Chapter3 ~魔法少年メイドさん~ ①
さして広くなく、日もあまり入らない高層住宅。
その三階の家政婦部屋。
小さなテーブルで差し向かいに座った壮年の家令が、手元の紙とこちらを交互に見やる。
「ふむ、人物紹介状も問題ないですな。
しかし十七歳ですか、ずいぶんとお若く見えますが」
「か、家族の血筋でして、母も祖母も背が低くあり……低かったんです」
「それはそれは」
あまり興味なさげにうなずく家令の後ろで、だらしないリンゴ腹をベストに押し込んだ屋敷の主が何事かをつぶやく。
その目は僕に向けられているが、お世辞にも爽やかとは言い難い。
むしろなにか漠然とした身の危険を感じてしまう。
家令はなぜかため息をつくと、右手を僕に差し出した。
「まぁ、あとはお働きを見てからにしましょう。
服の方も自前ですと助かります。とりあえずは採用、ということで」
彼の手を握り返す僕の手には白手袋。
楚々と立ち上がりワンピースをつまんでお辞儀。
エプロンを汚さないように椅子を戻しながら、彼に感謝を述べる。
「ありがとうございます」
「レイナ・オットーさんでしたな。
こっちへ、ちょうどお館様の書斎が散らかっとりますから、まずは掃除と整頓から見せていただきますよ」
彼の後ろについて部屋を出ながら、ちらりと奥にかかった鏡を見る。
濃褐色のメイド服を着た少女が同じ仕草で僕を見返していた。
なんでこんな事になったのか……
事は今日、六月二十九日の朝の時点までさかのぼる。
***
前日の話し合いを経て、僕らは帝都の外郭、その中央にあるシュレータァ地区まで来ていた。
帝都ベァルケンは湿地を埋め立てて作られた新しい街。
帝城の濠以外にも何本かの川が通っている。
アデルの故郷レティヒェンと地勢が似ているが、こちらの方がスケールは何倍も大きい。
最も大きな川を境に帝城側を内郭、逆が外郭と呼ばれている。
内郭には工房や貴族の邸宅が集中し、外郭にはそれ以外の、つまり普通の市民の住居や工場、倉庫や荷出し場なんかが集まっていた。
僕らが昨日入りこんだ貧民窟はちょうど外郭の外れだ。
市民の街と言うだけあって、川を渡れば街並みはぐっと親しみやすさを増す。
路面は色こそ白だが砂敷きが多く、屋根の青をのぞけば壁の色はかなりバラバラ。
スィンダインの下町と雰囲気はよく似ていた。
〈シュレータァ・オットー酒場 兼 地区酒場ギルド本部〉
ようやく探し当てた背の高い高層住宅の一階、エールの……こっちではビールか、とにかくビールのマグを象った看板が風に揺れる。
赤塗りの大扉はぴったりと閉じていた。
「酒場、か。朝だから開いてないかな」
「出直そうか」
僕とアデルが声を交わしたそばで、扉が薄く開いてベロベロに寄った男がまろび出る。明らかに酒臭い。
中からは竪琴のゆったりした曲と、名刺にも染みついていた甘い匂いが漂う。
「中は暗そうです。それにちょっと雰囲気がその……あ、カルネさん待って」
「開いてるよ。入ってみよう」
尻込みするシンディをよそにカルネが店の中にスイスイ踏み込んでいく。
それを追って扉をくぐった僕らが目にしたのは……
暗い照明の下、リュートの音色に乗って布一枚の姿で踊る女性。
それを囲んで座る酔客は身なりがよく、焚かれた香の煙が店の全てを曇らせる。
なんというか、大人の酒場だ。
「おい姉ちゃんたち、入るんだったら早く扉閉めてくれ」
扉近くに座った強面の男性、おそらく用心棒がぶっきらぼうに声を投げる。
シンディが扉を閉め切ると酒場はもはや闇寸前。
香炉を兼ねたオイルランプの笠が青く、わずかな明かりはどこまでも紫がかる。
「君たち新しい踊り子さん?」
席に着くべきかと思いあぐねていると、鼻にソバカスの浮いた青年が話しかけてきた。酔ってない所を見るに従業員だろう。
「いえ、僕らは人を探しています」
僕に呼ばれてアデルが名刺を見せる。
青年はランプにかざして文字を読むと、何度かうなずいてから立ち台で身体をくねらせる半裸の女性を指差した。
「カヤなら、ほら、いま踊ってるよ。彼女の友達?」
「カヤ? ああ、いやそういうわけじゃ……」
「なら彼女の〈お客さん〉かな? 待つんならマスターに頼んでみるよ」
青年は店のカウンターに行き、そこで顔面これヒゲとばかりにもっさりとした、貫禄のある人物と二言ばかり交わすとすぐ戻ってくる。
「上の席で待つといい。踊り終わったらすぐ寄こすって」
彼に案内されロフトのラウンドテーブルについた僕らだが、はっきり言って居心地の悪さが半端じゃない。
周囲には明らかにそれと判るきわどいドレスの女性が何人も立ち、大半の客は手すりに身を持たせて踊る女性を肴に酒を呷る。
普段は僕にキワどく詰め寄るくせに、シンディはさっきから顔を真っ赤にしてうつむきっぱなし。
僕も目のやり場に困って天井やら床やら目先が落ち着かない。
反面、アデルとなぜかカルネが、興味がある様子で階下を見ている。
「あの姿勢からひねって開脚か。
体術もできるな、短剣を扱わせたら凄そうだ」
「うっわー全開してるし……あ、脱いだ。色がきれいだなぁ」
「いやちょっと二人とも、なんでそんなに冷静なのさ」
努めて立ち台から目を背けつつ訊ねる僕に、アデルとカルネはキョトンとした顔でふり返った。
「レイはこの手の店は初めてだったか?
安心しろ、そんなに怖い場所じゃない。
踊り子には身体を鍛えてる者が多いからな、戦争中はスカウトによく来たものだ」
「戦争中って、アデルそのころ何歳だったっけ?」
「十二ぐらい、だったか」
平然と話すアデルに僕が頭を抱える横で、カルネもこともなげに周りを示す。
「ただのストリップ酒場じゃん。人間の世界なら大抵どこにでもあるよ。
人前で脱ぐのが見てても恥ずかしい?
でもほら、彼女たちだって見せて商売してるんだし、衣装の神が言うセリフでもないけど裸は人間の一番美しい姿だよ。
ねぇ?」
カルネに手を振られたドレスの娼婦が明るく笑い返す。
「ほら、レイ君も恥ずかしがってないで見て見て……って終わっちゃったか」
いつの間にかリュートの音色が止み、ケープを羽織った踊り子がソバカス青年に連れられてロフトに上がってくる。
黄緑の長髪に均整の取れた顔、そして妙に尖った細い耳。
間違いない、昨日助けたあの人だ。
「あなたたち昨日の……」
「話を聞きに来た」
単刀直入にそう言うアデルに、女性は小さく鼻をならして肩をすくめ、ロフトの奥にある小さなドアを指した。
「上で聞くわ。どうせ休憩だし」
***
「あーもう、名刺渡すんじゃなかったわ」
酒場の四階にある小部屋で、胴着つきの紅色の服に着替えた女性がベッドにあぐらをかいてふてくされる。
「派手なサーカスかなにかと思ったら、そっち側の人間とはね」
「どういう意味かは知らんが、知ってることを話してもらえると助かる。
リューガーさん?」
矢面に立って胡散臭げな視線を受け止め、率直に話を聞こうとするアデル。
めんどくさそうに女性が手を振る。
「カヤでいい。聞きたいのは私がバケモノに襲われた理由でしょ?」
「というと心当たりがあるのか?」
「私は探偵やってるの、それも潜り込み専門のね。片手間だけど。
あのバケモノはきっと依頼主が寄こしたのよ。
ケチな姉妹で終わってから値切ってきたから、帝都軍にタレ込むって脅したら襲ってきたのよ」
「何を調べていた?
〈ヴァイス・アルブム〉という言葉を知っていたようだが」
「ふんっ、知ってるじゃない。もろズバリそれよ。
でもヤバイ情報だったし、もしかしたら最初っから口封じする気だったのかもね」
女性の捨て鉢な態度にちょっと戸惑ったが、僕は取りあえず前に出る。
「よかったら教えてもらえないかな。その情報」
「イヤよ」
「なぜ断る?」
にべもなく断るカヤに詰め寄るアデル。
しかし軍人の威圧にも、彼女は不機嫌な態度を変えない。
「あなたたち私の〈客〉じゃないでしょ?
金も出さずにはいそうですかと話すと思ってんの?
身体と一緒で、私は売れるものをタダにする気はないの」
「アデル下がって。
ならその情報を言い値で買うよ」
僕が懐に伸ばした手を、カヤは白くしなやかな手で止める。
「やめてよそういうの。
……あんたたち、見た時からそうだと思ってたけど貴族よね?
私はね、貴族となんか取引しないの。
寒気がするわ。どうせそのお金、自分の力で稼いだものじゃないんでしょ?」
そう言われると返す言葉が見つからない。
僕の資産はあくまで領地から上がってきたもので、汗水垂らして稼いだお金とは言えない。
「なんでそんなに貴族を嫌うのですか?」
後ろから声を掛けるシンディに、カヤは彼女の服装、地味なワンピース姿を一瞥して眉をひそめる。
「あんた使用人よね。だったらわかんない?
人の金で飲み食いして、家事もなにもかも他人に押しつける最低の連中よ。
そんなのからお金もらって嬉しい?」
「私は……そう思ったことはありません。
生まれが貴族なせいもありますけど、彼らは彼らなりに重責を負ってらっしゃいます。
このレイ様も、行く行くはプリダインの王になるお方。
見た目は頼りないですが、肩に負った重みに比すると……むしろ報われてないぐらいです」
彼女の瞳に先日の戦、その影がよぎる。
カヤも何かを感じ取ったようでいったんは目を伏せる。
しかし、拒むように首を振ると、影のある口調で僕らに向かう。
「外国人にこんな事言っても仕方ないけど、世の中そんなご立派な貴族ばかりじゃないのよ。
もう出てってよ、夜中に客を取って疲れてるの」
そう言われても、こちらも引き下がるわけにはいかない。
彼女が持っている情報はおそらく〈邪神〉の、王朝軍がこの街にいる理由に触れるもの。やっと掴んだ糸口なのだ。
じっと立つ僕に、カヤはひどく悲しそうな目で問いかける。
「ねえ、私が貴族を嫌いな理由が聞きたい? 聞いたら出てってくれる?」
僕がためらいがちにうなずくと、カヤはため息を吐いて先を続けた。
「いいわ。私ね、これでも魔術師なの。
この尖った耳は先祖から代々続く〈森人〉の血なのよ。
でも私の家は帝国に切り捨てられたの。
〈四元素〉の研究を拒んだからマイスターを取り上げられたのよ」
スカートから魔杖を取り出してみせるカヤ。
そこに寄ってくるのはまだら黒にハエの翅、〈黒の精霊〉だ。
「〈森人〉に与えられた才能は黒の扱い。
でも帝国の中人は私たちから魔法の基礎だけ学び取って、〈四元素〉を使えるようになったら私たちから土地を取り上げた。
中人に爵位を与える、そのためにね」
彼女の吐いた息で飛ばされたドゥ・シーが、それでも目のない顔の裂けた口を心配そうに曲げる。
「落ちぶれた家を何とかしたくて、両親は売れるものは全て売ったわ。
宝石も、家財も……血筋から身体の弱かった両親はすぐに死んだわ。
私は救貧院から逃げ出して、十二の時から身体を売って……
……でも黒しか使えない魔術師なんて、帝国ではなんの意味も無いのよ!」
悲痛な叫びが僕らを打つ。
僕らにはどうにもできないが、彼女の持つ過去、その重さはよくわかる。
「わかった?
あなたたちがどれだけ立派な貴族様でも、人の上にあぐらをかいてるってだけで私は憎いの。
国を勝手に作って、偉いぞって言って暮らしてるってだけで虫酸が走るの!
金持ちも、貴族も、特権なんて持ってるだけで……だけで私は……」
顔を押さえる彼女にシンディが寄り添う。
「申し訳ありません。辛いことを聞いてしまって」
どうしたものかと頭をかくアデル。
その横で僕とカルネはそっと顔をつきあわせる。
「レイ君?」
「いや、手がかりは捨てられないよ。
…………うん、僕は決めた」
僕はカヤの前に跪き、礼を取って話しかける。
「カヤさん、聞いてほしい。
僕のお金は受け取れないという貴女の気持ちはよくわかりました。
貴族を憎むその理由もです。
でも、僕らにはどうしても貴女の持つ情報が必要なんです。
何か別の形でも構いません。どうか僕らに機会を与えてくれませんか?」
カヤは涙に濡れた目で僕を睨み、いやと言いかけて口ごもる。
そしてシンディの手を払って涙を拭くと、彼女は僕を試すようにつぶやいた。
「そのためなら……何でもする?」
「できることなら。お約束します」
「なら交換して……
情報の代わりに、あなたたちが働いて得た情報をちょうだい」
彼女の言い分がよくわからずに顔を見合わせる僕ら。
カヤが挑戦的な顔になり、ビシリと持ちかける。
「チャンスはあげるわ。
私の仕事を手伝ってくれたら、その報酬に見合った分だけ教えてあげる。
これでどう?」
「……わかりました。お引き受けします」
彼女の顔にイタズラな、そして復讐めいた気配を感じてなお、僕はためらいなくうなずく。
決めたのだ、この人の気の済むようにしよう、と。
だたしこの決意を、僕はあとでちょっと後悔することになる。