第二話
「チュールさん、どうして右腕がないの」
チュールは連れの娘、ヒルドに尋ねられ、返事に困窮する。
「イヤ・・・・・・どうして、って・・・・・・」
オーディンが大好物の蜜酒を内緒で飲んでいたチュールは、いつ主神にサボりが見つかるかとヒヤヒヤしていた。
ここはミッドガルズという人間界の一部で北に位置するノースランド。
この地上にさえ、きゃつは出没する。
きゃつ、すなわちオーディンという神はまったく、神なのだった。
いってみれば、神出鬼没なアヤシイ老人の姿で人々に様々な災厄を振りまいている、えげつなき神。
オーディン曰わく、それが試練であり、人間どもが乗り越えねばならないことであると。
「ばかばかしい。オーディンなど・・・・・・」
消えてしまえ、と言いかけたそのとき。
チュールは鼻を鳴らして酒場を出ていこうとしたが、しかしすぐに腕をつかまれ、チュールは酔いも手伝い暴れる用意をした。
「なにするんだ、てめっ」
左腕一本で、チュールは神の剣をかまえた。
神の剣の名は、グラムと呼ばれ、赤い顔をしたチュールはヒルドを質にとられていたことに、今さらながら気づいた。
「ヒルド・・・・・・。ヒルドを離せ、この鬼畜どもが!」
チュールはヒルドを心配そうに見つめ、次にヒルドをとらえた男たち三名ににらみを利かす。
「うるせえ、悪党はまず女子供を質にとってからいたぶるって、昔から決まってるんだよ」
「は。いつの昔だ、こわっぱ」
チュールは軍神らしく唇の端をゆがめ、冷徹な判断を下す。
「おまえらなど、相手にもならない。秒殺する」
次にグラムの切っ先を粗野な男のひとりに向けて言い放った。
「――死ね」
「まって!」
ヒルドが泣きながら訴えた。
「ヒルド」
「チュールさん、待って。どんな悪党でも人間でしょ。殺さないで」
悪党どもはヒルドの許しを請う声に、思わず、よよよ、と泣き崩れた。
「だんな、嬢ちゃん、すまねえだ〜。情けを掛けてもらえるほどとは、おもわねえで」
チュールは無言でヒルドをにらみつけている。
チュールがかなり怒っていることは、ヒルドにも察していたので彼女は身をすくめていた。
「ああ・・・・・・まあいいさ」
チュールはそれだけをようやく言えた。
「何か理由があるのでしょう」
ヒルドがリーダー格の男に尋ねる。
「言ってご覧なさい。悪いようにはいたしませんから」
チュールはどっかりといすに腰掛け、大量の蜜酒を持ってこい、と店の女に言いつけた。
そして、ヒルドが説得する様を見て、こう考えていた。
――俺の知っているヴァルキューレというのは、こんなやさしい慈悲など持たなかった。ヒルドは格が違うな。このままではダメだ。いつかオーディンに、イヤ・・・・・・神々に叱責を受ける。コイツをヴァルハラに連れていって、地上界の英雄の魂を集めろと言ったらきっと、いやがるに決まっている。俺はいったい、どうしたらいいのだろうか・・・・・・。
たいていの女神たちというのは、チュール同様、冷徹な性格のものが多かった。
ことにエルダという女神は最悪なほど冷徹で、運命を司るオーディンの妾でもあり、しかし彼女はあろう事か、チュールの婚約者でもあったため、彼女はチュールが地上でヴァルキリー育成を命じられたときから、薄々感ずいていたことがある、といってきた。
「あなたは私を裏切るでしょうね」
チュールは表情ひとつすら変えないで、
「はっ。何をくだらないことを言う。俺がおまえを裏切るわけないだろう」
「どうでしょう。人も神も同じよ、チュール」
氷のような冷たいまなざしを向けられて、チュールはぞくりと背中に悪寒をおぼえた。
――エルダは、手強い。
酒浸りになり、目の前にいるヒルドを見ているうち、とても泣きたい気分に襲われてしまった。
――あろうことか、あろう事か俺は、ヒルドを愛してしまったんだ・・・・・・。