは酒場の三階にある部屋を借りて女給服に袖を通していた。


無論、僕も女給服だ。


別に女装に目覚めたとかそんなわけじゃない。

ただ相手の油断を誘うのなら、全員女性の方がやりやすいというアデルの提案を飲んだだけだ。


マイスターから情報をくすねるやり方については、アデルとシンディが給仕として色仕掛けで、僕は……少々不安だけどフロルに教えてもらった魔法でいく。

カヤも黒の精霊を使っているみたいだし、このやり方で間違ってないはずだ。


「しかしまぁ、板に付いてきたもんだ」


鏡台に向いて白粉をはたく僕に、薄紫の胴着ボディスのきつさに顔をしかめながらもアデルが笑う。


「化粧がずいぶん上達したじゃないか。

 ふむ、惚れていいというなら惚れてやろうか?」


「遠慮するよアデル」


笑って返すがこの場合、冗談の方向性としてはどうなるのだろうか。

化粧が上手な恋人がいいという意味か、それとも女の子が好きという意味と取るべきなのか。


アデルはリリィ姉さん恋人だったし、やっぱり後者、かなぁ。


真面目に考えるに、アデルに好意を持つなんて今まで想像したこともなかった。

従者だし、姉がわりを勤めてくれてた女性だ。


細身で背が高い女性が好きなのは自分でもわかってる。

ここ数日、女性ものの服を着るアデルに新鮮さを覚えたのも事実だ。


今だって際どい女給服から張りのある褐色の手足を見せ、黒の縮れ毛は色香を漂わせるシニヨン結いだ。

改めて意識すると確かに彼女は魅力にあふれている。けど……


「今度はアデル様にお手を出すつもりですか、レイナ様?」


「……シンディまで勘弁してよ」


腰まである栗色の髪を完全に解いたシンディが、着替え途中のブラウス一丁で僕の後ろからしなだれかかってくる。

白い肌が艶めかしく僕の首筋に密着し、甘い吐息が首筋をくすぐる。


「いつの間にか私の化粧まで盗んでますし、もう立派な淑女ですね」


「あくまでも仮装だから、その、押しつけるのやめてくれませんか?」


「押しつけてるんですよ?

 なーんて、カルネさんもいませんし、この部屋おあつらえ向きにベッドまであるんですから……あふんっ!」


久々のアデルチョップが、容赦なくシンディの後頭部に炸裂した。


「いいから着替えろ。時間がないんだ」


「もう、アデル様のいけず!」


白肌の付き人がドレッサーへ戻る後ろで、僕は鏡を前にブラウスの胸ぐりを調節する。


ただの仮装、そう言ったのは自分だ。しかしここから先は真剣勝負。たとえ〈神衣〉でなくてもなりきって演じるべきだ。

僕はレイナ……女給仕のレイナだ。



 ***



夕方早くに始まったギルドの会合は一時間もせずに議決と合意に達し、あとは飲めや歌えの大騒ぎになだれ込んでいた。


集まったマイスターの身なりはよく、コートからは金鎖や勲章がこれ見よがしにぶら下がる。


どう見ても内郭の住人である彼らが外郭の店に来る理由。

それは探らずとも彼らの口から流れ出ていた。


「いやいや、やっぱりお楽しみなら外ですよ。

 安い、上手い、そして逆らわない。中の商売女はこうはいきません」


「女皇陛下の禁令もありますからな。

 高い金を取って酌するだけの女に払う金はありませんよ」


赤ら顔のマイスターが話し合うそこへ、僕はワイン壺を手に入りこむ。


「お注ぎいたします」


「気が利くね、お嬢さん。

 ふむふむ、見たところかなり若いが、どうだい、おじさんが手ほどきしてあげようか?」


「お戯れをマイスターさま」


僕の腰に伸ばされた太い手をそれとなく掴み、するりと躱して離れる。


周囲の女給を観察して見つけた手だ。

酔って理性を失った男性をあからさまに拒めば怒らせてしまう。

かといって見境なしに手を出してくる酔客のなすがままにされるのは困るわけで。


「レイどうだ?」


酒を取りにカウンターへ寄ったところで、アデルが身を寄せて耳打ちする。


「なかなか精霊を出すタイミングが見つからない」


魔法を使って相手の思念を聞き出す手はずだったが、なかなかどうして隙がない。


酔っていてもマイスター、試しに火の精霊を飛ばしたところ数人がさりげなく反応していた。今はまだ無理だろう。


「こっちも我慢の限界です」


酔客の手を逃れ、話に加わったシンディが見えないようにカウンターに向かって目を吊り上げる。


「もう爪の先でだって触れられたくありません」


「お嬢ちゃんたち」


その時、カウンターの奥で酒を差配していたマスター、酒場ギルドのマスターでもあるオットー氏が密生した赤ヒゲの下からつぶやく。


「今は待ちな。もうすぐカヤのショーが始まる」


「カヤの?」


「ああ、あいつの手並みを見て学ぶといい。それとちっこいお嬢ちゃん」


と言って指差されたのは僕。オットー氏は指で「こっちへこい」と呼ぶ。


「私が何か?」


顔を寄せると、オットー氏は目を細める


「お前がカヤの言ってた王子様だろう? 男なのによくやるもんだ。

 カヤのことはすまんな。

 俺がこの店に引き入れたんだが、あいつはもう……」


「わかっています」


「野暮は言いっこ無しか。たのむ、あいつを助けてやってくれ」


「……はい」


と、店の照明がいっせいに絞られた。

普通の油ランプが消され、代わりに例の香炉つきの青ランプが灯される。


「近くにいけ、カヤのやり方がわかる」


オットー氏に背中を押され、僕は立ち台のすぐ近くまで歩み寄った。


青絹のカーテンが開き、全身を覆う薄緑のベールに金の鎖を付けたカヤが軽やかに踏み出してきた。

手持ちの竪琴を持った楽士が鳴らすもの悲しい調べに乗って、彼女は立ち台の真ん中で身をしならせて踊る。


初めて来た時は直視できなかったが今は違う。

アデルが表したように鍛えられ、しかし女性として確かな豊かさを持った身体で彼女が舞う姿を、僕は静かに観察する。


やがて香の甘い香りが店に充満してきたころ、僕は明らかな変化を感じ取った。


煙に紛れて動く黒い影、それも都合十数匹。

黒の妖精(ドゥ・シー)〉だ。


薄暗い天井の模様に紛れて妖精たちがカヤの動きに合わせて揺れる。

一匹が僕の肩に降り立ち隣で眠る〈術師ソーサラー〉に驚くが、僕は〈白の妖精(グウィン・シー)〉を使ってそれをなだめ、その帯びたる使命を聞き出した。


「魅了と、盗み」


つぶやいて納得する。


カヤの技とは、つまり魔法とダンスの合わせ技なのだ。

注目を自分に集め、周囲の人間を魅了状態に置く。

その上で酩酊した彼らの頭から直接情報を盗み取る。

店内を暗くすればたとえ魔導師でもドゥ・シーには気づきづらい。


原理はわかった。

だがどう対抗すればいい。


別の精霊を飛ばして邪魔をするのは簡単だが、それではカヤの立腹は買えても信頼を勝ち得る事はできない。

かといって同じ事をしたらカヤの面目を潰すだけでなく、彼女のカラクリが露見する恐れがある。

音楽で羽音を、照明で気配を誤魔化すにも限度があるからだ。


『目を引きたい? みんなに注目されたい?』


突然の〈神衣〉のささやきに左右を見るが、魔術の双子はまだ肩で眠っている。

胸の奥に耳を澄ましてみても何も感じないから〈騎士ナイト〉でもない。


ふとポケットを漁ってみる。

取り出したのは金の小石。それは微かに光を放っていた。

僕に反応している?


(「使い方は〈乙女メイデン〉が知ってる」)

カルネの言葉を思い出し、僕はシンディのいるカウンターにとって返す。


シンディを呼び、〈乙女〉の宿ったブローチを出してもらって小石に近づける。

瞬間、僕に〈乙女〉の声が届いた。


あるじの主、これを使いたいの?』


『うん』


『わかった。部品を渡すからそっちでたたき起こしてね。

 〈御使い〉でも、要領は〈管理者〉と変わらないから』


シンディのブローチが解け空色の宝石が転がり落ちる。

たしか〈ワンピース〉だったか、それと小石とを握るが、そこに気配はない。


「レイ様、もう一つ渡されていたのでは?」


シンディのささやきで僕は〈レディ・ドレス〉の存在を思い出す。

改めて三つの宝石を握り、問いかける。


『君は?』


『……〈歌姫アイドル〉』


短いつぶやきだが、確かに声が帰ってくる。


「どうやら当たりらしい。ちょっと着替えてくるよ」


僕はアデルとシンディにそう言い残し、立ち台裏の楽屋に向かった。



 ***



あの王子には悪いことをした。


ダンスと魔法に集中しながらも、カヤは心の中から罪悪感が拭えなかった。


復讐としてもイタズラとして完璧だ。

カヤが人生の大半をかけて培ったこの技、例え奇跡が起ころうと男性である王子に真似はできまい。


いくら見た目が女の子であろうと所詮は仮装。

今の自分のように足を高く上げられるか?

客の声に応えて服を脱げるか?


やったところで恥をかくだけだ。


妖精を通じてマイスターたちの記憶が読み取れる。

今日ばかりは彼女の勝利は確実。


だが、それでよかったのだろうか。


外国人とはいえ所詮は貴族。

か弱い外見にフワフワの物腰と来れば、自分にわだかまる黒い気持ちをぶつけるのに最高の獲物、そのはずだった。


最初こそ空涙に引っかかってくれたと喜んでいたのだ。

これで恥がかかせられる。

少しは気晴らしになるだろう。

拒んできたなら胸のありったけをぶちまけてやる。と。


ところがどうだ、あの王子は一度も拒まなかった。

嫌がってはいたが彼女を罵ることはなかった。


道理で妙に大きな使用人娘が庇うわけだ。

あの王子は心が広すぎる。無関係の人間を懸命に、そして喜んで助けようとするなど、おそらくこの帝都では三日と暮らしていけないだろう。

人に騙され、利用されて捨てられるのがオチだ。


だがその広さが羨ましい。

きっと誰を恨むこともない、その真っ直ぐさが眩しい。

全てを許す、その優しさが妬ましい。


いい目だと言ったのは、彼女の本音だった。

彼女はすでに負けていたのだ。


でも彼女の心の奥底で燃える憎しみがそれを許さない。


自分を守るために両親が何もかも失った時、幼い彼女はそれを誇った。

だが凍える夜の下で誇りは恨みに変わり、純潔を奪われた時に憎しみとなって羽化した。


全て滅べばいいと思った。

この帝都もこの国も、そして、自分自身も。


その憎しみが、彼女に負けを許さなかった。

気がつけば、彼女も憎むべき相手の同類になっている。

絶対に飛び越せない壁を飛び越せと迫ったのだ。


これでもう許してはもらえないだろう。

踊り終わった時に、彼女は王子に断罪されるかもしれない。


でも、それでいい。


人間に無限の優しさなどない。

無私の犠牲などあり得ないのだ。


カヤが最後の布に手をかけ、そっと目を閉じる。

その瞬間だった。



「いつか見た夢のように、また空を目指そう」



歌声が、彼女の目を開かせた。


いつの間にか立ち台の横に少女が立っている。

燃える赤金の巻き毛を揺らし、艶やかな、でも決して淫らではない可憐な衣装を着て。


「今日の羽ばたきがたとえ泥にまみれても、羽ばたくことをあきらめないで」


竪琴の音に合わせて彼女は切々と歌い上げる。


その背から解き放たれるのは、無数の蝶の羽もつ〈白の精霊(デック・アールヴ)〉。

それは音もなく煙を切り、カヤの魅了に取り憑かれた人を別の恍惚へと導く。


「空は開けているの、青く、高く。目を逸らさずに一つ、また一つとはばたくの」


それは共感。

魅了して奪うのではなく、共感し分かち合う。


カヤも原理だけは知っている。

だが普通は一対一でしか使えないし、何より敵意や困惑を乗り越えるのが難しい。


少女はそれをやってのける。


カヤはそれが自分の技の応用だとすぐに見抜いた。

注目させたのだ。その歌で歌で最初の関門を、不安や恐れを乗り越えたのだ。


そしてもう一つ慄然たる事実がカヤを撃ち抜く。

カヤの魔法は止まっていない。

それどころか先ほどにも増して、彼女の欲する情報が集まっていく。


この少女がマイスターたちの心を開いて無防備にさせている。


そう気づいたとき、少女がカヤを見る。


「勝負です、カヤさん」


ワンドとは違う奇妙な短杖、金色の太い棒を握って笑うその顔には、あの王子の面影があった。


またやってくれた。


カヤを利するこの状況。

負けを認めたのか、いやそうではない。


いま自分が手にする情報は、カヤが独力で手に入れたものとは言えないからだ。

勝負だというなら、紛れもなくこれは少女の、王子の手柄に入る。


共感で手に入る情報には、いろんな雑音が含まれていた。

カヤはそれに顔をしかめる。


『最近カミさんに「愛してる」っていってねぇなぁ』

…………どうでもいい。


『ワシが殴ってしまったあの靴磨きの子供、済まんことをしたなぁ』

…………うるさい。


『あんなことするんじゃなかった。靴職人の爺さんに謝りたい』

…………なんなんだこれは!


わかっている。相手は人間だ。

どんなに憎んでみたところで、彼らは彼らなりに生きている。

人を愛しもすれば、自分の行いを悔やみもする。


だからってこんな仕打ち。

私は、私が、馬鹿みたいだろう!


今さら憎むなと言うつもりか?

お前みたいに憎しみを捨てろと?


『僕にだって憎しみぐらいあります。

 姉を奪った敵は許せないし、三百人を命令の元で死に追いやった自分はもっと許せない。

 でも、それだけじゃ生きていけない』


これは、お前か?


『カヤさんが教えてくれたんです。

 争うより憎むより、助けたり寄り添ったりする方が楽しいんだって』


「…………勝負よ」


気がつけばカヤは少女の肩を掴んでいた。


もう彼女は負けていた。

だから最後に、できれば彼の手で憎しみにとどめを刺してほしかった。


自分を、壊してほしかった。


「上がってきなさい、ステージに。最後の勝負を、ダンスで……」


少年のような少女は一瞬だけ戸惑うが、すぐに立ち台に上がる。


そしてカヤの、皆の目の前でその姿を変えた。


褐色の肌、青紫の髪。

カヤの服によく似たヴェールをまとい、銀の装具をしゃらりと揺らして、紛う方なき豊満な少女は東洋風の構えを取る。


「受けて立ちます」

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