第三章
チュールは勢いよく飛び起きた。
かなり寝汗をかいており、シーツがぐしょぬれであった。
「チュール」
チュールは呼ばれて顔を上げると、にこにこ顔の栗毛をした、軽そうな美青年がベッドに寄りかかってチュールを見つめていた。
「なんだ。ユングヴィ=フレイルか」
「なんだとは・・・・・・」
フレイは肩をすくめて苦笑した。
「おやおや、つれないね。あれ? あの子はどうした。ほら、あの」
「ヒルドか」
「そう、それ! あの子どうしたの」
「あいつにやられた」
チュールは下着姿で髪を乱したまま、顔を手のひらで覆う。
「あいつって」
「オーディンだ、オーディンに決まってる! 俺がふがいないばかりに」
フレイは困ったような顔をして、
「まあまあ」
とチュールをなだめた。
「僕がもう少し来るのが早ければ、ってことじゃないのかい」
「うるせぇ・・・・・・」
鼻水を拭いて、着替えをするチュール。
「どこいくのさ」
「いちいち聞くな。うっとうしい」
フレイから顔をそむけ、チュールはグラムを手に持ち、扉を開いた。
「ま、待ってよ。僕も行くから・・・・・・」
「ふん。半人前のおぼっちゃまに何ができるんだ」
言われてフレイは固まったまま立ちつくす。
「オヤジにやってもらわねえと、なんにも出来ねえ癖してよ。片腹痛くなる」
「――よせ」
フレイは真顔でうつむいた。
「とにかく、足手まといはついてくんな」
チュールはフレイを見下すと、足はやに宿を出ていった。
「たしかに僕は、足手まといかもしれないが・・・・・・」
フレイは眉をひそめてチュールの背中を見送るばかりであった。
「隠れてないで、姿を見せたらどうだ、オーディン! それとも名前を変え、アルヴィース、賢き賢者、か? あるいは、ハーヴィ、気高き者か!?」
チュールは記憶を封じると言われる黒い森へと足を運んでいた。
――ヒルドはきっとここだ。ここにいる。
チュールの直感だった。
「ヒルド・・・・・・」
彼は声の限りでヒルドを呼び続け、くらい森の中をさまよった。
「ヒルドーッ!」
「チュールさん」
ヒルドの声が記憶の中から蘇る。
耳鳴りのような感覚。
心臓を突き刺すような、甘いしびれがチュールを襲う!
「やめろ・・・・・・やめてくれぇ!」
やぶれかぶれに剣を振り回し、チュールは呼吸を乱した。
「苦しい、こんな想いはしたくない」
地面に剣を突き刺すチュール。
「ひひひ、あいもかわらず、ヴァカだねぇ」
ろれつの回らぬ声で、赤い顔をした漆黒のローブを身につけた老人がチュールに近寄る。
「く、来るな。寄らば斬る!」
「やってみなよ。殺せるものなら」
老人はたやすくチュールのグラムをまっぷたつにへし折った。
「あッ」
グラムの破片を呆然と見据えているチュール。
老人はそんなチュールを追いつめるようなことを言う。
「それみろ、それみろ。貴様にはそれを持つ資格がなかった、ということだな」
「・・・・・・オーディン!」
憎々しげにチュールは老人、つまりオーディンを鋭い視線でにらみつけた。
「そう、怖い顔をするな」
「ヒルドを返してくれ」
チュールは涙で顔を濡らし、オーディンにしがみついた。
「あの子は俺の宝なんだ。あの子を失えば俺は、どうやって生きたらいいか、わからない」
オーディンは無言のまま、チュールを見下ろしていた。
「ヒルドはワシが頼んだヴァルキリーじゃないか。貴様には無縁のはず」
「そうはいうけど」
その声の主はチュールではなかった。
チュールとオーディンは振り返る。
「フレイ」
チュールが目を丸くして言った。
「帰ったんじゃないのか・・・・・・」
「きみをおいて? 冗談言うな。僕は、いまのきみを放ってなど妖精界には帰れない」
きれい事をいう、とオーディンは小馬鹿にしてフレイたちをあざ笑った。
「オーディン。なぜきみは、ここまで彼を追いつめるんだ」
「それは」
言いかけてオーディンは小瓶におさめた蜜酒を飲んだ。
「まじめに聞いてくれ」
「真面目だよワシは。酒がないとやって行かれないの」
打ちひしがれたチュールは土を握りしめ、続いて唇を噛みしめた。
「俺は、ヒルドを守れなかった・・・・・・」
涙が再びこぼれ落ちる。
「ヒルド。ヒルド、すまない・・・・・・」
フレイはチュールの肩を抱いてやることしかできなかった。