第六章 触れられない真実
机の上には、取材ノートと、複写した戸籍記録、卒業アルバムのコピーが並んでいる。
日記もそこに開かれたまま、静かに置かれていた。
私はパソコンを起動し、調査結果をまとめ始めた。
学校の記録、公的な死亡届、母の証言。
そして、日記に繰り返し出てきた二つの名前――みさき、たかひろ。
画面に文字を打ち込む。
「ヒナは、同級生によるいじめで水に落とされ――」
……打ったはずの文章が、消えている。
カーソルは確かにそこにあるのに、「いじめ」も「溺死」も、入力してもすぐに白く滲んで消えていく。
代わりに、何も書かれていなかった空白が滑らかに繋がっていく。
試しに別の言葉で書き直す。
「水に落とされ」→「事故で水に落ちた」
今度は残った。
だが、それでは事実が歪む。
不意に、横でページがめくれる音がした。
日記だ。
開いた先に、稚拙な文字が並んでいる。
> みさきちゃんが よんでる
> たかひろくんも よんでる
> よんで みずに おとす
> およげないから みんなわらってる
文字が波打ち、紙の奥で水面が揺れている。
そこに別の筆跡が重なる――もっと古く、かすれた字。
> なまえを よばれた
> つめたい てがあしをひっぱる
> くらくて みえない
> おかあさんの てがはなれた
ページをめくるたび、文字の時代や筆跡が入り混じっていく。
どこまでがヒナの声で、どこからが別の誰かの声なのか、判別できない。
水の底で語られる景色は、妙に重なり合っていた。
> みんな わたしをみてた
> みずのそこ おちていく
> なまえが おもくなる
ページの隅には、薄い鉛筆書きでこうあった。
「井戸」
カーソルが勝手に動き、記事の末尾に一行が追加された。
――ヒナは、病気で亡くなりました。
その文字だけが濡れて光り、雫が垂れたようににじみが広がっていく。
背後で、小さな水音がひとつ響く。
振り返ると、開かれたままの日記の奥で、また別の時代の声が重なっていた。
> わたしの なまえを おぼえて
そしてページが、ゆっくりと閉じた。