case:2 シン
目が覚めると俺は知らない天井を見上げていた。恐らく木造家屋の一室で母親と思しき人物が涙を浮かべ俺を抱きしめている。
産婆は泣き声をあげない俺を不安そうに見たあと部屋を後にした。ベッドの脇に腰を下ろして母の肩を持つ父親と思われる男が既に目を開いている俺を誇らしそうに見つめている。
「カヤ、よくやった。俺に似てないが賢そうな男の子だ」
カヤと呼ばれた母親は荒い息を整え、父親と軽くキスを交わす。嬉しそうに、そして幸せそうに。
「えぇ、でもきっとあなたに似て強い男の子になりますよ」
目の前にいる黒髪の夫婦が第二の人生の俺の両親に当たる。魔族に生まれたから幸せな家庭にはなり得ないだろうが、それでも今は家族の温かさに触れた。
少ししてカヤは違和感を覚えたのか、俺の背中に何度も指を合わせる。
やがて俺の背中にある異物に恐怖し、父親に慌てて話しかける。
「あなた…この子魔族かもしれない…」
「…なに?」
父親は俺を持ち上げ俺の肩甲骨あたりに生えてる小さな翼を見て表情を変える。先程までの笑顔は消え失せ、焦ったような表情を見せる。
せっかく生んでくれたのに申し訳なくなった。
父親はカヤの方を再び向き、やがて決意を固めたような目で口を開く。
「カヤ、これは間違いなく俺たちの子供だ。愛すべき大事な息子だ」
「えぇ、分かってます。けれどこの子は魔族に生まれてしまった、いや私が産んでしまいました…」
泣き出し、両手で目を擦るカヤ。それがとても痛ましくて、俺は罪を犯した感覚になる。
魔族を選んだのは失敗だったか…?こんな気持ちになるなら選ばなきゃ良かった…
「お前は悪くない、だが魔族に生まれてしまった以上いずれ騎士団の方たちにバレて殺されてしまう…」
「あぁ…あなた…ごめんなさい…ごめんなさい…」
「しょうがないさ、この子は魔物の子と世間では言われている魔族だが不思議だな。俺は愛してしまっている。そして俺の息子である以上、親の務めを果たさなくてはな…」
「ど…どうされるのですか…?」
「魔女が暮らしていると言われる山が近くにあっただろう?そこにこの子を預けよう、もしかしたら死んでしまうかもしれないが…それでもここに留めて殺されるよりかは幾分か…」
そして夫婦は急いで身支度を整え始めた。カヤの精神はかなり不安定になっていたが父が上手くなだめ二人で家を出て馬にまたがった。
外は夜のようで僅かに雨が降り始めていた。初めて見る異世界の街並みは薄暗かったが綺麗だった、ただそんなものより父親の苦しそうな顔から目を逸らせずにいた。
カヤに抱かれ馬に揺られ、気づけば小雨は土砂降りに変わり、見上げる景色は森になっていた。道中魔物に遭遇しなかったのは不幸中の幸いだった。しばらくして生物の気配が全くしない大樹の真下に辿り着いた。
カヤは最後に俺を力いっぱい抱きしめ、泣きながら何度も謝っていた。少しして父親がカヤごと俺を抱きしめ、カヤに降ろすよう伝えた。
「大丈夫、大丈夫だ。俺たちの子供なんだ、きっと魔女に助けてもらえる」
「でも魔女って…」
「あぁ、危険な連中が多い。けどこの山に住んでるらしい魔女はまだなにもしていない。もしかしたらいい魔女…なんてのもいるかもしれない」
「この子…シンは生きていけるでしょうか…?」
「分からないがきっと大丈夫だ。ほらカヤ、もう行かないと…」
名残惜しそうに大樹の下に俺を置き、何度も俺の名前を呼んだ。愛おしそうに、悲しそうに、もう呼べないであろう俺の名前を、もう抱くことができなくなるぶん目一杯の注ぐはずだった愛情を込めて。
そして俺の両親は再び馬に乗り、どこかへ行ってしまった。
感傷に浸ってる暇なんかない、いくら神の恩寵を受けたとは言え未だ赤子の身。1人で生きることもできないし魔物とやらに襲われては一溜りもない。
魔法の使い方も知らないし、もらった恩寵は今は使えそうにない。若干の孤独と肌寒さを覚え始めた頃、ローブを深く被った人物が草木をかき分け俺の元に来た。
血を被ったような赤い髪の毛を垂らし、布で目を隠した女性が俺を見ると少し眉をひそめて俺を抱き上げる。
「…君も魔族に生まれたんだね。私と同じように両親に捨てられちゃったんだ」
「名前は…シンって言うんだね」
俺の包んでいた布に書かれた文字を見て彼女は俺の異世界での名前を反芻する。声色は悲しそうで、少し震えていた。
「もう大丈夫だからね。さ、帰ろっか」
俺を片手で抱きながら彼女は再び森の中を歩いた。
しばらく歩いていると水たまりを踏みしめる音と草木を掻き分ける音が聞こえ、茂みから巨大な狼が姿を現した。全長2mをゆうに超えそうなその灰色の巨大な狼は俺たちを見ると牙を剥き出しにし涎を滴らせる。
大きな四足の足で地面を踏み締め、向かってくるがその牙が届くことはなかった。
勇ましく飛びかかってきた狼は眼前で石に変わり、地面に落ちて砕けた。彼女がなにかした仕草は見ていなかったが恐らく魔法なのだろうか。
少し息を吐きながら彼女は再び歩いた。どれほど歩いたかは分からないが森の奥深くまで来たのは事実だろう、やがて四方を柵で囲んだ小さな一軒家に辿り着いた。
柵を飛び越え、扉を開けて置いてあったマッチでランプに火を灯す。真っ暗だった家の中が小さな灯りによって照らされる。
俺をベッドの上に置き、目の前で彼女は着替え始めた。ローブを壁にかけ、びしょびしょの服を脱ぐと彼女の体には癒えない傷が無数に残っていた。大きなものから小さいものまで、切り傷から打撲痕までそれは無数に。そしてその傷の他にも体の一部に鱗のようなものが生えていた。爬虫類に近しい緑色の鱗だ。先程も言っていたがこの女性は魔族と見て間違いないのだろう。
やがて着替えを終え、俺の方に振り返り包んでいた布を取り替え乾いた布で再び包んだ。
俺の頬を人差し指で押しながら彼女は嬉しそうに笑った。
「泣かないんだね、なんの魔族なんだろう」
「さっき見た時は背中に羽が生えてたから蝙蝠に近しい魔物かな…?ミルクはどうしようかな」
俺は激動の吸う時間を過ごしたのに加え、赤子特有の強烈な眠気に引っ張られ眠ってしまった。この女性は恐らくまともな人間だろうが大丈夫だろうか、不安だ…