Chapter7 ③
ここがどこなのか、今がいつなのかもわからない。
ただ銀の風が僕のまわりで渦巻く。
「ここは〈私たち〉の内側。
精神と〈魂〉を具象化した世界」
左からの声。
僕のすぐ隣に見知らぬ女性が浮いている。
眠った赤子を抱えて微笑む成熟した女性。
銀の羽衣をまとい、カルネに面差しが似た神々しい存在。
だが、どこか人を寄せ付けない鋭い雰囲気がある。
「はじめましてレイ君、私はヴンダーヴァッシェ。
ダヴって呼んでちょうだいな」
品のいい貴婦人を思わせる優雅な仕草で、その女神は頬に指を添えた。
「我もいるぞ」
今度は右から凛とした涼しい声がかかる。
僕の右手をしっかりと掴んでいるのは、煌びやかな青と銀の鎧をまとった黒髪の女騎士。
こっちも知らない顔だが、僕はそれが〈騎士〉なのだと自然に理解する。
「〈魂〉が揮発する間際に、我が主をつなぎ止めたのだ。
だが残念なるかな。我一人では回復させるには至らなんだ」
「つまりレイ君は、いま死にかけているのよ」
〈騎士〉の無念そうな声にダヴが付け足し、その目線で僕の左手を示す。
見れば指先が灰色にかすみ、そこから少しずつポロポロと肌が、いや僕の存在が剥がれていく。
「僕は死ぬの?」
「今のままでは遠からず、ね。
でも助ける方法はあるわ。それは――」
ダヴがアゴをしゃくると、正面の銀の風がその帳を開く。
そこにいたのはカルネだ。
一糸まとわぬ姿で銀の髪を振り乱し、顔をクシャクシャにして泣いている。
「貴女次第よ〈管理者〉。貴女が決断するの」
ダブは優しく、しかし慈悲を欠片も感じさせない無機質な声でカルネに語りかける。
「ボク……イヤだよ……怖いよ!」
「駄々をこねている場合ではないのよ。貴女が私たちの全てを決めなくては」
「〈管理者〉よ、我の力にも限度がある。
早く決めねばあとわずか数刹那で主の〈魂〉は揮発してしまう。
〈魂〉なき肉体を蘇生したところで意味の無きこと、貴様が一番知っていよう?」
「だからって二人とも!」
カルネはダヴと〈騎士〉の声を撥ねつける。
その目は強い後悔と、そして不安に泣き腫らして真っ赤だ。
「ボクらはずっと一人だったんだ!
ずっとボクらだけでやってきた、人間の手を借りたことも〈御使い〉を娶ったこともない!
ボクは怖い。そして耐えられないんだよ!」
見た目よりも幼い子供のように、カルネは耳を覆ってうずくまる。
ダヴが嘆息し、そっとカルネの頭に手を置く。
「カルネ。貴女も気づいているでしょう。
この子はとても貴女に馴染んでるし〈力〉も強い。
私としてはこんな素敵な子に〈御使い〉になってもらえたら心強いわ」
どこか勇気づけるように接するダヴをにらみ付け、カルネが歯をむき出しにして吠える。
「だからって、レイ君をボクらの戦いに巻き込むなんて!
〈御使い〉は単なる協力者なんかじゃない! ボクらの究極の弱点だ!!
世界のどこにいても狙われ続ける。
ボクらがこの世界を去る時までずっとだよ!?
……それをレイ君に強いろって……それをボクに決めろって……
もうやだよ、ボクは、ボクには決められないよ!」
ヒザを抱えて縮こまったカルネを、ダヴは困った顔で見下ろす。
「もう他の選択肢はないわ。手遅れなのよ。
レイ君を助けたかったら彼を〈御使い〉にして、その〈魂〉を避難させないと間に合わない」
しかし泣きじゃくるカルネは、その言葉に全く取り合おうとしない。
〈騎士〉はそんな彼女の様子に小さく鼻を鳴らす。
「もうよい。腑抜けの〈管理者〉が。
だが貴様が全ての可能性を拒んだとて、我は我が主を見捨てぬ。
我が全存在と引き替えなら、あるいは奇跡の一つぐらいは起こせようぞ」
それを聞いたダヴが片眉を吊り上げ、〈騎士〉の額をピシャリと叩く。
「〈騎士〉ちゃん。そのおイタは許せないわ。
貴女は〈核神装〉なのだから、いなくなると〈神装群〉が困るのよ。
要の一柱として自覚を持ってちょうだい。
その子一人の命と、私たち全ての命を引き替えにするつもりなの?」
「おのれ〈機装〉め言ってくれる。
……済まぬ主。我にも役目があってな……」
苦く吐き捨てると、〈騎士〉は心苦しそうに頭を垂れた。
僕は彼女にそっと首を横に振る。
「なんだかよくわからないけど、気にしないで〈騎士〉。
えっと、ダヴさん?」
「何かしらレイ君」
「よかったら、カルネと二人で話をさせてください。
もちろん僕が死にかけていることは承知してますが、なんだかその……」
口ごもる僕に、ダヴは指を立てて唇に当てる。
「私たちが無理強いしてるみたい?
確かにあなたにとって私は見ず知らずの部外者だし、〈騎士〉ちゃんは私情が入りすぎてるわね。
わかったわ、私たちは席を外しましょう。知るのは結果で充分ね」
ダヴはそう言うと、不機嫌を隠しもしない〈騎士〉の腕をクッと掴む。
露骨に顔をしかめた〈騎士〉は、諦めたように肩をすくめて僕に向き直った。
「我が主、どうか悔い無き判断を。
ああ、それと汝と共にした三年の月日、まことに良きものであった。
楽しかったぞ。
汝は決して守れぬ者ではない。むしろその心には守るものとしての――」
堅い見た目に反してかなり饒舌な〈騎士〉。
その開いた口の端に、うんざり顔のダヴが指を引っかける。
「はいはいはいはい、話の長い邪魔者は退場しましょうね」
「ほい、はだほほはわほわっへ――」
ゴウッと風が鳴り、銀の突風がダヴと〈騎士〉とをかき消した。
あとに残ったのは僕とカルネだけ。
「カルネ……」
「聞きたくない! 何も聞きたくない!
一人にしてよぉ」
声をかけるが、カルネが耳を貸す様子はない。
刻一刻と、僕は身体が消えていくのを感じる。
死の瀬戸際という状況。
それは恐ろしいと同時に不思議と僕の心を落ちつかせる。
これが最後の語らいなら、思いの丈をぶつけるのは今しかない。
僕はカルネに歩み寄ると少しだけ強引にその手を取る。
「カルネ……聞いてほしいんだ」
「何も聞きたくないよ!
キミに生きたいとか死にたいとか言われたって……
ボクはどっちもイヤなんだよ!」
手をふりほどこうと暴れるカルネに、僕はちょっとだけ苛立たしさを覚える。
彼女はまた一人で抱え込んでいる。
その寂しさが苛立ちを愛おしさにすり替え、僕の背中を押す。
なおも暴れ続ける彼女を、僕は力の限り抱きしめた。
そして耳元でひと言。
「僕がいつ、そんなことを話したいって言った?」
「ぇ……?」
カルネの動きが止まる。
自分の死が、意識の外に追い出されていく。
僕はゆっくりと言葉を探した。
「僕は生きたいとか死にたいとか言わないよ。
ただ、君に僕の思ってることを聞いてほしいだけだ」
カルネの熱さを首筋に感じ、互いの息づかいを耳元で交換する。
「いろいろあったけど、君と一緒に過ごしたこの何日かは、とても楽しかったよ。
ケンカの時は考えないで……いや、やっぱりそれも含めてだね」
「レイ君……」
「僕を君の事情に巻き込みたくない。
そんな君の気持ちはとても嬉しかった。
でも、ちょっと辛かった。信じてもらえてない気がした」
「ちがうの、ちがうのレイ君」
「うん知ってる。僕を守りたかったのはよくわかってる。
だから聞いてほしいんだ。あのとき、お互い独りぼっちじゃないって気がついたあのときに、僕が決めた、その想いを」
力がゆるんだカルネを向かい合わせに座らせて、彼女の肩をやんわり掴む。
お互いの顔が見えると、瞳に映る姿も見える。
僕はずいぶん灰色になり、エメラルドの瞳の中で頬がバラバラと解けていく。
でも、それはもうどうでもいい。
今は目の前の、泣き腫らした女の子に向き合う時だ。
「カルネ、君を一人にはしたくない。
君と寄り添いたいんだ。
君は一人で抱えすぎる、何でも自分のせいにして自分だけで解決しようとする。どれだけの時間そうして来たのか、これからもそうしていくのか、それは僕にはわからない。
でも、それが辛いことだってのは、よくわかる」
誰にも頼れないことの辛さはよく知ってる。
そして、カルネが同じ苦しみを抱え込んでいることが許せない。
だから……
「だからカルネ、もし僕でよかったら君の力になりたい。
君が一人で悩まなくてもいいように、僕がずっと側にいてあげたい。
カルネ、僕は君と生きたいんだ」
カルネの瞳が潤む。
彼女は顔を伏せ、そしてポツリとつぶやいた。
「生きたいって言った」
「ん?」
「いまレイ君、生きたいって言ったよ」
「あ、しまった……ゎっ?」
しくじったと思った僕に、カルネがひしっと抱きついた。
「ありがと、そんなこと言ってくれる人間、レイ君が初めてだよ。
……ボク、嬉しいよ」
「カルネ……」
「でもレイ君。ボクと生きるのは簡単じゃない。
キミが生き返ったら、キミは〈邪神たち〉との戦いに巻き込まれる。
狡賢く、血も涙もない。あいつらは最悪の敵なんだ。
そんな苦しい戦いをボクはキミに……」
僕はほほえんでその背中を撫で、言葉を止める。
「ほら、また抱え込もうとする。
いいんだよカルネ。苦しいことだってあるさ。
でも言うじゃないか『苦しみは分かつなら半分に、喜びは分かてば』」
「『分かてば二倍となる』
……こっちの世界にも、その言葉あったんだ」
「どこに住んでいても、きっと想いは同じなんだよ。
君がいる世界でも、僕がいる世界でも」
「……うん、きっとそうだね」
彼女の背中に手を回す。
ここがどこかも、今がいつかも考えない。
ただ、お互いの心臓が動いているのを感じる。
カルネも生きている。僕も生きている。
僕がいて、カルネがいる。
それでいいじゃないか。
やがてカルネが腕を解き、エメラルドの瞳でまっすぐ僕の瞳を射抜いた。
「レイ君、キミをボクの〈御使い〉として娶るよ。
この世界をボクが去るその時まで……
キミはボクの心であり、ボクはキミの力となる。
レイ君、ボクに心を委ねて。ほんの一時、ボクがキミに入るのを許して」
「へ? ……うむっ!」
一瞬の早業でカルネが僕の唇を奪った。
彼女の舌が僕の中に滑り込み、それが柔らかく溶けて僕と一つになる。
瞬間、光が僕に満ちた。
***
風が逆巻く……でも、これは本当の風だ!
広がる視界いっぱいの空、空、そして空。
僕の身体は風を切り、雲に届きそうなほど高く高く登り続けている。
背にはためくマントの羽ばたき、耳元でうなるのは羽根飾り。
肌を風がくすぐり、長い髪がたなびく。
この感覚……そうか、僕はいつかと同じ姿、〈騎士〉になってる!
「レイ君!」
突然、視界いっぱいにカルネが飛び込んできた。
白絹と銀糸で織られた羽衣をまとい、彼女は涙を浮かべて笑っている。
「レイ君の〈魂〉ちゃんと無事だったよ!」
「カルネこれは、僕はいったい?」
「説明は後でまとめて! さぁ、ボクらはキミの号令を待ってる!」
「ボクら……はっ!?」
カルネが振り上げた両手の先、僕らを抱く大きな存在に気づいて驚きに眼を見はる。
銀の巨人。
いや、それは騎士と呼ぶのが相応しい。
顔面すらも白銀のマスクに覆い隠した細身の騎士。
特徴的な長い兜飾りが、まるで耳のように顔の横から飛び出している。
背中には小屋ほどもある青い宝玉を背負い、滑らかな白銀の鎧に包まれた四肢は短くも力強い。
面頬とマスクの間からのぞく双眸は巨大で鋭く、暖かいエメラルド色に輝いて僕を見下ろしていた。
「ダヴだよ。〈ヴンダーヴァッシェ〉、ボクの機装だ」
「ダヴ……さん?」
この銀の巨人がさっきのあの女神みたいな人?
僕の疑問に応え、銀の巨人の目がまたたく。
「精神のボク。力の神衣。そして身体の機装。
それら全てで一つのボク。一つの、神という〈システム〉なんだ。
みな全てボク自身であり、それでいて全てがちがうもの……
そして今のキミは、ボクの〈心〉たる〈御使い〉」
「僕が〈心〉?」
「そう、三人を結びつける〈真なる要〉、それが今のキミだ!
さぁ心よ号令して、ボクらは何をすればいい!?」
「何を……
そうだ! みんなのところへ、みんなを助けなきゃ!」
ハッとして見下ろせば、眼下に広がるのは絵地図のような眺め。
空の上からなら、城壁に囲まれた〈学校〉の全てが見渡せる。
煙を上げる街並みや逃げまどう人たち、そして今まさに戦っている人たちが手に取るように見える。
そして街並みを踏みつぶして暴れる黒い巨人も。
「あれを倒す!」
僕の決意にカルネが勝ち気な笑いを浮かべる。
「オッケー、それで行こう!
ダヴ、それから〈騎士〉も、〈喚装神姫機巧〉を使うよ!」
カルネの呼び声に機装が低くうなり、僕の鎧がひとりでにざわめく。
それを不安と不満だと理解してか、カルネは巨人や鎧に笑いかける。
「だーじょうぶ、こういう時のために準備したんだから上手くいくって!
さぁレイ君手を!」
カルネが差し出した両手を取った途端、僕の頭を一つの言葉がかすめた。
「想いを言葉に集中して!
ボクと一緒に叫ぼう、ボクと一緒に呼ぼう……
ボクらを〈神〉にする言葉を!!」
互いにうなずき合い、僕らは白銀の機装を、ヴンダーヴァッシェを見あげた。
僕らを見下ろす巨大な瞳は、続く言葉を待ちこがれて輝く。
「「神 姫 喚 装!! 輝き出でよ……」」
手の平を介して、僕とカルネの想いが重なる。
黒い巨人を倒すという意思に。それを具現する言葉に。
「「汝が名は〈ナイト・ダイタンオー〉!!」」
『喚 装 承 認!』
ヴンダーヴァッシェの両眼が輝き、あの女神の声がこだました。
瞬間、銀の巨人は凄まじい勢いでその姿を変える。
両の手が祈るように組み合わされたと思えば下へ畳み込まれ、首と腰を残して胴が反転する。
背負っていた巨大な宝玉が胸に移って僕らの姿を反射し、巨人の膝から下は太ももへと畳み込まれて一体となる。
手足のない姿へ、〈コア・モード〉となった巨人。
しかし変化はまだ終わらない。
「カルネ鎧が!」
僕の鎧が光の流れとなって解けていく。
「問題ないよ。
さぁ〈騎士〉、力たるキミの出番だ!」
細い光の筋となった〈騎士〉は巨人の周りを取り巻き、新たな四肢と新たな鎧を宙に描き出す。
流麗なラインは幾千の鈴の音と共に実体となった。
細身の銀騎士はより大きく、より重厚な姿となって瞬時に組み上げられる。
大きく尖った頭飾りと兜、左右に張り出した肩鎧、流れるような腰鎧に翼と広がるマント。
全ての鎧には瀟洒な青の飾り模様が走る。
瞳は覆いガラスを取りのけられ、先ほどより鋭さを増した真の目が露わになる。
『ナ イ ト ・ ダ イ タ ン オ ー !!』
トドメにファンファーレがどこからともなく鳴り響き、まるで歌い上げるように伸びやかな声で新たな機装は産声を上げた。
「行こう、ボクらを呼んでる」
「行くってどこへ、ってちょっと待ってぶつかる!」
カルネがスイッと空を切り、僕の手を取って機装の胸へ、青い宝玉へと飛び込んでいく。
その迷いのなさに僕は驚き、とっさに顔をぶつけまいと宝玉から首をそらした。
が、予想していた衝撃はいつまでたっても訪れない
「あ、れ? ここ……何?」
目を開けた僕は、広がる青空にとまどう。
あの機装も、手をつないでいたはずのカルネの姿もない。
風の音も消えて、どこまでも続く青空と雲だけが見える。
「レイ君、こっちこっち」
「えっ、カルネ?
……って何その格好……それに、お尻こっちに向けてるのはどうして?」
僕を呼ぶ声に後ろを見ると、そこには銀製の馬の鞍のようなものに後ろ向きにまたがったカルネがいた。
両脚をゴツゴツした不格好な鐙に乗せ、両手で奇妙な形の取っ手を握っている。
着ていた羽衣は消えて、その代わりに全身をピッチリと何かが覆っていた。
白と赤に彩られた布。だがどこを見ても折り目も縫い目も見当たらない。
肘と膝を覆う奇妙な鎧が無ければ、裸に絵の具を塗ったといわれても信じてしまいそうだ。
「こっちが前だよ。
あと格好なら、レイ君も人のこと言えないよ」
「僕の格好がどうかし……なんなのこの服!?」
見下ろせば、僕の服装だってカルネと似たり寄ったりだった。
〈騎士〉の豊かな身体を覆うのは、白と青で彩られた布的な何か。
かろうじて鎧の名残のような金属板がついているが、まず裸寸前といっていい。
思わず胸や腰を手で隠した僕に、カルネはふり返ってイタズラな顔をする。
「〈ダイタンオー〉に鎧取られてるから、そればっかりは仕方ないねぇ。
レイ君、そのポーズすっごくセクシー」
「いやこれものっすごく恥ずかしいんだけど
……〈ダイタンオー〉?」
カルネが何もない空中をノックすると、そこからコンコン、と固い音が返ってきた。
そこに見えない壁があるらしい。
「これこれ、ほら、さっきの機装のこと。
ここは操舵宮、言わば心臓部さ。
ボクらはいま〈ヴンダーヴァッシェ〉の、いや、その強化形態である
〈銀装神姫ダイタンオー〉
に乗ってるのだぁ!」
「乗ってるのだぁ!……って……
僕が、機装に?」
今一どころかまったく信じられない。
ここが機装の中、それも心臓部だって?
「おしゃべりはあとでゆっくりだよ。
ザコをボコりに……じゃなくて、みんなを助けに行くんでしょ?
しっかり踏んばっててよ!」
カルネが取っ手を手綱よろしく引く。
瞬間、僕らは風を切って空から落ちていった。