第一章
昔々、ノースランドという国に、チュールという若者がいて、彼はじつをいうと神であり、おもに戦争を扱う『いくさの神』として恐れられている存在、しかし容姿は穏やか、且つ美形のブロンド、碧眼な青年であった。
彼は非常に悩ましげな表情でのっぱらを歩く。
大きな岩を見つけると、チュールはどっかり腰を下ろし、さらさらの前髪を揺らした。
そして、乱暴な手つきでたばこを吸い始める。
「ちくしょう、あの野郎」
彼は目を細め、過去を想い出すようにして、愚痴をこぼす。
「ちくしょう。ヒルドを守ってやることが、俺の使命だというのに・・・・・・」
彼は何度も煙を吐き出し、イライラを鎮めようとしていた。
「くっ」
とうとう燃えかすになると、チュールは左手でその燃えかすを投げ捨てた、というのも彼には右腕がなかったので、左手で行動するほかなかったのだった。
「ヒルド――」
切なそうに嘆くチュール。
豊かな美しい金髪は、彼の左手によって、乱されていく。
チュールがヒルド、と呼んでいたのは、ヴァルキリーとして育てるためにチュールが連れていた娘であった。
歳の頃は十五ほど。
そのヒルドはチュールと愛し合うようになってしまったために、神々からの制約を受け、制約、つまりそれは・・・・・・罰を意味していた。
「ちくしょう、あの野郎――」
チュールの心は乱れきっていたのだが、誰もその理由もいきさつも分からなかったし、尋ねもしなかった。
チュールが絶え間なく『あの野郎』と呼ぶのは、神の王オーディンのことだったのだが、表向きはチュールはオーディンのしもべ、すなわち逆らえない主人であった。
しかしヒルドのことがきっかけとなり、チュールは無我夢中でオーディンに反論する。
オーディンはいった。
「チュール、貴様はいったい何を血迷っているんだ。貴様はこの俺に恥をかかせようと言うのか、あのフェンリルの件のよう」
周りにいた神々は失笑を漏らし、チュールを蔑んでいることが手に取るように、本人はわかってしまった。
「恥の上塗りか」
とオーディンに苦笑され、チュールは怒りの念を抱きつつあった。
ヒルドを隠したんですね、オーディン!
と叫びたいのをこらえ、チュールは孤独のなかで涙をのんでいた。
――「フェンリルの件のよう」。
オーディンがいったのは、チュールがフェンリルの監視役だったことに不満を抱いてのことともとれる。
チュールは、フェンリルに挑発され、彼が勇気を示すと言って右腕を差し出したのだった。
「チュールが勇気を示すというのか」
フェンリルは目を細め、ほくそ笑んだ。
「ほかのヤツらは腰抜けどもじゃないか」
得意そうにチュールの右腕を咬みちぎったフェンリルは、鮮血を滴らせた口元を、長い舌でなめてぬぐう。
「さすが、神の血はうまい」
チュールは失った右腕を、青ざめた表情でただ黙ったまま、見つめるばかり。
「どこが勇気だ、ただのバカじゃないか!」
アース神族、すなわちオーディンとその一族は、巨人族出身のチュールをあざ笑う。
チュールはうなだれていた。
満足そうな笑みを浮かべてすやすや、安らかな寝息を立てるこの、生意気なロキの息子が非常に憎い。
チュールは寝首をかこうと、背中の剣に手を回す。
だが、剣を鞘に収めると、彼はとぼとぼとヴァルハラの城へ引き返した。
――殺すのは、よくない。俺はオーディンとは違うのだ。殺せない・・・・・・。
戦争を理解し、戦略を練って相手をいたぶるチュールだからこその、だし得た結論だった。