生者の望む死 —— 心
熱く、なり切れない自分がいた。
外から、自分を見ているみたいだった。
まるで、自分に巣食った何かが、内側から僕を観察しているみたいに——。
学校帰り、おばあさんとすれ違った。初めて見る人だ。
でも僕は、彼女に会釈する。半ば癖のように。いや、実際に癖になってるのかもしれない。
考える前に体が動いていた。
口角を上げて、笑顔を作って、言う。
「こんにちは」
すると向こうも返してくれるんだ。こんにちは、って。
いつもの光景。小さなころに、教えられてからやっている習慣。
だったのに。今日、僕は、初めて。それを、嫌だと思った。
無理に笑わなければいけないのが。今まで、それを疑問に思わなかったことが。
嫌だった。
僕は、成績優秀な人だ。
とある高校に通っていて、成績は学年でも上の方。
そして、誰にでも分け隔てなく接せる性格の持ち主。
先生の覚えもよく、周りから期待される、生徒会役員。
それが、総じて僕の評価。
皆から見た僕は、そんな人らしい。
でも、実際はそんなことはないんだ、僕は。
行きたい大学があって勉強を頑張っただけ。成績をよくするために、先生の考える『理想の生徒』を演じただけ。内申を上げたくて、生徒会に入っただけ。
ただ、少し背伸びをしていた、それだけのことなのに。
イメージが、先走ってしまった。
本当の自分を飛び越えてしまった、他人の評価。
それに縋り、背伸びをしつづけることほど、辛いことはない。
人の目を気にして、人の理想像に近づこうと努力して。
それは、自分を押し殺して仮面をかぶるようなもの。
でも僕は、自分が、自分じゃなくなるような気持ち悪さに、いつの間にか慣れてしまった。
そのころからだったか。
「逃げたい」という衝動に駆られるようになったのは。
何をしていても、どんなに楽しいことを考えていても、友達とつるんでいても。
「自分は、ここにいるべきではない」
「場違いなんだ」
と、疎外感に駆られる。その場から、逃げ出したくなる。
それは、どこまで逃げても同じことだった。
知らない町まで遠出しても、いつの間にか、考えてしまう。
自分は、本当にここにいてもいいのだろうか、と。
そう思い始めてしまったが最後、その考えはどこまでも付きまとってきた。
文化祭の時も、体育祭の時も。
修学旅行の夜だって、皆に合わせて盛り上がったりしながらも、心の端に、「何やってんだろう」という考えがこびりついていた。
日を追うごとに、自分の中にある”芯”が、無くなっていくのを感じる。
今までで培ってきた自分の、アイデンティティとも呼べるものが、自分の中で、粘土みたいに形を変える。
その時に求められている自分の形にあわせて。
他人の、僕に対するイメージ像を写し取るように。
人の目を気にするあまり、自分が無くなっていく。
足元がどんどんと崩れていく中で、僕はもう、戻れない。
ありのままの自分をさらけ出すことなんて、できやしない。
皆の理想像をぶち壊してまでさらけ出せる、自分、なんて持ってない。
…僕は、一人の人間としての価値があるんだろうか?
自分の価値が、性格が分からない。人に合わせて生きるのに、慣れすぎてしまった。
そんな僕って、本当に、個人、って言えるんだろうか?
誰か、答えを、教えて?
ああ、どうしてこうなってしまったんだろう?
もし僕が、あの時、ありのままの自分で居ることを選んだなら、今の状況は変わっていた?
人に合わせるのではなく、我が道を進み、他人の目は気にしない。
そんな生き方が、果たして僕にできるだろうか?
…断言できる。無理だ。
そんなことしたら、とかいう以前に、そんなことしている自分のイメージがわかない。
そして。僕の体は、落ちる。
重力に従って、それに逆らわず。
まるで自分みたいだ。そう思ったのもつかの間、その浮遊感は消えてなくなる。
……もう死んだのか? あの橋から落ちて、下に打ち付けられるまでにはもっと時間がかかるはずなのに。
不思議に思う。そして、自分の腕が引っ張られていることに気が付いた。
誰だ。僕に、まだ、”自分”を演じさせようとするやつは。
感謝より先に、迷惑と思う心が生まれた。
数分後。ひっぱりあげられた僕は、おせっかいで迷惑な、その人の前で座り込んでいた。
ここは、とある橋だ。
一部界隈で自殺の名所と言われるここは、確かにその行為にうってつけに思える。
深い谷に架かる吊り橋。手すりもなく、まるで「飛んでください」と言われているようで。
下の急流も、他人のこないロケーションも。すべてが僕を受け入れてくれているみたいで。
だからこそ、僕は、ここで”自分”から解放されたかったのに。
なんて人だろうか。自己満足に浸った、ろくでもない人に違いない。なんて言ってやろうか。
僕は腕をひかれながら、そんなことを思っていた。
青年だった。僕の腕を引っ張っていたのは。
その人の顔を見た時、考えていた言葉は全て、頭の中から吹き飛んでしまった。
その人の顔が、あまりにも、寂しそうで。それ以上に、うらやましそうだったから。
僕は気が付いたら、その人の顔に見入ってしまっていたらしい。
はっと気が付いたとき、まず僕の口から出たのは、「あなたも、死にたいの…?」という言葉だった。
なぜそんな言葉が出たのか?
それはきっと、その人が自分と似ている顔をしていたから。
そんな顔をさせる感情に、僕は心当たりがあった。
「…そうかもね。でも僕は、死ぬわけにはいかない。命を大事にするって、友達と約束したんだ」
そう言った時のその人は、本当に悲しげで。存在感が薄くて。
今にも消えてしまいそうだった。
「僕はね、自分が誰かを知りたいんだ」
だから、彼の「君は?」という問いかけに、僕の口は勝手に動き出していた。
そして僕は気が付く。自分は、自分の心の中の気持ちを言う相手すら持っていなかったのだということに。
ショックだった。
そして話しているうちに思い出すこともあった。
昔、僕は、何かから逃げたかった。
でも、どんなに走っても、それから逃げることはできなかった。
だから、自分の形を変えることでそれから身を守ろうとした…
今でも、それの正体は分からない。
どんなに考えても、正解にはたどり着けない。心の底ではわかってるはずなのに——。
そこまで言って、僕は我に返る。
「こんなこと言っても意味なんてないのに…変なこと聞かせてしまってすみませんでした」
そう言って立ち去ろうとした僕。
でも、青年の発した一言に、足が止まる。
「君は…誰だい?」
「変なことを言いますね。僕は僕ですよ」
「そうじゃなくて…君は、誰だい?」
「僕は僕ですって」
「じゃあ今の君は、君じゃない」
「?」
頭が、その言葉の意味をわからないようにしている。そんな気がした。
それについて考えた時と同じだ。
本当に大事で、解らなきゃいけないことのはずなのに、知るのが怖くて、知らないうちにこのままでいいや、とか思って。知らないままにしてきた結果が、今の僕ってことか。
そう思った瞬間、気が付いた。
それって、何だったのかに。
今ならわかる。その正体は、他人の目だ。それに怯える自分自身だ。
だから、逃げれなかったんだ。
だから、逃げちゃダメだったんだ。
立ち向かわなきゃ。そうしないと僕はきっと、自分になれないから。
今度こそ、胸を張って言える。
「僕が、僕だ」と。
これが僕とあの青年との、最初で最後の出会いのお話。
彼と再会することはなく。僕は今、人を演じる仕事をしている。
俳優という仕事は、自分を知らなければ務まらない——




