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溺れる日記  作者: 揺蕩う夜
第七部 沈みゆく証言
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第五章 最後の記録

部屋に戻ると、息がひとつ深く沈んだ。


玄関を閉めた途端、背後で小さく水が跳ねる音がした。

靴を脱ぐ間もなく、足元の冷たさに気づく。

廊下の板の隙間から、じわりと水が染み出している。


リビングの机の上には、ノートがあった。

閉じた覚えはあるのに、白紙のページを開いたまま待っている。


近づくにつれ、革表紙から漂う湿った匂いが濃くなる。

鼻の奥に張り付き、呼吸を遅くする。


ページの中央に、透明な水滴がぽたりと落ちた。

波紋が静かに広がり、その中から黒い線が浮かび上がっていく。


> 川沿いに追い詰めた。

> 笑っていた。

> あの子の声は、もう聞こえない。


視界の端がわずかに揺れる。

その文字を読んだ瞬間、記憶とも幻ともつかない光景が溢れ出す。


雨の日、濁った川の水が膝まで迫る足元。

滑る土手の端に、小さな影が立ち尽くしている。

私はその前に立ちふさがり、声を奪う水音を背後から浴びせていた。


——もっと近くで見なさいよ。


笑った唇の形を、はっきりと覚えている。

それが私自身のものだと気づいたとき、喉の奥がひりついた。


壁際の隙間から、一筋の水が床に滲み出す。

それは音もなく広がり、ノートの下へと吸い寄せられていく。


紙の端がかすかに震え、ゆっくりと次のページがめくられた。

新しい紙の上に、また水滴が落ちる。


> まだ、書き終わっていない。


文字がにじむと同時に、足元の水がくるぶしを越えた。

冷たさが骨まで染み込み、膝へと迫る。


ふと、足首に何かが触れた。

白く細い指が二本、そっと絡みつく。

指は驚くほど冷たいのに、握る力は柔らかく、逃げられない。


呼吸が浅くなる。

胸の奥に水が重く溜まり、肺がきしむ。


視線を落とすと、水面の奥から無数の顔が浮かび上がっていた。

その中のひとつが、私と同じ笑みを浮かべている。


次の瞬間、ページが、水の流れに揺れながら一枚——めくられた。



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