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とある女店主のはなし

おとぎ話の最後に幸せになるのは、お姫様の特権だと思った。

黄金色に波打つ甘やかな巻き髪、抜けるように白い玉の肌。

華奢な肢体に優雅なドレスを纏って、鈴が転がるような声で淑やかに笑う。

そしてお姫様は、必ず最後に慕い慕われ、王子様や騎士と結ばれるのだ。




「ソフィー、日替わり3つね!」


「こっちは5つ!」



「はーい!まいどー!」


 商業国家エルケナルの国民は勤勉である。その多くが日の出と共に起きだして、せっせと商いに精を出す。

 休息日明けの朝、王都随一の大通りは言うに及ばず、一本路地を入ったこの”イートリア筋”も、仕事へと向かう人々の群れでごった返している。


 レストランやカフェの立ち並ぶイートリア筋は、朝昼晩の食事時に最も賑わう。なかでも弁当屋『金のさじ亭』は、朝、今日の朝食や昼食を買い求める常連たちで溢れ、戦場のような忙しさを呈していた。


 両親が流行り病でこの世を去ってから、少し年の離れた弟たちと3人で何とか生きてこれたのも、ひとえにこの『金のさじ亭』のおかげ。無論ひいては常連のお客様たちのおかげである。


 私───ソフィア・マージナルがこの店を受け継いだのは16のときで、もうかれこれ6年になる。確かに苦労も多く、そして今も決して裕福とは言えない暮らしだけれど、家族仲良く幸せに暮らしているとソフィアは自負している。


 かつて諸国を放浪していた父が発案した『弁当屋』は、パンにその場で選んでもらったお好みの具材を挟んで作ったサンドウィッチを持ち帰りで提供するというもので、おかげさまでかなり好評を頂いている。パン屋に比べると具材や付け合せの種類も多く、何より『お好み』で提供するというスタイルで人気を博した。

 パンは馴染のお店から毎朝焼き立てを仕入れ、自家製の具材を日々試行錯誤して飽きない工夫を凝らしていると評判である。


「ところで今日の日替わりは何だ?」


「ハンスおじさん知らずに注文してくれたの?!今日はトマトとハムにオリーブ、チーズソース!もちろんレタスとピクルスはたっぷりね」


「外れがないから安心して頼んどるんじゃ!お前さんとこのピクルスは絶品じゃしの」


「あはは、きっと母が喜んでるわ!」


 会話しながらも手は止まらない。日替わりはある程度作り置きがあるとはいえ、会計に袋詰めにと大忙しだ。

 こんがりといい香りを漂わせるバゲットには切れ目が入れてあり、中には温かいうちに塗っておいたスパイス入りバターがしみ込んでいる。そこにシャキシャキのレタス、自家製ピクルス、スライストマト、薄切りハムをたっぷり詰め込んでオリーブを散らし、ミルキーなチーズソースをかけたら完成だ。油紙に包み、付け合せのフィッシュフライやポテトと共に紙袋へ入れてお渡しする。


 常連のハンスおじさんを見送りつつ見上げた空は抜けるように青い。行き交う行商人の荷車や馬車のため、美しくも機能的に整備された石畳が見通す限りどこまでも続き、決して不快ではない喧騒が飛び交う。


 今日も、大好きな街の一日が始まろうとしている。




 つつがなく朝の営業を終えると、一旦店じまいを済ませて自宅に戻る。昼の仕込みまでに、手早く朝食と家事を終わらせなくてはならない。

 一見屋台のようにも見える『金のさじ亭』だが、厨房の奥の扉は裏の住居に繋がっている。二階建ての縦長の住居に、屋台がくっついているような構造だ。所狭しと筋の両側に並んだ店舗の多くが、このような形をしている。隣の筋に立ち並ぶ建物も同様で、ちょうど背中合わせになった所に共同の中庭パティオがあるのだ。そこでは既に、旦那衆を送り出した働き者のおかみさん達が、洗い物や洗濯物干しに精を出していることだろう。


 扉を潜るとそこは我が家のリビング。手狭ながら、今は亡き母がこだわって配置した居心地のよい空間だ。

 お仕着せのエプロンや長髪をまとめるバンダナをフックに掛けて、弟たちを呼ぶ。朝市に仕入れに行ってもらっていたが、いつもなら帰っていてもいい時間だ。



「ブルック、ステファン?戻ってるの?」



 バタバタと階段から降りてくる足音がして、着替えを済ませた二人が姿を現した。



「姉さんお疲れさま。僕らもちょうどさっき戻ったところだよ。いつも通り、生臭物は裏の氷室にいれておいた。いい海老が入ってたから買ってみたよ」


「ねーちゃんおかえり!今日は八百屋のおっさんがアスパラ多めにおまけしてくれた!」



 海老にアスパラ!今日の昼はボイルした海老とアスパラをふわふわの白パンに挟んで、タルタルソースで食べてもらうことにしようとすぐさま決めた。

 

 8つ下…14歳の双子の弟は、容姿こそそっくりだが性格は全く異なる。兄のブルックは勉強の好きな穏やかな子だが、弟のステファンは昔から生傷の絶えないやんちゃな子だ。

 父親に似た二人は、透き通るような碧眼に茶色の猫っ毛をふわふわさせた甘い顔立ちで、殊に赤ん坊のころは天使と呼ばれたものだった。双子で性格が全く違うものだから、女の子たちには『一度で二度美味しい』というような評価を得ているらしい。姉としては複雑な心境である。



「二人ともありがとうね!今日のサンドイッチが取ってあるわよ。スープもあるけど、時間は大丈夫?」


「残念だけど、サンドイッチだけ行きがけに食べるよ」


「もうそんな時間?ステファンは?」


「え!俺は食べたっ…ぐ!」


「ステファンも朝稽古に早く行きたいんだって。…ね?」


「…ハイ」


「そ、そう…?」



 何故か言葉を詰まらせたステファンに代わり、爽やかな笑顔でブルックが代弁した。

 …テーブルで隠れて何も見えなかったけれど、どうしてステファンは右足を抱えて蹲っているのだろう。


 テーブルに出しておいたサンドイッチの袋をめいめい手に取って、中庭に面した玄関へと向かいざま、「あ、そういえば」とブルックはいたずらっぽく笑った。



「市場の帰りに空腹でふらついてるカインド兄さんを見たよ。きっともうすぐ来るんじゃないかなぁ」


「え、ちょ、ブルック!?」


「おやいけないこんな時間だ。それじゃ姉さん、いってきます」


「いってきます…」



 狼狽する私を尻目に、肉体派のはずのステファンを軽々と引きずりつつ、二人は出て行った。



(ほんとにできた弟たちなんだけど…!だけど!)



 思わずがっくりと肩を落とすも、あんな爆弾を落とされては、準備せずにはいられない。


 とりあえず竈に燻っていた火を再び起こし、有り合わせの野菜で作ったミネストローネスープの鍋をかけておく。


 ()はいつだって腹ペコなのだ。


 




 異国の母の血を受け継いだ私は、生粋のエルケナル人に比べると肌が黄色みがかっていて、目鼻立ちもどこか雰囲気が異なる。ハシバミ色の釣り目と女にしては高めの身長、針金のように真っ直ぐ伸びた黒髪は、人種のるつぼであるこの国においてもなかなか珍しいものらしい。完全に母譲りな容姿の私は、弟たちとは似ても似つかない。


 幼いころには、いじめっこ達に「デカ女」なんてからかわれて泣いていたけれど。


 当時は悲しかったし傷ついたものだけれど、今思えば自分たちより発育のいい女子に虚勢を張りたかったのだろう。かわいいものだ。

 


 「あー、うまそうな匂い…」


 「ひゃっ…!」


 

 鍋をかき回しながらとりとめもない思考に沈んでいた私は、不意に耳元で響いた低音に悲鳴を上げてしまった。スン、と耳朶を鼻息がくすぐってゾワリとする。


 びくりと跳ね上がった体を宥めるかのように、背後から逞しい腕が絡んできた。



 「ちょっとカイ?!また勝手に入ってきて…!」


 「今さらだろ?それに俺はちゃーんと合鍵で入ってきてるんだからな」


 「勝手に持ち出してる鍵を『合鍵』とは言わないの!ほんとなら家主さんか守備隊に訴え出るとこよ…!」



 そう、本当なら。半ば諦めつつ独りごちる。


 あぁ嫌だ、きっとにんまりとイヤらしく笑っているに違いない。容姿だけならまるで貴公子と言われるくせに、こういうところで頓着しないんだから。


 そして案の定、



 「うーん、何の因果かどっちも俺なんだよなぁ」


 「…世も末だわ…」



 ふう、とため息を吐きつつ、未だに耳元でくつくつと笑う男…カイの腕をぺしぺし叩いた。



 「もう、危ないじゃない。早く離れて」


 「腹減って動けない」


 「…そんなに今すぐ煮えたぎったスープを飲ませて欲しいのかしら?」


 「……すみませんでした」



 そこでようやく『降参』と両手を上げたカイにホッとする。あんなに密着されると、背中越しにも加速する心臓の鼓動が伝わってしまいそうだ。



 ────それにカイからは、相変わらず女物の香の匂いがしている。甘ったるい、理性を蕩けさせようとする花の薫りが。



 「…寝てないんでしょう?朝食の支度をするから、シャワーを浴びてきて」


 「おい、ソフィー、俺は…」


 「はいはい、私はこれから忙しいの!着替えもタオルもいつものとこよ。この間置いていったやつが洗濯してあるわ」


 何か言いたげなカイの背をぐいぐい押して、リビングから追いやった。なるべく顔は見合わせないようにして。




 別に、言い訳や弁解など言ってもらう必要はない。ソフィアにはそんな資格や立場も無ければ、真っ向から現実に相対する勇気も無いのだから。




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