第二章 他人の未来
翌朝。
二階の廊下に出たところで、足が止まった。
自室のドアの郵便受けの口から、白い封筒が半分突き出している。
宛名はなく、差出人もない。
紙はしっとり湿っていて、指に冷たさが移った。
その瞬間、隣のドアが開いた。
女性が現れ、自分の郵便受けを覗き込んで立ち止まった。
——昨日のページに書かれていた通り。
私は封筒をそっと押し戻した。
理由はわからない。ただ、見たくなかった。
部屋に戻ると、机上のノートが自分でめくれたみたいに開いていた。
新しい行が浮かぶ。
> 今日、隣人は踊り場で転ぶ
胸の奥がひやりと沈む。
“他人”の出来事が書かれている。
昼過ぎ。
二階から一階へ降りる階段。手すりに触れたとき、中段の踊り場で靴底が擦れる音がした。
朝、郵便受けの前で立ち止まっていたあの人だ。
片手に小さな袋。もう片手で手すりを掴んでいる。
つい、と足が滑った。
体が横に傾き、彼女は踊り場の床に尻もちをついた。
「……っ」
声をかけかけて、私は口を閉じた。
彼女はすぐに手すりを伝って立ち上がり、こちらを見ずに歩き去る。
床の灰色に、こすれた跡だけが細く残った。
——やっぱり、実現する。
しかも、私じゃない誰かの未来まで。
夕方。
ノートはまた開いていた。
紙の奥から、次の行がゆっくりにじむ。
> 明日、駅で見知らぬ人が倒れる
知らない人。
顔も年齢も、まだ何もわからない。
なのに、その場面だけは、もう私の目の前に置かれている気がした。
ページを閉じると、革の表紙が指先に吸いついた。
離したいのに、離れない。
夜気が頬に触れたとき、遠くでアナウンスのような声が一度だけ揺れた。