鳴る顔
記憶が段々消えてくんだって。だから他の土地のやつには話しちゃいけないって。
馬鹿馬鹿しいよねえ。
俺が田舎にいた頃はもうそればっかり大人が言ってきて、正直耳タコだったんだけど、大学入るってんでこっちに来た途端にコロッと忘れてそれっきり。向こうにはもう十年も帰ってない。
だから最近になって思い出したのが不思議でしょうがないんだけど、まあ話のタネにはなるかなーと思って覚えてたってワケ。どうせまた峰さん遅刻でしょ? ここで待ってるだけってのもあれだし、このままだとまた忘れちゃいそうだから、暇つぶしに聞いてってよ。ああコーヒーぐらいならおごるよ。いいって遠慮なんかしなくても。ここのブラック、絶品なんだから。
で何だっけ、えーっと、ああそうそう、その『遊び』なんだけど。
平たく言うとかくれんぼなんだ。うちの村だけに伝わる秘密のかくれんぼ。
最初にじゃんけんか何かで鬼を決めて、逃げるやつらがこう、わーっと散る。鬼はゆっくり十数えてから探し始める。ここまでは普通のかくれんぼと大差ない。まあ一般的だよね。でもこっから少しずつルールが変わってくる。
まず鬼は走っちゃダメ。絶対。どんなに急いでても歩かなきゃいけない。これを破ると鬼の負けで、ひどい場合は次の日から仲間外れにされたりするから、一旦鬼に決まったやつは決して走らない。でもこれじゃ明らかに鬼が不利だよね? 下手すると永遠に誰も見つけられないかもしれない。だからそのあたりはちゃんと考えられてるんだよ、ゲームバランスってやつが。
じゃあ逃げる側にどんなハンデがあるかっていうと、まあいろいろあるんだけど、大きくわけると三つだね。
一つ、一度隠れたら見つかるまでその場を動かないこと。
二つ、隠れる間は両手で顔を覆うこと。
三つ、鬼に見つかった者は『白痴』になること。
誰が決めたかは知らない。父さんはじいさんから聞いたって言うし、じいさんはひいじいさんから聞いたって言う。そんな具合だから、多分どれだけ元をたどっても詳しいことはわからないんじゃないかな。
で、このルールなんだけど、一つ目はまあ想像つくじゃない。逃げる側があちこち動けるってのは、のろまな鬼からすれば致命的だから。でも二つ目以降がよくわからない。先祖代々地元民の俺がわからなかったんだから、このルールの趣旨をちゃんと理解してるやつは一人もいなかっただろうね。
顔を隠すっていう二つ目の条件は、はっきり言って余分でしょ。一度隠れたらもう動けないんだから、そんなやつの視界を奪ったって何の意味もないよね。だからそんなルールはなくせばいいと思うんだけど、当時の俺を含めた子どもたちはそういうことを思いつかなかったんだなあ。ただルールってだけで従順に守ってたよ。今思えば何だか怖い心理だ。
で、肝心の三つ目。『白痴』になるってやつ。
白痴ってわかるよね? そうそうそれ、知的障害。差別用語だって理由で最近じゃ言われないけど、うちの田舎じゃまだバリバリ使われてるんじゃないかなあ。遊びの中で。
『白痴』になるってのは文字通りの意味じゃなくて、それを演じるって意味ね。かくれんぼって神社とか山ん中の広場とかに集まってやるでしょ。目印になる木とか賽銭箱とか当然あるじゃない。鬼に捕まったやつはそういう場所に集められて白痴のふりをするんだ。って言ってもそこはほら、子どもだから、何の邪気もなくそれをやるわけだよ。でも邪気がないのはむしろ毒で、今考えればあれは相当に不気味だったね。白目をむいた子どもたちが「あー」とか「うー」とか、口をだらしなく開けて言うわけだから正気の沙汰じゃないよ。まるでゾンビ映画だ。でも俺の村じゃそれが普通だった。普通ってのは同じ認識が共有されてるってことで、つまり誰もそのおかしさに気づけないってことなんだな。だからこっちに来てそういう習慣がないと知ったときはびっくりしたよ。まあそれもすぐに忘れちゃったんだけどさ。
で、それで話が終わりかというとそういうわけでもないんだな。むしろここからが本番だ。俺が田舎の家族に口止めされてんのもここからでさ。散々言うな言うなって念押しされたけど構うもんか。ああいう狭い村組織に毒されると変な伝統にばかり目が行くからいけないね。危ない秘密なんてのはCIAだかFBIにでも任せときゃいいんだ。
さて、その門外不出の話にはもちろんさっきの遊びが関係してる。確か俺が小学四年ぐらいの頃だったかな。アトランタがあった年だから……うん、そうだ小四の時だ。まあ年なんぞはどうでもいい。そのぐらいの子どもだったと思っててくれ。
小四なんてのはまさに遊び盛りど真ん中だからね、俺は友達を連れて毎日のように野山を駆けずり回ってた。ド田舎だからゲームの類も一切入ってこない。となると元気だけでできてるような子どもたちは外にエネルギーのはけ口を求めるしかないわけだ。遊びといったら外遊び。これが鉄則だった。
例のかくれんぼは、まあ……週三ぐらいでやってたかな。週に三回白痴が生まれる。ぞっとしない話だね。でもそれが事実だからしょうがない。俺もその輪に加わってたわけだし。で、そのかくれんぼ。
確か十二月の初め頃だったと思う。その日は冬だってのにやけに暑くて、みんな着て来たセーターとかトレーナーを脱いで神社の賽銭箱のところにまとめて置いてた。いくら走らないとは言ってもかくれんぼはかくれんぼだからね。そうするのはまあ当然の成り行きだったろう。
最初のじゃんけんに負けて俺が鬼になった。てんでばらばらに逃げてくやつらの背中を見送って、でかい声で十数えて、もういいかいって叫ぶ。すると小さな返事がちらほら返ってくる。これが始まりの合図だ。と、普段ならここで意気揚々、探索に乗り出すんだが、その日の俺はどうにも気が乗らなかった。原因はいろいろあったと思うけど、おそらく小遣いを減らされたのが一番響いてたと思う。無論責任は俺にあった。理由は単純に、勉強しなかったからだ。そのくせ家に残って宿題をするでもなく、不機嫌を引きずったまま遊びに出かけるような俺は、生粋のひねくれ者だったんだろうね。
まあそんなことはどうでもいい。重要なのはその時の俺が、鬼だったにもかかわらず隠れたやつらを探しに行かなかったこと。ここにあるんだ。
幸い逃げるやつらは顔を隠さなきゃならないから、鬼がどこで何をしてるかに思い当たる道理はない。かと言って一人で帰ったらほら、ハブだからさ。俺はしばらくしたらちゃんと探しに行こうと決めて、それまで神社の探検をすることにした。
山奥の人がいない寂れた神社だったんだけど、作りはそれなりにしっかりしててさ。もちろん古いは古い。でも規模がでかい。で、子どもが探検するに当たってその場所をどう解釈するかって言うと、古さは雰囲気として受け入れ、でかさは冒険の予感として受け入れるわけだ。わくわくだよ、はっきり言って。
でもあんまり仲間を待たせるのも悪いから、とりあえず神社の、社殿、って言うの? あの建物を一周ぐるっと回ろうと思って俺は歩き始めた。
神社は山の東側の斜面にあって、ちょうど夕日に背を向けるような格好で建っていた。それに十二月で日が短かったこともあったから、あたりはそれなりに暗いわけだ。カラスは鳴くし、木の枝は死人の指に見えるしでかなり不気味だったね。でも当時の俺はそんなのどこ吹く風、社殿の窓から中を覗きつつ一周して帰って来た。
建物の中には何もいなかったし、別段変な声もしなかった。でも戻って来た賽銭箱の前でおかしなことが一個だけ起こってた。
さっきも言ったけどその日はやけに暑くて、みんな着てきた上着を賽銭箱のところに重ねて置いといたんだ。俺もそこに自分のジャンパーをたたんでかぶせてた。
かぶせておいたはずだった。
でも、社殿を一周して戻って来たそこには誰の上着もなかった。
背筋が寒くなった。
初めは誰かが持ってったんだと思った。でも誰の足音もしなかったし、第一俺以外の子どもは動いちゃいけない決まりだ。バレたらいじめられるかもしれない。そんな危険を冒してまでみんなの服を隠す価値があるかといったらノーだ。子どもながらに俺はそこまで考えて、でもそれ以上のことに思い至らなかった。たとえばあの一周に何の意味があったのか、とか、
俺が今立ってるのはたまたま舞台セットが同じだけの別世界なんじゃないか、とか。
怖くなって、俺は友達の名前を適当に呼んでみた。返事がない。でもそれだけじゃ何も判断はできないね。みんな忠実に隠れてるだけかもしれないんだから。でも俺には何となくわかった。ここにはおそらく誰もいない。人が息を殺してるような気配が、神社の周りの森から消えていた。でもそれだけじゃないんだ。
代わりにその『誰かがいるような気配』は、社殿の中に移動していた。
俺は物の見事にブルっちゃって、泣きそうなのを必死でこらえてた。こうなるとさっきまで気にも留めてなかった景色が急に意味を持ち始める。周りの木は真っ黒なシルエットなのに、その隙間から見える空は真っ赤なんだ。包丁で指を切った時にしかお目にかかれないようなきれいな赤色だった。おまけにさっきまで暑かったのが急に寒くなってきて、もう気分は最悪。俺はすぐにでも逃げだしたかった。
でもここで逃げたら友達はどうなる? って思いがどうしようもなくあって、俺は逃げるに逃げられなかった。変なところで義理堅かったんだな。それにその『社殿の中にいる何か』も気になってた。もしかしたら友達が紐グルグルの状態で転がされてるかもしれないって思うと、まあそんなことはないんだろうけど、ますますこの神社に背を向けるのはまずい気がしてくる。居ても立ってもいられなくなる。
漏れそうなのを我慢して、涙も拭いて、俺は神社の建物に踏み込んだ。床は抜けそうだったし、歩くたびにギシギシ鳴るし、心が折れそうだった。で、近づいてみてわかったんだけど、中から声がしてんのよね。
さっきまで聞こえなかった声が。
いや、声ってのは違うかな。正確には音だね、音。雨の日に長靴履いて歩くとさ、時々ギュ、とかグゥ、とか鳴るじゃない。あれをもっと人間寄りに加工して音を小さくした感じ。って言ってもわかんないかな。あれは実際に聞かなきゃダメだね。
ともかくその声のような音のようなのがもうずーっと鳴ってるわけ。「うん……うん……」って。ああこりゃもう絶対中に何かいるな、確定だな、って思って。そりゃあ帰りたくて帰りたくてたまんなかったけど、何かがいるならその『何か』を確認しなきゃ絶対後を引く、本当に怖いのはそっちだ、って自分に言い聞かせて、一二の三で破れかけの障子を開けた。
中は空っぽの畳の部屋だった。
そう。空っぽだったんだよ。誰も、なーんにもいなかった。こんなに怖いことってないよねえ。だってあの音は相変わらず聞こえてて、聞こえてる以上どっかに何かがいるのは間違いないんだから。俺は必死になって中を覗いた。そりゃもう目を皿にして探したよ。そしたら『空っぽの部屋』ってのは俺の単なる勘違いだったってことがわかった。つまり何かがいたんだな。
そいつはべったり天井に張りついてこっちを見てた。いや、見てたってのは違う。あれは多分、目の形をしてても目じゃなかった。
スライム。
一番全体像に近いのはそれ。理科の実験で作ったりする方ね。でもそんなに単純なもんじゃない。もっとずっと怖ろしくて、おぞましかった。
いっそただのスライムならどんなによかったかもしれない。俺は腰を抜かしちゃって、ぶら下がるそのぶよぶよした塊をただ見つめるしかできなかった。
ごめん、ここからちょっと気持ち悪い話になるんだけどOK? だいじょぶ? うん、じゃあ話すけど。
……人の顔がさ、見えてたんだよね。そのスライムの中から。
多分生きてはいなかったと思う。顔も目も真っ白だったし。生きてないってのは意識がないって意味ね。ゾンビみたいな生けるしかばねじゃなくて、もう完全にただの物体としての死体。十人分ぐらいあったかな。その顔がスライムの中で浮きつ沈みつしながら別の顔と溶け合ったり、はたまた分裂したりしてんのよ。で、そのたびに「うん……うん……」って例の音がするわけ。声じゃなくて音。活動の結果としてたまたま鳴ってるに過ぎないって感じだった。だからあれは『スライムに埋まった人の顔』って言うより『顔と顔の隙間をスライムが埋めてる』って言った方が近いね。
すっごい気持ち悪かった。部屋の中は薄暗くて、その中にどろどろの白い顔の群れがぼうっと浮かび上がってうんうんうんうん唸ってる。それに何よりにおいがきつかった。
夏場の田んぼってわかる?
ほら、田んぼって夏の間だけ水抜くでしょ。農法か何かの関係で。するとおたまじゃくしが死ぬじゃない。あいつら水の中でしか生きられないから。でも農家の人は稲の面倒は見ても死んだおたまの面倒までは見ない。何千何百って死骸が死んだままの状態で真夏の炎天下に放置される。これがにおうんだ。
もう生ぐさいなんてもんじゃない。意図的に仕組まれたんじゃないかってぐらいくさい。で、そのにおいとまったく同じにおいがスライムの方からしてた。
我慢の限界はあっけなくやって来て、俺は腰を抜かしたまま盛大に胃の中身をぶちまけた。昼間に食った中華スープの木くらげがその中に見えた。……ああごめん、ちょっと汚かったね。
話を戻すよ。
それから二分ぐらい俺はその場でえづいてたんだけど、でもいくら吐いたって肝心のスライムがそこにいたんじゃ気分はちっともよくならない。むしろ悪くなったぐらいだった。
だから、今度こそ俺はそこから逃げることに決めた。
スライムが心なしか大きくなってる気がしたんだ。相変わらずうんうんうんうん言うのは変わらないんだけど、においも少しきつくなってて、このままじゃ飲み込まれると思った。でも急に動いたら襲いかかってくるかもしれない。俺はあのキテレツな物体の隙を探すことにして、とりあえず落ち着こうって深呼吸をして、部屋の中を見回した。
そしたら、部屋の真ん中辺りに紙切れが何枚も落ちてるのを見つけた。A4用紙ぐらいのやつ。おそらく十四、五枚はあったと思う。あちこち黄ばんでて、血みたいな赤い染みがついてるのもあった。障子を開けた時点で気づかなかったのが不思議だったけど、落ちてる以上はその現実を受け入れるしかない。
部屋の中に入るのはさすがにまずいと思って、俺は入り口の辺りから目をこらして、その紙を見た。視力には自信があったから紙に字が書いてあるのはすぐわかったし、内容も読み取れた。俺から見て一番手前側の紙にはこう書いてあった。
昭和十九年十二月十八日 イワサキ マナブ シロ
日付と人名が書いてあるってことは苦もなくわかった。でも最後の『シロ』ってのが何を表すのかよくわからなかった。他の紙も似たような感じで、全部さっきのと同じフォーマットだった。日付、人名、シロ。日付は俺が生まれる何年も前のもので、一番新しいのでも昭和四十一年だった。でもここに落ちてるってことは何かしらの意味があるはずだって、俺は焦りながらもそう思って、あれこれ考えた。そしたらあのスライムの音が耳に入った。俺は思わずそっちを見て、
それで、何となくわかった気がした。
シロってのは、つまり漢字の白を表してるんじゃないか。
漢字の白を使う言葉なら、この神社で散々使ってたじゃないか。
そう。白痴。
もちろんそれで何が説明できるってわけでもない。でもそのイワサキマナブってやつが、だから、シロなのかもしれなくて、この無数の顔のうちのどれかなのかもしれないと思うだけでもうダメだった。恐怖が限界を超えて、許容できなくなって、俺はついに逃げ出した。とっさの思いつきで社殿を逆回りに一周したのは今考えてもすごい機転だったと思う。結果的にその思いつきは功を奏して、俺は『元の』神社に戻ってくることができた。賽銭箱のところにはちゃんと上着が積まれてて、みんなが俺のことを探してた。俺は声をあげて泣いた。
結局、その話を家族にしたのは三日後だった。うちはあんまりオカルトとかホラーとか、そういうの信じない家庭だったからさ。どうせ話しても笑われるだけだろうって思ってたんだ。俺自身もあれは夢だったってことで納得してたし。だから夕飯時に、冗談って体で話したんだ。そしたら父さんがいきなり、
「それは本当か」
ってえらく真面目な顔して言うもんだから、うん、まあ夢かもしれないけど、って答えたんだ。そしたらこう返って来た。
「その話、他の土地のやつには絶対するな」
何で? って俺が聞くと、
「記憶がなくなる」
年の離れた妹とお袋は「?」って感じだったけど父さんだけは違った。唇をぎゅっと引き結んで、青い顔でぶるぶる震えてた。演技でそこまでできるもんじゃないよなって思った。ちなみに言うと、うちの中で一番強くオカルトを否定してたのは、父さんなんだ。
まあそんなこんなで俺の話は終わり。その後も親父はことあるごとにそれについて触れてきたけど、忘れてほしけりゃ構うなよって思ったね。言えば意識しちゃうんだから。でも今の今まで忘れてたのが不思議だよ。かなり怖かったから。人間の脳ってのはおかしなもんだねしかし。
え? ああ大丈夫だよ別に。もう話しても構わないでしょ。時効だよ時効。いつまでも腹ん中に収めてたら逆に具合が悪くなっちゃうからね。誰かに話してすっきりしないと。
よし、だいぶ時間も潰れたし、あと少し待てばそのうち……、
あれ?
そういや誰を待ってたんだっけ、俺たち。
……峰さん?
ミネサンって、え、そんな人……ってあれ、ここ喫茶店?
あれ、何か変だな。
変だよね?
×××
昭和六十一年九月十日 フジタ アキフミ シロ