case:5 なぜ生まれるのか
次の日、二人で朝食を食べたあとすぐに準備を始めた。レイはあの日来ていた灰色のローブを着て深くフードを被っていた。
俺はというと、レイから渡された黒いローブを着て羽を隠した。普段は小さいとはいえ服の中に入れていると窮屈でしょうがなく、背中に穴を開けて羽を出していたがそんな訳にもいかず若干大きいローブを着ることで空間に余裕を生み出した。
皮袋に入っている貨幣を確認し、肩掛けカバンに入れて出発することになった。目的地はすぐ近くにあるエスト村、規模も大きくなく村人の数も少ない。
生まれて初めて柵の外に出たが特にこれといった達成感というものもなく、ただ安全な場所ではなくなったための緊張感が沸いた。
昔、レイに聞いたことがあった。なんでこの家は魔物に襲われないのか、と。すると口角を上げてあの家の周りには竜の血を撒いていると誇らしげに彼女は言っていた。その昔とある伝手で手に入れた強大な竜の血を家の四方に撒くことで魔物の侵入を防いでいるらしい。
森の中をしばらく歩き、川辺で休憩することにした。川の水を汲み、座って休憩の時間をとった。
「そういえばレイ、その杖はなに?」
「私は眼帯で目を覆っているでしょ、盲目っていうことにしているの」
「あーだからか」
「そ、私の目はちょっと特殊だから…まぁ色々いじってこんなのなくても全部見えるんだけどね」
少し恨めしそうにレイは眼帯の上から目を指で小突いて杖を天に掲げる。恐らく目が特徴的な魔物の魔族なんだろうが、どうやって周りの情報を知覚しているというのだろうか。レイは立ち上がって土埃を払い、再び歩み始めた。
生まれて初めてこの世界の森の中を歩いたが地球より何倍も自然は美しく怖いものだった。樹木のサイズがいちいち大きく、倒木を何度も登ったり降りたりするのは疲れる。それに目の前を走っていったウサギがハエトリグサみたいなのに丸呑みされたときはかなり肝が冷えた。
森の中は聞いた事のない鳥の鳴き声が延々と木霊していて、木漏れ日が差し込む雄大な自然の中をレイと歩くのは中々楽しいものだった。
心地の良い沈黙を破ったのはレイだった。
「シンは魔族は魔物に好かれているという噂を聞いたことがあるかな」
「聞いたことがある」
確か転生前面接室で見たウィンドウにもそう書いてあった。仮にも神の情報だ、間違いはないはずだ。
「まぁ間違ってはいないのだが、一口に好かれると言っても広義なものだ」
「? つまりどういうことだ?」
「魔族はなにも魔物から好かれている訳では無い。友好的な隣人ではなく、優秀な肥料として好かれているということだよ」
「そうなのか?」
「昔、ドレイク種の友人の伝手で理知的で友好的なドラゴンと話したことがあるんだが理性では抑えられないほどに魅力的に映るそうだ」
あの情報に嘘はなかったがそれでも正解というわけではなかったのか。
それにしてもドラゴンか…やはり男の浪漫だな、生前はその手のドラゴンを狩るゲームはやり込んでいたし小学生のエプロンはドラゴンだった。
もし今世で会えるというなら会ってみたいものだ。
「ではなぜ私たち魔族はこの世に生を受けたのか、隔世遺伝でもなければ先祖返りでもない。魔物と人族では致命的なまでに遺伝子が噛み合わないというのに生まれるのか」
「うーん、難しい話だな。大体そこまで深く考えたことはなかった」
「単なる遺伝子上の欠陥や染色体の本数などでこのレベルの身体異常が起こるとは思えない。私はこれを解明して、魔族を人族に戻す」
なかなか難しい話だ、よく分からないがもし人族に戻ったらあの綺麗な緑色の鱗は見れなくなるのか。それは少し寂しい気がする。
だが木漏れ日に照らされている彼女の見えない瞳には決意の光が宿っているような気がした。
およそ2時間ほどだろうか、かなりの距離を歩いたが運良く魔物とは遭遇せずに開けた草原に出た。
山を出たのだろう、遠くを見れば木造家屋がいくつか見え、小さくはあるが人影もちらほら見当たる。
10年、両親が俺を山に置いてからレイ以外の人物と話したことも出会ったこともなかった。自分でも予想はできていたが想像以上に緊張し、心拍音が響く。
その時額に僅かなこそばゆい衝撃が走り、前を見る。人差し指を額に押し当ていたずらに笑うレイが目の前にいた。
「緊張してるのは分かるけど、大丈夫だって」
「行きたいと言った手前情けないが、もしバレたらと考えると足がすくんでな…」
「シンは本当に10歳なのか疑わしいほど語彙力が跳ね上がるよね、まぁそれはそれとして嫌なら私の後ろにいなよ。守ってあげるから」
「…いや、もう大丈夫だ。行こう」
大きく息を吸い、吐く。ここまで来たんだ、自分の目で見て交流しなきゃ損だ。それにせっかく転生したんだ、そろそろ楽しまないとな。
エスト村の前まで行き、衛兵らしき人物がこちらを凝視する。俺の方を少し見たあと、レイの顔を見て笑顔で駆け寄ってくる。
「久しぶりだなレイさん、そちらにいらっしゃるのが前話してた息子さん?」
「久しぶりだね、ジェイド。そうだよ、せっかくだから友達でも作らせようかと思ってね」
「そうかい、リュースが肉を何個か余らせてたはずだから寄ってみるといい。この時間なら牧場にいるはずだからな」
「ありがとう。シン、行くよ」
「あ、あぁ」
ジェイドと呼ばれた衛兵の脇を通り過ぎ、初めてこの世界の村に足を踏み入れた。僅かな緊張と確かな達成感が胸中にはあった。