第三章 救おうとする手
ノートを開くと、昨日の予告がそのまま残っていた。
> 今日、駅で見知らぬ人が倒れる
文字の縁は乾いているはずなのに、光を吸うように濡れて見えた。
ページを閉じても、脳裏に焼きついたまま離れない。
出かけなければ避けられるのか。
けれど、そうすれば別の形で予告が現実になる気がして、結局、私は駅へ向かっていた。
朝の駅は人であふれていた。
改札を抜け、階段を降りる途中で、前を歩いていた中年の男性がふらついた。
手すりに触れたまま膝が折れ、その場に崩れ落ちる。
「大丈夫ですか!」
私は駆け寄り、肩を支えた。
男性の目は虚ろで、声にならない声を漏らしている。
周囲の人々もざわめき、誰かが駅員を呼びに走った。
私は無意識に彼の胸元へ手を当てた。
と、その時。
後ろで、乾いた音が響いた。
階段の上から転がり落ちたのは、男性が手にしていた鞄だった。
中から水筒が転がり出し、階段を跳ねて誰かの足元へぶつかる。
若い女性が悲鳴を上げ、バランスを崩して階段を踏み外した。
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばしたが、間に合わない。
女性は肩から転げ落ち、下の床に激しく倒れ込んだ。
周囲の悲鳴。
私の耳には、血が流れるような音しか届かなかった。
家に戻ったのは、夕方近くだった。
靴を脱ぎ捨て、机の上のノートを睨む。
すでに新しい文字が浮かんでいた。
> あなたは倒れた人を助けた
> そのとき、別の誰かが傷ついた
手が震えた。
これは、私が書いたわけじゃない。
なのに、まるで私の行動が日記に吸い取られたみたいに、正確に記されている。
ページの余白がじわりと濡れて、黒い染みのように広がった。