Chapter7 ~宴と和解と、そして新たな旅へと~ ①
こうして、三年にわたりイニス・プリダインを脅かした〈黒の霧事変〉は終息した。
後に〈奪還戦〉と呼ばれることになるペンヴリオ攻略作戦は、結果から見れば痛み分けであった。
暫定的に〈王朝軍〉と呼ばれた敵軍はほぼ壊滅。
元の兵力が少なかったところへ黒い機装の味方殺し。
規律正しく本陣艦へ引き上げた彼らは、その全てを一瞬で打ち砕かれた。
また装備が機装であったことが、彼らの命を余計に奪う結果をもたらした。
巨大な鉄の塊である機装は絶えず自己修復をしないと簡単に自重で崩壊してしまう。
レイが仕留めた箱頭のパイロットたちは、レイが急所を外したにもかかわらず、その多くが自らの機装に押しつぶされて死んでいた。
これはカカシについてもあまり変わらない。
やられたが最後立ち上がることすらできず、数時間もしないうちに鉄の棺桶の中で蒸し焼き。もちろん生きているはずもない。
敵の機装を検分したカルネは、すぐにセルの言った「まがいもの」の意味を理解した。
本来なら組み込まれているはずの安全装置があらかた省かれており、機体を構成する用材もまったく不適当であったのだ。
曰く「カーボンフィルムの代わりに皮、ウィスカー鋼じゃなくて鋳鉄。完全に自殺用機装だね」。
彼らの機装はいたずらに乗員を殺しただけで、勝利に何ら貢献しなかった。
もし貢献があったとすれば、生存者を一人も残さなかったぐらいか。
一方のプリダイン連合軍も、その被害は決して少なくなかった。
最大の被害を被ったのはレイの後衛を務めた突撃部隊。
黒の機装がヴンダーヴァッシェをいたぶっていた時には、まだ彼らの多くが市街地に残っていたのだ。
市街地を顧みない攻撃で数百人の兵士が犠牲となり、その他の部隊についても、機装との戦闘で手痛い被害を被った。
そして一番肝心の情報についてはまったく収穫なし。
敵のほとんどが黒い双胴船と一緒に粉々になり、機装の乗員もほぼ死んでいるのでは捕虜の取りようもない。
「死人に口なしとはいえ、ここまで徹底されると腹立たしいな」とは、戦果報告を受けたアデルの言葉だ。
とはいえ、勝利は勝利であった。
イニス・プリダインはその全土が戦勝の報に沸き立ち、各地で記念の宴や祭が開かれた。
この日はやがて〈霧晴らしの日〉としてプリダインの祝日に残ることになるが、それはまた別のお話。
***
赤い屋根に薄茶の外壁が美しいスォイゲル王城。
時は西方歴1659年六月十四日。
世間の戦勝記念行事からは一足遅れで、連合王国合同の戦勝記念パーティーが催されていた。
城にはプリダイン各国の王侯が集まり、その中には長患いのレティヒェンのエドマンド翁、エル・アルバンのウルナッハ王とその家族、そしてパーティー嫌いで知られるケルニュウのスウェリン王の姿もあった。
中庭を主な会場として賑々しく宴が進んでいく中、カルネはいつの間にかレイの姿が消えていることに気づく。
彼女はパートナーの気配を求めて少し歩いたあと、やがて王族用の離れ、その二階に相手をそれを見いだした。
***
「こんなところで何してんの?」
家財の一切ないがらんとした部屋にカルネの声が響き、僕はバルコニーの手すりから顔を上げる。
カルネはいつもより若干飾り気を増した羽衣をなびかせ、部屋を見回して不思議そうに目を瞬かせる。
「ここ何の部屋?」
「僕の寝室。もう何にもないけどね」
バルコニーに面した日当たりも風通しも最高の部屋。
ここが僕の寝室だった。
帰ってきた当日には驚きと拒絶感を味わったこの空虚さも、今では母の願い、僕を霧から守ろうとした暖かさを感じる。
思えば子供部屋にしては贅沢なこの場所からして、僕が母に愛されている証拠だ。
「マジでチリ一つ落ちてないし。徹底しすぎじゃんあのオバさん」
「いつだってそうだよ。思い切りがよくて、手を抜かないんだ」
カルネがふわりと僕の隣に並ぶ。
そして僕の見ていたものに気づき顔をかげらせた。
「あれって……」
「うん。戦没者の追悼碑」
城の裏手には、〈平定戦争〉以前から兵士を追悼するための広場がある。
大理石の石塔が並ぶ一番手前には、まだ木で仮置きされただけの真新しい板碑が立っている。
プリダインの戦にしては戦死者が少なかったため、碑には一人一人の名前が彫られていた。
それでもざっと三百人分。
他がつるりとした碑ばかりだけに、漆喰で仮塗りされた表面が文字だらけで黒々と目立っている。
「僕が……殺したようなものだよ」
「違う」
僕のつぶやきに、カルネが首を振って肩を寄せる。
「レイ君が殺したんじゃない、責めを負うべきは力のないボクの方だ……わぷっ」
彼女の肩を抱いて、僕はそれこそ違うと優しく力を入れる。
「僕は、もっと別の方法が取れる立場にいたんだ。
あんなに大勢の人が死ななくてもいいようにできたはず、そのはずなんだ」
「……レイ君、気休めかも知れないけど奴らが……〈邪神〉がこの世界にいる以上、どこかでこうした衝突が起きる。
レイ君は被害を最小限にしたんだ。
そんなに自分で抱え込もうとしないでよ」
二人とも夕暮れのペンヴリオを見たあのときからずっと考えていた。
自分たちのしたことは、本当に正しかったのだろうか、と。
もちろん僕はそれでも前に進まなければと思う。
あの地下牢でそう決めた。
間違いや正しさも、また自分の判断次第なのだ、と。
でも多くの犠牲を突きつけられれば、やはり間違いだった気がしてならない。
カルネと二人で立っているはずなのに、肌を寄せ合っているはずなのに、なんだか自分がひとりぼっちになった気がする。
目を交わすと、カルネもそんな寂しそうな顔をしていた。
僕らはそっと手を握り合う。
そこへ
「宴の主役が、こんな寂しい場所で逢い引きか?」
突然の声にふり返れば、部屋の入り口に立っていたのは母、アルビナ女王であった。
いつもと変わらぬ古い礼装、上羽織にドレスローブ姿で、母は邪魔したか? と肩を上下させる。
そして何を思ったのかツカツカとこちらに歩み寄ると、いきなり僕ら二人の肩を後ろから抱く。
「母上?」「おばさん?」
「ああ、そんなに辛い顔をするな二人とも。
重く辛い、苦しい思いだろうが、押しつぶされていては前が見えなくなるぞ」
「なんで……わかったの?」
カルネの疑問に、母は苦笑して前を見る。
「ここはかつて私の部屋だった。この窓から何が見えるかは知っている。
それにお前らの背中を見れば、何を考えているかなど手に取るようにわかる。
私も初陣の時は同じだったからな」
「母上が?」
「何だレイ、そんな意外そうな顔をするな。
私とて人の子だ。自分の命令で兵が命を散らした責を感じぬほどに冷血でも、悟りきっているわけでもない。
齢三十八にして、未だに答えも出ておらん」
答えが出ていない?
母ですら、あの超然として軍を統率する母をして?
「うむ、ただなレイ、私は背負うことにしたのだ。
彼らの死を無駄にせず、よりよい国を作ってゆくために、戦のない世界のための自戒として、彼らの名と想いを」
そう言って顔を伏せた母は、僕にキロッと鋭く眼差しを向ける。
「だが同時に、その犠牲を絶対に良しとしてはならん。
犠牲を良しとすれば大儀を言い訳に悲劇を生みだすだけの傲った人間に成り果てる。
例え神だろうが王だろうが、その傲りは絶対に許されん。許してはならん」
僕らがうなずくのを、母は柔らかな微笑みで受け取った。
「よし、いい子たちだ。
…………辛かったであろう、二人とも」
そして僕は成人以来、いや、おそらく生まれて初めて、母に優しく頭を撫でられた。
隣で同じように撫でられるカルネは、どう反応して良いかわからず目を白黒させている。
「お前があの人に似ていてよかった。
なんといっても、育ってなお撫で甲斐があるからな」
「ちょっと母上」
「冗談だ。ああ、それと」
めずらしく歯を見せて笑った母が、カルネの方を向く。
「女神、お前は〈成せる〉のか?」
「〈成せる〉って…………ああ、そゆこと?
うん、一応、ボクもそうして生まれてきたし」
「そうか、では私が許す。エースィルと競ってみるがいい」
「――は?」
「同じ事を言わせるな、お前の事はジョンから聞いた。
生まれがどこなど私は気にせん。
ああ、早く顔が見たいな。どちらになるやら、二人でも私は構わんが」
「ちょ、ちょっと待てオバはん!」
「待たん。ではレイ、下で待ってるぞ」
呵々大笑しながら母が退室する。
しばらくその背中をにらみ付けていたカルネは、やがて大きくため息を吐いて肩を落とした。
「とんでもねぇオバはん……レイ君、今の会話の意味わかってる?」
「いや、まったく。どういう意味なの?」
「わかんないなら知らない方がいーよ。
――つーかシンディと取り合えって、ボクにあんな巨乳族と張り合えって?
それに今ので気づかないレイ君の頭ってどうなってんの?」
「なんだか知らないけど、独り言ならもうちょっと声を落とした方が」
「聞かせてんの!!」
そう言ってカルネは僕の肩をキュッと抱き、そしてニヤッと邪悪な笑みを浮かべて牙を剥く。
「いーよ、神さま挑発したらどうなるか、オバはんに教えてやろーじゃん!」
「何だかわからないけど、母さんに手荒なことはしないでね」
「手荒なこと?
だいじょーぶ。手荒なことされるのはオバはんじゃないし」
「そっか、よかった」
「安心するのは百年早いッスよ?」
言葉から流れるように、彼女は僕の唇をまた奪う。
いや前は実体ってわけじゃなかったし、もしかしてこれって僕の……
そんな僕の思惑など知らん顔で、小さな女神は柔らかな舌でそっと僕の口を犯し、顔を離して無邪気に微笑んだ。
「取りあえずここから、ね」
「いやその……カルネさん?」
「カルネさん!!」
やにわに響く怒声。
いつ来たのか、部屋の戸に怒髪天をつくシンディの姿がある。
横でやれやれと肩をすくめ、僕に手を振るアデル。
「やぁレイ。
楽しんでるところ済まないが、そろそろ下に戻ってくれ。
スウェリン陛下の話し相手がいなくて困ってるんだ」
「どのへんが楽しんでそうなのかな、アデル?」
「女王陛下に呼ばれてきてみれば、おまやなんしょっとかこんドロボー猫が!!」
「うっわ本気で怒ってるし。
つーかあのオバはんの差し金かい、競わせすぎだろババァ……。
ベーだシンディ、早い者勝ちだよー」
舌を出したカルネがバルコニーから飛び降り、シンディがあとを追って鼻息も荒く階下に駆けていく。
残された僕とアデルは顔を見合わせ、お互い大笑いをするとため息をついた。
「二人とも子供みたいだね」
「いやいや、一番子供なのはお前だ。
もうちょっとハッキリしてやれ、二人ともかわいそうだぞ」
「何の話?」
「…………手遅れにならなきゃいいがな」
心底呆れた様子でアデルが僕の手を引く。
と、ふと思い出し、僕はその背中に声を振る。
「ごめんね」
「気にするな、戦ならこういう事もある。
だが生きているとわかったのだから何としてでも救い出すぞ。
国の名はアトラテアだったか。〈学校〉に戻ったら手当たり次第に聞いてみるさ」
頼もしい声を返す褐色肌の女軍人。
だがその背中が、震える背中が彼女の心を物語る。
僕は後ろから彼女の胴をそっと抱く。
軍服ごしに感じる背の筋の硬さは、どこか姉に似ていた。
「……レイ、私は少し泣いてもいいかな」
「うん」
ヒザを崩し、次第に大きくなる嗚咽に耐えるように彼女が僕の手を握る。
「ごめんねリリィ」という彼女の声を感じながら、僕は姉代わりの従者の背に顔を預ける。
彼女の心を護るように、彼女が泣きやむまで、僕はずっとそうしていた。