【証拠はいらない】成長し続けないといけない気がしていた
相談者は、四十代の男性だった。
身なりは整っている。
言葉遣いも丁寧で、破綻はない。
ただ――椅子に座ってから、一度も背中を預けなかった。
「今日は、相談で」
「どうぞ」
少し間があって、男は言った。
「成長するのを、やめたいんです」
「ほう」
「正確には」
「やめたら、怠けてる気がして」
視線が落ちる。
「これまでずっと」
「もっと上へ」
「もっとできるように」
「そうやってきました」
「成果は?」
「あります」
「評価も、給料も」
「でも」
男は、はっきり言った。
「もう、しんどい」
沈黙。
「休めばいい」
そう言うと、男は首を振った。
「休むと」
「置いていかれる気がする」
「価値が下がる気がする」
「誰に?」
「……分かりません」
俺は、少し考えた。
「聞くぞ」
「成長をやめたら」
「はい」
「何が起きる?」
「……何も起きません」
即答だった。
「仕事は回る」
「生活も困らない」
「誰も、困らない」
「それで?」
男は、拳を握った。
「それなのに」
「自分だけが」
「ダメになった気がする」
「なるほど」
俺は、椅子にもたれた。
「それはな」
「怠けじゃない」
男が顔を上げる。
「“役割”を降りるのが、怖いだけだ」
「役割……」
「常に成長する人」
「止まらない人」
「期待に応える人」
俺は続ける。
「それを、ずっとやってきた」
「だから、外した瞬間」
「自分が空っぽに見える」
男は、黙って聞いていた。
「でもな」
「……はい」
「人は」
「止まっても、消えない」
「成長をやめると」
「怠け者になるんじゃない」
少し間を置く。
「“自分を使い切るのをやめる”だけだ」
男は、長く息を吐いた。
「……証拠、いりませんでした」
「ああ」
「もう」
「分かってた気がします」
「だろ」
男は立ち上がり、深く頭を下げた。
「しばらく」
「何もしない時間を」
「作ってみます」
「上出来だ」
ドアが閉まる。
相棒が言った。
「甘やかした?」
「逆だよ」
「どういうこと?」
俺は窓の外を見る。
「走り続けるしかないって思い込みを」
「一個、外しただけさ」
静けさ。
成長をやめるのは、
落ちることじゃない。
選び直すだけだ。
それが分かったなら――
もう、証拠はいらない。




