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ep.1

1941年12月8日未明 ハワイ・オアフ島上空


九七式艦上攻撃機の後部座席を占める東久邇宮桜子ひがしくにのみや さくらこは、眼下に広がる夜明け前のオアフ島を眺めていた。

まだ深い闇に沈む軍港には、アメリカ太平洋艦隊の艨艟もうどうが眠っている。その静けさとは裏腹に、耳に突き刺さるのは自機のエンジンが放つ轟音と、編隊を組む僚機たちが空気を震わせる重低音の合唱だ。

だが、その喧騒の中にあって、桜子の内面は湖面のように凪いでいた。


操縦桿を握るパイロットは、桜子とは対照的に極度の緊張に支配されていた。

額に滲む汗が、風防の隙間から吹き込む冷気で急速に冷えていく。

この歴史的作戦の成否を左右する「特別なお方」を乗せているという畏怖と責任が、彼の両肩に重くのしかかっていた。


「姫様、まもなく目標地点です」


絞り出すような声での報告に、桜子はインカム越しに短く応えた。


「わかりました」


その返事を聞き、パイロットはごくりと唾を飲み込む。

姫様が、儀式に入られる。



桜子は静かに目を伏せた。

(本当は詠唱など不要なのだけれど。皆様への国威発揚のため、宮家の姫らしいところをお見せしましょう)

合理的思考の産物として、彼女はゆっくりと唇を動かし始めた。

それは人間の言葉というより、世界の法則そのものを直接書き換えるかのような、古拙こせつの響きを伴っていた。

詠唱と共に、桜子の座る座席を中心に直径十メートルほどの巨大な魔法陣が虚空に浮かび上がる。

淡い光を放つ幾何学模様が、機体の外側に明滅した。


天照大御神あまてらすおおみかみよ、高天原たかまがはらの星々を束ね、今こそ神威を示し給え。地をけがす不浄なる者共を、星の怒りを以て打ち砕かん。天壌無窮てんじょうむきゅうの神罰、その身に刻むべし! 降り注げ、裁きの星よ!」


彼女を中心に、機内の空気が密度を増したかのようにビリビリと震える。

窓の外の景色が陽炎のように揺らぎ、桜子の膨大なMPが、不可視の力となって周囲の空間を満たしていく。

肌を刺すような異常なプレッシャーに、パイロットは息を呑んだ。

(これが……姫様の御力か……)


詠唱が終わり、桜子はすっと目を開いた。

その双眸は、まるで星空そのものを映したかのように仄かな光を帯びていた。

彼女は眼下の真珠湾を見下ろし、ただ静かに一言だけ、事実を告げるように呟いた。


「――落ちなさい」


その瞬間、遥か上空、暗雲のさらに上の成層圏で、何かが深紅に燃え上がった。

一条の光が、地上を目指して静かに加速を始める。

その天罰の輝きを、地上から見上げる者はまだ誰もいない。



§


1923年(大正12年)8月。

東京府麻布区に位置する東久邇宮邸は、真夏の陽光を浴び、その白亜の壁を輝かせていた。

庭の木々からは、降り注ぐような蝉時雨が絶え間なく響き、溶け落ちそうな暑気を一層濃密にしている。


その邸の一室で、背筋を伸ばした小さな影があった。

東久邇宮桜子。御年五歳。

あどけなさの残る顔とは裏腹に、その手付きに迷いはない。

小さな手で握る筆は、白皙の紙の上を滑らかに走り、年不相応に均整の取れた文字を紡ぎ出していく。

墨の香りが、静かな室内に満ちていた。


「まあ、桜子様は本当にお出来になること」


傍らに控える女官が、感嘆の息を漏らす。

その声には、偽りのない驚きと敬意が込められていた。

様子を見に来た父、稔彦王もまた、娘の完璧な所作に目を細める。


「うむ。さすがは我が娘だ」


父の満足げな声に、桜子は筆を置くと、小さな顔を上げてにこりと笑った。


「お父様。もっとお上手になりますわ」


天真爛漫な笑みと、裏腹の丁寧な言葉遣い。

桜子は宮家の姫として、誰からも愛される利発な子供であった。

この時点では、まだ誰も彼女の中に眠るものの正体を知らない。

彼女自身でさえも。


その穏やかな日常が、唐突に終わりを告げたのは、それからひと月も経たない日のことであった。



9月1日、午前11時58分。


まるで地の底から湧き上がるような轟音と共に、邸全体が凄まじい力で揺さぶられた。

経験したことのない、暴力的で巨大な揺れ。

女官たちの上げた絹を裂くような悲鳴は、調度品が倒れ、窓ガラスが砕け散る破壊音にかき消された。


「桜子様をお守りしろ!」


誰かの怒声が飛ぶ。侍従や女官たちが、必死の形相で桜子に覆いかぶさった。

揺れが一瞬だけ弱まった隙を突き、彼らは桜子を抱きかかえて庭へと脱出する。


息を切らし、呆然と邸の外に立つ一同の目に映ったのは、異様な光景であった。

まだ真昼であるはずの東京の空に、あちこちから黒々とした煙が、巨大な柱となって立ち上っている。

それは時間が経つにつれてその数を増し、夜の帳が下りる頃には、空そのものが燃え上がっているかのような、巨大な火災の光へと変貌していた。

地平線のすべてが、地獄の釜の蓋が開いたかのように、不気味な赤光に染め上げられていた。


人々が恐怖に慄き、あるいは天を仰いで嘆く中、桜子だけが違っていた。

五歳の少女は、燃え盛る帝都の姿を、ただじっと見つめていた。

その瞳に恐怖の色はない。

むしろ、何か懐かしいものを見るような、別の感覚に支配されていた。


――あれは、いつか見た光景だ。

――あれは、自分が「使える」力だ。


脳裏を、雷光が貫いた。

敵の大群を、天から降り注ぐ炎で焼き尽くした記憶。

巨大なモンスターを、一撃の下に屠った魔法のイメージ。

眼前の大火災が引き金となった。

眠っていた膨大な魔力が、奔流となって彼女の意識を飲み込んでいく。


「桜子様!しっかりとなさってください!」


女官の悲痛な声が、急速に遠のいていく。

桜子は、燃え上がる地平線に視線を縫い付けられたまま、糸が切れた人形のように、その場に静かに崩れ落ちた。


§


暗く、静かな水底へ、桜子の意識はどこまでも沈んでいった。

遠ざかる女官の悲鳴も、熱を帯びた風の音も、もはや届かない。

代わりに、脈絡のない、しかし鮮烈な記憶の奔流が、彼女の内に奔出した。


視界が開ける。

そこは、巨大な茸類の群生する森であった。

五色の胞子が絶えず大気を舞い、生命あるものの呼吸を拒む。

粘菌に覆われた地面からは、呻き声のような地響きが絶え間なく続いていた。

次の瞬間、桜子の手――いや、その奔流の中心にいる「何か」の手から、炎の矢が放たれる。

矢は空を切り裂き、森の中心で炸裂した。轟音と共に、熱波が森全体を飲み込む。

胞子は焼き尽くされ、粘菌は蒸発し、巨大な茸は黒い炭と化して崩れ落ちていく。

ただ、為すべきことを為したという事実だけがそこにあった。


場面は転換する。

永久凍土と氷河に覆われた、極寒の雪山。

猛り狂う吹雪が視界を白く染め上げ、人の身であれば一瞬で凍てつくであろう酷寒が吹き荒れる。

毛むくじゃらの巨躯を持つ雪男が咆哮を上げ、俊敏な狼男の群れが氷の陰から牙を剥く。

それらは、ただの障害物であった。

一体、また一体と、淡々と屠られていく。

その行為に感慨はなく、吹雪をやり過ごすのと同じ、ただの作業に過ぎない。

山頂にたどり着くために必要な工程。それ以上でも、それ以下でもなかった。


また、視界が変わる。

ブリキと木で出来た、悪趣味な色彩の城。

そこからは、ぜんまい仕掛けのおもちゃの兵隊が、カタカタと無機質な音を立てて無限に湧き出てくる。その数は、あたかも砂漠の砂粒のようであった。

一体ずつ、確実に破壊していく。狙いを定め、魔法を放つ。

その単調な繰り返しに、飽きるという感情は存在しない。

それは、田を耕し、稲を刈るのと何ら変わりない、生産的な活動の一環であった。


やがて、天を突くほどの巨大な樹木が現れる。

その根元には、禍々しい紋様が刻まれた石の祠があり、中からは世界そのものを呪うかのような邪悪な気配が漏れ出ていた。

古の封印が、綻び始めている。

詠唱が始まる。

それは歌うようでもあり、経文のようでもあった。

複雑な魔法陣が足元に展開し、凝縮された魔力が祠へと注ぎ込まれていく。

邪悪な気配が苦悶の叫びを上げ、やがて静寂に帰す。

儀式は、完了した。


それぞれの光景の断片の合間に、人々の姿が見えた。

炎が消えた森の跡地で、土に額をこすりつけて祈る村人たち。

雪山の麓で、ひざまずき頭を下げる王侯貴族の一団。

静かになった城の前で、歓声を上げる解放された民衆。

再封印された大樹の下で、安堵の涙を流す神官たち。


彼らの感謝や崇拝は、しかし、桜子の意識に何の波紋も広げない。

それは、空が青く、雲が白いというのと同じ、ただの風景の一部であった。

英雄的な行為への達成感も、無数の敵を屠ったことへの嫌悪もない。

それは呼吸と同じ。心臓が鼓動するのと同じ。

彼女にとって、それは生まれ落ちた瞬間から与えられた役割であり、当然の「作業」でしかなかったのだ。

この「感情の不在」という根源的な事実が、今、五歳の宮家の姫の肉体に、深く、静かに刻み込まれていった。


§


数日が過ぎ、帝都を覆っていた黒煙も次第に薄れ始めた頃、桜子は自室の寝台で静かに目を覚ました。



震災以来、付きっきりで看病を続けていた女官たちは、主の覚醒に気づくと安堵の声を上げた。

報せを受けて駆けつけた父・稔彦王も、憔悴した娘の姿に胸を痛めつつ、その目が開かれたことに神仏への感謝を捧げた。


「桜子、わかるか。父だ」


枕元に膝をつき、稔彦王が優しく呼びかける。

桜子はゆっくりと体を起こすと、心配そうに自分を覗き込む父と女官たちを見渡し、小さく、しかし完璧な所作で頭を下げた。


「お父様、皆様。ご心配をおかけいたしました。わたくしはもう、大丈夫でございます」


その声は鈴を振るように愛らしかったが、紡がれた言葉と、落ち着き払ったその佇まいは、五歳の少女のものとは到底思えなかった。

以前の天真爛漫さは影を潜め、代わりに、まるで全てを見通しているかのような、底の知れない静謐さがその身に宿っている。


稔彦王は娘の瞳の奥に、得体の知れない光が揺らめいているのを見た。

それは、幼子の持つ純粋な光とは異質の、知性と、そして人ならざる威厳のようなものであった。

戸惑いを隠せない周囲の大人たちを前にしても、桜子の表情は少しも揺るがない。


彼女は、己の内側で起こった変化を、完全に理解していた。

震災の炎を触媒として覚醒した、前世の記憶。

それはもはや夢ではなく、紛れもない自身の経験として、桜子の魂に刻み込まれていた。

そして、記憶と共に流れ込んできた、内なる力の奔流。

それはあたかも、自身の肉体にもう一つ、巨大で尽きることのない心臓が宿ったかのようであった。

その力の総量と、それを振るうための知識が、初めからそこにあったかのように、桜子の内にはっきりと存在していた。


――私は、東久邇宮桜子。

――そして、この世の敵を屠る者。


二つの人格は、水と水が混ざり合うように、あまりにも自然に融合していた。

そこに葛藤や混乱は一片たりとも存在しない。

宮家の姫としての自覚と、敵性存在を排除する「作業」への認識は、何ら矛盾なく両立していた。


その夜、邸の者たちが皆、震災の疲労と安堵から深い眠りに落ちたのを見計らい、桜子はそっと寝台を抜け出した。



白木の廊下を音もなく進み、月光に照らされた庭園へと降り立つ。

この力が本物であるか、そして、どの程度のものなのかを、自らの手で確かめる必要があった。


彼女は、前世の記憶を手繰り寄せる。

まず試すべきは、最も基本的な魔法。

桜子は夜の闇に向かって白くか細い指を差し向け、意識を集中させた。

内なる力の源泉から、ほんの一滴を汲み上げるような感覚で。


だが、彼女の意思とは裏腹に、その身に宿った力は加減という概念を許さなかった。


桜子の指先から迸ったのは、小さな灯火ではなかった。

夜の静寂を切り裂き、音もなく放たれた真紅の光条――灼熱の矢であった。



『ファイヤーアロー』

前世では最も基本的な攻撃魔法の一つに過ぎなかったそれが、この世界では絶対的な破壊の力となって顕現する。


光の矢は、庭の隅に置かれていた観賞用の岩に吸い込まれた。

次の瞬間、岩は閃光と共に跡形もなく蒸発し、背後にあった数本の松の木々もろとも、大地を大きく抉り取っていた。



遅れて衝撃と、轟音が響く。

えぐられた地面から白煙が立ち上り、焦げ付いた土の匂いが夜気に混じる。


桜子は、その凄まじい結果を目の当たりにしても、表情一つ変えなかった。

驚きも、恐怖も、そして喜びもない。



ただ、冷徹な観察者として、己の能力を分析する。


「……なるほど。出力の最低値がこれですか。わたくしの身には、加減というものが備わっていないのですね」


§


常軌を逸した閃光と、邸全体を揺るがす轟音。それは、まだ帝都の随所に残る震災の爪痕を想起させるに十分であった。

悲鳴に近い怒声と共に、数名の護衛官と夜着姿の使用人たちが庭へとなだれ込んでくる。彼らが手にする蝋燭やランプの光が、異様な光景を照らし出した。


そこには、美しいはずの庭園の中央に穿たれた、巨大な円形のクレーターがあった。焦げ付いた土くれが盛り上がり、地中深くから白煙が立ち上っている。かつてそこにあった観賞用の巨岩と数本の松は、影も形もなく消え去っていた。

そして、その破壊の中心に、白の寝間着をまとった小さな人影が、ぽつりと佇んでいた。


東久邇宮桜子。


彼女は、煙の立ち上る自らの指先を、ただ静かに見つめていた。


「桜子!」


屋敷の奥から響いた、鋭く、それでいて狼狽を隠しきれない声の主は、父である東久邇宮稔彦王であった。羽織を乱れさせながら庭に駆け下りてきた彼は、信じがたい光景に一瞬言葉を失う。だが、その視線が破壊の中心に立つ娘の姿を捉えるや、彼は我に返った。


桜子は父の姿を認めると、ゆっくりとその場に正座し、幼い身にはそぐわぬ完璧な所作で深く頭を垂れた。


「父上、大変申し訳ございません。わたくしの不徳の致すところで、お庭をこの様にしてしまいました」


凛とした、しかしどこか現実感のない声であった。稔彦王はまず娘の身体に目立った外傷がないことを確認し、張り詰めていた安堵の息を漏らす。だが、次なる疑問が即座に彼の思考を支配した。


「桜子、何があったのだ。爆発でもあったのか?」


その問いに、桜子はゆっくりと顔を上げた。その表情には、恐怖も動揺もない。ただ、少しばかり困ったような、それでいて曇りのない瞳で父を見返した。


「いいえ、父上。わたくしが、光を…ほんの少しだけ作ろうとしたのです。ですが、これほど大きくなってしまって…。お怪我はございませんでしたか?」


自分の身よりもまず父を気遣う言葉。

常識では到底あり得ない、「光を作ろうとした」という告白。

そして、目の前に広がる、人の手によるものとは思えぬ破壊の痕跡。


三つの事実が稔彦王の頭の中で結びついた瞬間、彼は理解を超えた現象に直面していることを悟った。背筋を、氷よりも冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。


これは、人知の及ぶ事態ではない。

娘の身に、何かが起こった。国家の根幹を揺るがしかねない、何かが。



その夜、稔彦王の動きは迅速を極めた。

彼は即座に皇族としての全権限を行使し、陸軍省に直通電話を入れると、有無を言わさぬ口調で憲兵隊の出動を要請した。

一時間もしないうちに、東久邇宮邸は完全に封鎖され、外部との接触は遮断された。


集まってきた報道陣や野次馬に対しては、「先の震災で損傷した地下ガス管が、余震により引火、爆発した事故」という公式見解が発表された。

現場検証に入った憲兵隊の報告は、ガス爆発というにはあまりに不可解な点が多すぎるというものであったが、稔彦王の一喝と皇族の威光の前に、全ての疑問は闇へと葬られた。


書斎で一人、冷え切った紅茶を前に、稔彦王は思考を巡らせていた。

娘には事情を聴いた。

いまだ信じられないが、かといってもう一度やれとも言えない。

娘は「わたくしは天照大御神様の直系なのでしょう?火矢の1つや2つは使えるものですわ」と訳の分からない事を言っていた。

(その時は少し誤魔化すような、以前の桜子の面影があったが...)


父として、まずは娘を守らねばならない。

あの力を、あの純真な残酷さを、世間の目に晒すわけにはいかない。

だが同時に、彼は皇族であり、陸軍大将であった。

国家の安寧と未来に対する責任が、その両肩には重くのしかかっている。

あの得体の知れない力は、あまりにも危険すぎる。

しかし、見方を変えれば、比類なき力となり得るのではないか。


一介の家庭で抱え込めるような秘密ではない。

手に余るどころか、一家を、ひいては国そのものを滅ぼしかねない劇薬だ。


父として娘を守るため、そして皇族として国家の未来のために、この力を国家レベルで管理・研究すること決めた。


§


年が明けた1924年の春。

桜が咲き誇る帝都の一角で、国家の未来を左右する密約が交わされようとしていた。


稔彦王はまず、陸軍大臣に極秘裏の会談を申し込んだ。場所は陸軍省内の一室。人払いを徹底させた部屋で、彼は重々しく口を開いた。


「国家の未来を左右する、全く新しい概念の兵器開発に関する議である」


その言葉の重みに、陸軍大臣は息を呑んだ。

稔彦王は具体的な内容は一切明かさぬまま、「陸軍科学研究所において、最も優秀で、かつ最も口が堅い研究者を数名リストアップされたし」とだけ命じた。


皇族からの直々の、そしてあまりにも不可解な要請であったが、断るという選択肢は存在しなかった。

リストアップされた十数名の人材に対し、本人の知らぬところで、陸軍憲兵隊による徹底的な身辺調査が開始された。

思想、交友関係、家族構成、酒癖に至るまで、その全てが洗いざらい調べ上げられた。


数週間にわたる調査の末、最終候補者として三名の男が選ばれた。


そしてある夜、三名は個別に、東久邇宮邸へと招聘された。

通された一室で彼らを待っていたのは、軍服に身を包んだ稔彦王その人であった。

彼は三名を前に、研究の重要性を厳かに説いた。

それが日本の、そして世界の運命を左右するほどの研究であると。


「これより行うは、神域の研究なり。汝らには、我が名において国家への絶対的な忠誠と、生涯にわたる守秘義務を命ずる」


皇族が、臣下に直接「我が名において」と命じる。

それは、神格化された天皇に代わり、その一族が発する絶対命令に他ならなかった。

三名の研究者はその場に平伏し、震える声で誓いを立てた。


この日、この瞬間、歴史の裏側で一つの極秘プロジェクトが産声を上げた。

そして、その研究対象には、一つのコードネームが与えられた。


神体しんたい


それは、一人の五歳の少女を指し示す、冷徹で、あまりにも無機質な呼称であった。


§


1924年の夏。


富士の雄大な裾野に広がる陸軍演習場の最奥部、一般人の立ち入りが固く禁じられた区画で、国家の最重要機密プロジェクトがその拠点を築きつつあった。

周囲の地形から巧妙に隠された谷間に、近代的な鉄筋コンクリートの研究棟が建設され、その傍らには、山の斜面を大胆に削り取って作られた巨大な砂地の射撃目標、通称「弾受け」が異様な威容を誇っていた。


この極秘施設の主役は、東久邇宮桜子、わずか六歳の少女であった。

彼女は、父である稔彦王から、ここで行われることが「日本という国のお役に立つ、とても大切なお勉強」であると教えられていた。

大人たちが自らのために真剣に動いてくれること、そして自分の持つ不思議な力が国家の役に立つという事実に、桜子は純粋な喜びを感じていた。

彼女は、これから始まる「お勉強」に、何の疑いもなく、健気な意気込みで協力することを誓ったのである。



最初の実験の目的は、桜子の能力における消費と回復の関係性を明らかにすることにあった。

研究者たちは、桜子が自分の力を「魔法」と呼んでいる事から、その力の単位を『MP(Magic Point)』と呼称。

消費される力を『C(Consumption)』、自然に回復する力を『R(Recovery)』と仮定し、その関係式の特定を目指した。


実験は無機質な観測室からガラス越しに行われた。


「桜子様、準備はよろしいでしょうか。まずは三十秒に一本、あの砂山に向かって火の矢をお願いいたします」


スピーカーから流れる研究員の平坦な声に、桜子は「はい、わかりました」と元気よく返事をした。


MPが満ち足りた状態で、実験は開始された。

桜子の指先から放たれる灼熱の矢が、正確に三十秒間隔で砂山に着弾し、その都度、土砂を溶かしながら小規模な爆発を起こす。

一時間が経過し、桜子に「お力に変化はございますか?」と問うと、彼女は「いいえ、まったく」と首を振った。

発射間隔は二十五秒、二十秒と段階的に短縮されていく。

いずれの段階でも、桜子の返答は変わらなかった。


数日にわたる実験の末、発射間隔が十秒を切ったところで、桜子は初めて「ほんの少しだけ、力が減り続けるような気がいたします」と報告した。

研究者たちは、その一つ手前の段階、すなわち「十秒に一回」の発射レートが、消費と回復が完全に均衡する持続可能な最大レートであると結論付けた。

この日、人類が初めて神の領域を数式化した瞬間であった。


『C = 10R』


消費される力は、十秒間の回復量に等しい。

この冷厳な数式が、研究日誌の第一頁に記された。




次なる段階は、CとRの具体的な数値を特定することだった。

そのため、桜子に意図的な消耗を強いる実験が計画された。


「よろしいですか、桜子様。今度はわたくしの合図で、一秒に一本の速さで、千本の火の矢を放っていただきます」


「はい!」


桜子は寸分の乱れもなく、一秒に一本のペースで火の矢を生成し、射出する。

所要時間、きっかり千秒。

これは桜子に出来るだけ早く連続で撃って欲しいとお願いすると、きっかり1秒1本ペースになった為である。


観測室では、複数のストップウォッチが同時に作動していた。


「はい、お止めください。ありがとうございます。そのまま、お力が完全に元に戻るまで、何もなさらずにお待ちください」


研究者たちは、第一段階で得た『C=10R』という関係式に基づき、一つの仮説を立てていた。


・消費総量:1000発 × C = 1000 × (10R) = 10000R

・発射中の回復量:1000秒 × R = 1000R

・差し引きの正味消費量:10000R - 1000R = 9000R


この『9000R』分の力を回復するために要する時間は、9000秒となるはずである。

観測室が沈黙に包まれる中、桜子は静かに目を閉じ、力の回復に努めていた。

やがて、彼女が「はい、元に戻りました」と顔を上げた瞬間、研究主任がストップウォッチを止めた。


計測時間は、正確に九千秒。二時間三十分であった。


仮説は、寸分の狂いもなく証明された。

この結果をもって、研究チームは「一秒あたりのMP回復量(R)を、基準単位『1』と定義する」ことを決定した。

これにより、神の力の基本単位が、初めて人類の尺度で定義されたのである。


・一秒あたりのMP回復量(R) = 1

・ファイアーアロー一発の消費MP(C) = 10



残された最大の未知数は、桜子がその身に宿す力の総量、すなわち総MP量(T)であった。

これを測定するため、研究チームは、当時まだ六歳であった桜子にとって、あまりにも過酷な連続行使実験へと移行した。


実験計画は、一日五時間(休憩を挟む)、一秒に一回のペースで火の矢を発射し続けるというものだった。

一日の総発射数は一万八千発。

これを、桜子のMPが完全に枯渇するまで、連日繰り返す。


・一日の総消費MP:18,000発 × 10 = 180,000

・一日の総回復MP:24時間 × 3600秒 × 1 = 86,400

・一日あたりの正味消費MP:180,000 - 86,400 = 93,600


稔彦王は、ガラス張りの観測室の特等席から、その全てを見守っていた。

実験の初日、二日目。桜子はまだ笑顔を絶やさなかった。

「すごい! これで悪い人たちから日本を守れますね、父上!」と、ガラスの向こうの父に無邪気に手を振って見せた。

だが、実験が五日、十日と続くにつれ、その天真爛漫な笑顔は彼女の顔から消えていった。

彼女は文句一つ言わず、ただ指示された通りに、まるで精巧な機械のように、寸分の狂いもなく砂山に向かって火の矢を放ち続ける。

その姿は、娘を化け物へと作り替えている共犯者である父の心を、鋭いナイフで抉るようであった。


実験十三日目。

桜子の顔色は青白く、ぱっちりと開かれていた瞳からは光が失せていた。

それでも彼女は、研究者が「……本日も、続けますか?」と躊躇いがちに問うと、こくりと小さく頷いた。 稔彦王は、冷たいガラスに額を押し付け、ただ祈るように娘の姿を見つめることしかできなかった。

この実験を許可し、推進しているのは、自分自身に他ならないからだ。


そして、運命の十四日目が訪れた。

その日の二千百四十回目の発射を終えた直後、桜子の身体がふらりとよろめき、その場に力なく座り込んだ。


「ごめんなさい……もう、光が……出ません……」


か細く、途切れ途切れの声が、マイクを通じて観測室に響き渡った。


その声を聞いた瞬間、研究者たちが手元の計算尺を慌ただしく走らせる。

十三日分の正味消費量と、十四日目の消費量を合算する。


総MP量(T) ≒ (13日 × 93,600) + (2,140発 × 10) - (発射時間中の回復量)


弾き出された数値は、およそ百二十五万。

国家予算にすら匹敵しかねない、天文学的なエネルギー量であった。


歓声と興奮に沸く研究室の中で、稔彦王は静かに目を閉じた。

愛する娘を国家という名の祭壇に捧げる「生贄の儀式」を、自らの手で完遂してしまったのだと。

彼の罪悪感と、日本の未来を左右する「力」のデータが、この日、同じ重さでその両肩にのしかかった。




桜子のMPが完全に回復するのを待って、最後の初期実験が行われた。

兵器としてのファイアーアローの基本的な性能、すなわち射程と威力の定量的測定である。


射程計測のため、研究チームは富士の演習場を見渡せる愛鷹山系の山頂に、高さ百五十メートルを超える鉄骨製の観測塔を極秘に建設した。

演習場の平野部には、四十キロ先まで一キロおきに、巨大な的が設置された。

観測塔の最上部に立った桜子は、高性能な軍用双眼鏡を覗き込むと、すぐに「あ、見えました」と呟いた。

その言葉と同時に放たれた火の矢は、放物線を描くことなく、光の筋となって四十キロ先の目標に寸分の狂いもなく着弾した。

結果は明白であった。

目視可能な限り、距離は無関係。


続く威力測定は、より直接的であった。

まず、厚さの違う鉄筋コンクリート壁が用意された。

火の矢は、厚さ二・二メートルの要塞仕様の特殊コンクリート壁を貫通し、二・五メートルの壁でようやく停止した。

次に、標的は各種軍艦の装甲を模した特殊鋼板に切り替えられた。

駆逐艦の薄い装甲は言うに及ばず、主力戦艦の舷側を想定した厚さ四百十ミリのヴィッカース・ハード鋼ですらファイヤーアローの前では受け止め着る事は出来なかった。



主力戦艦の舷側装甲を想定した厚さ四百十ミリのヴィッカース・ハード鋼が、熱したナイフでバターを切るように貫かれた直後のことだった。

灼熱の矢によって穿たれた鋼板は、その貫通孔の周囲から融解し、一部は飛沫となって周囲に飛散した。


そのうちの一つ、数キログラムはあろうかという鉄塊が、不規則な回転をしながら高速で桜子の方角へと向かう。

観測室の研究者たちが、その危険な軌道に気づいた時には既に遅かった。


「姫様、危ない!」


誰かの絶叫が響く。

しかし、それは警報として機能するにはあまりにも遅すぎた。

桜子の父、稔彦王は、ガラスの向こう側で愛娘に迫る凶刃を前に、ただ目を見開くことしかできない。


だが、悲劇は起こらなかった。


桜子の華奢な身体に直撃する寸前、鉄塊はあたかも見えない強固な壁に激突したかのように、甲高い音を立てて弾き返された。

勢いを失った鉄の塊は、ごとり、と乾いた音を立てて地面に転がった。


何が起きたのか理解できず、桜子はただ、きょとんとした顔で足元に転がる鉄塊と、観測室で騒然となっている大人たちを不思議そうに見比べるばかりであった。


この現象は、彼女が持つもう一つの能力、すなわち常時発動型パッシブの防御魔法の存在が、初めて人の目によって確認された瞬間であった。


観測室の興奮が冷めやらぬ中、研究者の一人がマイクを通して恐る恐る尋ねた。


「姫様、今のは一体……」


何が起きたのか、状況を丁寧に説明されると、桜子はぽん、と手を打った。

その仕草には、深刻さなど微塵も感じられない。


「ああ、そういえば、わたくし、『マジックガード』という魔法も使っているのでした。悪い攻撃をぜんぶ防いでくれる、とても便利な魔法です。お伝えするのが遅くなり申し訳ございません」


悪びれる様子もなく、むしろ良いことを思い出したとでも言いたげな口調での報告であった。

この言葉を受け、研究チームは全ての実験を中断し、この未知なる防御能力の検証を最優先事項として設定し直した。




『マジックガード』の検証は、姫宮の安全確保を絶対的な前提として、慎重のうえにも慎重を期して計画された。MPが枯渇するような事態は、断じて避けねばならない。


最初の目的は、防御一回あたりの消費MPを特定することにあった。

研究者たちは、既に判明している『R=1(MP/秒)』『C=10(MP/ファイアーアロー)』という関係式を利用した。


MPが完全に回復した状態の桜子に対し、まずは空気銃が向けられた。

発射された鉛の弾は、桜子に届くことなく、先ほどと同じく見えない壁に阻まれてぽとりと落ちる。


「姫様、今、お力に何か変化はございましたか?」

「はい。ほんの少しだけ、減ったような気がいたします」

「かしこまりました。それでは、お力が完全に元に戻ったと感じられましたら、お教えください」


桜子は静かに目を閉じ、やがて「はい、戻りました」と顔を上げた。

研究員が手にしていたストップウォッチが示す時間は、正確に十秒。


次に、攻撃は軍用の三八式歩兵銃に替えられた。

轟音と共に放たれた高速の弾丸もまた、桜子の手前で虚空に阻まれる。

そして、回復に要した時間を計測した結果も、全く同じく十秒であった。


この結果は、研究者たちに一つの冷厳な事実を突きつけた。

『マジックガード』は、攻撃の威力や運動エネルギーの大小を問わず、一回の防御につき、ファイアーアロー一発分と等しいMP、すなわち『10MP』を消費する。

この極めて重要な特性が、研究日誌に追記された。


そして、この「威力に関わらず消費MPが一定」という特性は、論理的な帰結として、ある重大な脆弱性の可能性を研究者たちに気づかせた。


「ならば、威力の低い攻撃を大量に浴びせれば、MPを効率的に削れるのではないか?」


直接的な検証は、姫宮を危険に晒すため不可能である。

研究チームは直ちに机上でのシミュレーションに移行した。

前提条件は、桜子の総MP量『T=1,250,000』、マジックガードの消費MP『10』。仮想敵として、当時、陸軍が配備を進めていた三年式機関銃(実質的な発射速度は毎分約五百発)を想定した。


計算は、単純明快であった。

一分間あたりの着弾数を五百発と仮定した場合、一分間での消費MPは、500発 × 10MP = 5,000MP。

桜子の総MPをこの数値で割ると、1,250,000MP ÷ 5,000MP/分 = 250分。

つまり、約四時間、途切れることなく機関銃の弾丸を浴びせ続ければ、理論上、彼女の防御は破られることになる。


さらに、米国などが開発中と噂される、より発射速度の速い機関銃、例えば毎分五千発が可能な火器で攻撃された場合を想定すると、その時間は劇的に短縮される。


一分間あたりの消費MP:5,000発 × 10MP = 50,000MP

防御が無力化されるまでの時間:1,250,000MP ÷ 50,000MP/分 = 25分


わずか二十五分。

一個師団が有する機関銃で一斉に飽和攻撃を仕掛けられれば、神の如き桜子の防御といえども、突破される危険性が極めて高い。

この「飽和攻撃に対する極端な脆弱性」という弱点は、桜子という規格外の『兵器』の運用ドクトリンを策定する上で、最重要の前提条件として、赤インクで記されることとなった。




実験E、すなわち桜子の総MP量の最終測定が完了し、彼女の基本的な能力がすべて冷徹な数値としてデータ化され、マジックガードの性能も検証した後のことである。

場所は東久邇宮邸の一室。

長机を挟み、陸軍技術本部の研究者たちと、桜子の父である稔彦王が席に着いていた。

分厚い報告書の最終確認が行われる、その締めくくりの席であった。


場の空気は、ある種の達成感と、未知の存在を解明したという学術的な興奮に満ちていた。所長を務める白髪の男が、安堵の表情で口を開く。


「これにて、姫宮様の能力に関する基礎調査は完了となります。多大なるご協力、誠に感謝に堪えません」


深く頭を下げる所長に、稔彦王は静かに頷いた。

その隣で、桜子は少し退屈そうに椅子に座っている。

報告書に並ぶ無機質な文字列も、大人たちの難しい顔も、彼女の関心を引くものではなかった。


所長は、報告書の表紙を閉じ、念のため、という軽い口調で最後の問いを投げかけた。

それは、単なる形式的な確認作業に過ぎないはずだった。


「姫様、最後にもう一つだけ、念のためにお伺いいたします。これまでにお話しいただいたこと以外で、我々がまだ知らない、『お伝えし忘れている』能力、というのはございますでしょうか?」


その問いに、桜子は「あっ」と声を上げた。

何かを思い出したように、居住まいを正す。


「先生方、申し訳ございません。もう一つだけ、お伝えし忘れていたことがございました」


研究者たちの間に、微かな緊張が走る。まさか、という予感がその場を支配した。

桜子は、悪びれる様子もなく、にこやかな笑みさえ浮かべて言葉を続けた。


「わたくし、あと一つだけ魔法が使えます。『メテオ』といって、空からお星さまを落とす魔法ですわ」


場の空気が、凍り付いた。

先ほどまでの安堵と興奮は一瞬で消え去り、絶対零度の沈黙が部屋を満たす。

筆頭研究員は、ごくり、と乾いた喉を鳴らし、震える声で最初の質問を絞り出した。

その声は、己の耳にさえ遠く聞こえた。


「ひ、姫様……。その『お星さま』とは、どのようなものでございましょうか。例えば、その辺りに転がっているような、石のようなもので?」


「いいえ、そこらの石とは違います」


桜子は首を横に振った。


「とても硬くて、重くて、少しきらきらしています。わたくしが知っている中で、一番硬いものですわ」


(…金属質か? 質量と硬度の両立、そして光沢。ニッケルを多く含んだ鉄隕石に相違ない…!)

研究者の脳裏に、最悪の仮説が浮かび上がる。


「そ、それは……地面に、ぶつかるのでございますか?」


「ううん」と桜子は少し考える素振りを見せた。


「ぶつかる少し前、本当にすぐ上で、とっても明るくなって、弾けてしまいます。でも、その時の風と光で、下にあるものは全部ぺしゃんこになって、燃えてしまいますの」


(……低高度でのエアバースト! 直撃ではなく、爆発によって生じる衝撃波と熱放射が主兵装となるのか…! ツングースカ大爆発の再来だとでもいうのか!)

研究者は、眩暈を覚えながらも、震える唇で問いを重ねた。


「落ちてくるときの速さや、角度は……」


「いつも、目標の真上から、まっすぐに。そして、あっという間に落ちてきます。空のずーっと上から現れて、すぐ目の前で光る、という感じです」


(……垂直に近い角度での突入。誘導性能を有し、回避は不可能。速度は、大気圏突入後の終末速度を考慮しても、秒速10キロは下らないだろう……)

次々と組み立てられていく破壊のメカニズムに、研究者たちの顔からは血の気が引いていく。

残された最後の、そして最も重要な問いを、筆頭研究員は絞り出すように口にした。


「最後に、姫様……。その、『ぺしゃんこになってしまう』範囲は、およそ、どのくらいなのでございましょう……?」


桜子は少しの間、天井を見上げて考える。

そして、的確な言葉を探すように、ゆっくりと話し始めた。


「そうですねぇ…難しいのですが…。目標にした場所が、一瞬だけお日様みたいに光るのです。そして、その下にあるものは、近くのものは蒸発してしまって、遠くのものは…そう、高い山の上から見渡せるくらい遠くの街まで、風でぜんぶなぎ倒されて、燃えてしまいます。それと、これを使うと、わたくしの力が半分くらい無くなってしまうので、とても疲れますの。あぁ、勿論今世では使った事はございませんわ」


その夜、陸軍技術本部の研究所では、不眠不休の作業が行われた。

桜子からのヒアリングに基づき、研究チームは徹夜でその天変地異のシミュレーションとスペックの算出を行った。

完成した報告書の最終ページには、絶望的な内容が追記されることとなった。


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【神体観測報告書・最終添付資料】

追加能力に関する報告:コードネーム『メテオ』


・推定性能:

- 種類: 鉄隕石(Iron Meteorite)と推定

- 直径: 20~40メートル級と推定

- 密度: 約8,000kg/立法m

- 衝突速度: 秒速12km~16km

- 衝突角度: 目標に対し、ほぼ垂直


・現象予測:

上記の物体が、高度数キロの低空で爆発・飛散エアバーストする。これにより発生する数千度の火球と超音速の衝撃波が、半径数キロメートルの範囲の建造物を壊滅させ、生命を死滅させる。威力は、米国が開発中とされる新型爆弾に匹敵、あるいはそれを遥かに凌駕する可能性がある。


・消費MP:約60万(既知の総MP量『T=1,250,000』のおよそ半分)


・結論:

これは『兵器』ではない。

これは、人為的に引き起こすことが可能な『天変地異』である。

実験による検証は絶対に不可能であり、また、その使用は、いかなる場合においても、敵国の中核都市一つを地図上から完全に消滅させることを意味する。

これは、戦争の切り札という概念を超えた、国家が持つべきではない、究極の破壊手段である。

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§



全ての実験が終了し、東久邇宮桜子の能力の全てがデータ化された。

彼女の「お役目」は一旦終わりを告げ、再び宮邸での穏やかな日常へと戻った。

しかし、その日常は、以前とは決定的に変質していた。

彼女の周囲には常に護衛という名の監視の目が光り、その一挙手一投足が記録される。

過酷な実験を経た彼女は、以前の天真爛漫さに加え、どこか全てを見通しているかのような、達観した静けさをその身に纏うようになっていた。


その頃、父である稔彦王は自邸の書斎で一人苦悩を深めていた。

机の引き出しの奥、厳重に施錠された金庫の中には、分厚い一冊のファイルが保管されている。

『神体観測報告書』

表紙にそう記された書類には、愛する娘の魂が、MP総量、回復速度、各種魔法の消費コストと威力といった、冷たい数字に変換されて記されていた。


彼は時折、その報告書を取り出しては、書斎に籠り、来る日も来る日も考え続けた。

この力は、神が与えたもうた奇跡か。

それとも、国を狂わせる悪魔の誘惑か。

娘は、ただの無邪気な少女ではない。

一個師団の火力を遥かに凌駕し、都市一つを瞬時にして焦土に変えることができる、歩く天変地異。

ガラスケースに入れて丁重に祀り上げるべき神なのか、それとも、国難を救うために解き放つべき最終兵器なのか。


明確な答えを出せないまま、時代は確実に、暗い嵐の中心へと向かって進んでいく。



§



時は、昭和六年(1931年)。


東久邇宮桜子は十三歳になっていた。

宮邸と研究施設での生活にも慣れ、表向きは穏やかで利発な少女として成長していた。

過酷な実験の日々は遠い過去のように感じられたが、その爪痕は父である稔彦王の心に深く刻み込まれていた。


彼の書斎の机、その重厚な引き出しの奥にある金庫には、数年の歳月をかけて完成した一冊の報告書が眠っている。

『神体観測報告書』

それは、近代日本の科学技術の粋を集めた研究成果であると同時に、愛する娘の魂を、総MP、回復速度、魔法威力といった冷徹な数字と数式に変換した、父としての罪の証でもあった。


その年の九月、衝撃的な報せが宮邸を揺るがした。

関東軍が独断で柳条湖の線路を爆破、満州事変が勃発したのである。

報告を受けた稔彦王は、書斎で一人、地図を睨みながら戦慄を覚えていた。

一個軍が、もはや中央の統制を離れて暴走を始めている。

この事実は、彼が陸軍に籍を置く者として、そしてこの国の未来を憂う皇族の一人として、到底看過できるものではなかった。

組織という名の怪物が、自らの意思を持ち、国家を奈落へと引きずり込もうとしている。


その夜、稔彦王は寝室には向かわず、書斎の椅子に深く身を沈めていた。

月明かりだけが差し込む静寂の中、彼は鍵を取り出し、金庫から『神体観測報告書』を抜き出した。

インクの匂いが微かに鼻を突く。

震える指でページをめくると、そこに記されているのは、およそ人知を超えた娘の能力の詳細だった。


総MP、125万。

国家予算にも匹敵するその潜在能力は、一見すれば無限の可能性を感じさせる。

しかし、そのすぐ下には、致命的な欠陥が明記されていた。

全MPを回復するには、およそ三百四十時間、日数にして十四日を要する。

そして、あらゆる物理攻撃を無効化する『マジックガード』もまた、無敵ではなかった。

一発の銃弾であろうと砲弾であろうと、消費MPは一律で10。

飽和攻撃に対しては、驚くほど脆弱なのだ。

計算上、機関銃数丁による三十分程度の連続射撃で、桜子の防御は霧散する。


稔彦王は、暴走する軍部という現実と、手元にある「欠陥だらけの最終兵器」のデータを、何度も、何度も見比べた。

これまで彼を苛んできた感情は、娘を兵器として見てしまうことへの、純粋な「父としての罪悪感」だった。

神体として生まれついた娘の宿命を呪い、その力を封印することだけを考えていた。

だが、この夜。

満州の荒野で燃え盛る戦火を幻視しながら、彼の心に巣食う罪悪感は、初めて質の違うものへと変質を始めていた。


「このまま軍の独走を許せば、日本はいずれ国力で遥かに上回る米国と戦うことになるかもしれん。通常戦力では、万に一つも勝ち目はない…」


彼の唇から、乾いた呟きが漏れる。


「だが、もし、この『力』を…この欠点を理解した上で、正しく使うことができたなら…。あるいは…」


思考は、もはや止められなかった。


「娘をどう守るか」という個人的な苦悩は、「この国をどう守るか」という、遥かに巨大で冷徹な問いへと、否応なくシフトし始めていた。

彼の苦悩は、もはや父親としてのものではなく、国家の未来そのものと分かちがたく結びついてしまったのだ。


§


翌年の昭和七年(1932年)五月一五日、白昼の帝都を凶弾が切り裂いた。

犬養毅首相が海軍の青年将校らによって暗殺され、大正デモクラシーの残り香と共に、日本の政党政治は息の根を止められた。

軍部の暴走を、もはや誰も止められない。

その事実が、動かしがたい現実として国民の前に突きつけられた。


この事件を境に、稔彦王は桜子に対する教育方針を大きく転換させた。

彼は桜子の家庭教師を呼び、新たな課題を申し渡した。

それは、これまでのような歴史や語学、作法といったものではない。

兵站へいたん、補給線、資源埋蔵量、工業生産力。

戦争を構成する、ありとあらゆる「数字」に関する、徹底的な教育だった。


時には、稔彦王自らが教鞭をとった。

書斎に広げられた日本の地図を前に、彼は娘に問いかける。


「桜子、もし君が九州から満州の奉天まで、一個師団と共に移動するとしたら、船と汽車を乗り継いで何日かかると思う?」


「君が『メテオ』を使い、十四日間戦えなくなったとする。その間、君が担うはずだった戦線を維持するには、どれだけの兵士と、彼らが消費する食料や弾薬が必要になるだろうか?」


桜子にとって、それは複雑な、しかしどこか心を惹かれる「計算問題」だった。

彼女は持ち前の怜悧な知性で、父が与える課題を驚くべき速さで吸収していく。

彼女は、自らのMP回復の遅さが、国家レベルでどれほど致命的なリスクとなるのかを、感情ではなく「数字」として、冷徹に理解し始めた。


稔彦王の目的は、桜子を単なる破壊兵器ではなく、自らの「限界」を正確に理解した、クレバーな運用者に育てることにあった。

いつか彼女が実戦に出る日が来た時、無邪気な善意や、ただ命令に従うだけの思考停止でその力を行使し、回復不能な国家の危機を招くことのないように。

それは、愛する娘を戦場に送り出す未来を、明確に想定した、あまりにも悲しく、歪んだ帝王学であった。


この頃から、稔彦王は自らの内に秘めた計画の、理解者を探し始めていた。

桜子の存在そのものは伏せた上で、「もし、天変地異を意のままに起こせる存在が味方にいたとしたら」という仮定の話を、比較的考え方が近いと思われる陸海軍の穏健派の将官たちに、それとなく持ちかけてみた。

彼自身、桜子の力で領土を拡大するつもりは毛頭なく、あくまで国家防衛の最後の切り札として、その存在を位置づけていたからだ。


だが、返ってくる反応は、彼の期待を無惨に裏切るものばかりだった。


「ほう、天変地異、ですか。面白い仮定ですな。もしそのようなものが実在するのでしたら、連合艦隊旗艦『長門』にでもお乗りいただき、敵艦隊の頭上で炸裂させれば、いかなる海戦にも勝利できましょうぞ!」


「『メテオ』、と仰いましたか。誠にそのような超兵器があるのでしたら、話は簡単です。敵の上陸予想地点に落とすだけで、いかなる敵も我が国の土を踏むことは叶わなくなりますな。我が国は、無敵の沿岸要塞と化しましょう!」


ある者はそれを冗談として笑い飛ばし、ある者は真剣に耳を傾けたとしても、その思考は、既存の兵器体系の延長線上から一歩も出ることがなかった。

稔彦王は、彼らとの対話を重ねるうちに、深い断絶を感じざるを得なかった。


(駄目だ…。彼らは、この力の本当の恐ろしさを、その致命的な弱点を、何も理解していない)


回復に要する十四日間という時間。

飽和攻撃に対する絶対的な脆弱性。

彼らの脳裏には、そうした概念は存在しない。

彼らにとって桜子は、巨大な大砲や、難攻不落の要塞と、何ら変わらない存在なのだ。

このままでは、桜子は初戦でその力を誇示した直後、敵の研究対象となり、弱点を徹底的に突かれて殺されるか、あるいは、たった一度の決戦で使い潰されるかのどちらかだ。


信頼すべき陸軍中枢の将軍たちが、誰一人としてこの力の本当の意味を理解できないという事実に、彼は深い孤独と絶望を味わった。

軍の常識こそが、桜子とこの国を滅ぼす最大の敵だ。

稔彦王は、その事実を痛感していた。


§


昭和八年(1933年)、松岡洋右全権が「さらば!」の演説を残して議場を去り、日本は国際連盟を脱退した。

世界の中での日本の孤立は決定的となり、国内では軍靴ぐんかの音が日増しに高く鳴り響いていく。


稔彦王は、桜子という「劇薬」を、もはや自分一人の手で管理することは不可能だと悟っていた。

彼に必要なのは、共に計画を練る協力者ではない。

この劇薬の途方もない効能と、使い方を一歩でも間違えれば国そのものを滅ぼしかねない強烈な副作用を、冷静に、客観的に理解し、管理できる「管理人」だった。


彼は陸海軍の将官名簿を取り寄せ、夜ごと書斎で、一人その経歴と人物評を読みふけった。

探しているのは、単に優秀な軍人ではなかった。

旧来の「精神論」や、時代遅れの「艦隊決戦思想」に染まっていない、異端の天才。

兵器の性能だけでなく、国家の工業生産力、資源、国際関係といったマクロな視点から戦略を構築できる人物。

そして何より、「天変地異」という荒唐無稽な概念を、冷徹な「戦略」として組み込むことができる、常識外れの思考スケールの持ち主。


多くの将軍たちの名前が、インクの染みのように彼の思考から消えていく。

そんな中、一つの名が、彼の目に強く焼き付いた。


石原莞爾。


満州事変という、軍の規律に対する最大の「違反行為」を主導しながら、今現在は誰よりも強く「対中戦線の不拡大」を唱え、軍中央では「変人」「厄介者」として扱われている男。


その矛盾。

稔彦王は、その矛盾の中にこそ、一条の光を見出した。

この男は、陸軍という組織の論理で動いていない。

派閥や感情でもない。

ただ、自らが描く壮大な世界戦略と、それに基づいた冷徹極まりない国力計算のみを信じ、行動している。

彼ならば。

彼ほどの異端者ならば、桜子の力を、単なる戦術レベルの破壊兵器としてではなく、国家存亡を賭けた「戦略」そのものとして、扱えるかもしれぬ。


稔彦王は、この異端の天才に、日本の、そして愛する娘の未来を託すという、極めて危険な賭けに出ることを、静かに決意し始めていた。

いつからか、彼の書斎の机の上には、常に二つのものが置かれるようになっていた。

一つは、娘の魂を数値化した罪の記録、『神体観測報告書』。

そしてもう一つは、石原莞爾という男に関する、あらゆる経歴と論文の写しであった。


§


昭和十一年(1936年)二月二十六日。


帝都は、深々と降り積もる雪に覆われていた。

だが、その静寂を破ったのは天からの声ではなく、地上を駆ける軍靴の響きと、断続的に鳴り響く銃声であった。

陸軍皇道派の青年将校らが率いる千四百名以上の兵士が、「昭和維新」を掲げて決起。

首相官邸、警視庁、陸軍省などを占拠し、斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害した。

国家中枢は、わずか一日でその機能を麻痺させた。


東久邇宮邸の書斎で、稔彦王はその報を静かに聞いていた。

窓の外では、牡丹雪が音もなく舞い落ち、眼下で起きている血腥い騒乱を覆い隠そうとしているかのようだった。

既存の秩序が、脆くも崩れ去った。

政党政治が死に、今また、軍そのものの統制すらもが内側から崩壊しようとしている。

稔彦王は、もはや躊躇う時間はないと悟った。

これまで彼が内々に進めてきた、軍の常識を根底から覆すための計画。

その実行には、常識そのものを破壊できる異端の思考が必要不可欠だった。


数日後、反乱は鎮圧され、帝都に束の間の平穏が戻った。

だが、国家の構造が受けたダメージは計り知れない。

稔彦王は、この混乱を好機と捉えた。

陸軍内でその存在感を一層強めていた男、参謀本部作戦課長の石原莞爾を、自邸へ極秘裏に招聘するよう、密かに命を下した。

これは賭けであった。

だが、もはや正攻法でこの国を救う術はない。


§


事件の余波が未だ冷めやらぬ、春。

東久邇宮邸の広大な書斎で、稔彦王と石原莞爾は初めて対面した。

皇族であり陸軍大将の稔彦王と、一介の作戦課長。

本来ならば、このような形での密会はあり得ない。

張り詰めた空気が、二人の間に漂っていた。

儀礼的な挨拶もそこそこに、稔彦王は机の上に分厚い報告書の束を置いた。

表紙には、ただ『神体観測報告書』とだけ記されている。


「石原君。君を呼んだのは他でもない。我が国が、いや、世界がこれまで経験したことのない、全く新しい『戦力』について、君の意見を聞きたい」


石原は、表情を変えぬまま、その報告書に視線を落とした。

神体。

非科学的な単語に、彼の眉が僅かに動く。

だが、稔彦王の真摯な、そして何かに追い詰められたような眼差しが、これが冗談や精神論の類ではないことを物語っていた。


「殿下、これは…?」


「まずは読んでくれたまえ。そこには、私の娘、桜子が持つ力の全てと、その力を解明するために行った数々の実験、そしてその結果が、何一つ偽りなく記されている」


石原は懐疑的な面持ちで、報告書の最初のページをめくった。

そこに羅列されていたのは、およそ軍事報告書とは思えぬ単語の数々だった。

『メテオ』、『ファイヤーアロー』、『マジックガード』。

そして、MP総量、秒間回復量といった、理解不能なパラメータ。

石原は、これを皇族が抱える倒錯した妄想の産物かと断じかけた。

だが、読み進めるうちに、彼の表情から猜疑の色が消えていく。

そこに記されていたのは、単なる空想ではなかった。

威力の工学的分析、消費されるMPという名のコスト、そして回復に要する時間。

飽和攻撃に対する脆弱性の詳細なシミュレーション。

それは、一つの兵器システムとして、恐ろしいほどに精密かつ客観的に分析されたデータだった。

書斎に、紙をめくる音だけが響く。

石原の目は、恐ろしいほどの集中力で文字の羅列を追い、その脳は、この荒唐無稽な「現実」が持つ戦略的価値を、猛烈な速度で計算し始めていた。


一時間後、報告書を読了した石原は、しばし沈黙した。

そして、顔を上げた彼の瞳には、もはや疑念はなく、代わりに狂信的なまでの光が宿っていた。

彼は、ただ一言、言った。


「この目で、確かめたい」


§


数日後、陸軍富士裾野演習場の外れに設けられた極秘研究施設に、石原莞爾の姿はあった。

彼の前に、一人の少女が立っている。

東久邇宮桜子。

学習院の制服に身を包んだ、華奢な十八歳の姫君。

その場違いな姿に、周囲の将校たちが戸惑いの視線を交わす。

石原は、そんな周囲の空気など意にも介さず、桜子へと歩み寄った。


「姫。報告書は読ませていただきました。いくつか、お尋ねしたい」


「はい、石原様。何なりと」


桜子は、にこりと微笑んで応じる。

その可憐な姿と、これから行われようとしている事象との乖離に、石原は微かな眩暈を覚えた。

彼は、報告書のデータを検証するように、矢継ぎ早に質問を浴びせた。

MPの最大値、回復速度の体感、魔法を行使する際の精神的負荷。

桜子は、それらの問いに、まるで自分の身長や体重を答えるかのように、淡々と、そして正確に答えていく。


問答を終えた石原は、演習場の片隅に置かれた旧式戦車の残骸を指さした。


「姫。あちらの目標に、『ファイヤーアロー』を」


「畏まりました」


桜子は、こともなげに頷くと、戦車の方へ右手をかざした。

次の瞬間、彼女の掌の前に、揺らめく火の矢が一本、音もなく出現する。

矢はホーミング機能を持つという報告書の記述通り、意思を持つかのように空中を疾駆し、戦車の分厚い装甲に吸い込まれた。

轟音。灼熱の光が迸り、装甲板はいとも容易く貫かれ、その向こう側で眩い爆発光が瞬いた。

貫通孔の縁は、まるで巨大なバーナーで溶解させられたかのように、赤熱し、どろりとした鉄の塊を滴らせている。戦艦長門の主砲を超えるという威力。

その記述に、偽りはなかった。


石原は、その光景を冷徹に見届けた後、再び桜子に向き直った。

そして、最後の問いを投げかけた。


「姫。貴女は、その力を、何のために使う?」


桜子は、石原の射抜くような視線を受けても、その天真爛漫な微笑みを崩さなかった。

そして、はっきりと、鈴の鳴るような声で答えた。


「お国の為とあらば、いかなる敵も滅します。それが、わたくしの存在理由ですので」


その答えを聞いた瞬間、石原莞爾は背筋を走る戦慄に身を震わせた。

それは恐怖ではなかった。歓喜だ。

目の前にいるのは、神か、あるいは悪魔か。

どちらでもよい。

自らが描く「世界最終戦争論」を実現するための、理論上最強にして、完璧な「最終兵器」が、今、ここに存在するという事実。

その一点だけが、彼の全てであった。


§


その夜、再び東久邇宮邸を訪れた石原は、興奮冷めやらぬまま、稔彦王に熱弁した。


「殿下! 姫の力は、我々がこれまで前提としてきた戦争のルール、日米の圧倒的な国力差というルールそのものを、根底から破壊いたします! これは、私の持論である『世界最終戦争』を、この日本が指導するための、唯一の解です!」


彼の脳内では、既に新たな戦争のドクトリンが構築されつつあった。


「姫の力は絶大です。ですが、弱点もまた明確。MP回復の遅さ、そして飽和攻撃への脆弱性。これを、国家の総力を挙げて補うのです。姫という絶対的な『核』を、軍事、経済、政治、その全てで守り、最も効果的なタイミングで運用する。これこそが、我が国が生き残る唯一の道。私は、この構想を『魔法戦核ドクトリン』と名付けたい」



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『魔法戦核ドクトリン』


・提唱者: 陸軍中将 石原莞爾


・基本理念:

「皇国ノ興廃、此ノ一戦ニ在ラズ。桜子姫殿下ノ一撃ニ在リ」。大日本帝国は、東久邇宮桜子姫殿下という天与の戦略兵器の能力を最大限に発揮させ、その脆弱性を国家の総力をもって補うことにより、世界最終戦争を指導し、東亜に恒久の平和を確立する。本ドクトリンは、そのための国家改造計画の骨子である。


・第一条:桜子姫の絶対的聖域化

桜子姫の身柄とMP(魔力量)は、石油や鉄鋼を上回る最重要の国家戦略資源と規定する 。その保護は他の全ての軍事・政治行動に優先される。


・物理的防護の徹底:

 ・御召艦おめしかん御召機おめしきの特別編成:桜子姫が移動・戦闘に用いる潜水艦、航空機、艦船は、国家予算を度外視した最高レベルの改造を施す。具体的には、対空・対潜探知能力の強化、装甲の追加、護衛部隊の増強などを行う 。

 ・近衛「盾」部隊の創設: 桜子姫を物理的に護衛するため、皇族警護を任務とする近衛師団より、特に忠誠心と戦闘能力に優れた者を選抜した特別部隊を編成する。彼らの任務は、姫に肉薄するあらゆる脅威(歩兵、特殊部隊)を排除すること、そして姫が飽和攻撃に晒される状況を未然に防ぐことにある。


・情報的防護(偽瞞・欺瞞作戦):

 ・「天照アマテラス」計画: 桜子姫の存在と能力は国家最高機密「天照」と呼称する。敵性国家には「日本軍が新型の気象兵器、あるいは大規模破壊爆弾を開発した」と誤認させるよう、意図的に誤情報を流布する。

 ・影武者作戦の展開:桜子姫の行動パターンを敵に読ませないため、複数の偽の移動情報や、姫のダミーを乗せた御召機・御召艦を意図的に運用し、敵の情報分析を混乱させる。姫の「回復期間」を敵に悟らせないための最重要作戦と位置付ける。



・第二条:一点集中・縦深攻撃ドクトリン

桜子姫の攻撃能力を「外科手術的な一撃」と捉え、その効果を最大化するための戦闘教義を確立する 。


・戦闘の三段階区分:

 ・準備フェーズ(耐忍):桜子姫が戦線に投入されるまで、あるいはMP回復期間中は、徹底した防御戦術と遅滞戦闘に徹する 。無用な攻勢は厳禁とし、出血を強いる陣地防御、制空権の維持、シーレーンの確保のみに戦力を集中させる 。司令官には「負けない戦い」を徹底させ、桜子姫到着までの時間稼ぎを至上命題とする。

 ・執行フェーズ(撃滅):桜子姫が戦線に到着後、作戦目標(敵司令部、主力艦隊、兵站拠点など)に対し、ファイアーアローによる精密連続攻撃、あるいはメテオによる戦略的破壊を瞬時に敢行する 。この攻撃の目的は、敵の指揮系統や継戦能力を麻痺・破壊することにある。

 ・拡張フェーズ(席巻):桜子姫の一撃によって機能不全に陥った敵に対し、待機させていた通常戦力(陸軍師団、海軍水雷戦隊など)が一斉に攻勢をかけ、戦果を最大限に拡大する。


・脅威度判定と目標選定:

 ・「姫脅威度」の策定: 敵兵器・部隊が桜子姫に与える脅威を数値化する。「ガトリングガン > 通常の機関銃 > ライフル」のように、特に連射能力の高い兵器を最優先の排除目標と定め、全軍に共有する。

 ・特務索敵部隊の先行投入:戦闘開始前、戦闘機部隊や潜水艦、特殊偵察部隊を先行させ、桜子姫にとって脅威となる対空砲陣地や機関銃陣地を特定・破壊することを任務とする。これは、桜子姫の防御MP消費を最小限に抑えるための最重要プロセスである。



・第三条:国家体制の「魔法戦」最適化

本ドクトリンの完遂のため、陸海軍の編制から兵器開発、国家の産業構造に至るまでを再編する。


・軍備の再編:

 ・「盾」としての防空戦闘機・駆逐艦の量産:大艦巨砲主義を完全に放棄し、国家予算を制空権確保のための戦闘機(零戦など)と、シーレーン防衛のための駆逐艦・海防艦の量産に振り分ける。これは、桜子姫が安全に前線へ移動し、日本本土が継戦能力を維持するための生命線である 。

 ・「槍」としての通常戦力の軽装・高速化: 拡張フェーズで迅速に戦果を拡大するため、陸軍は戦車や重砲よりも、機動力の高い歩兵部隊や、それを支援する工兵・通信部隊の拡充を優先する 。


・技術開発の方向付け:

 ・陸軍科学研究所・海軍技術研究所への特命: 桜子姫のMP回復を促進する手段、あるいは消費MPを低減させる補助装備の研究を最優先課題として下命する。成功の可否は問わないが、考えうるあらゆる手段(西洋魔術、古神道、物理科学)を動員して研究を行う。

 ・桜子姫専用兵装の開発: 威力の調整ができないファイアーアローの特性を逆手に取り、広範囲に焼夷効果を拡散させるための特殊な弾頭や、長距離偵察機に姫を搭乗させて行う「超水平線攻撃」の戦術研究などを進める。

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石原は、このドクトリンを実行するためには、陸軍だの海軍だのといった既存の組織を全て超越した、絶対的な意思決定機関が必要不可欠だと力説した。

皇族である稔彦王を頂点に、各界の最高頭脳を集め、桜子という国家最高機密を、迅速かつ合理的に運用するための超法規的組織。


§


石原の狂気じみた、しかし恐ろしく論理的な提案を、稔彦王は静かに受け入れた。

こうして、日本の運命を水面下で決定づける秘密会議、「大本営付最高戦略研究会議」、通称『宮様会議』の結成が決定された。

この会議の成否は、メンバーが陸軍・海軍・政府の利害を超えて、桜子という「絶対兵器」の価値を共有できるかにかかっている。

そのため、メンバー選定には単なる地位ではなく、個人の資質や思想が重要となった。


議長は、東久邇宮稔彦王。

戦略立案は、石原莞爾。

そして、海軍の声を代弁し、同時にその暴走を抑える重石として、横須賀鎮守府司令長官の米内光政。

宮中との連携を担う内大臣秘書官長の木戸幸一。

国家財政と生産力の観点から計画を支える日本銀行総裁、結城豊太郎。

この5名が、この禁忌の計画の下に集結した。



記念すべき第一回の会議。その議題は、早速この新ドクトリンが直面する、最大の障害であった。


「海軍の『大艦巨砲主義』、特に、既に国策として建造が決定されている大和型戦艦をどうするか」


石原は、即時建造中止を訴えた。

桜子の『メテオ』の前には、大和といえど鉄の棺だ。

無用の長物どころか、国力を徒に浪費するだけの存在だと。

だが、海軍代表の米内は静かに首を振った。


「それは不可能だ。今、大和の建造を中止すれば、海軍は完全に政府と陸軍に反旗を翻す。内戦になりかねん」


会議は紛糾した。

だが、石原はすぐに思考を切り替えた。


「…よろしい。ならば、発想を転換する。大和、武蔵は建造させましょう。そして、それらを『真の切り札である姫を隠すための、史上最強のおとり』と位置づけるのです」


敵の目を、国家の予算を、国民の期待を、全て巨大戦艦に集中させる。

その影で、真の戦略核である桜子の存在を徹底的に秘匿し、育成する。


この提案は、現実的な妥協案として承認された。

そして、会議は最初の、しかし国家の未来を大きく変える決定を下す。

大和型以降に計画されていたマル四計画、すなわち超大和型戦艦を含む全ての新規大型艦建造計画を完全に中止。

その全ての予算と資材を、国家の生命線であるシーレーンを防衛するための駆逐艦、海防艦の大量生産と、航空戦力の増強に振り向ける。

それは、日本の海軍戦略が、歴史の転換点を迎えた瞬間だった。


この決定を円滑に進めるため、米内光政には海軍内部での根回しという重要な役割が課せられた。

彼は、桜子の存在そのものを明かすのではなく、「皇族主導の下、国家の戦術概念を覆す新型兵器の研究が進んでいる」という限定的な情報を、航空主兵論を唱える山本五十六や、合理主義者として知られる井上成美といった、比較的「話の通じる」将官にのみ、極秘に伝えることになった。


さらに会議は、この革命的なドクトリンを、旧態依然とした陸海軍のトップに受け入れさせるための「儀式」を計画した。

参謀総長、軍令部総長をはじめとする最高幹部らを富士裾野の演習場へ召集し、『御前演習』と称した最終通告を行う。

計画の段取りは三段階とされた。

第一に、『神体観測報告書』を提示し、論理的な根拠を示す。

第二に、桜子の『ファイヤーアロー』による戦艦装甲の貫通デモンストレーションを見せつけ、旧来の兵器の常識を破壊する。

第三に、マジックガードが飽和攻撃に弱いという脆弱性を敢えて開示し、なぜ桜子一人に頼るのではなく、国家を挙げた新ドクトリンが必要なのかを、反論の余地なく理解させる。

そして全てのデモンストレーションの後、議長である稔彦王が「これは陛下の御嘉尚ごかしょうを得た、国家の決定事項である」と宣言し、ドクトリンの実行を厳命する。

抵抗する者は、もはや朝敵と見なす。それは、事実上の最後通牒であった。


§


深夜。

宮様会議が終わり、重い足取りで各メンバーが退出していく。

広大な書斎には、稔彦王が一人残された。

机の上には、完成したばかりの『魔法戦核ドクトリン』の草案と、近々『御前演習』に召集される陸海軍最高幹部の名簿が、静かに置かれている。

稔彦王は、窓の外に広がる帝都の夜景を見つめ、誰にともなく、静かに呟いた。


「桜子…すまない。父は、この国と共に、地獄へ堕ちることに決めたよ」


その声は、春の夜の静寂に吸い込まれ、消えていった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


次回の更新は未定です。

(日中戦争の勉強が済み次第、書き始めます)


皆さまの温かい応援(評価★★★★★やブックマーク、PV、感想など)は私に無限の執筆エネルギーを与えてくれます。本当にありがとうございます。


ただ、今回は取り扱う時代が第二次世界大戦という事で、有識者が多いのではと心配しております。

正直に言うとビビり散らかしております。

感想返信しなくなったり、感想欄閉じたら、ビビりすぎて心が持たなかったんだなと思ってください。


前作を読んでいただいた方はご存知の通り、私は歴史が詳しいわけではないので、少しでも「違うわ」「無理だな」と思った方。読むのをやめてブラウザバックする事を強くお勧めします。

(コメントでご指摘頂いても、プロットを結構先まで書くため途中の修正が効かないですorz)


私は趣味で小説を書いているものです。

この小説は、地球と似た世界で、日本と似た場所の戦争なんだなーくらい、軽い気持ちで読んでいただけると、非常に助かります。

よろしくお願いいたします。

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1作品目
幕末~第一次世界大戦の話
幕末ブループリント
あらすじ
21世紀の日本で歴史シミュレーションゲームの新作を起動したはずの青年は、エルフの少年召喚士「ジン」として、幕末の日本(1852年)に転生してしまう。彼は、あらゆる過去・現在・未来の知識を持つ精霊「ミネルヴァ」と共に、この国を誰にも侮られない強大な「海洋大帝国」へと作り変えることを決意する。

最初の仲間となるのは、後の新選組副長・土方歳三、天才からくり師・田中久重。彼らと共に来航したペリー艦隊との交渉に挑む。

これは、未来知識という最強の武器を手にした一人の転生者が、歴史上の英雄たちと共に、日本の設計図(ブループリント)を塗り替え、世界史に類を見ない強大な帝国を築き上げていく、火葬戦記である。
― 新着の感想 ―
作者さんの二作目、中々着眼点が面白い。ただ、魔法の名称が大日本帝国の皇族が使うのに横文字というのが惜しいというかイマイチな気が…。 例えば、『火焔矢』などにした上でファイヤーアローとルビを振ったり、『…
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