Chapter5 ⑦
ボクらが王宮の中庭に踏み込んだ時には、レイ君と女王の決闘はもう始まっていた。
双方持てるだけの剣技を振り絞った攻防。
でも明らかにレイ君が劣勢だ。
体格も違えばスタイルも違う二人。軽いレイ君の剣が女王の重すぎる剣に押し戻される。
「レイ君〈騎士〉を使って!」
ボクの声に、しかしレイ君はまったく反応せずに女王へ斬りかかる。
「わかんないよ、なんでこんな事に……」
なぜ二人が戦う、その答えが見つからないボクを、追いついたアデルがそっと肩抱きにする。
「見守ろうカルネ。あれがレイの出した答えなら」
「そうですよ。女王陛下もレイ様もあれでいいのです」
さらにシンディが〈乙女〉のスカート揺らしてボクの横に立つ。
彼女は人の事は言えないですけど、と舌を出して笑い、暖かい視線を死合う二人に投げる。
「お二人とも、不器用な方ですから」
***
僕はカルネたちが来た事にも気づかず、ただ一心に母の首を狙っていた。
殺すつもりがあったかというと、それはどうとも言えない。
ただ、これしか方法が思いつかなかっただけだ。
あとでシンディも似たような選択をしたと知って、ようやく僕はこの時の自分の思いをはっきりと言葉にできた。
立場の違う者同士がわかり合えるとすれば、それは同じ土俵の上でだけ。
僕と母は違う人間だ。
母は武勇と犠牲で国を拓き、それを背負った。
僕はその母に守られて育ち、国の未来を守りたいと思った。
過去と未来、互いに違う者が対等なのは現在というせめぎ合いの上だけ。
そして武人である母と意思を交わすには、互いに剣を振るうのが唯一の手段。
例え技量が天と地ほどに違えども、僕の身体がどこまでひ弱でも。
僕は母に伝えたい。
この国と共に、あなたと共に〈邪神〉を討ち取ると。
想いを乗せた刃は、しかしまだ母の懐へは届かない。
僕が小刻みに足場を変えて狙う突きを、女王は的確に防ぎ続ける。
「どうしたレイ、剣が軽いぞ」
母の剣がまるでハンマーのように強く僕の護拳を打つ。
「国と共に戦うにその剣の軽さはどうした? それが兵を死地にやる王の剣か?」
鍔迫り合いも一瞬に、女王はすかさず肩で僕の頭を叩いた。
「この程度も返せずに私の兵を、私の国を動かすつもりか」
次第に中庭の隅に追いやられながら、僕は母の剣を少しずつ理解する。
捨て身の勇猛さと将としての慎重さを兼ね備えた剛剣。
戦に身を投げ出していながら、勝機に目ざとく食らいついていく。
攻勢で防御を作り出す強い剣だ。
身軽さだけが信条の未熟な僕など、獅子の前の蚊に同じ。
だが、それがどうした。
母の横薙ぎを刃で受け、護拳を滑らせて懐へ。
左拳を上羽織に吠える獅子の胴へ叩き込む。
この目で機装を見た。
〈邪神〉に喰われた人々を感じた。
悲劇を盾に悲劇を生みだす者がいる。
僕は彼らを許さないし、そのためにここで踏みとどまる。
「返礼です母上」
「っ、ぬかせ!」
脇腹を強かに打たれ、だが女王は笑って僕の剣を横に弾く。
また一歩後退。
中庭を囲む列柱廊の柱に背が当たる。
いったんは上段に構えた剣を、しかし右に落として女王がにじり寄る。
隙が生まれた。
だが、これはわざと作られた隙だ。
ここで左に打ち込めば、おそらく剣は弾かれ僕の首は落ちる。
それでも、僕は左へ打ち込む。
勝算があるとすれば母が鍔を引く刹那。
予想どおり剣を絡め取ろうと引かれた鍔に、わざと手をぶつけて身体ごと前へ出る。だが
「ここまでだ」
僕の捨て身の策を読んでいたように、母の剣は手の中でくるりとひるがえり……
トン、と刃の背が僕の肩を打った。
「母上……」
「なかなかよかったぞ。
だが、私の首を取るにはあと少し精進が必要だな」
汗ひとつ無い母の余裕に、僕はやはりかなわなかったと肩を落とす。
と、母が僕を抱く。
「えっ」
「ずいぶん拳が重くなったな」
その言葉に、僕は背筋がじわりと暖かくなった。
届いていた、剣ではなく拳で。
「お前は私に伝えたい事があるのだろう? 聞こう、我が息子よ」
***
場所を小さな謁見室に移し、僕は母と対峙する。
こちらにはケルニュウから夜通し馬車を飛ばして駆けつけてくれたカルネたち四人。
対して女王の横には、長い布の包みをかかえた年かさの侍女が一人きり。
この国の行く末を決めるにしては、部屋も人数もずいぶん控えめだ。
「まずは、そう、三つほどお前に謝る事から始めようか」
母はそう言って王杓で軽く床を打つ。
すると僕の後ろに立っていたジョンが、ジョナサン・ウェルボーン子爵が若草色の上着をひるがえして母の隣に歩み寄る。
「ウェルボーン卿、役目ご苦労であった」
「いえ、果たしきれませんで、申し訳ありません」
母のねぎらいに、彼は膝をついて礼をとる。
「ジョンなんで……」
「ウェルボーン卿は私の命令でお前を護衛し、動向を逐次報告していたのだ」
「ちょっとお待ち下さい陛下」
進み出たのはアデルだ。
「いつの間にそのような命をお出しに?
少なくともレティヒェンにいる間は気づきませんでしたが」
「アドレイド、それは無理も無いことだ。
私がこの男に命じたのはお前たちが私の馬を持ち出す前だ。気取られぬようにも言い渡しておいたからな。相変わらず舌の多い男だ」
女王の呆れたような苦笑。立ち上がったジョンは肩をすくめて応じる。
そこへ首を傾げたカルネの声が入る。
「馬って……え、じゃオバさん、レイ君たちがレティヒェンに行くって」
「予想の内だ。
アドレイドもシンシアも、そして我が息子もやりそうな事は判っておる。
私に面と向かってどうこうできないなら、まずはエドマンドあたりから落としにかかるだろう、とな」
「全てお見通しかよぉ」
何を当然という返答にカルネが情けない顔で固まる。
「とはいえ少々姑息に過ぎた。
少しはお前を信じてやるべきだったか。これが一つめだ」
女王は指折りすると、僕にニヤリと笑った。
「二つめは、これは半分礼になるが、霧を晴らしてくれたこと感謝する。
済まなかったな」
「いえ、成りゆきでしたから」
「やはりお前だったか。
ふん、成りゆきで晴らされてはたまらんわ。
いかな事情があったにせよ、さぞ奮戦したのであろう」
僕と母のやり取りにアデルとシンディがこっちを見てギョッと引く。
「レ、レイ?」「レイ様まさか」
その二人に王杓でコツコツと突っ込みを入れる女王。
「お前ら知らなんだか?
この城の騒ぎを聞くがよい、全てレイが霧を晴らしたゆえの事だ。
おかげで霧の中身がたいそう貧弱と分かって、将軍どもが朝からうるさくてかなわん。
が、これが何よりの証ぞ」
偶然とはいえ僕が霧を晴らしたせいで、名も知らぬ敵は馬脚を現したらしい。
詳細はまだ聞いていないが、化け物ではなく人間とわかれば立ち上がる者もいるだろう。
僕の顔を読んだか、母は小さくうなずくと最後の指を折る。
「三つめだ。
レイ、お前は記憶を取り戻した。ならば私が何を言わんとするかは自明よな?」
母の顔にかかる影に、僕はただ目を合わせる。
「消えた記憶というのなら、母上、それはあの夜の事でしょう?」
「その通りだ」
僕の消えていた記憶。
〈学校〉で取り戻した三年前の記憶は、その最後が母の拒絶で終わっていた。
『リリィではなく、なぜお前が生き残った!?』
それを思い出したのだろうか、母はスッと顔を伏せると抑えた声で語り出す。
「私はあの夜以来、ずっと悔やんできた。
あの言葉はもちろん取り消せぬ、それに言うだけの理由もあった。
が、それは別にお前を認めていなかったわけではない。ただ、リリィとお前は、私にとって役割が違っただけなのだ」
話が出ればそうするようにと言われていたのか、侍女が女王にならび、包みを掲げ持つ。
「リリィは、皆も知っていようが、あれは戦の娘だ。
戦争の始めに生まれ、十歳で剣を取り十四で将軍となった。
あの子は私に似ていた。
戦の世にその道を見いだせども、平和の世の王にはなれん」
母が僕の頬にそっと両手を添える。
「お前はレナルドによく似ている。
知恵と親愛とで平和に君臨する者だ。しかし武には疎い。
例えケルニュウやカムリがお前になびこうとも、巨人はお前を見くびるだろう」
母の目を受けたシンディが、ハッと口に手を当てる。
「では女王陛下は……」
「そうだ。オルウェンに言われただけがその理由にあらず。
シンシア、いやエースィル。お前がその座に相応しいかを確かめ、お前はそれに応えた。
……ときに〈成せ〉たか?」
「いえ女王陛下、未だに。レイ様は優しすぎます」
「そうか、やはり父親に似たのだな。
優しさより激しさが大事な時もあろうに」
意味深な会話をして肩をすくめる母とシンディ。
隣でアデルが口を開いて揶揄するように、しかし納得したように何度も首を振る。
話しに入りきれないふうのカルネですら、何か感じるところかあったのか「親の合意で既成事実を狙ってたんかい」とぼやいて舌を出す。
「が、その優しさこそが新たな国には必要。
しかしリリィも欠かす事はできぬ。
私のあの叫びはそんな思いが半分。そして、我が子という戦友を失った老兵の戯言が半分だ。
抑えられなかった我が身が恨めしいわ」
「そんな事は……」
僕はとっさに母の手を取る。
「そんな事はありません母上。あの時があったからこそ今があります。
記憶を無くさなかったら、僕はこの地に留まり霧に向かったはず。カルネもおらず、機装もない身で。
しかしスウェリン様の言うとおり過去があって今がある。
僕は今ここにいて、あなたに話すべき事が、貸すべき手が、そして」
僕はふり返る。
アデル、シンディ、そしてカルネ。みな力強く手を握っている。
「信ずるべき仲間がいます。母上、御身を責めないでください」
「そう言ってくれる、そのお前の優しさを私は誇りに思う。
済まなかったなレイ」
母は僕の手を柔らかく払い、侍女からあの包みを受け取る。
「今こそ取れ。お前にはその資格があり、またお前にしか取れぬ」
手の中で解けた包みから、磨かれた赤い柄の馬上剣と、大粒のサファイヤが嵌った小王冠が出てくる。
リリィ姉さんの剣と冠。
それはプリダインの全軍統帥者の証。
「お前を王位継承者として将軍に任ずる。我らの軍をお前に率いて欲しい」
あの夜以来の、そして絶対に人に見せぬ涙を浮かべて、女王は僕にそれを差し出す。
僕は一礼してそれを受けた。
その時感じた微かな気配。
その正体を、後に僕はカルネと共に確かめる事になる。
***
二日後。
留学で延期されていた僕の成人の儀式が急遽とりおこなわれた。
壇上でリリィ姉さんのコロネットを付け、僕は声高らかに宣言する。
「今こそ奪還の時なり! 〈邪神〉に奪われし都市を、我と共に取り返そうぞ!」
万雷の拍手が、戦の始まりを告げた。