Chapter5 ③
七月五日、ハンスの手伝いも今日が最終日。
大賑わいの店でちょっとした事件が起こったのは昼過ぎのことだ。
「パイ二つオーダー入ります……ハンスさん?」
気がつけば厨房でハンスが頭を抱えている。
横に付いたカルネも爪を噛んで苦い顔だ。
「何かあったの?」
「あー、レイ君問題発生、材料がない」
カルネが小麦粉が入った木箱をコンコンと叩く。
中身が入っていないらしいが、奥の棚には同じような木箱が他にも並んでいる。
なにを慌てることがあるのだろうか。
「そっちは?」
ハンスがうなだれて首を振る。
「俺が浮かれて仕入れを間違えたんだ。
あっちは細挽き。ウチのパイには粗挽きが必要なんだよ」
「しょうがない、今からボクがひとっ走りしてこようか?」
「粉もの市場は今日は休みだ。
今から探そうと思ったら問屋街、帝都の反対側までいかねぇと……
でもそんなことやってたらお客が帰っちまう」
なるほど、すでに焼き上がった分はいいとしても、これから午後のかき入れ時というのに材料がないのは拙い。
せめてハンスが問屋に当たってる間だけでも繋ぎになるお菓子が必要だ。
『レイ、提案』
状況を見て、肩で〈賢者〉がささやく。
『〈賢者〉、記憶する、〈神衣〉、有効、状況。
カルネ、持ってる、組み合わせ』
「この状況で使える〈神衣〉をカルネが持ってる?」
『肯定』
「って〈賢者〉が言ってるけど」
カルネはしばし指を額に押し当て、ややあって手を打つ。
「ああ、うん。あるのはあるよ。でも……やる?」
僕は即座にうなずいた。
「せっかく今日までみんなで頑張ってきたんだ。
打てる手があるなら、僕は喜んでそれを選択するよ」
「どうなっても知らないからね」とカルネは舌を見せ、ハンスをそのままに僕を店の裏に引っ張る。
僕の胸に手を当て、一息すってから詠唱を始めるカルネ。
「重合喚装交換、シェフ、ダンドゥール、エプロン、リボン。
目覚めよ、汝の名は〈創菓者〉。
汝は全霊を持って喜びを創るものなり!」
女給服が解けて、瞬時に別の形へ変形する。
全体の意匠はそんなに変わらない。
ただ頭には妙に背の高い白帽子が被さり、色はバラ色に染め変わる。
スカートは少し絞られ、それだけで動きやすくなったようだ。
エプロンも実用の縦型へ変わるが、しかし全身のフリルはなぜか増量される。
「これで終わり?」
「組み合わせに使う要素が似てるからね。でも中身は別物。試しにほら」
彼女がリンゴを投げて寄こす。
それを受け取った僕の中で瞬間的にいくつものアイデアと知識が弾けた。
「甘みの少ない種類だから生で使うのには向かない。ピューレかフィリングにしないと……
これ、そういう服なのか」
「お菓子職人の服装だよ。
ただその……ちょっとばっかり方向性が違うけど」
「方向性? ううん、あとで聞くよ。とにかくこれでハンスさんを手伝える」
さっそく厨房にとって返し、事情のわかっていないハンスを無理やり仕入れに送り出す。
出来上がっているパイをチェックして使える時間を推測。
あまり長くは持たないから、なにか作るなら大量に、かつ手間の少ないものがいい。
使えるのは細挽きの小麦粉……つまり薄力粉とリンゴ、油、砂糖。あとはつや出し用の卵とバター、お茶に合わせる牛乳ぐらいか。
「ひらめきですっ!」
服に思考を合わせていたら意図せぬ笑顔と共に妙なセリフが飛び出す。
視線でカルネに問いかけるも、逆に微妙な顔を返されてしまう。
もしかして方向性って……こういう事?
「さぁ、天才パティシエール、レイナちゃんのクッキングタイム始まるよぉ!」
なぜか店のお客に笑顔とポーズを作りながら、僕は自分の作業に実況を入れつつ料理に取り組んでいく。
「まずはリンゴをきれいに剥いてクシ切りにしまーす。
…………ってカルネちょっと」
「ははは、ごめ、それどころじゃない」
横で一緒に手伝いながら、カルネが肩を小刻みに震わせ笑いをこらえる。
アデルもシンディも服を見て納得顔だが、同時に爆笑寸前だ。
お客のほとんどはなにが起こったのかと僕に注目している。
次いで厨房を謎の照明が明るく照らし、僕の手さばきに合わせて軽快な音楽が流れ始める。
僕は混乱していたが、だからって服の意思を止められない。
「はーい、フィリングを作るよ。
バターと、リンゴと、それからお砂糖をお鍋で炒めまーす。
焦がさないようにしっかり混ぜないとネ!」
自分で言うとおり、しっかり火が通りあめ色になるまでフィリングをかき混ぜる。だがしかし、どう考えても火のとおりが早過ぎる。
「……もしかして〈神姫武装〉?」
「うん、空間型神姫武装〈三分間乃御約束〉。
この空間にいる間、全ての調理行程は加速され、必要な道具はすぐに具現化される」
説明はありがたいが、いったいどんな神話がそんな摩訶不思議な力を要求するというのか。
「おまけに、その空間を外部から観察する人には強力な魅了がかけられる……」
カルネの説明を男性客のどよめきが埋めた。
彼らは僕の一挙手一投足に興奮し、料理の行程一つ一つに拍手を鳴らす。
「タルト生地をのばしたら、フィリングを入れた深皿の上に敷いていきまーす。
……なんだか凄くやりづらい。この口調も……」
「レイ君あきらめて、番組終わるまでそのままだから」
「番組って何!?」
ともかく謎のリンゴ料理がオーブンに入れられ、あっという間に焼き上がる。
それを客に見せながらに取り出し、ひっくり返し、香ばしくも程よく焦げたフィリングに包丁を入れ、正確に七等分したピースを皿に盛りつけて完成。
「じゃーん、タルト・タタン完成でーす!
みんな、アッツアツのうちにたーんと召し上がれ♪」
「「「うをぉぉぉぉぉっ」」」
謎の感動とフィナーレを飾るファンファーレに包まれ、僕は笑顔で泡立て棒を振って笑う。
なんだろうこの充実感。
これは、ちょっと、楽しいかもしれない。
***
時は移って夕暮れ時。
場所はいつものシュレータァ・オットー酒場。
「いやぁ、本当にありがとうなぁ。
俺頑張るからなぁ、ほんとに、お嬢ちゃんありがとうな」
何度も何度も頭を下げ、菓子屋のハンスはレシピの書かれた紙束を手に店を出て行った。
僕らの手伝いは終わったが、明日からはちゃんと従業員を雇うそうだ。
酒場ギルドのマスターと話し合ってたから、きっとここにいる女性たちの新たな働き口になるのだろう。
お昼過ぎにハンスが店に帰ってきた時に僕はまだ「アンコール」と称した料理ショーの最中で、タルト・タタンなるリンゴ菓子を量産していた。
最初こそ困惑していたが、そこは彼も菓子職人だ。
すぐにタルト・タタンの利点、皮を伸ばす必要もなく手軽で熱いまま食べられる、に気づき横でレシピをメモしていた。
ハンスの店を立て直し、新しいお菓子を提案し、ついでに新しい仕事を作る。
結果として、僕らの手伝いは大成功に終わった。
「ま、まぁ……最後のあれはどうかと思うけど?
でも一応これ、あげるわ」
カヤはいつものように皮肉を言いながらも、お礼代わりにと新しい情報を僕らに渡してくれる。
「〈ヴァイセ・アルブム〉は現女皇の肝いりで作られている。
その管理、運営はゾフィー女帝が全権を持っているため、〈女帝の魔術工房〉にその大部分の機能が集約されている。
しかし外部のマイスターにもその参加者が多数存在し、彼らを統括するためにかなり秘匿性の高い……」
「付け加えておくと、例の依頼人に渡したのは、今日のところまでよ」
つまり今読んだところまでが、〈邪神〉の配下に伝わっているわけだ。
「……妙だな」
アデルがおとがいに当てた指を立てる。
「レイ、本当にそう書いてあるのか?」
「うん。読んだままだと思うけど」
「管理はともかくとして〈運営〉とはどういうことだ?
書物なら普通〈保管〉だろうに」
さらにシンディまでもそれに同意する。
「〈参加者〉というのも引っかかります。〈執筆者〉ではないのですか?」
二人の視線が僕からカヤへと移るが、彼女は涼しい顔で首を振ってみせる。
あくまでもここから先は次の範囲ということか。
「詳しいことはボクもわかんないけどさ」
カルネが顔をしかめる。
「いま引っかかったところ、たぶん相手も引っかかってると思う。
これはもしの話だけどさ、この街の誘拐事件が連中の仕業だとしたら……
きっと〈参加者〉を探してるんじゃないかな」
「その恐れはあるね。
カヤ、他の人に危害が及んでるかもしれない。どうしても話す気はないの?」
僕の言葉に、カヤは悪びれもなく応じた。
「無いわよ。もしそうだとしても自業自得だわ。
貴族かぶれのマイスターなんて、いっそ酷い目にあってくれたほうがいいのよ」
「本当にそう思ってる?」
僕は彼女の鳶色の目を見て訊ねる。
「君は本当に、人が苦しめばいいって、そう思ってるのかな」
その美貌の奥にしまい込んだ、僕らに話せないだろう事情。
それを僕は想像できた。彼女の言葉をフロルから聞いた事情と重ね合わせれば、彼女が罰したい対象、憎むべき相手が浮かび上がる。
そう、マイスターや貴族だけではなく……
「お前は拗ね回って金をせびるだけなのか?
過去の遺恨を笠に着て無関係の人間を見捨てるのがお前の復讐か?」
僕のわずかな逡巡を破ってアデルが苛立ち紛れの声を投げる。
「そんな言い方は――」
とっさに止めようとした僕をさえぎって、カヤがテーブルを叩く。
「もういいわ! お金が大事なのは事実よ!
そこの王子様がどう思ってるかは知らないけど、それでいいじゃない!
何も分かってないのに余計なお節介なんて必要ないのよ!」
そのまま僕らに背を向け、カヤはロフトから自分の部屋へと階段を駆け上がっていった。
「アデル!」
彼女を、アデルを怒鳴ったのはおそらくこれが初めてだろう。
僕は怒っていたわけではない。非ならむしろ僕にある。
「だがレイ――あいつは……」
「言っちゃいけなかったんだ。
今の言葉は、絶対に言っちゃいけなかったんだよ」
彼女が皮肉屋であることを知っていて、カヤの事情を話さなかった僕の責任だ。
カヤの態度が、図らずも僕の推測を裏付けている。
お節介、確かにそうだろう。
自らを罰しようという人間を助けるのは、そういうことだ。
でも、僕はそう知ってなお……貴女を助けたい。
あの踊り子が消えた酒場をあとにしながら、僕はそれだけを考えていた。
助けるべき人がもう一人いることにも気づかずに……
***
回路接続、圧縮情報回線双方向接続完了。視界情報ダウンロード開始。
夜も更けた暗闇の中、〈帝王宮〉の廊下の屋根にへばりついたカルネは、地下に安置されたヴンダーヴァッシェとアクセスしていた。
いくら彼女が女神、人外の能力を持っているとはいえ、さすがに〈女帝の魔術工房〉に直接侵入するのはリスクが高すぎる。
精霊に影響を与えてしまう以上、感知される可能性があるからだ。
見つかればこっちの立場が悪くなる。
相手の出方がわからない今、頼みの綱はヴンダーヴァッシェの録画ログしかない。
幸運にも銀装騎の視界は全方向全周囲、おまけに完全立体だ。
物陰に入られると困るが、おおむねのところ筒抜けである。
ヴンダーヴァッシェが置かれているのは地下の大きな空洞、対面に大きなカーテンが掛けられている以外は、カルネが初日に見たままの状態だった。
前回アクセスから二日、溜まったログをチェックするのは根気がいる。
カルネはイライラと指で屋根瓦を叩きながら情報を精査していた。
「くっそー、何かやってるのはわかるんだけど、何やってるんだか理解できん。
見たところ魔法だよね」
早回しの視界に映るのはワンドを手に歩き回る魔術師ばかり。
精霊がカメラに映るはずもなく、したがって作業を推測することもできない。
「壊してない、でも魔法は使ってる。ああもう、ここにお嬢がいてくれたら……れっ?」
一瞬、揺らいだカーテンの向こうに目が、というか思考が吸い寄せられる。
今のは……見覚えがあるものを見た感覚……逆回し!
周囲で魔術師が時間を戻していく中、問題の物体がカーテンのすき間からのぞく。
チタンの薄黄色の結晶が幾重にも連なる、ウィスカー鋼のケージに固定された物体。
「ストップ!
……これってダヴの駆動系……単軸電動筋肉じゃん。
え? でも分解はされてないし……っ!」
カルネの思考にカヤの言葉が蘇る。
(「魔法を使えばいくらでも複製できるの。
ハンマーで叩いたりヤスリで削ったりしなくても、精霊に命じて素材から粘土細工みたいにいじってはい終わり、よ」)
「まさかママちゃんの狙いって」
過去の映像、閉ざされたカーテンに阻まれたその先。
カルネはそれを見通すように睨んでつぶやいた。
「やめさせないと……」