Chapter3 ~過去と未来と現在と~ ①
スウェリンには一つ悩みがあった。
自分の国は大陸と貿易している。
だから王宮には大陸から書簡がちょくちょく届くのだが、日付にはいつも西方歴が使われていて、仰々しくも四つの数字で1636とか1651とか書いてあるのだ。
これがどうにも性に合わない。
彼の住まう島では暦を決めるのは戴冠王の即位だ。
今年は女王が戴冠して八年だからアルビナ八年。数字は多くても三十年を超すことはないし、何より余計な数字を書かなくいいから書簡がすっきりする。
そう思いながら、彼は今日とて商人のために西方歴で日付を書く。
貿易を疎かにしてはケルニュウは成り立たない。
ここはサービスしておいてあげよう。
そうして彼が羊皮紙の一番上に手を伸ばして「西方歴1659年六月三日」と今日の日付を記したとき、家令が書斎にぴょんと飛び込んできた。
「陛下失礼します」
「失礼だと思うなら出て行ってくれてもいいよ」
「そんなことおっしゃらずに陛下。お客人です」
この家令とスウェリンは幼馴染みだ。
主従を超えて、彼らは親愛と、ちょっと違う愛情でも結ばれている。
こんなゆるいやり取りはいつものことだ。
「どなたがいらっしゃったと思います陛下?」
「さてね、君は『いらっしゃった』と言ったよ。
貴族か王侯か……なんだい、その嬉しそうな顔は」
「懐かしい顔です。きっと驚かれますよ」
「君の勿体ぶった物言いは愛しているけど、私はこう見えて忙しいんだよね。
誰が来たのか早く教えてくれ」
「ではお答えを、タリエシン様のご子息、レイ様がご来訪です」
懐かしい二つの名前に、スウェリンの小さな耳はぴくっと跳ねた。
「おやおや、帰ってきてるとは聞いてたけど、こんな狭いところに何の用かねぇ」
彼はテーブルから両手でリンゴを掴むと、カリッと一口かじりって残りは家令に放り投げる。
彼女があわてて受け止める姿を楽しみながら、尖った礼帽を床から拾い上げた。
王子と会うにはそれらしい格好が必要なんだね。
***
グアレウス宮は王宮にしては小さい。
城壁と高台という城の基本を除いたら、残るのは広めの館程度の建物だけ。
しかしその住人にとってはそれで充分、むしろ無駄に大きい建物は必要ない。
城の主は小人なのだ。
「天井に手が届きそうな気がする」
若草色の天井に手を伸ばすカルネに、それはないと僕は笑った。
謁見用のティールームに通された僕らは、グアレウス領主にしてケルニュウ王のスウェリンが姿を現すのを待っていた。
部屋の調度品は子供用かと思うほど小さい。
だが見るからに質が良く、大陸で流行の唐草模様が至る所に彫り込まれている点から舶来の、それも一点ものがほとんどだろう。
持ち主の財力の高さがうかがえた。
しかし言わずもがな、僕らは物見遊山に来たわけじゃない。
スウェリンは聡明な人物と聞いている。
これから始まる話し合いは厳しいものになるだろう。
僕だけでもシャキッとしないと。
僕が気合いを入れようとしたそのとき、ティールームの扉が静かに開かれ、二人の小人がひょこっと姿を見せる。そして互いにささやきあった。
「こっちの部屋に通しちゃったの? 大きい人向けの談話室があったのに」
「陛下、そっちは壁紙の張り替え中です。
赤は気に入らないって言ったの陛下じゃないですか」
白地に紫刺繍の粋なコートを着て、鍔広の尖った帽子をかぶった男性。
そして緑の礼装を着たどこか少年めいた女性は、そのまま言い合いつつ部屋に入ってくる。
「ちっちゃ!」
カルネが声を上げたが、無理はない。
二人とも彼女よりさらに小さいし、なによりその体つきが絶妙に小動物を思わせるのだ。
小さく尖った耳と大きくクリッとした瞳。
二人とも顔つきが丸く、男性のひねった長いヒゲなどまったく似合っていない。
「どうもお嬢さん。貴女も小さいね」
白い小人は帽子を取ってカルネに挨拶すると、テーブルを挟んで向かいに置かれた豪華なカウチにポコッと収まった。
立ち上がって礼をとろうとする僕とジョンに小さな手を振り、小人はニカッと笑う。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう殿下。
ほぼ初めまして。私はスウェリン、ケルニュウの王です」
「女王アルビナの息子、レイです。
ケルニュウのスウェリン様、急な訪問となったことをお許し下さい」
「許すもなにも、来ちゃったんだから仕方がない。
なんてね、そんな固くならないで、従兄弟なんだしもっと楽しくいきましょう」
ちっちゃな侍女たちが銀のカートを押して居並ぶ面々にティーセットを配る間も、スウェリンは何が楽しいのかニヤニヤした笑いをやめない。
「いやはや、それにしても懐かしいね。前に君を見たのは赤ん坊の頃だった。
タリエシン伯父さんが婿に行くのが遅かったんで、一族全員ヒヤヒヤしたもんだよ」
「タリエシン? レイ君のお父さんってレナルドじゃないの?」
カルネのつぶやきに小さな耳を動かし、スウェリンはぱぱぱっと笑った。
「お嬢さんは大陸から来たのかな。
実はね、プリダインにはもともと名前も名字もないんだよ。
生まれた時にもらった昔の人の名前を名乗るんだ」
僕もカルネに耳打ちをする。
「レナルドは父さんがスォイゲルに合わせて新しく付けた名前。
スォイゲルだと〈聖名〉っていうミドルネームが、ここでは名前なんだよ」
「なる。でもそれだとレイ君はスィッズ君で、ジョンはええっと……」
頭を抱えるカルネに、スウェリンはさも可笑しそうに手をたたく。
「ジョナサン子爵ならイスペリル君だね。
でも、そんなに気にしなくていいよ、うちの国はいいかげんだから。
そういえばお嬢さんのお名前は?」
スウェリンの問いかけに、カルネは名乗って一応頭を下げる。
「カルネ君だね。よろしく、貴女は美人だね」
褒め言葉を直球で投げたスウェリンは、横にひかえた男装の家令にポコッと肘を叩かれてまた笑う。
彼はティーカップを両手で掴んですすると、目をパチッとまたたかせた。
「そういえば話がそれたね。
レイ君、こんな所にいきなり押しかけてくるなんて、何かせっぱ詰まった用事でもあるのかな。
もしかして、君が〈学校〉で出くわしたっていうどえらい事件と関係があったりするのかな」
「あれ、もうご存じでしたか?」
そう言うジョンにスウェリンはにししし、とイタズラな笑みを返す。
「美女にモテモテなのは君だけじゃないよ色男君。こう見えて恋人の数は十人を下らいてててっ!
ま、まぁ私の場合はむさ苦しい商売人から聞いたんだけどね」
途中でまたも家令に小突かれながら、スウェリンは自分の耳を撫でてみせる。
おちゃらけているように見えて、さすがは海運で大陸の北を顧客にするケルニュウの元首。
余計な説明はいらないということか。
「では単刀直入に言います。
スウェリン様、どうかお力を僕にお貸しいただきたいのです」
「詳しく聞こうじゃないか」
同じ話しも三度目ともなれば少しは端折る場所が見えてくる。
僕が要点だけかいつまんでスウェリンに説明すると、彼はふむふむとうなずき返して聞き入った。
「反乱行為は承知の上ね。
うん、その根性はタリエシン伯父さん譲りだなあ」
一段落したところでお茶をすすりつつ。スウェリンはホクホクと口を動かす。
「エドマンドがスォイゲルの王達を説得してくれるなら、確かに次は私だね。
スォイゲルとうちの国は昔からの同盟国だし順当だよね」
「ですから、スウェリン様にはぜひ、この国のためにも手を貸して欲しいんです」
お茶に添えられたタルキシュ菓子のベタベタをナプキンでぬぐって、丸顔のケルニュウ王は穏和な眉をキュッと絞る。
「レイ君ちょっといいかい?
私はこう見えて慎重派なんだ。君が大陸で見た事聞いた事を受けて、怖くなると同時にワクワクしていることを私は否定しない。
でも同時に、ケルニュウの王としてすぐに決断はできないんだね」
「なんで? 手を貸せない事情でもあるの?」
「そうだねカルネ君。大事なのは同盟関係、この場合は力関係なんだね。
うちは女王の治世で好き勝手やらせてもらってるけど、実際はこの島で一番弱い国なんだ」
スウェリンは肩を落とし、少し自嘲の混じった潜み笑いを浮かべる。
「先の戦争だって、あと一歩でカムリに負けるところだったもの。
ま、そこから救ってくれたアルビナ女王へのしがらみを別にしても、ケルニュウがスォイゲルの意向に、〈獅子心女王〉に反対しようなんて簡単な事じゃないよ」
ライオンに噛みつけとウサギをそそのかしているようなもんさ。と、スウェリンは手を上にウサギまねをしてみせた。
「もちろん野ウサギだって噛みつく時には噛みつくけどね。
それには勇気が、というより勇気があると誤解させるだけの説得がいるだろうね」
そのとき、ずっと侍女の動きを目で追っていたジョンが、ふむ、と唸ってスウェリンを見た。
「つまりスウェリン様は、まだそそのかしが足りない、レイ様に自分を説得してみせろ、と、そうおっしゃるわけで?」
「ジョン君は聞いてないようで聞いてるね。
うん、その通りだね。私にはレイ君はちょっとなんていうか、そう、浮ついて見えるんだね」
「浮ついている……僕がですか?」
僕の疑問に対し、小さな王は帽子をクッと直し、急に青い目に厳しい色を湛えた。
「怒らないで聞いてほしい。
レイ君はいま自分に酔ってる。苦境を打ち破って〈学校〉を救ったことで自分自身に心酔してる。
だから取り合ってもらえないことが腹立たしく、逆に認めてもらえれば有頂天になる。
周りが見えない子供と一緒だね」
彼にそう言われて、僕はとっさに否定できなかった。
冷静にふり返ってみればその通りだ。
母に一蹴された悔しさとエド翁に認められた嬉しさ、そして時がないという焦りで、何とかなると思っていた自分がいる。
「人を動かすには、それなりの覚悟としっかりした足場が必要だ。
けど、今のレイ君にはどちらも足りない。覚悟には中身がないし、足場は偶然が君に与えた単なる役回り。
アルビナは見抜いてたから突き放したんだね」
黙りこむ僕に代わって、カルネが椅子を鳴らして反論する。
「でもエドさんはレイ君に手を貸すって……」
「カルネ君、あのお爺さんと私は違うよ。
従兄弟のよしみ程度で大目に見られない事もある。
それに『ここまで言われて言い返せない、むしろ説得されちゃう』程度の人間に肩入れできるほど、王の責務は軽くないんだ。
私の肩にはケルニュウの民の命と財産がかかってるんだね」
彼の言葉が正論過ぎてもはや呻きすら出てこない。
いくら声高に危機を叫んでも、それはあくまで何も背負っていない人間の声。
僕が相手にしているのは、母や従兄弟の姿をした〈この国〉そのもの。
声は届かなくて当然だ。
そして、言われて納得してしまう自分の薄さと、一瞬で足場を砕かれたその甘さ。エド翁とは段の違う論客相手に自分の問題をはっきりと浮き彫りにされて、僕は心
の中で喘いだ。
「ま、それでも何もしないわけにはいかないから、一応軍隊と魔導師に準備はさせるよ。
ただし、アルビナ女王への説得については今は応じられないね」
小柄の王はすぽっと席を立つと、窓辺に歩み寄ってふり返る。
「君が来たことはアルビナには黙っておくよ。
何か掴みたいなら掴めるまでここにいるといい。これは従兄弟のよしみだね」
顔を伏せる僕とカルネに、スウェリンは元気づけるようにポンと手を打ち鳴らした。
「さ、落ち込む話はここまでにしようね。
ちょうどいい、バラでも見に行かないかい?」




