表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
溺れる日記  作者: 揺蕩う夜
本編
4/46

第四章 自我の浸食

日記のページは、もはや俺の意思ではめくれなくなっていた。


ページの縁が勝手に指先に吸い付き、ぬるりと濡れた紙が、“続きを読ませる”ためだけに動いてくる。


その湿ったページに、また知らない文字が浮かんでいた。


> 5月3日

> 読んでくれてありがとう。

> あなたの目で、私を思い出してくれてありがとう。

> だから、次はあなたの手で、続きを書いて。


読み終えた瞬間、ぞくりと背筋を冷たいものが這いのぼった。


たった今目にしたはずの文章が、**まるで自分に向けて語りかけてきた**ような錯覚。


紙の向こう側に“誰か”がいる。


「……俺に……言ってるのか……?」


ページは濡れているのに、インクは滲んでいない。

むしろ、**文字の一画一画が脳に直接刻み込まれるような鮮明さ**だった。


読んでいるのか。読まされているのか。

気づけば、指先が次のページへと吸い寄せられていた。


> 5月4日

> 書くことで私は浮かび上がれる。

> 書くことをやめると沈む。

> 書くことで私は、私になる。


その文章を読み終えたとき、

俺はふと、自分の名前が思い出せなかった。


「……え?」


心の奥をかき回されるような焦り。

すぐに思い出せるはずのものが、なぜか浮かんでこない。


生年月日、電話番号、家族の顔。

どれも薄く、滲んで、遠ざかっていく。


代わりに、頭に浮かんだ名前は――


「ヒナ」


気づけば、口がそう呟いていた。


水は、膝まで来ていた。

室内のはずなのに、水面が揺れる。微かに波が立ち、床下から冷たい泡がぼこ、ぼこと浮いてくる。


鏡を見る。


そこに映っていたのは、長い黒髪の少女だった。


目が合った。


笑っていた。


口元だけが、にやりと歪んでいた。


俺は叫びながら振り向いた。

だが、そこには誰もいない。


次の瞬間、鏡の表面が波打ち――その“顔”がこちらに一歩、近づいてきた。


水面の中から、俺に成り代わるように。


耳の奥で、水の音が止まらない。

心臓の鼓動さえ、遠くに感じる。


そして手元のページに、また文字が滲んだ。


> 5月5日

> もうすぐ、沈める。

> 書ききったら、全部終わる。

> だから、最後まで、私といてね。


ページが、指先にぴったりと張り付いた。


誰かの声が、耳の奥で囁く。


「あなたの言葉で、私を完成させて――」


それはもう、俺の声ではなかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ