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愛しの貴方は無力な人

作者: 水野みずの

ふと思いついて書いてしまったありきたりな設定の短編です

時間があって読んでやるぞと言う方はどうぞ




 運命の出会い。

 この世界で平和な日々を送る人たちの中でその言葉を聞いた事が無い者は恐らく居ないだろう。

 ただそれを信じるかどうかと言えば話は変わってくる。一つの出会いを運命だと答える人。出会いはただの出会いでしかないと答える人。その他さまざまな考えがあるだろう。

 

 そしてこの街に住む一人の少年。

 神田陽一かんだ よういちにとっては出会いなどはただの出会いでしかなく、偶然の結果でしか無い事だった。というよりも、正直運命の出会いなんて物の存在自体がどうでも良かった。

 彼にとって良い出会い悪い出会いなんてものは自分がそう思うかでしかなく、言ってしまえば自分次第でしかないと……ただ、そう思っていたから。




「おはよう」

「ああ、おはよう」

 窓から差し込む朝日に起こされ目を覚ました陽一が、朝一番に会う相手は決まって父だ。彼にとっては母親で、父にとっては妻である女性は数年前に他界しており、それでも男手一つで自分をここまで育ててくれた父を陽一は尊敬している。ただ、それを父に言葉にして伝える事はあまり無く、一つ一つの行動にたいして感謝の言葉と共にその思いを込めるだけだった。

「ごめん朝食」

 テーブルに並べられた朝食。作れるときは陽一が作るようにしているのだが、昨夜はあまり眠れず、起きるのが遅くなってしまった。

 学校に行くには十分間に合う時間ではあるけれど、父に負担をかけた事実が陽一にはとても重く感じる。

「気にするな、昨日は疲れていたのだろう?」

「でも」

 疲れていると言うならば、遅くまで仕事をしていた父も同じ……いやそれ以上だったはずなのだ。それでも陽一の尊敬するこの人は、疲れを見せず陽一に労わりの言葉を投げかけてくれる。毎日ではないけれど、変わらず続いている二人の日常。

「謝るよりもありがとうと言ってくれた方が私は嬉しいかな?」

 陽一の気まずさもお見通しとでも言うかのようにおちゃらけて話す父。そんな父の姿に陽一が返す言葉は一つしかなかった。

「……ありがとう」

 ただそれだけを、精一杯の感謝を込めて伝える。

「どういたしまして、さて食べようか」

 男らしい笑みを浮かべ、席に座る父と向かい合って陽一は『いただきます』と手を合わせた。




 学校へ向かう道。それなりの距離ではあるが、電車などを使うほどの距離でもなく、かと言って自転車を使う気にもなれない陽一は、いつものように歩いて登校する。なにより陽一は歩くのは嫌いでは無い。

 街中を歩きながら見る景色と、空気の匂いがそれなりに気に入っていたし、歩かないと身体が目を覚まさない気がするからだ。


「よう陽一」

「おはよう」

 いつもと同じように通学の途中に出会う友人と交わす朝の挨拶。陽一が高校に上がってから親しくなった友人達の一人。それがこの友人だった。

 彼と連れたって下らない……それでも楽しさを感じる雑談をしながら、陽一は一歩一歩と足を進めた。




「おはよう陽一君」

「おはようございます先輩」

「おはようございます。じゃあ俺先に行くな陽一!」

 陽一たちが学校の前まで着くと、一人の女性が近づいてくる。その女性と挨拶を交わすと陽一の友人は彼らを残して、走り去っていってしまう。恐らく彼なりに気を利かせたつもりなのだろう。ただ陽一にとってはありがた迷惑であったが。

「気を使わせたかな?」

 高木たかぎ なぎさ陽一の一つ上の学年の先輩。

彼女を見た殆どの人が彼女に対して抱く感想は美女。女性にしては高い身長と凛とした佇まい。そして意思の強そうな瞳。陽一や他の生徒は近寄りがたささえ感じてしまう女性。

 ただ、その印象とは裏腹に、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて、陽一の表情を伺うように彼女は問いかける。

「いえ、勘違いしてるだけですよ」

 それに対して陽一はどこか素っ気無ささえ感じさせる声で答える。別に嫌っていた訳ではない。ただ陽一はこの先輩が少しだけ苦手だった。

 いつからか知り合い、出会えば当然のように話しかけては、笑みを見せてくる。だけどこの容姿とやけに近い――陽一の主観だか――距離感が気恥ずかしささえ感じさせる。だから陽一は目の前の先輩が嫌いでは無かったが少しだけ苦手だ。

「なんだか冷たくない?」

「いつも通りですよ」

 陽一の言葉に対して、少しだけ不満の声を滲ませて話す彼女への返答は事実いつも通り。少なくともこの二人にとっては。

「陽一君は意地悪だね」

「そうでしょうか?」

「うん。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」

「……そうですか」

 彼女の冗談にどう返していいのか分からない陽一が、気の利いた言葉を返せないのもいつもの事。そして目の前の彼女の言葉に陽一が少しだけ傷ついてしまうのもいつもの事だ。

「ごめん。嘘だよ」

「そうですか」

「何だか、余裕って感じだね」

「いいえ」

 笑って、だけど気まずそうに謝る彼女。そんな姿を見ても淡々と答える陽一。だけど渚が言うような余裕など実際には無かった。何故なら彼女の言葉に少しだけ心が軽くなるのを感じていたから、だから陽一は彼女の言葉を否定する。

「……陽一くんモテるものね。この前もクラスの女の子がカッコイイって言ってた」

「……からかってるんですか?」

 顔が赤くなるのを自覚しながら陽一は、なんとか言い返す。

「どうかな?」

「そろそろ行きますね」

 首を傾げて笑う渚。凛とした美女と言う印象とは違ったその仕草が何故だかやけに似合う。でもそれさえも今の陽一にとっては何故か悔しくて、震えそうな声で一言告げてその場を後にしようとした。出来るだけ彼女に顔を見せないようにしながら。

「待って」

「遅刻しますよ?」

「まだ大丈夫」

「……少し周りの目が気になります」

「いつもの事でしょう?」

 誰のせいだと思っているんだと心の中で愚痴りながら、陽一は溜息を吐く。

「先輩は」

「なぎさ」

「先輩はですね」

「なぎさ」

「渚先輩は目立つんですよ」

「私だけじゃないと思うよ?」

「今はそういうのいりません」

 にこやかに告げる渚の目をしっかりと見据えて陽一は告げる。

「じゃあどうしたら良いの?」

「ちゃかさないで話を聞いてください」

「分かった」

 真剣な顔で頷く渚。その姿に陽一は思わず見惚れそうになる。だけど今の状況と先程までの会話から彼はそれを悟られないように自分を誤魔化すために、己の手を握り締める。

「もう授業が始まるんです」

「うん」

「だから、先輩も教室に行ってください」

「……」

 陽一の言葉に渚は黙り込み、俯く。だけど陽一はあえてそれを無視して続ける。

「僕はもう行きます」

「あとで、あとでならもっと話してくれる?」

 俯いていた顔を上げて、驚くほど真剣な瞳に不安げな光を覗かせながら、そでもはっきりと渚は陽一に聞こえる声で問いかける。その問いにたいして陽一は彼女にだけ聞こえる声で「あとでなら」と答えて、その場を後にした。




「よう、陽一。愛しの先輩と朝の一時は過ごせたか?」

「だれだよその先輩?」

 教室に入って席に着いた陽一を友人が茶化し始める。渚と朝に出会ってしまった日のいつもの光景。そしていつも通り無駄な抵抗だと分かっていながら、陽一はとぼけてみせる。

「高木先輩に決まってんだろ? お前もいい加減諦めが悪いよな」

「別に愛しいと思ってないし、特別な関係でも無いよ」

「よく言うぜ。先輩とよく居るくせに」

 友人の言うことが事実である事を陽一自身自覚はしていた。

「それは否定できないけど」

「もう恋人って言っても良いんじゃねえの?」

 最後の言葉だけはどこか真剣な声でこの友人は陽一に尋ねる。どこか心配そうな顔でただはっきりと。

「違う」

「でもさ」

「告白されたわけでも、したわけでもないよ」

「え? 本当かよ」

「そうだよ。だからお前は誤解しないでくれ」

 否定の言葉に初めて知ったと驚く友に、陽一は真剣な顔で答える。

「そっか、茶化して悪かったな」

「いいさ」

 気まずげな顔で、それでも陽一からは目を逸らさず彼は謝罪の言葉を口にする。そしてこの話はお終いとでも言うように、いつものように無駄話を始める。その態度に陽一はこの友人との関係が拗れなかった事を確認して小さく息を吐いた。






 授業が始まり教師が長い説明を始めだす。真面目に聞く者。教科書で顔を隠しながら寝てしまう者……そんな中で陽一は朝に言葉を交わした渚の事を思い出していた。


 高木渚。

 成績優秀であの容姿。それなりに友人も居て人気はあるようだが、普段の冷たささえ感じさせる――陽一からは意外な事だが――表情から遠巻きに見ている生徒も多いらしい。

 喋ってみればその印象を吹き飛ばすように、茶目っ気を見せる彼女。ただ陽一の友人などに言わせればそれは陽一相手だかららしい。しかし、後輩の女の子などから慕われている場面をそれなりに見ている陽一としてはそれを否定したい気持ちになる。ただ遠くから見ているだけだからそう思うだけだと。

 などと偉そうに思ってはいても、陽一から渚に話しかける事は少ない。実は初めて話しかけてきたのも彼女からだったのだが、陽一は今はいいかとその時の事を思い出すのはやめておく事にした。

とにもかくにも出会った頃と同じく、今でも彼女は陽一が見つける前に陽一を見つけて話しかけてくる。

逆に陽一が見かけた場合は声もかけずに立ち去ろうとする。するのだが、結局見つかってしまい陽一は結果彼女に怒られる。

 本当は陽一だって自覚している。他の男の後輩よりも自分は気に入られているようだと。ただそれは友人達が言うように異性としての好意なのかどうかと言うと、恋愛経験がお世辞にも多いとは言えない陽一には判断ができない。

そもそも彼自身経験をつんだとしてもそんな事が分かるようになるとは思えなかった。相手が自分を好きだ何て思うのは酷く自惚れているようで、後輩として好かれていると思うのでさえ、気恥ずかしさもあって抵抗を感じる。

「次の所を神田」

「はい」

 そこまで物思いに耽っていた陽一だが、教師に当てられて彼女の事を考えるのをやめ、目の前の教科書に強制的に意識を移した。




「よっしゃ飯だー」

「どんだけはしゃぐんだよ」

 午前中最後の授業が終わり、はしゃぎだす友人に陽一は呆れた声で返す。

「だって腹減ったし」

「それは同意するけど、じゃあ学食行こうか」

「おお、何たべるかな」

 二人で教室を抜け出し、彼等は駄弁りながら学食へと向かった。




「あそこで良いか」

「そうだな」

 そう言葉を交わして二人は窓際の席に腰を下ろす。机の上にそれぞれの食事を置いて、さてお互いに食べようかと箸を持った所で、目の前の友人が陽一の後ろを見て「あ」と声を上げた。その声に陽一が振り向くと、そこには今日のランチを手に持った高木渚が立っていた。

「一緒していい?」

「も、勿論です」

「……どうぞ」

 渚の言葉に真っ先に友人が了承の返事を返してしまっては陽一も断るわけにはいかず、しぶしぶと返事を返す。彼女は彼女で笑顔を浮かべて「ありがとう」と言って当然のように陽一の隣に座る。

「先輩が一人って珍しいですね!」

「今日は後輩と食べるって誘い断ったの。迷惑だったかな?」

「いえいえ、先輩とランチとか大歓迎ですよ! なあ陽一!」

「結構一緒に食べてると思うけど」

 事実だった。陽一が友人と食べているときに渚が来るのは初めてではない。ただいつも一人と言う訳でも無く、時には何人かの彼女の友人も一緒だったりする。

「おいおい贅沢な奴だな。他の男に怒られるぞ?」

「言ってろよ」

「陽一君なんだか不機嫌ね?」

「いや、先輩が来たから照れてるだけですよ。こいつは」

 朝の会話は何だったのかとさえ思える友人の態度に陽一は眉を寄せる。そんな陽一の内心を知ってか知らずか彼女と友人は会話を続ける。

「それでどうあの子とは? 仲良くしてる?」

「ええそれはもう! おかげさまで」

 照れ臭そうに笑う友人。実の所渚の言う『あの子』とは彼の恋人であり、彼女の後輩なのだ。しかも二人が付き合うにあたって渚はかなりの協力をしており、陽一の友人である彼は渚に頭が上がらなかった。ただ陽一は友人が美女に弱いだけのような気もしていたのだが。

「じゃあ俺食べ終わったんで先に行きますね! じゃあな陽一」

「お、おい待てよ」

 友人は急いで目の前の食事を食べ終えると、そう残して陽一が止める間もなく走り去ってしまった。

「あの野郎」

「いっちゃったね」

「……席隣じゃなくても良いですよね」

 どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる渚に、苦し紛れに言ったそれだけが陽一にとっての彼女に対する精一杯の抵抗だった。




「どうぞ」

「ありがとう」

 珍しくあまり話しかけてこなかった渚と二人で静かに昼食を食べ終えた陽一は、二人分の飲み物を買って席に戻ると彼女に片方を手渡す。

「あ、お金返すね」

「いいですよ」

 少し慌てて財布を取り出す渚の姿が少し可笑しくて、陽一は笑って首を横に振る。

「やっと笑ってくれた」

「え?」

「今日の陽一君。全然笑顔を見せてくれなかったから」

 そう言われて初めて陽一は今日の一日を思い返す。確かに友人は別として今日一日渚の前で笑顔を見せた記憶が無い事に気付く。その事に気まずさを感じたが陽一にも言い分はあるのだ。

「先輩がからかってくるから」

「ごめんね」

「いえ」

 陽一が謝罪の言葉を受け入れると共に二人の間を沈黙が支配する。

「なぎさ」

「え?」

「また先輩って呼んだだけだった」

 ああと先程の自身の言葉を思い出し納得する。しかし陽一には目の前の先輩が何故そこまで先輩の前に名前を付けさせたがるのかが不思議だった。

「どうしてそんなに拘るんですか?」

「……」

 その疑問を率直に渚にぶつけると、彼女は俯いてしまう。正直意外ではあった。いつもの彼女ならば陽一をからかうような事を言ってきても、おかしくはなかったから。

「……から」

「なんです?」

「むう」

 何かを呟いたようだったけれど、陽一の耳には届かず聞き返すと彼女は複雑そうに上目使いで陽一を見つめる。その仕草に内心動揺してしまうのを必死で悟られないように隠しながら、陽一は視線で続きを促す。

「『先輩』じゃ他の人と一緒だから」

「それだけ?」

「そうよ、それだけよ……陽一君のばか」

 恨めしげな目を陽一に向けて渚はそっぽを向く。子供っぽいそんな仕草をする彼女を陽一は信じられないと言いたげな驚きの表情で見る。

「ばか。もう先に行くから」

「は、はい」

 走り去っていく彼女を呆然と見送りながら陽一はしばらくその場から動けなかった。




 そして午後の授業は陽一の頭の中に何一つ残らなかった――




「わりい陽一。今日はおれあいつと帰るから」

「いいよ。またな」

「おう」

 放課後になり教室の中に生徒は殆ど居なくなり、陽一達も別れの挨拶を交わして、教室を後にする。

 先に校庭まで走っていく友人の背中を見送り、陽一は言いようのない寂しさのような物に襲われて、それを振り払うように頭を振る。一人で頭を振っている男子学生の姿は、はたから見れば異様な光景であっただろう。だけど学生達なんてそんな物だと、陽一は頭を振った後、自分の中で気恥ずかしさを誤魔化すように言い訳じみた結論を下す。

「陽一君」

「せん、渚先輩」

「いま、帰り?」

「は、はい」

 背後からかかってきた声に、昼間の事もあって陽一は意識して彼女の名前を呼んだ。しかしそれと同時に昼間の彼女の言葉も思い出してしまい、振り向くことが出来ないでいた。

「話してくれるんだよね?」

「いや、でもそれは昼間」

「あまり出来なかったから」

「……そう、ですね」

 そんなふうに言われてしまっては陽一には頷くことしかできない。

「陽一君。こっちむいて?」

「えっと、はは」

 彼女の言葉に陽一は誤魔化すように笑う。

「むいてよ」

「いや、あのですね」

「むいて!」

「ちょっ渚せん」

 今まで聞いたことも無い彼女の、悲鳴にも似たその声と共に陽一を振り向かそうと腕が引っ張られる。しかし、陽一が無駄に抵抗してしまったせいか渚はバランスを崩して陽一に向かって倒れこんでしまった。

「きゃあっ!」

「とっ」

 それでも必死で陽一が倒れこんでくる渚と重力に抵抗した結果、二人は何とか倒れずにすんだ。……すんだのだがその結果、座り込んだ陽一に渚がしなだれかかるような体勢になってしまう。

「よういちくん」

 今にも触れ合いそうな距離にまで近づいている二人の顔。とても近い彼女との距離。

 潤んだ瞳。少し赤くなった頬。か細い声を出す唇。陽一は魔法にでもかかったかのように渚から視線を外すことが出来なずにいる。

「先輩」

「好き」

「あ」

 好意を寄せられてる自覚はあった。ただそれが仲の良い後輩……まるで弟に対するような親愛の好意なのか異性にたいする好意なのかが区別がつかなかった。少なくとも今までの陽一には。

「よういちくん。好きなの」

 いつだって彼女は陽一の心を揺さぶってくる。時にはその言葉でその表情でその仕草で……でも彼女はいつだって最後には笑顔と共に余裕を見せてきた。

 だから陽一には彼女の真意など分からなくて、ただただ必死で勘違いしてしまわないようにと、自分自身に言い聞かせてきたのだ。今この時でさえも。

きっといつものように「からかってるんですか?」と尋ねれば良いのだ。きっとそうすれば先輩は笑って「どうかな?」と返してくれる。そんな考えがぐるぐると陽一の頭の中で繰り返し流れる。

「よういちくん。好きなんだよ?」

 彼女の陽一を掴む手が強くなる。「僕も好きです」と陽一も答えそうになり、それでも彼女はいつだって陽一をからかってきたのだと思い出す。だから今回も……そう陽一は思う。思い込もうとした。

だけどもう無理だった。

 どんなに自分を誤魔化しても、勘違いしないように言い聞かせても無理なのだ。どうしようも無いほど陽一は高木渚という先輩に惚れてしまっていたのだ。だからこそ言い聞かせてきた……認めてしまえばもう、自分を誤魔化せないことを自覚していたから。

「すきなの……あなたは?」

「僕は」

 彼女の声に震える手。

「こたえて」

「僕は」

「好きなの」

 もう自分の鼓動の音が渚にまで聞こえてしまっている。陽一にはそう思えた。――実際には聞えてなど居なかったのだけれど――陽一はだからもう隠すのは無理だと何処か諦めと共に自分の気持ちを受け入れた。そして

「好きです。貴方が好きです」

 言ってしまった。もう取り返しがつかない。そんな事を泣きそうになりながら陽一は考える。けれどそんな陽一の考えを吹き飛ばすように次の瞬間、柔らかな衝撃が襲った。

 「あ」

 抱きしめられていた。柔らかなその腕でしがみつくように、子供が離れまいと必死で抱きつくように。

 「あだ……よう」

 手は震えていた。声は震えていた。彼女は泣いていた。

 いつもの凛とした姿も、陽一をからかってくるあの姿もそこには無い。ただ陽一の腕の中で涙をこぼして震える、今まで陽一が接してきて一度も見た事が無い高木渚がそこにいた。

「ひぐっ、うぐ。わ、わたしのよういぢぐん」

 彼女の小さな泣き声を聞きながら、人が通らなくてよかったなんて現実逃避にも似た考えを陽一は抱く。ただただ抱きしめる手の力だけは緩めずに……。







「おはよう」

「ああ、おはよう」

「もう、できてるから」

「ありがとう。助かる」

 その日陽一は寝坊することなく起きることが出来た。いつものように手馴れた手つきで簡単な料理を作り、出来上がった料理を机に並べて居る。

そしていつもと同じように起きてきた父と朝の挨拶を交わす。




 いつものように学校へ向かう道。ただいつもと違ったのは道の途中で一人の女性が陽一を待っていた事。

「おはよう」

「おはようございます先輩」

「なぎさ!」

「渚先輩」

 先日晴れて恋人になった高木渚。彼女は陽一の言葉に怒った声を上げながら、陽一の腕に抱きつく。

「渚先輩」

「陽一くん。先輩はいらないよ?」

「……行きましょうか」

「陽一くんの意気地なし」

「一人で行きます」

 彼女の言葉に眉を寄せて陽一は、手を振りほどくように歩き出す。とは言っても本気で振りほどこうとするほどの力では無かった。

「きゃぁ!」

「とっ」

 それにもかかわらず、彼女はバランスを崩してしまい、それを咄嗟に受け止めようとした陽一の胸の中へと飛び込むようにしがみつく。

「あ、ありがとう。陽一君」

 そういって陽一の胸に顔を埋める渚。しかし陽一は見逃さなかった、彼女の唇が悪戯が成功した子供のように吊り上るのをだから確信とともに口にする。

「先輩わざとですよね?」

「……陽一君。大好き」

「……わざとですよね?」

 渚の言葉に顔に血が上るのを自覚しながら、それでも陽一は追及した。すると彼女は顔を上げて恨めしそうに陽一を見上げる。

「だって陽一くんに抱きしめて欲しかったから」

「そのですね」

「だめ? 陽一君に抱きしめてもらうのはいけない事? わたし陽一君の彼女だよ?」

 彼女の言葉に納得しそうになった陽一だが、ふと同じような事が最近あったなと思い出す。先日放課後に陽一が腕を掴まれて――

「昨日のもわざとですか?」

「……好きだよ」

「わざとだったんですね」

 さらに陽一に抱きついて誤魔化そうとする渚を見て陽一は一瞬良いかなと思いかけたけれど、最後まで彼女の手のひらの上で踊っていたのか知りたかったのだ。それにあの日陽一は必死だったのだ。それなのに目の前の渚には結構余裕があったのだとしたら何だか男として悔しい。だからこそもう一度尋ねた。

「えへへ」

 渚はからかうような笑みでは無く。幸せそうな笑みを浮かべて言うと陽一を見つめる。

「……結構余裕だったんですね」

「どうかな?」

「はあ、もういいです行きましょうか」

 結局どこか拗ねた声をあげて陽一は諦める。本当は分かっていたのだ、いつだって目の前の女性には適わないと、彼女に惚れてしまった時から、必死で自分を誤魔化し始めたときから、神田陽一は高木渚に対して無力な男だと言う事を……。

「よういちくん」

「なんですか」

 歩き出す陽一を呼びかける明るい声に振り向いた瞬間、陽一の視界は渚の顔で一杯になった。そして唇には柔らかい感触。

「あ」

「えへへ」

 目の前で顔を赤くして笑う彼女の前では、やはり彼は無力だった。






 運命の出会い。

 その言葉に対する考えは人によって違うだろう。

 一つの出会いを運命だと答える人。出会いはただの一つの出会いでしかないと答える人。

 そして――




「あなた名前は?」

「神田陽一です」




 ――彼女にとっては出会いは出会いでしかなく、その出会った特別な彼の特別になる事が重要だったのだ。

 特別な出会いなんかでは無かった。その日新しい制服に身を包んだ多くの生徒が居て、多くのすれ違う生徒の中に彼もいた。

 でも彼女の特別になった。



「私は高木渚。よろしく」




おわり


読んで頂きありがとうございました。


今日思いついたらむしゃくしゃして書きたくなった(笑)

本当はもっと短くしようと思ってたら終わらなくてこの長さになりました。

お付き合いありがとうございました。

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