第六章 引き込み
膝まで達した水は、呼吸を整える間もなく腰へと迫ってきた。
流れはないのに、全身がゆっくりと押し下げられていく。
皮膚の下に、冷たい重りが入り込んでいるような感覚。
机の上のノートは、濡れないまま白紙を開いていた。
紙はわずかに膨らみ、縮む。
その動きが、私の肺の呼吸と同じリズムになっていることに気づく。
ページの中央に、水滴がぽたりと落ちた。
波紋が広がり、淡い線が滲むように文字を描く。
> 名前を最後まで。
喉がかすかに動いた瞬間、足首に絡みついていた白い指がふくらはぎへと這い上がった。
冷たさが皮膚を抜け、筋肉の奥に染みていく。
水位は胸に達し、息が浅くなる。
口の中がひやりと広がり、舌先の感覚が遠のく。
耳の奥で、水の中から響くような低いざわめきがした。
それは言葉のようでもあり、単なる水音のようでもあった。
ノートのページが、風もないのにひとりでにめくられる。
裏表紙に近い一枚が開かれ、その中央に二つの水滴が同時に落ちた。
波紋が重なり合い、人の名前に似た輪郭を作っていく。
けれど、その文字は途中で滲み、形を保てない。
胸の奥で肺が痙攣した。
視界の端が黒く滲み、天井と水面の境界が溶けていく。
足元から、冷たい手が何本も伸びた。
引くでも押すでもなく、ただ沈む方向を示す。
最後に耳の奥で囁きが響く。
——下まで来れば、全部わかる。
その声と同時に、全身が水の奥へと滑り落ちていった。