第四章 巻き込まれる声
夜。
机の上のノートがまたひとりでに開いていた。
ページの中央に、黒い文字がにじんでいる。
> 倒れた人は、佐伯と呼ばれていた
……佐伯。
あの駅で助けた中年の男性の名前だろうか。
私は一度も聞いていないはずだ。
なのに、どうしてノートが知っている?
ページの余白には、さらに文字が増えていく。
> 佐伯は、あなたの名前を覚えた
喉の奥が詰まり、息が細くなった。
助けたことで、私は彼に覚えられた。
そして、その記憶がノートに吸い取られている。
深夜。
布団に横たわっても、耳の奥にざわめきが残っていた。
地下鉄のホームで聞いたアナウンスのような、かすれた声。
ときどき、それが私の名前を呼んでいる気がする。
夢の境目で、誰かが呟いた。
「……佐伯……」
一瞬、自分が呼んだのか、呼ばれたのかが分からなくなる。
翌朝。
ノートを開くと、新しい一行が浮かんでいた。
> 今日、佐伯は再び倒れる
駅で見かけた、あの虚ろな目。
再び——。
昨日助けたはずの人が、また同じことを繰り返すのだろうか。
ページの下段がさらに揺れた。
> あなたも、その場にいる
椅子から立ち上がるとき、膝がわずかに震えた。
呼ばれている。
もう、他人ごとではない。